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少年立志

1.

「こちらから仕掛けるぞ」


「応とも」


肖子墨に対峙した三人が掛け声と共に飛び上がった。一人は剣を持ち、もう一人は槍を持ち、残す一人は鈎を持っている。


この三人は峨眉派の高弟であり、剣を持つ筋骨隆々と逞しい男が百鳩世、槍を持つ高身痩身の男が郷一春、鈎を両手に持つ怜悧な顔立ちの女性が晋蓮華である。


このうち正義感が人一倍強い百鳩世が号し、二人を連れ立って襲いかかる。


峨眉派は様々な武器術を研鑽してきた外功武術の名門である。三人はそれぞれ手にした得物の武術に優れているのは言うまでもないが、峨眉派の門弟は、どんな武器も並の使い手程度には使えるように修練している。その為、違う武器を持った仲間と共に戦う時でも、互いの技を知っているため、補い合い強い連携を図ることができる。


特に百鳩世、郷一春、晋蓮華の三人は同時期に入門し研鑽しあってきた仲だ。互いの動きが手に取るように分かり、その連携は三人を十人以上に感じさせる程の出来だ。


対する肖子墨。『紫金仙狐』の名を江湖で知らぬものはいないが、両足は動かず、杖で体を支えて膝立ちとあっては、その武功が失われていることは想像にかたくない。


(肖子墨め、我ら三人で足らぬとは見上げた大言壮語よ。ならばこちらとて容赦はせぬ。過去の威名に縋ったまま死に果てるがいい)


自尊心の強い郷一春が心中を燃やし、槍を振るって一番に攻撃を仕掛けた。横凪に迫る槍を、肖子墨は右手に握った杖で受け止める。裂帛の掛け声で振り払おうとする郷一春だが、杖は巨石のように重くびくりともしない。


そこへ百鳩世が袈裟斬りで襲いかかる。狙う先はがら空きの胴体だが、肖子墨は左袖を払って風を起こし、剣の軌道を変えてしまった。


続いて晋蓮華が体をくるくると独楽のように回し、両手に持った鈎で打ち付けた。肖子墨は槍を受けたままの杖をくるりと翻した。すると、槍が払われて槍頭が晋蓮華の方へ向いた。


あわや危うしと郷一春が槍を引っ込め、晋蓮華が身を引いて止まる。危うく同士討ちをするところだった為、二人はほっと胸を撫で下ろした。


この様子を景小龍は茂みの中から覗いていた。

実践の経験は無いため、峨眉派の三人の実力は読み取れないが、肖子墨の卓越した武功には舌を巻いた。


続いて二手目、郷一春は槍頭を真っ直ぐ肖子墨の胸へと向けると、力強く踏み込んで突き出した。今度こそ杖で受け止められまいと、郷一春は踏んでいたが、肖子墨は槍頭に寸分違わず杖を押し付けて勢いを殺して受けてしまった。


郷一春はこれまた力任せに槍を押すが、肖子墨はびくともしない。既に壮年であり、両足を使えないというのに、力では敵いそうにない。これは、ひとえに肖子墨の内力の強さであり、外攻に重きを置いて修練してきた三人とは天と地ほどの開きがある。


郷一春が槍で押し切れぬのを見ると、百鳩世が杖に切りかかり、晋蓮華が肖子墨の背後に回って鈎を振るった。


肖子墨は後ろを振り返りもせず、左袖を後ろに振るって晋蓮華を打ち付けて吹き飛ばし、杖はそのまま槍を押さえつけたままにした。


百鳩世の渾身の力で杖を切りつける。しかし、逆に剣が折れ、杖は無傷である。肖子墨の杖は赤銅で作られており、硬く重い。それに内功が加わって鋼鉄の強度を誇るのだ。


得物をなくした百鳩世はそうそうに剣を放り投げて、踏み込みと同時に拳を奮った。峨眉派にとっては掌法もお手の物だ。


右から攻めて、拳を上から下へうち下ろす。これを肖子墨が首を傾げで避けると、続いて二手、三手と胴体目掛けて拳が放たれる。肖子墨は空いている左手で軽々と捌き、左から攻めてきた晋蓮華の鈎を杖で払うと、力任せに突き出された槍を膝で跳躍して避けた。


