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政変

 奥三河が緊迫化する中、美濃で動きが……。


 生前、太原雪斎。


太原雪斎「美濃の斎藤道三は義龍の事を快く思ってはいません。義龍の事を

『耄者』

と訝しみ、義龍の弟の事を

『利口者』

と溺愛。特に三男には一色姓を与えています。」

今川義元「道三は義龍に家督を譲っているのだろう?」

太原雪斎「はい。しかしこれは道三の本意ではありません。美濃の国衆や民の不満を解消させるための代替わりでありました。実権は未だ道三が握っています。」

今川義元「道三と義龍の事情を義龍の弟達も把握している?」

太原雪斎「はい。弟達は義龍を侮る態度を繰り返しているとか。」

今川義元「道三は織田方である。と言う事は……。」

太原雪斎「試してみる価値はあります。」


 1555年10月。斎藤義龍。病と称し、奥に籠る。

 同年11月。斎藤義龍。斎藤道三の留守を狙い、弟2人を呼び寄せる。

「斎藤義龍は重病にあり、先は長くない。一度話をしたい。」

と。弟が到着するや刀を置かせ、酒を振舞い泥酔させた所を謀殺。事の顛末を道三に報告。驚いた斎藤道三は長良川を渡り、大桑城に逃走したのでありました。


 翌年4月。雪解けを待って両者は激突。北を道三。南を織田信長に挟まれるも、美濃の国衆は斎藤義龍を支持。兵の数を以て道三軍を圧倒。斎藤道三はここで討ち死に。斎藤義龍は首実検を終えた後、南に展開。織田信長と相対すも、信長は撤退に成功。

 しかしこのいくさにより、美濃は反織田方に転身。そればかりでなく尾張国内の岩倉織田家が織田信長に叛旗を翻し、信長のお膝下。勝幡織田家内にも不穏な動きが……。この結果は三河国内にも波及。織田信長の支援の下、奥三河を暗躍していた遠山氏の動きは止まり。織田信長の支援が頼りであった吉良義安も孤立。

「頃合いはよし。」

と今川義元は吉良義安が籠る西条城を総攻撃。城下を焼き払う等城周辺を徹底的に破壊した後、義安を追放。そんな中……。大津。


戸田尭光「民部丞が牛窪に戻ったのでありますか?」

戸田光政「牧野保成の取成しが功を奏したとも言えますが……。」

戸田尭光「今川様は優しい方でありますね。」

戸田光政「勿論、蟄居の身ではありますが。」

戸田尭光「先の義安のように、時が経てば許すのでありましょう?」

戸田光政「……でありましょう。」

戸田尭光「西条はどうなりましたか?」

戸田光政「徹底的に検地が施されているとの事であります。」

戸田尭光「直轄地にするお考えでありますか?」

戸田光政「そう見て間違いありません。」

戸田尭光「叔父上は更に忙しくなりそうですね。」

戸田光政「……全く。仕事が無いよりは。ではありますが……。」

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