初めての教会
この小さな街の名前をまだ知らなかったルーは、朝食の後、アルジスと街を散策する約束をした。髪を後ろで高い位置で束ね、ローブで隠す。フードを被り、宿の外へ出る。
「お、デートか?じゃ、またな、アル」
「あぁ、また」
大きな荷物を背負った男と挨拶を交わすアルジスは、ルーに気づいて解散した。
「よかったの?話しててもよかったのに」
「いや、どうせまた後で会うから問題ない」
そういうと、アルジスは自然にルーの手を握り、街を案内した。彼の手はガッチリと掴まれ、ルーがどう足掻こうとびくともせず、離してくれない。
(ちっとも離れないわ……まるで動物でも捕まえた時みたい…)
街の名前はサドロア ルーの故郷、オーヴィル国とスケイル国の国境門から離れており、3つの街を経た先にある街だ。地形的に川と山脈に囲まれ、国境門を使わずにオーヴィルへ行くには山脈を超えなければ辿りつけない場所にある。
街道の外れた険しい山道は、最低でも10日以上かかる。だが山脈の下の秘密の地下水路は、一番最短距離を3時間ほどで国を越えることができた。だからこそ時間をかけずにアルジスはルーを連れてこれたのだ。
地図上で見れば、すぐ隣にオーヴィルの街があるが、山脈に住む魔物が強敵すぎて、通るものはいない。それゆえ、山越えでの国境越えは誰もしない。
近くの山では魔力を帯びた珍しい石が取れ、街の商店では色とりどりの石が売られていた。
名物料理はダクバードの卵を使った卵サンドで、グルメな旅人はそれを目当てに来る人もいるとか。
ダクバードは標高の高い山の中腹に巣を張る鳥型の魔物。その卵を風魔法で上手に獲り、卵から孵し、育て、飼い慣らしたダクバードに卵を産んでもらう。そんな畜産をこの街では営んでいた。
だが、アルジスに説明された街のすべてがアンデッドによって破壊し尽くされていた。また一から始めるには、住民が少ない、とアルジスはこぼす。
(聞かされても……私にはどうしようもなかったことよ)
街の建物は壊されて廃墟になっている場所もあれば、傷ひとつない寂れた場所もあった。かつて住民が商いしていたであろう酒場からは人の気配がない。
「見せたいものがある。だが…いいか、俺は商人でお前は俺の連れということになっている」
「連れ……」
(まぁ恋人よりはいいわ)
「それから…」
アルジスはルーが頭に被っているフードをさらに深く、ぐいっと下げると、低い小声で脅すようにいう。
「これから行く場所ではしゃべるな。そして絶対に身分を明かすな」
「……」
(怖いんだけど……聖女の容姿は知られてないんじゃないの?)
向かう途中から目的地が見慣れた教会だとわかると、なぜ警戒しなければならないのだろう、とルーは考えを巡らせていた。
(見せたいものってなんだろう……同じ第二子とか?いや、あれはカルヴァン家だけの話だったかしら)
教会の扉にあったバリケードは退けられ、扉が大きく開けられていた。中には街の外からきたであろう見知らぬ人々が集まっていた。礼拝堂の長椅子はきれいに並べられ、満席だった。そして、黒い布で覆われていた窓は、全て開放され、礼拝堂の中は明るく、ルーは空気まで明るく感じた。
後ろの壁には何かを待ち望んだような顔をした人たちが立っていた。その横にアルジスたちも立つ。
(こんなにたくさんの人、外から戻って来た住民かしら?)