峨眉派高弟の連続手を肖子墨は苦もなく捌き、三人は焦りが募ってくる。途端に連携が乱れて、槍が折られ、鈎が砕かれてしまう。


無手になった三人だが、諦めることはない。やはり掌法を駆使して躍りかかった。


元より峨眉派の武器術とは拳法よりいでしもの。剣や槍、鈎で培ってきた技巧の一部は、威力が劣れど拳法でも繰り出せる。


百鳩世と晋蓮華が手数の多さで攻め立て、要所では郷一春が鋭い一撃を見舞う。別々の武器で合わせるよりも、同じ拳で合わせる方が容易で、三人の技は冴え渡る。


肖子墨は袖を振るって技を返し、杖で払って技を殺していたが、三方からの攻めには少々心もとない。


だが実の所、肖子墨は三人を殺めるつもりはなく、全力を出していない。峨眉派の門弟は江湖に数多いる。この場にいるのは三人だけとも限らないし、万が一に一人でも殺し損ねて逃がしてしまったら、峨眉派との遺恨ができてしまい、とても得とは言えない。力の差を思い知らせて追い払えれば上々。傷の一つ二つは仕方ない。しかし、殺めてしまったり、重症を負わせてしまったら取り返しがつかない。


そのような理由で、肖子墨は受け手に回っているのだが、三人は相手が臆しているのだと解釈してしまい、勢いづいてしまう。


さて、実践の経験が豊富なものであれば、この一戦を脇で見ていて肖子墨が手加減をしていることに気づくだろう。だが、茂みの中でじっと息を潜めて見ていた景小龍は、それに気づけるはずはない。


(おじさん辛そうだ。足が悪いおじさんに対して、三人で襲いかかるなんてあいつらは悪者に違いない。これは許せないぞ)


と勇んで茂みの中から飛び出してしまった。


景小龍は多少は剣法の心得があるが、今は剣を持っておらず、拳法はからっきしである。一番手前で背中を向けている百鳩世に向かって突貫し、工夫もなく拳を振り抜いた。


唐突に足音を響かせて迫ってきた新手に、百鳩世が驚くまいことか。相手の実力もしれず、後ろを向いて姿形を確認することも無く、手を払って反撃に出た。景小龍は避けられるはずもなく、顔に掌打を受けて空中に舞った。


肖子墨箱の一部始終をしかと見ていた。


(あれは先程助けた小僧。何故飛び出してきたのだ)


と景小龍の意図を汲みかね、疑問を浮かべるばかりである。


百鳩世は、掌打を浴びせた相手が余りにも軽かった為、驚いて振り返った。果たしてそこにはまだ十を超えたばかりに見える子供が、自分の掌打を受けて地面に転がっているではないか。


驚嘆して、


「何用だ坊主。邪魔だてするでない」


と一喝したが、肖子墨同様に意図が読めず動揺している。


「嫌だ。悪者を見つけたらやっつけてやるんだ」


内功が深い景小龍である。百鳩世が咄嗟に放ったためさほど威力が乗ってないのもあるが、無傷である。百鳩世は掌打を受けた子供が元気そうなのを見て首を傾げるが、咄嗟のことで威力がなかったのだと一人合点した。


「若いのに義侠心に溢れてていいことだ。だがな坊主。悪人ってのはあっちの顔が怖いおじいさんで、俺たちは武林の正道派さ。悪者なんかじゃないぜ」


「嘘だ。悪者じゃないならなんで、足の悪いおじさんを三人で虐めるんだ」


これには百鳩世以下二人も痛いところを突かれ返す言葉もない。


武林の正統派を名乗る以上は、やはり品格を求められる。例え相手が極悪人であっても、数に頼んで討ち果たしたとなれば笑いものになってしまう。なまじ名門としての自覚があるため、それだけは絶対に避けたい。


「ふむ一理ある。ならば、我らの手を十手ずつ受けてみよ。受けきれたらこの場では手を下すまい」


百鳩世がそう告げると、拳を構えた。


肖子墨にとってもこれは願ったり叶ったりである。


相手を傷つけずに倒すのは難しいが、十手受けるだけならば難くない。拱手して答える。


「来られよ」


「ならば受けてみよ」


威勢よく飛び出したのは郷一春である。槍術を基にした拳法で襲いかかる。力強く踏み込んで、総身の突き手を放った。


肖子墨が杖を払って返すと、足を振って二手目、続けて杖先で足先を抑えて防ぐ。守りの一点に置いた肖子墨の杖術を破るのは容易くない。


郷一春が果敢に攻めるが、やはり及ばない。とうとう残り一手に追い詰められた郷一春は、自分には敵わないと悟ると、力任せに杖を打った。杖術さえ封じてしまえば、後の二人で倒せると踏んだのだ。


