違う黒髪
ミリアと恩師たちとの突然の別れから5日が経った。別れの翌日は1日中ベッドで過ごしてしまい、ミリアの言いつけを初めて破った。罪悪感から2日目は頑張って動いたが、ルーの目にはクマができ、泥だらけのままだった。普段なら服を洗い、体を洗う。けれど、そんな当たり前のことができなかった。必死に切り替えてお役目に集中し、取り憑かれたかのように励むことしかできなかった。
かつて賑やかだった墓所は、墓所らしい静寂となった。ただルーは一人で祈り、掃除し、棺を磨き、墓石を磨いた。
お昼には森へ向かい、恩師たちの指南を思い出しながら繰り返し復習して過ごした。
今日はキース師匠の狩人。肉を食べて元気をもらおう、と思い立っては獣を狩った。
今日はジョナス様の剣術。汗をかいて精神を鍛えよう、と思い立っては木の棒を振るった。
今日はアスリン先生の魔術。頭を使って研究しよう、と思い立っては薬品作り。
そして5日目はマルモット先生。彼の指南は託された本を読み深め、自分のモノにすること。
大賢者マルモット・ハドソン 彼がルーに託した本は、特殊な方法で譲渡された。
その本を手に、ルーは新たな魔法を模索し、試していた。
「サーチ」
目を閉じ、自分を中心に魔力の波を放つ。生きているものを感知し、状態を知る。これは叔母のミリアを失って、思いついた魔法だった。他者に気取られないように注意深く周囲を探る。
(丘の上は今日も人がたくさん来てるみたい……私には関係ないか)
カルヴァン家は寄付で成り立っている。この国の王家からも支持されている教会だとミリアから教わった。
そして教会ができたのは、かつて聖女様の祈りから始まった、とマルモットが教えてくれたのが、ついこの間のことだ。
ルーは思い出すたびに目頭が熱くなるのをギュッと目を閉じて抑える。そして家へと一人、森を駆けた。
はぁ、とため息をつきつつ帰宅すると、夕食の支度をし、一人食べる。もともと薄味だが、今までよりも味がしないスープ。食べているというより、栄養を取るだけの行為、そしてどうしようもなく虚しくなるのだった。
はぁ、と小さくため息をついてそのままベッドに横たわる。
(いつまでもこのままではいけない……)
目を閉じ、無理やり寝ようと頭の中で兎を数え始めたそのとき、入口の扉を叩く音が聞こえた。
(誰かきた?)
布団を剥ぎ、急いでランプに火を灯すと、扉に近づき、声をかける。
「どなたですか?」
「守衛のサイファです。ルーミリア様にお客様がお見えです」
教会を守る、守衛のサイファとは面識があった。丘の上の教会から墓所につながる通路、その中間にある門を守るカルヴァン家の門番だ。叔母の死を伝えたのも、彼だった。鎧を着用している姿しか見たことがない為、声しか覚えがない。
「……どなたがお見えなのですか?」
「……ルーミリア様、はやく扉をお開けください」
サイファの声が扉に近い。後ろの客人が急かしているような、焦った小声だった。
ルーは恐る恐る扉を少し開けると、鎧姿のサイファの顔がにゅっと無理やり入ってきた。
(わっ!)
驚いて後ろに下がると、ぐわん、と扉が開かれ、ぞろぞろと狭い部屋に人が入ってきた。
サイファの後に黒の軍服姿の男性。腰に剣を携えている。赤い色の髪で、頭の両横の髪は短いのに、後ろで髪を結んでいた。瞳は茶色で目鼻立ちの整った顔。10代後半から20代前半に見える大人びた少年のように見える。
背はルーよりも高いが他の男性陣に比べてやや低い。ルーを一瞥して軽く会釈しながらも、ずいずいと部屋の奥に入っていく。
続いて入ってきたのは、眼鏡を掛け直す男性。丸い瞳は優しそうな印象を受けるが、ルーを見て顔を少し歪めた。茶色がかった金髪。長くも短くもない髪は目にかかって知的に見えた。高級な紺の生地に金の刺繍が施してある綺麗な装いから、高貴な方だと一目でルーは判断した。
最後に入ってきた男性をみて、ルーは息を呑んだ。
(ジョナスさま!?)
