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初陣

翌朝、ジークとクレイがルーたちの部屋に来た。


ルーはベッドから起きて長椅子に座ってくつろぎ、アルジスはルーが起きる前から、ソファで相変わらず書類に目を通していた。


ジークとクレイは、昨日とは違う服装だった。ローブの下は貴族には似つかわしくない、平民が着るような地味な装いだった。アルジスも服を渡されて部屋を出ていき、戻った時には随分地味な平民の服装になっていた。


ピアはその後、遅れて食事を持って来てくれた。ルーは悪いと感じながらも受け取った干し肉をお茶と一緒に食べながら不満げにアルジスを半目で見ていた。


昨夜、アルジスに魔空間収納の魔法を見せたルーは、自分が食事を出しても問題ないのでは、とアルジスに問いかけた。だが、ルーが不用意に魔法を使うことは危険だと言われ、使用を禁止したのだった。


(魔法が使えないのって祈祷主に選ばれた人とカルヴァン家だけだったはず……それに、私が用意したって言わなきゃいいだけじゃない……なぜって聞いても、また教えてくれないんでしょうね)


アルジスたちは、ピアに教会までの道案内をしてもらうことを話し、ルーはそれに大人しく従った。


ルーとしては、今すぐにでも祈りの歌を歌い、アンデッドに効くのか試したいところだが、それすら止められた。


(なぜ?私を連れてきたのに?)



「では、参りましょう。殿下のことはいつものように接しますので」


「わかっている。俺は旅の商人だ」


(商人?)



ルーはもんもんとしながらハシゴを降りていた。知りたい欲求が今にも溢れそうで、自分の下を降りるアルジスの頭を蹴ってやろうか、と半ばイライラとしていた。


(なんでこの国の王太子が商人に扮してまで聖女を連れてきたの?誰かに命でも狙われてるの?王家のジョナス様を失ったというのに国王は何をしてるの?意味わかんない……)


地面に降り立つと、朝だというのに暗く、霧に包まれていた通路は、前を歩くアルジスと後ろについて歩くジークしか見えなかった。


歩幅が急に狭まったり、広がったりを繰り返し静かに進む。先頭はピア、次にアルジス、ルー、ジーク、そしてクレイ。縦に並んで進む。


緊張の中、なんとかアンデッドと遭遇せずにすみ、無事教会に着いた。


教会、といってもルーのいたカルヴァン家の教会を半分くらいにした小さな教会だった。正面の入り口は外から机や木の板などでバリケードがされていて入れない。だが、ピアが建物の窓に何か合図をすると、屋根の上から梯子が降りてきた。


(また梯子か……)


ルーはスカートを捲し上げ、結ぶと昨夜同様に最初に登った。ピアが後から登り、翻ったままのスカートを直してくれた。


梯子を下ろしてくれたであろう人物は、子供だった。10歳くらいの少年で、肩に血痕をつけた、痩せた少年。屋根には他の少年が2人、教会の周りを警戒しながら見張りをしていた。


アルジスが登ると、少年の顔が明るくなり、彼に抱きついた。血痕はあるものの怪我ではなかった、と安堵しながらルーは二人を見ていた。


「アル…無事だったんだね……よかった……本当に……」


少年の声を聞いて他の見張りの少年がアルジスに安堵した顔で近寄る。


「アル……早く中に入って……屋根が抜けちゃうよ」


「そうだな」


少年たちは希望に満ちた顔をアルジスに向けながら、アルジスたちを教会の屋根と繋がった建物の中へと案内する。そこは塔のような円形の建物で、上には大きな鐘が設置してあった。建物の小窓から教会の建物の中に入り、祈祷を行う礼拝堂の上につながっていた。


教会の中は簡素な作りで、礼拝堂の壁は石でできていた。木造の長椅子が入り口を封鎖するように積み上げられ、全ての窓は黒い布で覆われていた。


少年たちに連れられ、教壇の下にある地下への階段を降りると、狭い空間に三十名ほどの人が肩を寄せ合って避難していた。


(五十名って聞いていたけど、食料調達に出ているのかしら)


