魂送りの巡礼記
ルーミリア・カルヴァン
カルヴァン家は、このオーヴィル国では名の知れた貴族だ。なぜなら、その血は千年以上も続くといわれており、国に住むものなら知らない人はいないほどの由緒正しき貴族だからだ。そしてカルヴァン家は代々受け継ぐ、ある土地を管理している。それは広大な敷地に死者が埋葬された土地だ。カルヴァン家はその墓地を守り、血を繋いできた墓守貴族。
その血には聖女の血が流れている。かつて一人しかいない聖女を求めて国同士で戦争があった。だが聖女はすでにこのオーヴィルの地で子を産んだ。それがカルヴァン家の始まりだった。歴史では当時の聖教会の最高指導者である教皇が、自ら各国の国交を務め、平和へと導いた、とあった。
カルヴァン家には、いくつか決まりがあった。 第一子に祈らせ、第二子に守らせる。
そしてなぜか不思議と、女しか生まれてこなかった。
カルヴァン家 第二子として生まれたルーは、同じく第二子の叔母ミリア(母の妹)に育てられた。丘の上のカルヴァン家本邸と併設された教会がある下に墓所はある。
墓所のそばにある苔むして蔓に囲まれた、石造りの質素な建物でルーたちは生活していた。周りは森に囲まれており、外界との接触はほぼ無い。
第二子は、墓地の管理を任されているものの、貴族としての生活はおろか、侍女などの使用人はいない。平民のように身の回りのことは自分でこなし、大変質素な生活を送ってきた。
そして代々継承されてきた第二子としての教育を、ミリアから受けたルーは、今日まで、何事もなく15歳を迎えた。
朝と夕刻の決まった時間には、ルーの姉、第一子の祈りの歌が墓所に響く。繊細で美しい歌声は、教会の来訪者が他国からぞくぞくと集まり、立ち見するほどの魅力があった。
叔母とルーは、その歌声を地下の特別な埋葬室で祈りながら聞く。
ルーは、今日も膝をつき、両手を顔の前で握り、祈りのポーズ。朝の祈りの歌が響く中、ルーには別の声が聞こえる。
『なぁ、ルー、またやってくれよぉ、あれ、すごく心地よかったんだ…』
耳元で聞こえる男性の野太い声。
『キース!今祈ってるでしょ!!それに、気色の悪い言い方はやめなさい!』
後ろから聞こえる年若い女性の声。
『なぁにが祈りだ、この歌のどこが祈りだって?雑音にしか聞こえねぇよ!』
『あれはルーのお姉様の歌声なのよ!そんなふうに言うのは失礼だわ!』
男女の声は、ルーの後ろで言い争う。さらに別の男の声がルーの右前方から聞こえる。
『そなたら、いい加減にしろ。ルーを困らせるな』
『うるせぇ、新米。俺はもう50年以上もここにいるんだぞ!』
『あら、あたしなんて120年ですわ!』
姉セルビアの歌声は彼らの声にかき消され、ルーはただ祈りの姿勢を保ったまま聞こえないふりを務める。
『姉君の歌、いいじゃないか、綺麗な歌声でわしは嫌いじゃないよ』
ルーの左隣から聞こえる、老人のやさしい小声。
彼らの声は、ルーにしか聞こえない。
それは死者の声。
祈りの時間が終わり、ゆっくり立ち上がりながら叔母のミリアが言う。
「ルー、今日もお願いしますね。あと、そろそろキイチゴが採れる頃ね、帰りに寄ってちょうだい」
「はい、わかりました、叔母さま。カゴは?」
「納屋にかけてありますから、夕暮れには帰ってくるように。私も足が悪くなければ行くのだけれど……」
叔母のミリアは自分の膝をさすり、申し訳なさそうにルーに微笑む。目尻にできた皺は、30代の容姿には見えない老いた顔だ。
ミリアは幼少の頃より足を酷使したため、膝が悪い。なにせ広大な墓所をたった一人で毎日走り回って掃除し、管理してきたからである。その上、赤子の姪を預けられ、一人休む間もなかったからだ。
石造りの舗装された道ならば、ゆっくり歩けるが、キイチゴのなる森は足場が悪く、すぐに動けなくなってしまう。それに本邸から与えられる食材の量は、二人には足りなかった。それゆえ、できる限り森から食材を集め、生きる為の生活を送っていた。
「安心して休んでいてください、叔母さま。私、たくさん採って参ります!」
ルーはそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「ルーは森が好きだものね、でもくれぐれも……」