果たして、渾身の一撃を受けた赤銅杖。だが、やはり肖子墨の内功は並ではなく、重厚な気が杖を守った。それでも、折れることは無かったが、杖の先がしなる木の枝のように曲がってしまった。


こうなってしまえば杖術の威力も半減である。


「卑怯な真似をするんじゃない。やっぱりお前たちは悪党だ」


景小龍が抗するが、郷一春はフンと鼻を鳴らして相手にしない。


「気にするでない。杖などなくても差し支えない」


肖子墨は未だ余裕綽々である。


続くのは百鳩世。


「次は俺の拳を受けてみよ」


と声を上げると、一足飛び飛んで拳を打ち下ろした。肖子墨は内功を巡らして、右手から気を放ち対抗する。烈風となった気が、百鳩世の拳を遮る。


これに内心驚きつつも、百鳩世は着地と同時に地を蹴って迫る。今度は渾身の内功を込めて、肖子墨と対抗するつもりである。


二人の気がぶつかり、強風を巻き起こす。普段であれば、至極の位置にある肖子墨が内功の比べあいで負けることはないのだが、戦いが長引き弱まっている。


さて、この膠着に狙いをつけたのは残る一人、晋蓮華である。郷一春の技が通じなかったのを見た晋蓮華は、脳裏に焦りを秘め好機と悟ると飛び出した。


これに気づいた肖子墨は、百鳩世を防いでいた両手から左手を回して気を発し、晋蓮華の攻撃を受けた。


「よもや卑怯だとは言うまいな。我らから十手受けるの言に間違いはないぞ」


「然り。二人だろうが三人だろうが来るがいい」


と、意気軒昂に答える肖子墨だがこれは厳しい。一人を抑えていた気が分散した為、守りが薄くなり、押されてしまう。


余裕綽々の素振りだが、額には汗が浮かんでる。様子を窺っていた景小龍はこれに怒髪天をついて怒り、分も弁えず躍りかかった。


後に飛びかけった晋蓮華に迫ると、真っ直ぐ掌打を放った。肖子墨に気を回していた晋蓮華は、受け身も取れずに腹に直撃し、強烈な痛みが走る。


拳法など碌にできない景小龍だが、磨かれた内功があれば並程度の威力は発揮される。


晋蓮華が吹き飛ばされ、抑えていた左手が空くと再び百鳩世へ回し、渾身の気を放って吹き飛ばした。


吹き飛ばされた二人が立ち上がると、晋蓮華が抗を発した。


「おのれ、子供の力を借りるなど卑怯だぞ」


「貴様らの技を十手受けるの言に違いはないぞ」


晋蓮華は言い返せないが、腹を立てた郷一春はさっと飛んで、景小龍に打ってかかった。


拳法も未熟なれば、軽功も未熟、躱すなど到底無理な話で、迫る郷一春の掌打に身を固めてつもりの受ける景小龍。そこへ、肖子墨が割り込んで、袖を払って掌打を弾き、景小龍を抱き抱えると、軽功を駆使して林の中に消えた。


あっという間の出来事に、三人は止めることが出来なかった。郷一春は声を荒らげて卑怯者と詰るが反応は無い。


肖子墨は景小龍を肩に抱えたまま三里走り、三人からは逃げ去った。武林に生きるものとして、しっぽを巻いて逃げるような真似はしたくは無かったが、景小龍がその心を動かした。


(この年で立派な義侠心を持った子だ。卑怯者のせいで怪我をしては忍びない)


抱えられている景小龍は驚いて悲鳴を上げかけたが、肖子墨の軽功は相当なもので、みるみる変わっていく景色に気を取られていた。


よく見ると、雨が降ったばかりだというのにぬかるんだ地面に足跡は残っていない。


肖子墨が足を止めた頃には林を抜けて、平原に出ていた。後ろから追ってくるものがいれば、直ぐに目をつけられるだろうが、幸い見渡す限り追っ手は見えてこない。


景小龍を降ろすと、途端に頭をついて、


「助けてくださってありがとうございました。このご恩は忘れません。もし何かにお困りでしたら、お申し付けください」


「その様に畏まらなくていい。私とてお前に助けられたのだ。礼をするならこちらだ」


肖子墨は拱手して返すが、心の中では景小龍を喝采していた。


(若いのに義侠心と礼節をしっかり身につけている。この子の育ての親は相当立派だったのだろう)