老人や子供、妊婦などの街を出られなかった人々が石畳の地べたに身を寄せ合って座っていた。彼らは皆、希望を失ったような虚な表情で静かに俯いていた。


少年の一人がアルジスの手を引いて横たわった男性の元へ連れていく。


ルーたちは非難している住民の視線を集めながらアルジスの後をついて歩く。


「昨日から熱が下がらないんだ……アルなら何か薬持ってない?」


少年の横に母親らしき女性が寄り添い、アルジスに切望した顔を向ける。彼は苦しそうな男性の側にしゃがみ、苦しそうに汗をかいた男性の容態を確認し始めた。そして後ろにいるルーを呼ぶように視線を送る。


(なぜ私?)


ルーはアルジスの横に屈むと、額に手を当てて熱を測った。閉じた瞳を開けて見る。そして、首に指を押し当て脈を計る。意識はなく、熱にうなされているとわかると、男性の胸に手を当て、周りに気づかれないように僅かな魔力を隠蔽しながら流して容態を詳しく見る。


お腹に集中する血液、空の胃、熱と汗。


「下痢や嘔吐はしていませんでしたか?」


ルーは少年のそばに立つ女性に聞くと、戸惑ったように答えた。


「え…えぇ、一昨日から具合が悪くて…食べても戻して…」


(きっと、食あたりだろう…)


ルーは真横のアルジスに視線を向けると、彼の耳元で小さく囁く。


「薬、持ってるんだけど…」


「……調理場を借りれるか?」


ルーの言葉を受けてアルジスが周りに声をかけ、調理場へと移動することになった。


アルジスはルー、ジーク、クレイを含めて4人調理場へ入ると、案内に付いてきた他の少年たちに薬を作るから、と扉を閉めた。彼らはアルジスを信頼しきっているようで、何も聞かずに離れてくれた。


「アル様、どうなさるのです?」


ジークが腕を組んでアルジスを半目で見やる。クレイは扉の前で静かに頭をかいていた。


「これから見ることは見なかったことにしろ。ルーの条件だ」


「ん?……まぁ、アル様がおっしゃるのなら…」


ジークは無表情でルーに視線をむける。同じくアルジスとクレイもルーに注視する。


「え…えっと………さっきの男性は食あたりのようです。薬は用意できます。あと、ここの人たちは飲み水などはどうやって使うのですか?」


魔法を使わずに叔母と生活していたルーにとって、生活魔法を使える住民の普段はわからなかった。きっと、水魔法を使える人が水瓶に溜めてみんなで使っているのだろう、と本の知識では知っていた。だが実際はどうかわからなかったので、聞くことにしたのだ。


当たり前のことを聞くことは、少し恥ずかしいと思いながらも知らないことは聞くしかない。だが意外にもジークは馬鹿にするそぶりなどなく、丁寧に教えてくれた。


「スケイルでは国民全員が生活魔法を使えるわけではありません。風や炎、雷、など偏ってはいますが、お互いに助け合って補い合うのが通常です。ですが水魔法に関しては魔術道具を使用しています。なぜなら水魔法を使えるものは少ないからです。おそらくこの教会でもそちらの魔術道具に魔力を流せば水が出ます」


そう言ってジークは調理場の窓際にある小さな陶器でできた噴水のようなものを指差す。そしてさらに丁寧に説明を続ける。


「ですが…不死の魔物が出没してからは魔法を使用していません。なぜなら魔力を気取られれば、奴らにこちらの存在に気づかれてしまうからです」


「魔空間収納もですか?」


「……いえ、あれは魔法と言っても高度な技ですので、魔力が外に漏れるようなことがあれば中のものが出てしまうでしょう?」


(なるほど……)


