菊池くんと安藤さん
ふつうのタイトル(笑)
※ コロン 先生主催の【菊池祭り】参加作品です
菊池くんは安藤さんと交際をしている。
ふたりのデートでの食事は、もっぱら外食かテイクアウト。
つきあいはじめのころは、菊池くんのひとり暮らしの部屋に、安藤さんが手料理をつくりにきたりもしたこともあったけれど。
最近は、めっきりそんなこともなくなった。
というのも、菊池くんがそれを避けているからである。
安藤さんの料理が口に合わないわけではない。
むしろ、彼女の料理はなかなかの出来で。
学生時代に所属していたというお料理クラブで鍛えられたウデは、ちょっとしたカフェくらいなら、ひらけてしまうのではないかというほどだった。
だけど、菊池くんは安藤さんに料理をつくらせたくはない。
外食やテイクアウトでだめなら、最悪、自分が料理するつもりでいた——幸いなことに、まだその機会は訪れていないけれど。
そして、当然のことながら。
そこには理由と、ふたりの歴史がある。
安藤さんが、菊池くんの部屋に食事をつくりにきて5回目のことだった。
「ねえ、あのさぁ。
食べたあとにはちゃんとごちそうさま、言ってくれるのはいいんだけど。
食べてるさいちゅうには、感想のひとつもないよね?」
そうだっけ? と、訝しみながらも、そう言われるからにはそうかもしれないと、納得して。
彼は、きょうの食事は気をつけようと心に決めた。
味噌汁に煮物。和食も得意な安藤さんの手によって、食卓には結構な品数がならび、ふたりは手をあわせて、いただきますをする。
あっちやこっち、ひととおり口をつけた菊池くん。
ここで忘れないようにと、コメントを出した。
「全体的にちょっと味がとがってるよね。
なんでもかんでも、とりあえず塩胡椒じゃなくて。味を濃くするなら香辛料とか、ダシだとか、いろいろあると思うから、例えばこの煮物なんかだと……」
この日のために、気のきいたコメントを返せるようにと。食べ歩き番組を視聴して学んでおいた菊池くんだったのだが、そのさきをことばにできることはなかった。
安藤さんが、すごい形相で睨んでいたからである。
「いい!
あなたはもう、食べなくていい!!」
彼女はそう告げると、食べきれなかったぶんを冷蔵庫に入れるために用意しておいたタッパーに。食卓に並んだ、まだ温かい料理を詰めはじめたのだった。
この日のことを、彼女に赦してもらうために。
菊池くんは3ヶ月と、カップルシートでの苦手な恋愛映画3回のデートを費やした。
ようやく機嫌を直した安藤さんは。今回はたくさんの香辛料を持ち込んで、菊池くんの誕生日祝いの料理に腕を奮ってくれたのだ。
彼女の気持ちを無駄にすまい、そして、二度とあんな怖い想いはしたくないと、菊池くんは今回の誓いを確かめる。
それは、どんな料理でも、とりあえず「美味しい」とのコメントを出すということ。
あれもうまい、これもうまい、どれもうまい。それでよかろう。
恋愛映画を見終わったあと。パンフレットをひらきながらのカフェでの寸評も、「すごくよかった」で済まされているのだから。
「美味しいよ」「ありがとう」「ごちそうさま」
そのみっつを、口先だけでなく、心から発しているとさえ認められれば、それ以上は求められまい。
それでも、菊池くんは慎重に。
口をつけた料理に「うまい」とだけ述べていく。調子に乗って余計なことを言うこともなく、受け答えが成立する範囲に会話をとどめるのだ。困ったら質問で返して、むこうに喋らせればいい。
そうやってなんとか。ひさびさの彼女の手料理を、ふたりで囲むことが無事できているようだ。
しかし、うまい。
心がけるまでもなく、自然と口からそのことばがこぼれる。
安藤さんも前回、そうとう悔しい想いをしたのだろう。
今までも美味しい料理だったが、今回はそれにも増して、菊池くんの舌に合う。
自分の手料理でなくとも、いっしょの食事のときは菊池くんの味の好みなどに、気を尖らせていたに違いない。
とくに、今回はこのご飯もの。
濃すぎず、薄すぎず。ハーブと香辛料でしっかりつけられた風味が、なんとも楽しく。
具沢山ながら、調和のとれた味わいで、ほかのおかずがなくとも、これだけでいくらでも食べられそうだ。
「それ、気に入ったの?」
菊池くんが、スプーンでお米を口に運ぶその表情で。
安藤さんにも、それは伝わったみたい。嬉しそう——というか、してやったりの笑みを浮かべてのぞきこんでくる。
だが、ここで油断して、余計なことを言ってはいけない。
「美味しい」とだけ言えばいいのに、「ほかのおかずがいらないくらい」なんてつけ足そうものなら、またもやタッパーの出番。
菊池くんはさらに慎重に。「うまい、大好きな味」と答えた。
「そんなに気に入ったのなら、またつくってあげるよ?」
上機嫌の安藤さんに、菊池くんも気をよくして。是非、お願いともうひと押しをする。
「ありがとう。おおげさに言うわけじゃないけど、これまで食べたことない気がする——こんなに美味しい炒飯は……」
そこで、ふたたび。菊池くんは、安藤さんの形相に絶句したのだった。
「ふ……ぅん、炒飯ね」
前回のような、激しくとも、うわっつらをのみ燃やす怒りの炎ではなく。それは、奥底で静かに煮え滾るマグマのような憤り。
だが、まだその理由を菊池くんは理解できていない。
それを知ってか。あくまでやさしく、諭すように。安藤さんはことばを継ぐ。
「これねぇ、ピラフなんだよね。
わかる? 炒飯は炒めるけど、ピラフは炊くの。
炒飯を上手に炒めるのだって、難しいんだけど。ピラフは炊くまえに、生米を炒めるから二度手間なの。
そっかぁ。……炒飯だと思って食べてたんだ?
ふぅ……ん」
わかりませんてば! いや、言われればわかるのかもしれないけれど。
普段、中華料理店やラーメン屋で炒飯ばかり食べている成人男子に。味と色がついて、具沢山の火が通っている米料理を、先入観から「炒飯」と判定してしまうことを責めるのは、ちと酷ではないか?
かといって、手間のかかった料理をつくってくれて、それに相応の理解を求める彼女に、咎を負わせる気など、菊池くんにもまるでない。
安藤さんも、フラストレーションは感じつつも、それを彼にぶつけるべきではないことはきちんと承知している。
いろいろ隠しきれてない笑顔で、「に゛こ゛や゛か゛に゛」おかわりをすすめるのだった。
「美味しかったなら、もっと食べてくれる?
……炒飯じゃなくて悪いんだけど」
そういった顛末で、あれ以来。
ふたりのデートでの食事は、もっぱら外食かテイクアウト。
それがだめなときは、最悪、自分が料理するつもりで。
菊池くんは、自炊も兼ねて、近ごろは料理の練習をはじめた。
幸いなことに、まだその機会は訪れていない。
私も、わかる自信ないです。