「大丈夫!夕暮れには戻ります」
ふ、と微笑みながら息を吐くミリアの優しい瞳は、ルーと同じ澄んだ水色だ。
「では、お願いしますね」
「はい」
ミリアは壁に掛けていた杖を取ると、埋葬室の横扉からゆっくり出ていった。
『お、ミリアはもう行ったぞ?なぁ、ルー!やってくれよぉ』
ルーの耳元でまた野太い男性の声が情けなく言う。
『今なら誰もいないだろぉ?』
『キースの言い分もわかるわ、でもいい加減しつこいと思うわよ』
『女狐は黙ってろ!俺はルーに言ってんだ!』
「……るさい」
『お?やっと返してくれた!なっ!ほら!頼むよ』
「うるさいです。祈りの時くらいお静かにと毎日お願い申し上げております!キース師匠は姉上の歌を雑音とおっしゃいますが、あの歌声を聴きたいと国を超えてご参列なさる方々がいることをご存知の上でおっしゃっているのですか?」
ルーは誰もいない埋葬室で、祈りを捧げていた聖女の石像を布で磨きながら応える。静かに、丁寧に、だが早口で捲し立てるように言葉を投げた。相手に失礼のないよう、ミリアの言葉遣いを真似て慎重に、丁寧な言葉を選ぶ。
『……ぇえっ』
「ご存知の通り、姉上の歌はあなた方、大陸五大騎士様のために祈りを込めて歌ってらっしゃるのですよ」
このオーヴィルの国がある大陸は、この国を含め5カ国が支配してきた。かつて争ってきたその5カ国が力の均衡を守るため、大規模な武大会が国際的に行われるようになった。そして勝ち残った武芸に優れた人たちが、大陸五大騎士として選ばれたのだ。ルーたちが祈りを捧げる埋葬室は、そんな特別な方々が死後、棺で眠る場所だ。
『わかってるって!だがお前の鼻歌の方が千倍心地いんだ!ルーの姉さんには悪いが…俺が歌って欲しいのはお前だ』
ルーは声が聞こえる方へ向くと、かつて魔物と戦い、民を守ってきた、英雄と讃えられる大陸五大騎士の一人が立っていた。気まずい顔でルーを見つめる彼は、透けた状態で、そこに存在していた。厳つい大きな身体は、死者となっても、存在感が大きい。
ルーには死者が視え、言葉を交わすことができた。そのことをはっきりと認識したのは7歳の頃だ。
7歳のルーは、洗濯物を干しながら、彼らと話している時、ミリアに独り言を止めるように言われたのだった。
それから死者との秘密の交流が始まったのだった。
キース・ウィリアムズは、赤毛、短髪、茶色の瞳。気のいいおじさん風なお兄さん、とルーは思っている。親しみやすい顔で、特に特徴がない彼は年齢が判別できない。
彼は自らを狩人だと名乗った。魔物や動物、時には人の命さえも狩る危険な集団だ、と幼いルーを脅かしたこともあった。魔法と弓を組み合わせた特殊な戦いをし、森の影と呼ばれているそうだ。だが、そんな恐さは微塵も感じなかったルー。
『キースの言いたいことはわかるのぉ、ルーの鼻歌は心が安らぐようじゃった』
そう言いながら白髪の髭老人は、顎髭を撫でながら顔を引いて上目遣いでルーを見る。自らを大賢者と自称しているお爺さん。彼の素性は謎が多く、ルーは詳しく聞かされていない。瞳は金色で、基本、微笑んでいるので、瞼が閉じられていてほとんど見えない。汚れたローブ姿の腰の曲がったお爺さん。
『なんだ、爺さん、話がわかるじゃねぇか!』
『……キース、言ったでしょう?あたしだって……同じよ』
女狐と呼ばれた女性が困ったように話す。
彼女のことは、歴史の本に書いてあったので、ルーは知っていた。かつて大陸の国々から絶大な支持を得ていた美しき魔術師。まだ戦争があった時代、国を一人で攻め落とした実力は、歴史的事実だった。
「あのですね、今から私は掃除をさせていただきます。歌は姉上のお役目ですし、私のお役目はここの管理にございます!」
ルーは苛立ちを噛み締めながら、キースに笑顔のまま言い放った。
『……お、俺は正直に言ってるだけで』
ルーはキースに目を細めて睨むと、黙って埋葬室の壁へ消えていった。
他の死者たちも、ルーが掃除を始めると、そそくさとどこかへ消えていく。
床を箒で履き、棺を磨き、扉を丁寧に磨いた。