「では、彼らはどうやって水を?」


「地下水だ」


アルジスが答える。


「地下に張り巡らされた水路をお前も見ただろう。あの水を汲み、生活に利用している」


「煮沸処理はしてますよね?」


「……火は使えない」


(なるほど……魔法が使えないと火も起こせないのか……なら魔力を漏らさなければいい)


ルーは顎に手を当てて考え込む。叔母との生活で使っていた火おこし用の石を持ってくればよかった、と後悔しつつも考える。


そして、ゆっくり最善の策を練った。


(不死の魔物さえ消えれば元の生活に戻れる。けど、あの男性は放っておけない…今すぐ薬を作って飲ませ、煮沸しなくてもいい水を確保しなければ脱水症状を起こして死んでしまう……)


思いついたルーは、アルジスに上目遣いをして合図を送ると、彼は目を細めた。


「ジークたちは信頼できる俺の仲間だ。条件は守る」


「……」

(もう……いっか)


ルーは大賢者の本をその手に出現させ、パラパラとページをめくりながら目の前の調理台に魔術の陣を書き写し、描いた。複雑な図柄をささ、っと指を滑らせ、ルーにしか見えないように魔力を隠蔽しながら描く。


魔力障壁に狩人の隠蔽術を加えた魔空間障壁を調理場の室内に展開させた。


ルーは外に魔力が漏れることなく、魔法が使える空間を作り出した。


「何をしたんだ?」


「いえ、なにも。お気になさらず」


収納していた炎症を抑えるショウロウの葉、嘔吐を抑えるアモル茸、下痢を抑えるバチル草、蜜の葉と一緒に取り出す。調理台に置くと、棚に置いてあったガラスの水差しにまとめて入れ、水差しの中で調合した。


アルジスたちはじっくり観察するだけで、何も言わない。だが、顔を硬らせ、ルーを凝視する。


ルーは完成した薬をアルジスに手渡す。


「魔法をつかったのか?魔力が感じられなかった……」


「魔力を隠して外に漏れない障壁を作ったの。墓地から放った魔力も隠していたのに、どうしてわかったの?」

(サーチだって魔力を隠蔽してたはずなのに、なんでわかったのかしら)


「それは……意地が悪い質問だ」


(ッチ、硬い口だこと)


「これは食あたりに効く薬です。アルが持っていってください。あと、大きな水瓶ってないですか?」


ルーはアルジスに薬を渡しながらジークに向かって聞く。


「あぁ…そうですね……水瓶はないですが酒を入れておく樽があります…」


「それでいいです。水を汲む水路にあるだけの樽を集めてください」


薬を渡されたアルジスがルーをじっと観察する。ルーは一向に薬を持っていかないアルジスを睨んだ。


「あの男性は薬がすぐにでも必要な状態です。急いで」


「……クレイ」


「えぇ〜おれぇ?」


アルジスはルーから目を逸らさず薬の入った水差しをクレイの方へ差し出す。クレイはそれを受け取ると、へいへい、と言って調理場から出ていく。


アルジスとジークの熱い視線の中、ルーは水を浄化するための材料を取り出し、彼らに見えない魔術の陣を机に描く。その陣の上で踊り出すように動く材料たち。


不純物を吸収する黒色の魔石の結晶を3個作ると、さらに効果を上げるために魔術で干渉する。


尖った黒い結晶だったものが、丸く形を変え、不純物を吸収するだけでなく、浄化の作用までしてくれる浄化石へと変化する。


浄化石とは、綺麗な湖の底で長い年月をかけてできる石だが、ルーは自らそれを作り出した。ただし、自然にできた浄化石は採取してから5、6年は使えたが、ルーの作った浄化石の使用期間は3日が限度だった。