そう思った所で、目の前の小さな子供は父親を亡くしたのだと思い至る。


(よもやこの子は孤児ではなかろうか。そうであれば忍びない。既に並以上の内功は備えているし、人品も申し分ない。引き取って武芸を学ばせることが出来たら願ったり叶ったりだが……)


と、肖子墨はすっかり景小龍を気に入っていた。


「私は肖子墨という。この通り貧相な格好であるが、武功には少々覚えがある。望むなら手解きしよう」


今しがた肖子墨の軽功に驚嘆した景小龍である。その技を授けてくれると言うのだから、二つ返事したいところだ。しかし、先程はつい飛び出してしまったが、目の前の男をあまり快く思っていないことを思い出した。


「小弟子、景小龍が肖先輩に挨拶いたします。お心遣いには大変胸惹かれますが、私のような小輩ものには過ぎたものです。その気持ちだけで私は満足です。それではまた縁がありましたら、お会いしましょう」


一気に捲し立てると、拱手して立ち去った。


肖子墨は物欲しそうにその背を見ていた。


2.

さて、肖子墨と別れた景小龍だが行く宛てはない。物心着く頃から父と二人、放浪の身であり、親戚や友人など身を寄せられる人を知らない。帰る家と言えるのは、三清山の頂きにあるぼろ屋だ。昨晩からずっと帰っていない。一度戻って毛布や食料を持って父の元に戻ろうと決め、足を早めた。


真っ暗な山道だが、足先を誤たず、僅かな月明かりを頼りにどんどん登っていく。景小龍にとっては慣れた道のりだ。


だが、愚鈍な景小龍とて、流石に平時通りの軽い足取りでは無い。先程の三人と出会すかも知れないと警戒はしていた。


(あいつらに見つかってしまったらどうしよう。肖先輩の居場所を聞かれるだろうが、答える訳にはいけない。その時は舌を噛み切ってやる)


心を決めると、一応脇の獣の道を使って登った。曲がりくねった道無き道には、慣れた景小龍も何度か足を滑らせ苦労した。


そうして数刻ほどして頂きまで登ってくると、警戒を忘れていた。もとより、人の住まうような場所ではない絶境で、昨日のことを除けば人が尋ねてきたことなどない。


張漢永がまだ潜んでいるかもしれないと、考えることも無く、ぼろ屋を見つけると途端に喜んで駆けて中に入ってしまった。


果たして、中には張漢永はいなかった。


代わりに肖子墨と腕を交えた峨眉派の高弟、百鳩世、郷一春、秦蓮華の三人が卓を囲んでいた。


目が合った四人はあっと息を飲んだ。


無警戒だった景小龍は思わぬ難敵に呆気を取られ、三人は逃した魚が自らやってきた幸運に天を仰いだ。


一番初めに動いたのは郷一春で、さっと飛んで景小龍を跳び越すと、背に立って逃げ道を塞いだ。


景小龍は顔を青ざめながらも、手をでたらめに振りまして押し通ろうとしたが、敵うはずもなく、手を数える間もなく捕まってしまった。


腕を掴んで引っ張り、無理やり卓の前に座らせると、三人で囲んで詰問した。


「坊や、名前をなんて言うんだい。おじさんは百鳩世さ」


「……景小龍」


「そうか、では小児、君を攫った悪人はどこにいったのかな」


「知らないよ」


「そんなことないだろう。あいつは『獄門七科人』と言って、江湖に名を知られた悪人なんだよ」


「僕は何も知らない」


「君をどこで離したのか、それだけでいいんだよ」


「言うもんか」


毅然とした景小龍の態度に問いかけていた百鳩世は、居場所を知っているのだと確信した。実の所、肖子墨と言を交わした後にすぐ別れ、居場所など知るよしもないのだが、三人にとってはたまたま訪れた吉兆であり、疑うことは無い。