「祈りの歌が始まる」
「……」
(祈りの歌……姉上を思い出すわ)
アスジスがルーの耳元で囁いた後、礼拝堂の奥の扉から、純白の聖教会の制服をきた男性が出てきた。その後ろに、純白のドレスを着た、若い女性がヒールの音を鳴らして皆の前に出てくる。教壇の机の前に女性が立つと、ルーの周りからざわめきが消え、皆、一斉に両手を顔の前で組む。
(祈りってこんな感じなのね……なんか不思議)
ドレスを着た女性の見目は美しく、金髪の長い髪に青色の瞳だった。ルーの姉セルビアと、顔は違うものの遠目では気づかないほど似ていた。その情景にルーは姉を思い出し、同時に違和感を覚えた。
「皆様、よく耐えました。皆様の祈りを私の歌に乗せ、見事その祈りは届き、この街に平和が戻ったのです。これからも私の歌声とともに、皆様の祈りを天へと送りましょう」
ドレスの女性がそういうと、悲しみを抑えて涙をすする音や、深く何度も頷く者、握っている手に力を込めて震える者がルーの目に入った。参拝者のほとんどが信仰心が厚いようにルーには見えた。
(うちの教会もこんな感じなのかしら……見たことないからわからないわ)
その後、ドレスの女性は祈りの歌を歌い出し、終わると深く礼をして、教会の鐘が終わりを告げるかのように鳴らされた。
教会の鐘が鳴り終わると、大人しく座っていた人々が一斉に動き出す。あっという間にドレスの女性の周りに人だかりができた。その人だかりに向かってアルジスはルーを連れて近づいていく。
身長の高いアルジスはかなり目立ち、ドレスの女性がこちらに気づくと、満面の笑みで彼女の方から近寄ってきた。
「アル!無事だったのね!!」
「あぁ、君も無事で何よりだ」
アルジスの声にルーは衝撃を受けた。今までに聞いたことのない穏やかな棘のないやんわりとした声に、ルーは背筋がゾクゾクとした。だが、その声に恐ろしいと感じたのルーだけだろう。
「聞いたわ、避難していた住民に食糧を持ってきてくれたそうね、本当にありがとう」
「お互い様だ。君はどこにいたんだい?」
「隣町に避難していたの、でもそこから毎日祈りの歌を捧げていたわ…」
「そうだったんだね、無事でよかった」
「もし……よかったら……」
ドレスの女性はアルジスの肩に手で触れ、彼に顔を近づける。
「一緒にお茶でもいかがかしら……あら、こちらは?」
女性はルーの存在に初めて気づき、驚きつつ尋ねる。ルーは顔をあげることなくじっとして動かずにいた。するとアルジスが握っていたルーの手を離し、その手でルーの腰を掴んで抱き寄せる。
(!?)
「これは俺の連れだ。放っておくと何を仕出かすかわからないからね」
「……そうなのね……アル、話があるの。できれば……二人で……」
「時間ができたらまた寄らせてもらおう。では、また」
「……えぇ、待っているわ。必ずいらして」
ルーの腰に回された手はそのまま、アルジスたちは教会をあとにした。教会が見えなくなるまで無言で歩くと、彼はルーをやっと解放してくれた。人通りの少ない路地に入り、アルジスはまたルーの手を握って街中を歩き出す。
「あれはこの街の教会の祈祷主だ。クレイの話だと、隣町で祈りの歌は一回も歌うことなく、結婚相手を探していたそうだ」
突然喋り出した彼の声は、ルーの知ってる声に戻っていた。
「……だからなんなの」
「あれが現在の教会だ」
「……」
(確かに衝撃は受けたけど、あなたの気持ち悪い声の方が衝撃だったわ。どこから声を出してたのかしら…)
(まぁ、歌にしてもその辺の少女が歌った方がマシなくらい。姉上の歌声とは大違いだったな……)
「何も思わないのか?彼女はこの街を救ったのは自分だと言い切った」
「好都合では?それに彼女がこの街で祈りの歌を送ってきたのは事実でしょ」
「あれの父親は裏で寄付金を元手に隣町で商売をしている」
「……そう、いいんじゃない?彼らはただ自分のしたいことをしているだけ」
「多くの住民が亡くなったんだぞ?」
声に感情的な怒りを露わにするアルジスは、握った手を僅かに震わせた。ルーは彼の少し後ろから、それを醒めた目で見る。
ルーは彼の言いたいことも憤慨している理由もわかった。けれど、同調してあげられるほどに、彼女は彼らに興味がなかった。
この街の住民から慕われている祈祷主の様子を見たルーは、彼らに何もしてあげれないからだ。もし自分の力を他に分けることができるのなら、姉のセルビアに分けてやりたい、と思っていたのだ。
「亡くなったのは誰の責任でもない。もしこうしていれば、なんて生きてる人の勝手な妄想に過ぎないわ」
(そう、悔やんでも仕方ない……今の私には関係のないことよ)
「……お前は家族が犠牲になったとしても、同じことが言えるのか?」
「さぁ……今となっては家族がどうしてるかなんてわからないもの」
(それに私の家族は叔母だけだ……もういない)
ルーはアルジスに問いたいことがたくさんあった。だがその問いかけは頭の中だけでかき消された。
<ジョナス様はここで亡くなったの?>
<聖教会には本当に祈りの力はないの?>
<魔術で街は守れたんじゃないの?>
考えては消しを繰り返していると、ルーは何も聞けなくなった。そのうち問いかける気が失せ、ただ街を歩いた。
建物は少なくなり、山側の街の地形は坂道になっていった。山へ登る階段があり、そこからこの街を一望できる小さな広場があった。そこでアルジスは歩くのをやめ、手を離し、街を見下ろした。
「俺は……」
「……」
(ん?)