一般的に高級な香水や化粧品、薬品などを作る際に用いられる石で、市場に出回ることは滅多にない、と本に書いてあった。


「水路から汲んだ水を樽に溜めて、その中にこの浄化石を1時間ほど入れておいてください。樽に入った水は煮沸するよりも綺麗な水になります。使用期限は3日だけですけど」


「ジーク、頼んだ。ルーと話がある」


「…わかりました、仲良くしてくださいね……仲良く」


ジークはルーから浄化石を受け取ると、念を押すように人差し指を立てて言うと、調理場から出ていった。アルジスはルーから視線を外さず、彼女にわかりやすいほどの憤りの表情をむける。


「ルー」

(うわー…怒ってる…)


「ちゃんと魔力は漏れないようにしたから気づかれないわ?」


「そうじゃない、やる前に説明くらいしてくれ」


「……できない」


「ならせめて安全なこと伝えてくれ」


「……わかった」


アルジスは深いため息を吐くと、頭を抱えた。


「昨日の今日で信用できないのはわかる、だが状況が状況だ。魔力に反応すれば教会が襲われる危険性があるんだ」


「……ごめんなさい」


ルーは素直に反省した。アルジスたちは会ってまだ二日であり、お互いに信頼がない。ルーは説明することなく魔法を使った自分の軽率な行動に、改めて気付かされた。


とはいえ、二日間という期間は、ルーにとっては十分、長い時間だった。共に過ごした他人は、ルーにとって叔母以外に初めての生きた人たちだったのだ。


アルジスは素直に謝るルーをみて、再び深いため息を吐く。


「俺にもそうさせてしまった責任がある。だが今後は言える範囲でいいから、教えてくれ。肝が冷える」


「……はい」


アルジスはルーの頭を優しく撫でる。その顔にはもう怒りの表情はなかった。


(最低な態度は演技だったのかな?子供にもあんなに慕われて……この人、謎だわ)



その後、アルジスの提案により、ルーが収納していた食料を調理して非難している住民に配った。アルジスが持っていた三日分の食料ということにして配ると、皆、喜んで受け取った。


住民の表情から、アルジスは随分と前から彼らと親交を深めていたことがわかった。慕われていることも少年たちを見れば明らかだった。


新参者のルーのことを恋人かと聞く住民に、アルジスは微笑みながら流していたのをルーは見逃さなかった。


(否定するとこでしょ……)



再び調理場に集合したアルジスたちは、不死の魔物の討伐について話し合うことになった。ルーはこのことに関して、昨日から考えていたことがあった。


そして『あること』以外は包み隠さずに彼らに相談しようとを決めた。それはアルジスたちの住民に対する献身的な行動を見た後だったからだ。


赤髪のクレイは足の不自由な男性に杖を作って渡していたり、眼鏡のジークは、老婆の曲がった背中を揉みほぐしてあげたり、黒髪のアルジスは王太子でありながら子供たちと一緒にルーの渡したキイチゴを配って父親のようにやさしく世話をしていたのだ。


ここに来るまでに見せたアルジスの死者に対する思いやりも見ていたルーは、彼らに対しての警戒心は薄れかけていた。


「不死の魔物について……私に任せて欲しいの」


「……具体的には?」


ジークが眼鏡を掛け直しながらルーに尋ねる。


「私が一人で外に出て対処するわ」


「だめだ。危険すぎる」


アルジスは論外、といったように手を払いのける。


「誰にも見られたくない……ことなの」


「歌ってる間は無防備だ。どうやって対処する?具体的に何をするんだ?」


「歌っている間は障壁を張るわ。ただ、広場のような広い場所へ案内してくれればいい」


「歌うだけだろう、何を見られたくないんだ……わからん……」


頭を抱えるアルジス。眉を寄せて悩むジーク。天井を見上げて何かを考えてるようなクレイ。


「どうしても一人がだめなら、クレイについてきて欲しい」


「え?おれ?」


突然、名指しされ自分を指差し驚くクレイ。だがアルジスは許さない。


「ルー。この中で一番強いのは俺だ」


「……クレイがいい。じゃないと歌わないわ」

(あなただけにはアレを見せるわけにはいかないの)