気の短い晋蓮華は早速痺れを切らして、景小龍の肩に手を置いて脅しかけた。内力を込めており、一見手を軽く置いているだけに見えるが、体にかかるのは二十斤程の重さである。晋蓮華は、少年を脅しかけるにしても、少々大人気ないかと思った。しかし、景小龍は細身のその体の何処にそんな力があるのか、ものともせず口を噤んでいる。


(この小僧、多少は武芸の心得はあると思っていたが、中々の内功を秘めているな。どれ試してやろうか)


晋蓮華は肩にかける力をどんどん強くしていった。重さは四十斤にはなろうか。景小龍はやはりびくともしない。実際の所、景小龍の痩せ我慢なのだが、晋蓮華は元より、意図を察した他二人は驚嘆していた。景小龍は内功を磨き、並以上の内力を持っているが、それを扱う術を心得ていない。言うならば、天下の名剣を持っているのに剣の使い方を知らないというのだ。内功を扱う術を知っていれば、晋蓮華に内力を加えられても、弾いて吹き飛ばすことぐらいはできるが、ただ内力で己の体を支えるばかりである。


晋蓮華の内功の五分、六十斤の重さの力が加えられた頃には景小龍は体を支えきれず、ふるふると震え始めた。


「坊や辛いだろう。少し話をしてくれたら乱暴はしないよ」


「言わ……ないよ。お前らなんかに絶対喋るもんか」


「強情な坊やだね、どうなってもしらないよ」


晋蓮華はますます力を込めて、とうとう耐えきれなくなった景小龍は前のめりに倒れた。だがただでは倒れず、腕を伸ばして目の前にある卓の脚を掴むと、後ろに振り回してから放り投げ、三人が危うしと隙を見せたのを見逃さず、立ち上がって拳を構えた。


あくまでも戦うつもりなのだ。


呆気に取られた三人だが、さらに腹をたてた晋蓮華が拳を構えて飛び出そうとした。それを百鳩世が制して前に出た。百鳩世は気骨のある少年だとかっており、怪我をさせるのは忍びないと思ったのだ。


「坊や、今からおじさんが三手繰り出す。もし受けきれたら何もせず退散する。だけど、坊やが受けきれなかったら正直に話してくれないかい」


百鳩世達にできる最大限の譲歩である。


「足の悪いおじさんを三人で虐めてたお前たちなんて信用できるか」


「嘘じゃないさ。なんだったら天に誓ったっていい。もしも、今の言に間違えがあったら天に見放されて犬畜生にも劣る非業の死を迎えるだろう」


むかっ腹の景小龍にも百鳩世の誠意がつたわった。しかし正直な所、景小龍と百鳩世の武功は天と地ほどの開きがある。三手どころか一手だって受けきれないだろう。なのだから、難癖をつけてやめておけばいいのに、純粋な景小龍は百鳩世の誠意を無碍にできず、引き下がれなくなってしまった。


「分かった。三手だね」


「その通り三手だけさ」


両者頷き合うと、一拍置いて百鳩世が拳を繰り出した。狙うは景小龍の腹であり、真っ直ぐ伸びていく。傍から見ている峨眉派の二人は騙し手かと頷いて見ていたが、景小龍は歯を食いしばって右手を腹の前に置いて受けた。


果たして百鳩世は騙し手など使っておらず、一手は景小龍に譲ってやったのだ。


だが二手目を譲ってやるつもりは無い。景小龍に取られた左手を開くと、指を走らせて手首を掴み、手前に力任せに引いて脚を払って胴体を蹴りつけた。


景小龍は咄嗟に体を丸めて、肘で受けた。骨を震わす強烈な痛みが走り、三間ほど飛ばされて壁に叩きつけられた。


勢いよくぶつかった為、木の壁は崩れて、舞い上がった土煙で景小龍の姿を捉えられない。


百鳩世はやりすぎたかと顔を青くしたが、景小龍は内功の働きもあってか、土煙が治まると涼しい顔で立っていた。無論、痩せ我慢も含まれるが、二手目も受けきれたと言えよう。


今の一手を受けきられるとは思っていなかった百鳩世は、手心を加えてやるつもりも揺らいで、とにかく勝たなければという焦燥に駆られた。


百鳩世は身を躍らせて、強烈な一撃を見舞った。耳の後ろまで引いた右拳を突き出して、頭蓋さえ砕く一撃を放つ。


景小龍に内功の心得があろうと、元々の体格も体力も敵わぬのだから、力に頼られてはどうしようもない。それでも内功を巡らして受ければ、受け切ることは出来ぬが、両腕の骨が砕かれる程度で済むだろう。