しばらくして、集めた砂埃を回収していると、キースではない他の男の声が話しかける。
『ルーはこのままでいいと思うか?』
「……」
(まだいたんですか…)
埋葬室の壁に寄りかかった漆黒の騎士が囁く。
『そなたはこれまで培った力を……墓所で腐らせるのか?』
「力?お役目を送る生活に役立てています」
ルーは手を止めずに新米と呼ばれた大陸五大騎士様の声に答える。
『大賢者マルモット様は死者となって三百年以上もここにいるそうだ…』
「…だからどうしたというのですか?」
『そなたは聡い、理解した上か?』
「問に問で答えないでください」
黒髪の長髪を後ろで高く結ぶ背の高い男性。目つきは鋭く瞳は紅、端正な顔立ちの二十代の美男子。歳若く亡くなったであろう大陸五大騎士様。
『輪廻転生だ。大賢者の知恵を授かったそなたなら、私の言うことが理解できるのではないか?』
「ジョナス様、私にとって理解することと知ることは違うのです。おっしゃりたいことはなんとなく理解はできても、生きる者たちの知るところではありません」
『……ルー……そなたは私を師と呼んでくれたではないか…』
情に訴えるような優しい声は、ルーに剣を指南した師匠。民を守り魔物を討つ英雄、ジョナス。3年前、死者として埋葬された若き漆黒の騎士。
『そなたの鼻歌は……確かに心地よかった……』
ジョナスは優しい眼差しでルーに微笑む。しかし、ルーにはどうしても歌いたくない明確な理由があった。その為、彼らの要望に応えることはしない。
死者たちはルーが幼い頃から師匠として、たくさんのことを教えてきた。そして昨日、キースに『お前にもう教えることはない』と言われ嬉しくなり、つい、鼻歌を歌ってしまったのだ。
「はぁ……私は姉上ではありません」
ルーは悲しいような、寂しいような表情でため息を着く。そして掃除も終わり、後始末をし始める。ジョナスはどこかへ消え、諦めたようだった。
『ルー、掃除はもう終わったのでしょう?今日はあたしの日ですわよ』
ふわっと目の前に現れたのは、女狐と呼ばれた魔術師アスール・マッダリン。
深緑の瞳に、目尻が少し上がった妖艶の美女。見た目は二十代に見えるが長寿のエルフ族で、年齢は歴史の本にも載っていない極密事項だった。艶やかな菫色の髪は、豊満な胸に乗るほど長い。だが絹のような白い肌は、今は透けてよく見えない。『アスリン、って呼んでね!』と言われ、ルーはアスリン先生と呼んでいる。
「そうですね、今日はアスリン先生ですね。そういえば魔術で薬とかって作れますか?」
そう話しながら掃除用具を壁の隠し戸に収め、いつものように透けたアスールと並んで木苺のなる森の奥へと向かった。
キイチゴは予想以上になっていた。というのもアスールの課題の一つ、魔術で植物に干渉したからだった。カゴに収まりきらず、大豊作。味見をしたルーは大満足の笑顔をアスールに見せる。
『カゴに入らないキイチゴはしまっときなさいね、おやつに取っておくといいわ』
微笑むアスールは今日も美人を無自覚に振りまく。きっと彼女が亡くなった時は大陸中が泣いたのでは、と思うほどの魅力あふれる女性だ。
「アスリン先生、キイチゴを食べものとして保管する場合、種は生きていますか?生き物は収納できない、と習いました」
『いい質問です、ルー。一般的に種を魔空間に収納する場合、休眠効果が付与された特殊な魔道具が必要になります。ですがキイチゴは食べ物としてそのまま収納する場合、時間の経過は止まり新鮮ではありますが、種としての役割は無くなってしまいます。けれど、あなたにそれは該当しませんわ』
人差し指を立てて可愛く上目遣いをするアスール。同性のルーでさえ、きゅんとくる仕草。先生として教えてくれる時間がルーにとっては癒しの時間だ。
アスールとの楽しい授業時間はあっという間に過ぎ、日が傾き始めた。急いで森を駆け、家に帰る。
家に入ると、ミリアが長椅子に座って俯いていた。膝掛けもしないで眠っているようなので、ルーはそっとミリアの膝に布をかけようと近寄った。
「……?」
膝にかけようとミリアの顔を覗き込んだルーは、青白くなった彼女の顔をみて固まった。
(え?)