「はぁ〜こまったものですねぇ……ルー様、クレイはあなたの援護をするために連れて行きたい、ということですか?」


ジークはこの中で一番、冷静に物事を判断することに長けているようだ。ダメの一点張りのアルジスを横目に話す。


「はい、できれば一人で、危険だと判断されれば、援護してほしいです……」


「しかし……歌で不死の魔物を倒すことが実際にできるかどうか、現時点ではわかりません。ルー様は確証がおありのようですが……」


ルーは確証があったわけではなかった。聖魔法がどんな物なのかを知らないルーは、もしかしたらこれが聖魔法なんじゃないか、と思う攻撃方法があるだけ。


(やってみなくてはわからないことは、やってみないとわからないの!)


ルーは念を押すようにアルジスに向かって頭を下げた。


「アル、お願いします。クレイを貸してください」


「……死ぬつもりはないか?」


「死にません」


「……一緒にはいかない。だが近くまでは同行する」


「見られたくないんです」


「クレイは良くて俺がダメな理由も話せないか?」


アルジスはルーに鋭い指摘をする。鋭すぎてルーの表情が緩みそうになるが、懸命に顔の筋肉で押さえ込んだ。


「クレイは……身軽そうだし……強そうだし……女性に優しそう……」


「……あ〜……確かに俺は女性に優しいかもですねぇ…」


クレイの軽い口調がこの場の空気にそぐわず、へんな沈黙が流れる。アルジスは何かを諦めたように息を吐くと、クレイを半目で見る。


「クレイ、命懸けで守れ」


「……へい」


(本当に了承してくれたの?)


ルーはアルジスの態度に不安をいだきながらも、早速その日の夜、クレイと共に街の中央にある噴水へと向かった。


アルジスとジークは、ルーたちを教会の屋根まで送り、梯子を降りたあと、濃い霧で互いに見えなくなった。


街の地図を渡され、クレイの案内の元、二人で霧に覆われた不気味で暗い街中を進む。



ルーは、クレイと二人きりになったことを確認し、彼の耳に小声で話しかける。周りに声が聞こえないよう、建物の壁に隠れた。


「クレイ、お願いがあるの」


「…だと思いました……で?お嬢は何を企んでるんです?」

(お嬢?……はともかく話が早くて助かるわ)


「これから私がすることは、秘密にして欲しいの」


「無理ですよ、俺のご主人はアル様なんすよ?わかってます?」


「わかった上で、歌以外のことに目を瞑って欲しいの」


「……はぁ……板挟み……」


「ごめんなさい、でも…どうしても見られたくないことなの」


「まさか、裸になるなんてことっ」


「ち、ちがうわ。変なこと想像しないで」


「だったら何すんですか?」


「剣が欲しいの」


「はい?」



ルーは欲しい剣の形をクレイに話し、広場に行く前に調達する為、回り道をした。そして手に入れた剣を腰にぶら下げ、中央の噴水広場へ到着した。


クレイには噴水の上に待機してもらい、ルーに危険が迫れば援護してもらうよう伝えた。


(アンデッドは魔力に反応するんだっけ)


ルーは腰に携えた剣に手を添え、姿勢を低くすると、大きく息を吸って歌い始めた。


歌と同時にアンデッドが霧の中、四方から走ってくる。


ルーは人の姿をかろうじて保ったアンデッドに、一瞬恐怖した。けれど、かつて人だったその姿を前に心が締め付けられ、『解放してあげたい』とルーは強く感じた。


歌は緩やかな音律のままに対して、素早く剣を抜くと、光速でアンデッドに切り込んだ。


金色に輝く光の粒が剣の太刀筋を描き、舞い踊るように次から次へと魔物を切る。


切られたアンデットは体もろとも金の粒子となり、空へ舞い上がっていく。


歌に釣られてアンデッドはわらわらと広場に集まるも、噴水を中心に光の線が踊り、倒されていく。


(ジョナス様の剣とキース師匠の光の矢を合わせた魔法、効いてる)


