悠々自適ニートライフの始まりかと思った私は大馬鹿野郎でした
あらすじ、主人公ニートになり損ねる
「いやいやいや! おかしいでしょ!」
マンションの部屋に入ってから、私は絶叫した。
ここは日本ではあるが、明らかに私の知っている日本ではない。
考えられるとすれば、もう一つの日本、パラレルワールド。
それにしても、元いた日本と余りにも違いすぎる。
大体、何なのだあの総理大臣は。顔も声もいいが、胡散臭すぎる。
玄関に背負っていた等身大パネルを置き、疲れ切った身体でベッドに向かう。
そこには総理の等身大と思われる抱き枕が堂々と鎮座しており、私は膝から床に崩れ落ちた。
こんなん置いたまま眠れるか!
床にぽいしようかと思ったが、何か目が合って怖いのでソファーに移動させて事なきを得た。
折角一人になれたのに気が休まらないな……。
電気を消してベッドに横たわって目を瞑ってみたものの、一向に眠りに落ちる気配がない。身体は疲れ切っているのに、精神が高ぶっているせいだろうか。
ベッドサイドテーブルに端末があったため有難く使うことにする。
初期設定なのだろう。お気に入りに首相官邸ホームページが登録されており、ホームには総理大臣(四十二歳)の一日という項目があった。
あの可愛さでアラフォーは奇跡だ。
あの総理大臣の一日とは、一体……。思わず喉がごくりと上下した。完全に怖いもの見たさでページをタップする。
「国民の納税が僕の支えになる~」と爆音で聞き覚えのあるメロディーと歌詞が聞こえてきて思わず端末を滑り落とし鼻にクリティカルヒットした。
鼻の骨がじんじんする。
おのれ、総理大臣め、驚かせやがって。
音量をミュートにして、気を取り直してサイトを閲覧する。
『午前五時起床、おはよう小鳥さん、さあ、ボイストレーニングスタートだよ』
はい、おかしい。この時点でもうおかしい。
何なんだよ「おはよう小鳥さん」とかディゾニーのヒロインじゃねえんだぞ。
次は『政策与党政策懇談会』だった。何だマトモじゃんとほっとしたのもつかの間。
『このステーショナリーで気分上げていこう。国民の皆も使ってくれると嬉しいな』
総理の顔がプリントされたボールペンを握る総理の手(多分)の写真が添付されている。
ダイレクトすぎるダイレクトマーケティングじゃねえか!
よく炎上しないな、こんなあからさまな宣伝が!
『農業協議組合による新ブランドバナナ“そんなバナナ”の贈呈を受けました』
深夜テンションの会議で決まったみたいなネーミングのバナナだ……。
何でこんな商品名になる前に良識ある誰かが止めなかったんだよ。大惨事だ。
『チョコバナナにしてみました※この後スタッフが美味しく頂きました』
スタッフが美味しく頂きましたって、バラエティー番組かよ……。
カラフルなハートや星形のチョコレートスプレーでデコレーションされたチョコバナナを顔の横にかざして総理が自撮りしたらしき写真が載っている。
あざとかわいい、と思う私は毒され始めているのだろうか。
『宇宙飛行士の堀田美玖さんとの交信を行いました』
モニターに笑顔の女性宇宙飛行士が映っていて、総理が画面越しに彼女に何か話しかけている写真がアップされている。ようやくマトモなのがでてきた、と安堵したのもつかの間。
宇宙飛行士の隣に総理のぬいぐるみが浮かんでいるのだ。
ぬいぐるみは総理の特徴を捉えて可愛くデフォルメされている。
アイドル総理のグッズのまさかの宇宙進出である。
まさかのトラップに私は脱力してまた端末を顔に落としそうになったが堪えた。
少なくても愚者以上の存在でありたいので、経験からは学ぶのだ。
ライブにダンスレッスンと続いて、一日の締めは『首相官邸に戻ってココアを飲みつつファンレターを読みながら返信を書く。おやすみなさい』だった。
ふーん、執務をこなしながら、アイドル活動のために色々やってるんだな。
帰ったらすぐ眠りたいだろうに、ファンレターに返信とかするのか。
さぞかし日々過密スケジュールなことだろう。
すごいのはすごい。その努力と頑張りは素直に褒めたい。
だが、必要なのだろうか。思わずゲンドウポーズになりながら、深くため息をついた。
歌って踊れる可愛い総理大臣は必要なのか。
ファンから送られてきたらしいジェラルドピケのふわもこパステルカラーのルームウェアを着て上目遣いの写真をアップする総理大臣は必要なのか。
SNSで『国民から物納でジェラルドピケのルームウェア頂きました。ありがと~(はぁと)初めて着たけどふわふわで気持ちいいね』とつぶやくような日本のトップはありなのだろうか?
うっかり見てしまった総理の公式のツブヤイターのコメント欄は地獄であった。
『側室と宦官のみんな、息してる?』『待って、推しが可愛すぎてしんどい』『指がもげるほどいいねしたい』『ジェラルドピケ総理からしか得られない栄養がある』『命助かる。寿命のびた』
ねえ、側室と宦官って何? いや、やっぱり、知りたくない!
レスが大量に増加していき、一億を超えた。ああ、ほぼ、日本の人口だ、これ。
日本のほぼすべての国民が、総理大臣のもこもこルームウェア姿を拝むために、こんな夜更けにケータイの画面に齧りついている事実を想像するだけで眩暈がしてきた。
『総理きゅんのジェラルドピケ童貞は私が頂いた』
恐らく物納したファンなのだろうけど、リプが余りにもキショくて真面目に鳥肌が立った。
総理逃げて、超逃げて、という気持ちになる。
彼女(彼かもしれないが)も元々は真面目な社会人だったのかもしれないが、総理大臣に性癖を狂わされたのかもしれない。人の性癖を狂わせる総理大臣……恐ろしいことだ。
しかし、恐怖の根源は「知らない」から生まれるものなのだから、知ればいいのだ。
というわけで、総理大臣というキーワードで検索しようとしたとき、端末が振動で震えた。
教育科学省というところからのメッセージだった。何だろう。私の存在が教育に悪いとか?
『久遠学園高等部二年アルファ組編入のお知らせ』
そう言えば、お姉さんは学費もタダなのだと言っていた。元々、私に物欲はない。衣食住は最低限でいいタイプだ。
これって、悠々自適ニートライフの始まりじゃない?
バンザーイ、バンザーイ! 脳内で大量の私が私を胴上げしている。
おめでとう、私。ありがとう、私。このパラレル日本で幸せになります。そんな風に思っていた昨日の私は大馬鹿野郎でした。
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