「俺には大切な人がいた…だが俺を守るために死んだ…俺が殺したようなものだ…」
ルーはただ黙ってアルジスの言葉を待った。誰が亡くなったかを知っているからこそ、何も言えなかった。
「もしお前がもっと早く見つかっていれば……失わずに済んだ命だったかもしれない」
はっ、と不愉快そうに彼は息を吐く。ルーは黙ったまま空を見上げる。
「教会があるのは、死者を送るためだ……だから亡き死者のために寄付し、国は存在を認めているんだ……だが奴らがやったことと言えば金に目が眩み、着飾り、豪遊し、人々を謀ることだ」
アルジスは怒りで体を震わせ、視線は街へ向けているようでも、見えない何かを睨みつけていた。
「それでもお前は奴らになんの責任もないと言い切れるのか?」
ルーはピリピリとするアルジスに、怒りを鎮めて欲しかった。だからこそ、視点を変えるような話を思い出す。
「森で植物を育ててたの。でも大きな木の枝が、陽の光を遮っていた。だからその枝を切った」
「質問に答えろ」
アルジスは突然わけのわからない話をするルーに苛立ちをぶつけた。だが、ルーは単調に話を続ける。
「切った枝は、切った場所が悪くて、本体が枯れてしまった。でもそのおかげで育ててた植物に日が指し、大きく成長したわ」
「……」
「アル、助けられなかった命は無意味に亡くなったわけじゃない。繋いでもらった命があったからこそ、今のこの街がある」
(成るように成っただけ。言うのは簡単。でもジョナス様が亡くなったからこそ、彼と出会い、私はあなたについてきた。後悔ばかり頭に浮かぶ。けど、それじゃ私が今を生きられない……)
「この街の祈祷主が、悪意をもってアンデッドを生み出したのなら、話は違うけど……でも違う。住民たちを見たでしょ?彼女の歌に救われる人だっている。でもあなたは私の歌の力を知ってるから……」
ルーの言葉は彼に響かなかった。聞こえているはずの声は、虫の音のように消された。彼はルーに向き直り、尚も悪態をつく。
「祈祷主は毎日祈りを捧げていたと愚かな嘘をついた。奴らにとって住民は金蔓だとしか思っていない証拠だろう?」
(あー……もう……)
「不毛だわ」
「なに?」
「この会話は不毛だって言ってるの。時間の無駄よ!あなたにとって腹立たしいことでも、私にとってはどーでもいいわ」
(彼らに責任がある前に……)
「聖女として何も思わないのか?」
「何を思わせたいの?私の家族がしてきたことと変わりないわ!一生懸命に生きてるだけよ。聖女の力を持っているからって私は『慈悲深い聖女様』なんかじゃないの。彼らに責任を問えないわ。それは何もしてこなかった私に問うことなの?」
ルーは自分の力を隠してきた自分に、罪悪感を感じ始めた。だから彼の問いかけが彼女の心に刺さる。どうにかジョナスの死を無駄だと認めたくないルーは未来を見据えて話していた。
しかし、アルジスはどうしても教会に向ける憎しみの方に支配されてしまう。そこでふと、疑問が生まれた。
「どうしてそんなに教会が憎いの?」
「……」
彼は何か言おうとして、やめた。けれど、その様子をみてルーは気づいた。
(また言えないことがあるってことね)
アルジスは話を変えようとつなぐように話す。しかし、ルーは彼への興味を全て失ったかのように歩き出す。
「お前に教会の奴らを見せたのは、視野を広げてほしいと思ったからだ」
「そう」
(ありがたいことに外に出られたわ)
「……お前が置かれている状況を知ってもらうためだ」
「そう」
(私の置かれた状況?何それ。聖女の生まれ変わりであると自覚させたいの?)
「お前の家族を悪く言いたかったわけじゃない」
「はぁ〜…」
(そこじゃないのに……)
すれ違う会話に、ルーはすでに話す気が失せ、坂道を降り始めた。アルジスは何事もなかったようにルーの手を掴み、誘導するように前に出る。
「もう一件、寄るところがある」
「……」
(今度は何?)
