ただ単に……
ここからは織田と松平の関係を見ていきます。
戸田康光「松平広忠が水野信元の妹と離縁したのが1544年。翌1545年、松平広忠は今の愛知県安城市にあった安祥城を攻めるも失敗。広忠は安祥松平の4代目。つまり安祥城は彼の本貫地であるのと同時に三河の穀倉地帯。是が非でも確保しなければならない場所なのであったのだが、当時は織田の権益。両者の対立はその後も続き、最後。」
織田信秀が松平広忠の本拠地岡崎城を占拠する事によって終結。
戸田康光「織田信秀が松平広忠に対し、降伏の証として要求して来たのが……。」
のちの徳川家康。
戸田康光「岡崎城から清州城までの道のりは全て織田方。織田信秀は誰に邪魔される事も無く徳川家康を尾張へ移送する事に成功した。」
少年「へぇぇ。」
戸田康光「自然でしょ?」
少年「そうだね。でも……。」
戸田康光「どうした?」
少年「何故その事が無かった事になっているの?
『徳川が天下を獲ったから。』
と言われればそれまでの事だけど、松平広忠にしろ徳川家康にしろ……。」
負けたいくさの経歴は記述されている。
少年「安祥攻めのそうだし、三方ヶ原もそう。それにも関わらず岡崎城で降伏を余儀なくされた記述は……。」
戸田康光「残っていない。恐らく……。」
誰かの事を慮って廃棄されたのであろう。
少年「徳川家康?」
戸田康光「それもあるが、どちらかと言えば家康のお父さんになるかな?何故なら……。」
その翌年。松平広忠が今川方に転身したから。
戸田康光「織田と今川の連携は、今川がうちを。織田が松平をそれぞれ駆逐するまでに限られていた。両者が近接した瞬間。両者の対立は表面化。その舞台となったのが西三河。織田信秀が岡崎城を降伏に追い込んだ翌1548年。織田と今川が岡崎城の東。今の愛知県岡崎市美合町の小豆坂で激突。この戦いに今川が勝利を収め、織田方を矢作川以西に追いやるのを確認した松平広忠は今川方への復帰を決断。」
少年「今川として戦ったのでは無いの?」
戸田康光「この戦いで広忠は何もしていない。仮に今川方であったのならば、矢作川で織田勢を防ぐ。もしくは撤退する織田勢に横槍を入れる等行動を起こす事が出来たのだが、彼は何もしていない。家臣の一部が今川側として戦っているが、それを率いたのは今川の家臣。つまりこの段階で広忠は……。」
織田と今川。どちらが勝っても良い様にしていた可能性が高い。
戸田康光「そこまでは問題無い。自らが生きる事。岡崎の権益を維持する事が大事なのであるのだから。ただここで大きな問題が発生する事になった。」