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鼻血

作者: 暮 勇

 いただきますと、言った瞬間。

 妻の鼻から血がだらり、と出た。

 

 何か、見慣れない色が見えるな。

 僕が妻の顔を見た瞬間、そう思った。それが血なんだと認識するのに数秒かかった。

 それは妻も同じようで、上唇から滴る勢いで出る鼻血を指で拭い、まじまじと見つめている。

 そこからたっぷり10秒ほど経って、ようやく「鼻血だ〜」と呑気な一言。

 僕は結構慌てた。水のようにだらだら流れ出ているそれを、どうすれば堰き止められるのか分からず、パニックに陥った。ティッシュか?それとも、この量だとトイレットペーパー?

 そもそも血をそんなに見る機会が無い。少なくとも、男である僕にはなかった。大人になって怪我をする機会があるとすれば、せいぜいが髭剃りの時にうっかり肌を切ってしまうくらいだろう。血が出たって、大した量じゃない。放っておけば固まって止まる程度だ。

 鼻血を出している本人はと言えば、「シャツが汚れる〜」などと呑気なことを言いながらティッシュを手際よく丸め、鼻の穴に突っ込んでいる。その鼻栓も、暫くすると真っ赤になっており、それを見越したように妻は鼻栓を量産しては詰め替えている。まるで流れ作業だ。

 結局僕は手持ち無沙汰で、途方もない無力感を感じながら呆然とその様子を眺めることしかできなかった。

 そして、妻はそんな僕の様子を目ざとく見つけ、「ウエットティッシュ取ってきてくれる?あと、適当な替えのシャツ。なんでもいいから」と素早く指示を出した。僕は言われるままにウエットティッシュを渡し、年季が入っていて捨ててもよさそうなシャツを見繕った。僕がシャツを渡しに戻った時には、妻は机周りの清掃を始めていた。真っ赤な鼻栓を詰めながら。

「後は僕がやるよ。あんまり動くと、よくないだろ?」僕はようやく相手を気遣うような一言を発することができた。

 妻は数秒動きを止めて、「そのうち止まるよ、これくらい。それに慣れてる方が片づけた方がいいでしょ」と僕の気遣いを一刀両断してしまった。

 というか、これくらいってレベルなのか。それ。

 結局僕は、ぼんやりとテーブルに座っていることしかできなかった。


 「なんでいきなり、鼻血出たんだろうね」

 一通り清掃も終え、着替えも済ませた妻に、僕は言ってみた。妻は何事もなかったかのように鍋をつついている。

 「あ〜…。実は」妻は急に恥ずかしそうに、目線を逸らした。

 鼻血から打ち明けられるような秘密ってあるのか?

 僕は真剣になればいいのか分からず、ただ黙って鱈の切り身を頬張っていた。

 「今日、花粉症の治療でさ、鼻の粘膜レーザーで焼いたんだよね」

 ちょっと僕が聴き慣れない言葉が耳になだれ込んできて、僕は混乱した。味わってる鱈の味が、いつも以上に淡白に感じた。

 「え、粘膜?レーザー?なに?」僕は素直に聞き返した。

 「ずっと私、花粉症酷かったでしょう?」妻は相変わらず恥ずかしそうだ「だから、少しでもマシに慣ればと思って。今結構やってる人多いんだって、レーザー治療」そう一気に言い、豆腐を鍋から掬い上げた。

 「それすると、鼻血出るの?」僕はようやく最初の自分の疑問に立ち返ることができた。出汁が沁みた大根が美味しい。

 「うん、やっぱ、レーザーで傷付けてるからね、鼻の中を。だから鼻血まじりの鼻水とか、が出やすいですよ〜とは言われたんだけど、まさかこんなになるとは」笑いながら、妻は大きな豚肉を摘み上げる。しまった、取られてしまった。

「とりあえず…大ごとじゃないんだね」僕は悔し紛れに小松菜を取る。妻はニンマリとこちらをみている。豚肉争奪戦に勝った者の笑みだ。

「うん、心配かけて、ごめんね」そう言いながら豚肉を頬張っている。

「いいんだよ、僕は結局なんの役にも立てなかったしね」

 鼻栓をしながらも、幸せそうに食事をする妻に、僕はなんだか嬉しくなった。


 ところで、パートナーが鼻血を出した時、どうすればいいんだろうか?

 何をすれば役に立てるか、後で妻に聞いてみようかな。

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