だが、それでは肖子墨について話さなければならない。景小龍は今この場にあっても、折れるつもりなどない。


景小龍は背後に手を伸ばして、割れた木の板を掴むと、木剣代わりに振るった。


「枝梢十六式」の一手、「伐木一刃」。十六の型のうち攻めの手であり、剣を力強く横凪に放つ技で威力は高い。だが、これは決めの一手であり、他の十五の技で相手の手を崩した隙に放つ技である。結局のところ、景小龍は「枝梢十六式」の技を体得していないのだ。


なのだから、それは偶然だった。


百鳩世の拳と木板が衝突した。景小龍の渾身の一撃は、拳の勢いを殺すまではいかなくとも、向かう先をいくらか狂わせた。


強烈なこぶしの一撃は、景小龍の顔を掠めて背後の壁を砕いた。これが顔に直撃していたら、頭蓋を砕かれていただろう。


肝を冷やしながら景小龍は声を震わせた。


「受けきったぞ」


「……見事」

百鳩世は拱手して踵を返した。少年相手にこれ以上ことを荒らげたくないのだ。


しかし、晋蓮華はこの結果に満足していなかった。峨眉派といえば武林に名高い名門であり、故も知らない少年一人に遅れを取ったとなれば、先代たちに申し訳が立たない。


晋蓮華は赤を超えて黒く顔を染めて、


「小僧、次は私の手を受けてみな」


と一喝すると、飛び上がって必殺の手を放った。指先を尖らせて狙うのは喉元であり、一撃許してしまえば喉肉を破られて死してしまう。


「待たれよ、晋妹」


百鳩世が止めにかかったが遅かった。晋蓮華はとうに技を放っており、景小龍の喉元まで数分とない。


間に合わないと百鳩世が目を瞑った瞬間、景小龍の背後から杖が伸びてきて、指先を抑えてしまった。指先は勢いを殺され、ぴくりとも動かない。晋蓮華は驚嘆のまま、景小龍の背後を見て、


「おのれ、肖子墨」


と叫んだ。


そこにいたのは正しく肖子墨、絶代の杖術を以

て景小龍を助けたのだ。


「ええい、ここであったが百年目。覚悟しろ悪党め」


肖子墨と見ると否や、郷一春が飛びかかった。


肖子墨は杖先を押して、晋蓮華を突き飛ばすと、杖を翻して払い郷一春を吹き飛ばした。どちらも十二分な内功が込めてあり、直撃していれば死していただろう。


「まだやるなら容赦はせぬぞ」


肖子墨は怒声の孕んだ声を上げると、内功を使って卓を三人に吹き飛ばして威嚇した。とうとう三人は先程手を合わせた時は、手心を加えられていたことを知り、怒りと羞恥に顔を染めるが、闘志が湧いてこず、無言で立ち去った。


肖子墨は三人を追い払うと、呆然と固まっていた景小龍を優しく見つめて聞いた。


「怪我はしていないかい」


先程の怒気を孕んだ声とは違う、穏やかな声だった。肖子墨はやはり、景小龍のことを諦めきれず、しばらく後をつけていたのだ。自分のために峨眉派と手を合わせたのを見て、心より感激し、実の子に向けるような愛情さえ抱いている。


景小龍はびくっと体を震わせて、答えようとしたが言葉が出てこない。肖子墨はそんな様子を見て取ると、景小龍を慮って顔を綻ばせた。


途端、景小龍の頬を熱いものが伝う。


(あれ……なんで、なんで涙なんか)


困惑して頬を擦るが、涙は止まらない。


「怖かったのかい。もう大丈夫だよ」


肖子墨が杖を使って優しく頭を撫でてやると、景小龍はわっと大粒の涙を流して泣き始めた。それから、膝を折って肖子墨に抱きついた。内功を巡らせている肖子墨の体は温かく心地が良い。


その温かさで、漸く景小龍は理解した。


(……父上は亡くなったのだな)