街中のアンデッドが周りを囲むも、歌は止まず、ルーはドレスを翻し、くるくると舞うように剣を振るう。


剣は矢のように線を描き、ズバズバと魔物を消していく。


光の粒子に包まれた広場を中心に、金の柱が空へたち広がる。


聖魔法で屍から魂を解放し、歌で輪廻へと送る。ルーの推測は正しかった。




ルーたちが教会を出発して1時間が経過し、アルジスは屋根の上から光の柱を見つめていた。その顔は不機嫌そのものだった。


「アル、そんな顔で神々しい聖女の光の柱をみるのはあなただけですよ」


「……なぜクレイなんだ」


はぁ、とため息混じりにジークがアルジスを宥めようとする。


「アルには安全な場所にいて欲しい……とか?」


「違うな、見られたくないと言ったんだ」


「歌う姿が恥ずかしい…?」


「なぜクレイはいいんだ」


「…それは…アルに好意をもったからでは?」


「ないな、ルーは俺が嫌いだとはっきり言った」


「……」


ジークは拗ねた子供のようなアルジスを見るのは初めてだった。それもこれもすべて聖女であるルーのせいであることは、わかってはいた。だが、同時にこれほどまで奇妙な態度をとるアルジスにジークは不安を覚えた。


アルジスは幼少の頃から人当たりはよかった。だが、それは兄のように慕っていたジョナスがいたからだった。心の拠り所ともなっていたジョナスの死後、ジークは彼の本音を聞いていたため、周囲の人間に対して不快に思うことがあっても態度に出すことがなかった。


けれど、ルーに会ってからのアルジスは、不機嫌な態度をあからさまにジークにぶつけていた。感情をひどく揺さぶられているかのように冷たい態度や言葉は、19歳のアルジス本来の人間らしさでもある、とジークは考えていた。


だが、目の前の不機嫌な表情は、好きな女性に初めて拒絶された一介の王国騎士のする顔と同じだ、と眼鏡をかけ直して思うのだった。


「……先が思いやられる」


ジークはぽつりと独り言をつぶやいた。


アルジスとジークは、屋根の上でルーたちを待った。だが2時間が経過しても戻ってこない。光の柱は出現したまま、微かにルーの歌声が頭に響くのみだった。教会の屋根から見える光の柱は、街の中央に位置する。


その反対に、教会は街の端の方に建っていた。等間隔に建物があり、景色は見やすいものの、離れた噴水広場で何が行われているのかアルジスたちには見えなかった。


「もう、2時間だ」


「そうですね、歌は続いてるようですが、最初より音は小さくなった気がします」


「苦戦してるのかもしれん」


「えぇ……たしかに……いくら聖女といえど、魔力に限界はあるでしょうし…」


アルジスはいきなり立ち上がり、屋根から音もなく飛び降りた。


「アル!」


ジークは我慢できなくなったアルジスを追って梯子を降りる。だがアルジスは足は速く、見失ってしまった。


ルーたちのいる噴水広場までの距離と方向を頼りに、前よりも薄くなった霧の中、音もなく駆けるアルジス。


光の柱を捉え、ルーたちのいる広場へと駆けつけた。


すると光の柱はスッと消え、辺りを覆っていた霧が一気に晴れた。


アルジスの目に映ったのは、汗だくになって剣を地面に刺してしゃがみ込んでいるルーと、それを後ろから見守るクレイだった。


アルジスに気づいてクレイが反応する。


「アル様……い、今終わったところですよ」


「アル!?……いつから……」


息を切らし、髪を振り乱したルーに駆け寄るアルジスは、心のままにルーを強く抱きしめた。


「……苦しい……離して…」


「うるさい」


ルーはアルジスの言葉を最後に、疲れ果て、意識を失うように眠った。




クレイは目の前で起きたことが信じられないでいた。ルーが踊るように舞っていた剣技は、亡くなったジョナスのものだと知っていたからだ。どうしてルーが接点のないジョナスの剣技を使ったのか、そして、なぜアルジスに見せたくないと言ったのか推測し、混乱していた。ルーに構わずアルジスに報告するつもりだったクレイは、考え直し、しばらく黙っていることにした。