「叔母さま?……ミリア叔母さま!!」
俯いた上半身を無理やり背もたれに、首筋に手を、脈を。
ルーは何度も確認し、状態を見ようと声をかけ続けながらミリアの身体中を調べる。
ミリアの体からは体温が感じられず———すでに冷たく、亡くなっていた。
「う、うそ……」
ルーは胸の痛みに襲われ、呼吸が止まり、その場に崩れた。
「……もっと……はやくに……」
(もっと早く帰っていれば、助けられたかもしれない……帰っていれば……)
考えても仕方のない後悔に苛まれ、ルーはしばらく動けなかった。突然のことで混乱し、涙も出なかった。しばらく放心して、妙に冷静な思考がルーを覚ました。
(このままではいけない……棺……埋葬……祈り……)
ルーは本邸の門番に叔母の死を知らせる為、急ぎ向かった。薄汚れた服を着た15歳の少女が、鎧姿の守衛に話しかける。
「あの……叔母のミリアが……亡くなりました」
「わかりました。報告しておきます」
「………はい、お願いします」
(……そんなものか……呆気ない)
ルーは一人、俯いて家へと帰った。
その夜、納屋にある棺を家の中に運び、ミリアを安置した。ルーにとってミリアは母代わりというよりも、母だった。優しく、時には厳しく、愛情をくれた唯一の家族だった。
棺に収めたミリアのそばで座り、自分を育ててくれた彼女に言葉をかけ、感謝を伝え続けた。もしかしたら師匠たちのように実態のない姿を表してくれるかも、と期待した。だが一向に現れず、一方的に話しかけるだけだった。棺に眠るミリアの冷たくなった頬に触れると、ルーは声を上げて泣きじゃくった。
そしてルーは一睡もせず、ミリアの側から離れることなく朝を迎えた。
カルヴァン家 第二子の女性たちが眠る墓守の庭へと、夕方の祈りの時間に合わせて土を掘り、ミリアを埋葬した。第二子の多くが30代で亡くなっている。ミリアも30代だったが、苦労を重ねたためか、初老のように老けていた。
ミリアが大好きだった季節外れのリリーの花を魔術と魔法を使って咲かせ、ミリアの墓に供えた。泣き腫らした顔で泥だらけのルーの側には、大陸五大騎士たちがそれを静かに見守る。
いつもなら髭を撫でているマルモットは、腕を組み、優しい声で話す。
『ルーミリア、命は巡る……じゃが道標の歌がない』
「……」
『わかっておるのじゃろ?…ミリアの魂を送ってやれるのは、お前さんの役目だよ、ルー』
「……」
ルーはマルモットの言葉の意味を知っていた。鼻歌を歌った時から、ルーを見る彼らの表情が変わったことも感じていた。これ以上繋ぎ止めてしまうのは残酷だとも理解していた。どうしても離れたくないと思うのは、ルーの我儘であることもわかっていた。
『わしらはとうに死者を満喫した。本来ならば輪廻をめぐり、新たな生を受けておるはずじゃ』
「……でも……それじゃ」
『天秤が狂っておる……ルーミリア……わしらの最後の願いじゃ……頼む』
マルモットも他の騎士たちも、ルーを促すようにうなづく。皆、目を細め、慈しむように微笑んでいた。
(そんな…本当に一人になってしまう……)
『なぁに、わしらとの縁は深く繋がっておる。安心せぃ、すぐまた巡り会う』
『そうよ!私たちは記憶がなくとも、魂に刻まれているわ』
『狩人としての使命を言い渡す、ルー、お前に我が弓を託す』
マルモット、アスール、キースが屈託のない笑顔でルーを囲う。少し後ろに、ただ頷いてみせるのは、優しい目で微笑むジョナスだ。
(お別れか…たとえ彼らの魂と出会えたとしても…もう彼らではない)
別れを惜しむ時間はなかった。教会から祈りの歌が聞こえ始めたからだ。胸の痛みを感じつつも、ルーは深く息を吸い、遠くから聞こえる姉の歌声に重ねて歌い始めた。
姉の声は高く、ルーの声は低く。祈りと感謝と決意を込めて、力強く、遠くの空まで届けとルーは歌った。
透けた恩師たちは淡く光を放ち、星屑の粒子がその体から天へと昇る。あたり一面光で包まれ、墓所全体が光っているようだった。
穏やかな顔でルーに微笑む恩師たちは、ありがとう、と口々に告げていき、空へ消えていった。
歌を途中でやめるわけにはいかず、涙と共に歌いきった。
ルーは砕けたように膝から落ち、声を押し殺し、彼らを想って泣いた。
墓所が光に包まれたせいで、丘の上の教会からは称賛と拍手の音が離れた墓所にまで響く。しかし、ルーには何も聞こえなかった。