不機嫌なルーと勘違いしたままのアルジス。二人は無言のまま、来た道ではない方向へ向かった。
ついた先は木造の平屋。そこそこの大きさがあり、民家に混ざって二棟分の広さの土地に建っていた。正面には二つ扉があり、窓はカーテンで締め切られていた。看板には『売ります、買います、作ります』と書かれてあった。
アルジスは扉を開けると、カランカラン、と乾いた鐘の音がした。建物の中には大量の衣服が展示してある古着屋だった。店の奥から一人の女性が現れ、アルジスを見ると一礼し、奥に戻っていった。ルーは何の建物か分からず、落ち着かない様子で辺りを見渡す。
再び奥から出てきたのは、革の鎧を着た大男だった。白髪混じりの黒髪で、男らしい太い眉毛、目は小さいが鋭い。無愛想にアルを見て、手袋を取りながら向かってくる。
「よぉ、注文通りに作ったが……見世物小屋でもするのか?」
大男は低く渋い声でアルジスに言うと、ルーを一瞥する。
「安全な旅とは言えないからね。生地は伸びるだろ?」
「あぁ、もう着てくか?」
「買取で頼む」
「わかった」
彼らの会話はそれだけだった。ふと、背中に気配を感じたルーは振り返る。
ピッタリすぐ後ろ、いつの間にか女性が立っていた。ルーはぎょっとして驚くも、女性の容姿を下から上へ確認する。
(よし、透けてない。普通の女性ね)
くるくるの短い茶色の髪に緑の瞳の女性が、にっこりと笑窪をみせて微笑んでくる。
「こちらへどうぞ」
「へ?」
(この人……目がキラキラして怖い……)
その女性はルーの背中に手を添え、どこかへ案内し始めた。ルーはアルジスに視線を送ると、彼は頷いて合図する。
(着いていけってこと?)
狭い小部屋に案内され、扉が閉められた途端にドレスを脱がされたルー。下着も全て奪われた。かなり強引ではあったが、あっという間に着替えさせられ、鏡を目の前に置かれるまで想像がつかない服装だった。
それは体にピッタリと巻くように張り付けられた一枚の艶のある黒い布。その布に女性が魔力を流すと、クレイが着ていたよりも形状の違う制服に変化した。靴まで変化することにルーは静かに驚いた。
「う〜ん……なんかちがうのよねぇ〜」
女性は納得のいかない様子でルーを舐め回すようにみる。そしてまた布に魔力を流し始めた。変化する布は体を覆っては離れ、ワンピースになったり、使用人が着るような制服になったり、この街の少年が来ていた半ズボンとシャツ姿になったり、と忙しく変化を繰り返す。
最終的に決まったのは膝上までの黒の長いブーツ。ブーツほど黒くない黒の短いズボン。足を隠す為か、腰に巻かれた黒の布とベルト。腕と胸元が露わになった白いシャツ。その上に鎧のような分厚い生地の黒い制服のような上着。
「よしっ!いいね、可愛くなった!」
(え……うそでしょ……これで完成したの?)
今まで肌を出すような服を着たことのないルーは、女性からローブを奪うと奇天烈な服を隠すように羽織る。それをみた女性がふふ、と笑ってアルジスたちの元へと急かすように背中を押す。
アルジスと大男の前に立たされたルーは半目の無表情を彼らに送る。すると突然、ローブが引っ張られ、女性の可愛らしい声と共に脱がされた。
「それっ!」
(あぁ!?)
「んー…冒険者にしてはひょろひょろだな……」
大男が腕を組んでバカにした態度でルーに言う。
(冒険者?ひょろひょろ!?)
「……露出が多くないか?」
(あなたが連れてきたのでわなくて!?)
思っていたのと違ったのか、眉を寄せて不満げに言うアルジス。
「最近じゃこのくらい出てないと可愛くないですよぉ。それにこの子じゃ兵服は似合いません。ドラトカゲの腹の革を贅沢に使ってますからね、少々の魔法は効きません。防護性能は刃も通らないほど!そしてなんと言っても汚れません!安心安全の説明書付きですからね〜、ほい」
自慢げな口調で饒舌に話す女性は、ルーに説明書なるものを渡してきた。渡された小さな一枚の紙には、布の材料や性質などの詳細が、絵と共にわかりやすく描かれたある。
ルーはローブを奪い取ると、すぐに隠した。
(確かに動きやすいけど……うーん……遊ばれてる気がするわ)
「アルさん、似合ってませんかぁ?彼女、超絶可愛いと思うんですが…だめ?やり直し?」
「……いや、これでいい」
(これ『で』…ね)
ドレスから違う服に着替えたい、とルーが思っていたのは確かだった。アンデッドとドレスで戦った時、一番最初に考えたくらいだ。けれどまさか、こんな奇天烈な格好になるとは、ルーは思いもしなかった。
違和感しかない服装に戸惑いはしたものの、かなり動きやすいとわかると彼女は気にならなくなった。ただローブは手放せそうにない。
(これなら木登りも跳躍も簡単にできそう……誰も見てないならね……)
アルジスとルーは、宿に戻った。古着屋からの帰りはもちろん無言のまま、なぜか人目を避けるような道を選び、時間をかけて帰った。