あれから街全体を覆っていた霧も晴れ、アルジスは眠ったルーを抱きかかえると、近くの宿屋の部屋に入っていった。後から駆けつけたジークはクレイと共に、教会に戻り、動ける住民たちを集めて街の調査をした。


不死の魔物の報告は無くなったと知ると、ジークを中心に事態の収拾を行った。半年ぶりに家に帰ることができた住民たちは、大いに喜んだのだった。


幸い、アルジスたちのいる宿屋の主人はいなかったため、街にいる間の滞在拠点としてジークたちも利用することにした。


ルーは眠り始めて2日目の夜、やっと目を覚したのだった。



(体が……重い……)


違和感を覚えたルーは、パチッと目を開けて重さの原因を見る。ルーのお腹の上に頭を乗せて眠っている御人を認識すると、その頭をペンペン、と軽く手で叩く。


「……ルー、やっと起きたか」


「アルも…」


アルジスは上体を起こし、首を左右にコキコキ、と鳴らすと、ルーに優しい眼差しを向ける。


「剣なんか使って、何したんだ?」


「……振り回してただけよ。アンデッドが近づいてこないように……」


「……ふーん、それで?それが見られたくなかったことか?」


「……そんなことより、お腹が空いたわ。喉もカラカラなの」


アルジスは立ち上がり、部屋を出ていった。そして両手に盆を持って戻った。2つの盆の上には、飲み物と焼きたての美味しそうな匂いがするパンとスープが用意されてあった。彼は盆をルーの膝の上に乗せ、空のグラスに水を注いで手渡す。


ルーは注がれた水を一気に飲み干すと、アルジスに空のグラスを返した。


「ジークたちは?」


「ジークは街の外と連絡をとって事態の収集を、クレイは街の外に避難した住民を呼び戻しに行った」


「……そう。あなたは?」


「お前が起きるのをここで待っていた」


「……そう」


揶揄うでもなく、真面目な顔をして、じっと見つめてくるアルジスに、言いようのないむず痒さを感じたルー。


(ここは…ありがとう?ごめんなさい? なんて返せばいいの?あ、そうだ)


「そういえば、アンデッド……不死の魔物はどうなった?」


「深い霧は晴れた。それに今の所奴らの報告はない」


ルーは改めて部屋の窓へ視線を移す。そこから月明かりが差し込んで、本来の夜の街並みが見えた。ほっと安堵の息を吐いた、そのルーの口にパンが突っ込まれた。


「んぐっ!」


「食え、お前は貧弱すぎる」


「んん〜!」

(自分で食べるよ!)


「ふふっ」


アルジスが優しく笑う。その微笑み方は、ジョナスを思わせ、ルーの胸につきん、と鈍い痛みが走る。その痛みを抑えようがなかったルーは、つーっと頬に涙が溢れた。


ジョナスは若くして亡くなった。だからこそルーと出会うことができた。そんな皮肉的な出会いに、目の前のアルジスの微笑みが追い打ちをかけるように哀しみを呼び起こす。


彼が亡くなったおかげで、剣を学び、アンデッドを倒すことができた。そのことが、矛盾しているようで過去を悔やんだ。けれど、過去は変えられないことを知っていたルーは、マルモットの言葉を思い出し、落ち着こうとした。