とは少し違った。黒髪ではあるが後ろで結ぶほど長くない。長身で瞳は紅だがジョナスよりももっと鋭い。冷淡にも見える美しい顔は、ジョナスよりもキリッとして優しさをなくしたような人物だ。
彼は部屋に入ってくるなり、怪訝そうに眉間を寄せると、ルーを見るなり殺気を放つように睨んできた。
ルーはおもわず声を出してしまう。
「ひっ」
「彼女が墓守のカルヴァン家第二子、ルーミリア様です」
守衛のサイファが淡々と言う。
ジョナスと似て非なる者が鼻で笑った。冷淡なその態度は、ルーをひどく馬鹿にしているようだった。
「クレイ、間違いないか?」
ジョナス似の男の声は低く、罪人でも裁くかのような緊張感があった。彼はサイファの後に入ってきた軍服の男に尋ねた。
「間違いありません。彼女です」
表情一つ変えず、無関心を表した様子の軍服の男は、いつの間にか部屋のさらに奥の壁に寄りかかって立っていた。
ルーは混乱してサイファに目をやるも、彼は目を逸らし、床を見る。高貴な身分の方々である、という認識のルーは、発言を許されない限り黙って様子を伺うしかなかった。
「調べろ」
「へい!」
ジョナス似の男は、漆黒の儀礼服に深い紅のマントを着ており、ただならぬ空気を放つ。ルーを睨んだまま紅い瞳は微動だにしない。ルーは目を合わせるなんて恐れ多いと思い、サイファに習い床をみる。
「貴殿は魔法が使えるのか?」
ルーは突然の質問に肩がびくついた。問いかけられている内容の方に反応して冷や汗をかく。
「……私はカルヴァン家 第二子 ルーミリア・カルヴァン 生まれてからこの墓所管理のお役目のみを行う……墓守にございます…」
声は震え、怯えているのが明らかだった。だがジョナス似の男は同じ質問を投げる。
「墓守は魔法が使えるのか?」
「…カルヴァン家は教会の規則に則り、祈りを捧げるのが使命でございます。私は第二子ですので、祈りの歌は姉のセルビアが担っております」
「言葉遊びをしにきたのではない。墓所から魔力を飛ばしてきた者を部下が見ている」
「申し訳ございません…何をおっしゃっているのか理解しかねます」
(私のサーチを見破った!?でも…どうやって?…答えるわけにはいかない……だって…)
< カルヴァン家一族は魔法が使えないのだから >
そのうえ魔法を教えてくれた恩師、マルモットはルーに『強大な魔法を使えるわしは、国に追われることになった』と聞いたことがあった。
そしてルーは自身の魔力について恩師たちの反応を見て育った。
自分の普通ではない魔力について。
俯いたままの小さな体が震える。しかし素直に言うわけにはいかない、とルーは拳を強く握って黙り込んだ。
「自己紹介もされてませんし、挨拶もまだです。女性相手に警戒させるだけですよ」
はぁ、とため息混じりにビリビリとした空気を壊してくれたのは、眼鏡の男。ルーとジョナス似の男の間に立つと、ルーの俯いた視界に握手を求める手が差し出された。ルーはゆっくりと顔をあげ、眼鏡の男を見る。彼はにこ、として微笑んでいた、だが目は笑っていない。
「初めましてルーミリア様、私はスケイルから参りました、ジーク・イルゴードと申します。そしてこちらはスケイル国 第一王子 アルジス・スケイル殿下です」
「……」
(お、王子…殿下…)
ルーは驚いて差し出された手を握ることなく固まっていると、その手はすぐに引っ込まれた。
「ルーミリア様、5日前、墓所が光に包まれたことはご存知ですか?」
「……いいえ」
「どちらでお祈りを?」
「……私の一存でお答えすることは限られております。どうぞ、教会の祈祷主、姉のセルビアに……」
「「お前に聞いているんだ」」
ルーの肩は先よりも飛び上がった。アルジスの声は威圧的で、ルーの心臓に悪影響を及ぼす。圧迫感を感じ、ルーの言葉は引っ込んだ。
眼鏡の男性も同じく黙り込む。張り詰めた無言の圧力がルーを襲う。
「……叔母を……弔っておりました……」
ルーの目は熱くなり、大きな雫が溢れた。
「あー、もういじめるなっての!殿下も人が悪すぎっすよ」
軍服の男が声を上げ、ルーは涙を堪えようと床を必死に見つめていた。
「クレイの言うとおりですよ、殿下」
「……」
眉間に皺を寄せるだけで表情は変わらないアルジスは、尚もルーを黙って見下す。
「ここは俺に任せてくれませんかね?いかつい男に囲まれるより、俺一人で聞きますよ」
「そんな時間はない、墓守、答えろ。お前が歌ったことは姉も感じたと言っていた」
「でんかぁ〜?」
(姉上…が?……)
カルヴァン家の過去には、祈祷主が二人、重なった時があった。一方はソプラノ、一方はアルト、と高音と低音にわけて二重奏で歌を捧げる。そんな話を叔母から聞いたのは、ルーが幼い時、子守唄として叔母が歌ってくれたからだ。
姉とは違う音程の歌を歌ったルーは、丘の上の姉にまで聞こえるほど、大きな声で歌っていなかった。
(何かがおかしい……)
違和感を覚えたルーは、自分とカルヴァン家の掟を守るため、勇気を奮って顔を上げ、アルジスの紅い瞳を見て必死に訴えた。
「わ、私の一存でお話しすることはできません。姉と話をさせてください!」
「許可を得てここに通された。二度手間なことはさせるな。お前たちは王家より偉いとでもいうのか?」
「…あ、姉と」
「貴様が歌い、墓所が光り、森から魔力の波動を放ったのが事実。貴様に聞いているのは魔法が使えるのかと言う簡単な質問だ」
「あ…わ…わたしは…」
ルーは泣きながら言葉を紡ごうと必死だった。だがアルジスの表情は恐ろしく、睨む瞳は背筋の凍るような気迫を感じさせ、ルーは呼吸がうまくできなくなっていた。穏やかな生活を送ってきたルーにとって、これほど恐ろしい経験はこれまでになかったのだ。
(カルヴァン家は……あ…呼吸が……)
「…は…はぁ…っあ…」
「殿下!!限界だ!!」
ルーの視界が天井をとらえた時にはもう遅かった。
ミリアと死別しただけでなく、大切な人たちと別れ、心身ともに疲弊していたルーの体は、普段よりも弱っていた。過度な精神的苦痛を受けていた彼女の弱りきった頭は、一度に多くのことを考えすぎて混乱し、過呼吸になって卒倒してしまったのだった。