触れ合って知る温もりは生者のものであって死人には無い。景成徳の体の冷たさは生者のものではなく、死者のものなのだ。


「父上を眠らせてあげないといけません」


しばらく肖子墨の胸の内で泣いていた景小龍だが、泣き止むと立ち上がって言った。


「私も手伝おう。しっかりと葬ってやらねば、お前の父はあの世で笑いものになってしまう」


「いえ、大丈夫です。僕一人で葬ります」


「遠慮することではないぞ」


「遠慮などではありません。父が生前言っていたのです。この地で命を落とすことがあったら、僕一人で家の裏の林に埋葬してくれと」


こう言われてしまったら、肖子墨は引き下がるしかない。


「分かった。では、ここで準備をしていなさい。私が父上を連れてこよう」


言い残すとぼろ屋から出ていった。


景小龍は一人で裏の林まで向かうと、父が言っていた穴を掘った場所を見つけ出し、掘り始めた。一度掘った所に土を被せただけだから、苦労せずに二尺ほど掘り進めた。そこで、指先に何かが当たった。確かめようと指を伸ばして、掘り進めると木の箱が出てきた。


訝しげに思いつつも、掘り出してみると箱の表面には何も書いていない。だが、中を開けてみると一枚の紙が折りたたんで入っており、頭には『愛児 景小龍へ』と綴られている。


景成徳の遺書に違いなかった。景小龍は震える指で開く。


『愛しい小龍。お前を残してこの世を去ることに慙愧の念に絶えない。きっとお前は父を想って深く傷つくのだろう。そんなお前を想って、私も傷つかずにいられない。何故、お前を遺してしまうのか。もし、私が病や天寿に倒れたのであれば、それはきっと天の采配だ。誰にも訪れることであり、天を恨んではいけないよ。だけど、もし。私が誰に命を奪われたのだとしたら。それはある宿命によるものだ。お前もきっと無事ではいられまい。その場合、周一聡先輩を探し出して頼りなさい。かの先輩ならば必ず助けてくれるだろう。だが、忘れてはいけない。江湖にはお前よりも強く、悪どいものが沢山いる。かの先輩を尋ねる時は、必ず一人で行きなさい。苦労することばかりだと思うが、お前ならやり遂げりる。私は天からそれを見ているから、胸を張って堂々と進みなさい』


遺言を読み終えた時、またもや景小龍の目頭を温かいものが浮かんできた。けれど、息を深く吸い込んで、決して泣くまいと涙を抑えた。


「父上、僕は必ずやり遂げます。周先輩におめ通りが叶ったら、あなたの仇を捜し出して成敗致します。どうか、その日まで天から見守っててください」


景小龍は立ち上がると、ぼろ屋まで戻った。肖子墨は既に景成徳の遺体を連れてきていた。


肖子墨に拱手をすると、遺体を担ぎ上げて穴のところまで戻ると、丁寧に埋葬した。それから何度も叩頭して祈りを捧げた。


(父上、僕は必ずやり遂げます)


一刻ほど祈りを捧げて、父の元を後にしてぼろ屋に再び戻る。


「もう一度聞こう。行く宛てはあるのか」


景小龍は答えに喫したが、


「あります」


と短く答えた。父の遺言通りに周一聡を探すつもりだ。しかし、名前を知っているだけで、探すあては無い。だというのに、遺言に従えば一人で探し当てなければならない。


「そうか。ならば、ここでお別れか」


肖子墨は寂しそうに呟いて、立ち去ろうとした。だが、景小龍が行く手を遮って叩頭した。


「何をしているんだ。頭をあげなさい」


「お願い事があります」


「なんだい。聞いてあげるから頭をお上げなさい」


景小龍はなおも頭を上げずに願い出た。


「一度は肖先輩のご好意を無碍にした身。恥知らずにも願い出ようと言うのだから、頭など上げられません。お願いいたします。どうか、この景小龍にあなたの武功を授けてください」



宛もない人物を探すより、江湖を自由に歩いて回れるように、武功を身につける。賢くない頭を使って導き出した景小龍にとっての最適解だ。


肖子墨は驚いた。どうにか手解きをしたいと考えていたが、自分から願い出てくれたのだから僥倖だ。


「顔を上げなさい」


「いえできません」


「何故」


「恥知らずなお願いだからです」


「……師父の言うことが聞けないのか」


景小龍は漸く顔を上げて、喜色に染めた。


「師父、弟子景小龍はあなたに恥じない立派な英雄好漢になることを誓います」








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