『今あることがその結果じゃよ。今を受け入れればこそ、次に進むことができる』


だが簡単に捨てきれない思考は、止まることなくルーの涙を溢れさせる。


もし彼が生きていれば?  彼と出会って剣を学ぶことができたかもしれない


違う形で出会えたのでは?  聖女としてではなくても、深い縁があったのなら…


私がもっと早く歌っていれば?  聖女として自覚していれば助けられる命があったかもしれない…


叔母の足の薬を作っていれば?  早死にすることはなく、誰にも気づかれることなく叔母に相談できたかもしれない。


もっとできることをしていれば?  もっと………もっと………


パンを口に咥えたまま涙を流すルーを、慌てふためきながらアルジスは宥めるのに必死だった。


「わ、悪かった、パンは嫌いだったか?」


パンを取られ、泣くばかりのルーをアルジスは優しく抱きしめ、泣き終わるまで彼女の背中をさする。


「どうした?」


「……」

(そうよ……今更こんなこと…)


「今はもう大丈夫だ。うまくいったんだ」


「……うまく?」

(うまく……もっとうまくできたかもしれない)


「…お前はちゃんと魂を輪廻に送ったんだ」


「うん…そうだね」


(いつか……きっといつか…また)


その夜、ルーは放心状態のまま、スープを残さず飲み、パンも全部食べた。そしてまたベッドに横になり、夢をみた。


白い花畑の草原で、一人座り込んでいるルー。草原のその先で、師匠たちが穏やかな顔で手を振っている。その中にジョナスもいて、同じくルーに手を振る。彼の笑顔を見た途端、胸に痛みが走る。


どうしようもなく彼のそばに行きたくなったルーは、立ち上がって向かおうとする。だがそれを引き止めるように手を強く握る誰かが、ルーを引いて進行を妨げる。振り払おうと離れない手に目をやり、突然、時間の流れがゆっくりと遅くなる。


ルーは手の持ち主が誰か見ようとしても見えない。


そこで目が覚めた。


夢の中で強く握られた手の感触が今も残っていることに驚き、ルーは自分の手に視線を移す。


アルジスが手を握った状態で、同じベッドで眠っていた。手を解こうと足掻くも、しっかり握ったまま離さないアルジス。自由な方の手で指を一本ずつ剥がすも、剥がした先から握られる。


(起きてる?)


アルジスは寝息をかいて眠っていた。頬をツンツン、と突いてみても起きない。握られた手を振り回してみても、耳を引っ張っても、頭を叩いても起きない。


「起きてるでしょ?」


「……ああ」

(やっぱり…)


ルーはアルジスの顔を見ても胸の痛みがないことを確認すると、はぁ、と気づかれないように安堵し、胸を撫で下ろした。


(この痛みは……きっとジョナス様を思い出したせいね)


それから久しぶりに朝日を浴びたルーは、思いっきり背伸びをした後、お風呂に入った。誰も見ていなければ魔法を使ってもいい、とアルジスから許可をもらい、全身をきれいに洗った。宿屋の朝食にはジークもクレイも同席し、状況を聞いた。


街の外に逃げたおよそ半分の住民は、アンデッドによって殺され、誰も弔うことができなかったその死体は、そのままアンデッドとなり、街を占拠したそうだ。命からがら逃げ切った街の住人たち数名がそれを目撃し、恐怖のあまり錯乱状態で隣町まで逃げたそうだ。


その後、王国騎士により戒厳令が下され、隣町の門は昨日まで閉ざされていたそうだ。


ジークが上層部の貴族にとりなし、アンデッドに支配されたこの街が解放されたことを報告したそうだ。国王の耳にも入ることだろう、と疲れ果てたジークが目を閉じたままアルジスに報告していた。


(眠れてないほど忙しかったんだわ…)


一方クレイはこの街の住人たちと一緒に街の復興に励んだそうだ。街の一角に集会所があり、そこでは報酬をもらう代わりに仕事を請け負う、ギルドと呼ばれる部署が設けられたそうだ。国内外にかかわらず、身分を登録したものは仕事を請け負うことができる。そのおかげもあって、街の復興は早く終わりそうだ、とにこやかに報告を行なっていた。


(クレイはあのこと黙っててくれてるみたい……よかった)


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