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和合談論

1.

「二兄、黄虎威(こうこい)の兄貴だね」


 辺鵠(へんごく)の歓声に応えて、大笑が響く。谷中に響き渡り、耳を劈く大声だ。込められている内功は相当のものだろう。


「如何にも。辺七弟、息災であったか」


 何処からともなく声が降ってきたかと思うと、大男が崖上から飛び降りてきた。天高き崖上から飛び降りて無事で済むわけがないのだが、大男は岩壁を蹴って勢いを殺し、静かに着地した。


「流石黄二兄、見事な腕前です」


 辺鵠が拱手する。その姿には敬意が込められており、それを受ける大男はかなりの傑物である事が見て取れた。


 鬼面の男は、剣に手をかけながらも二人を見やって、大男の内功の深さを見てとると内心驚愕した。


 それもそのはず。この大男、辺鵠が呼んだとおり名を黄虎威、武君七侠のうち二席を賜った『金剛力王』その人である。


「くくくっく、大事無いようだな。して、辺七弟よ何故この様な場所に」


 それを問いたいのはこちらだと口走りそうになったが、辺鵠は素直に答えた。


「酒楼で商人たちが噂してたのさ。悪生谷の悪党共が恐ろしくてかなわないって。罪のない民草が傷つけられたら、変わりに戦うのが侠の道。そうでしょ、だから勇んでここまで来たんだ」


「うむ、それは大義であるな。正に英雄好漢の行い、武君七侠の名に恥じぬ行いだ。だが……」


 黄虎威は鬼面の男を指さして続けた。


「あの男がお前に何をした」


「何をって、剣を向けて襲いかかってきたんだ。黄二兄は剣を持って襲いかかってきた男に何もせず命を差し出すのかい」


「いや、儂とて手を交えるだろう。だがな、儂が言いたいのはそこではない。いいか、この仮面の御仁に悪事を働いたのはお前の方では無いのか」


 辺鵠は、黄虎威が何を示しているのか訳が分からず、頭を捻るばかりだ。その姿を見て、黄虎威は答えた。


「誰でも自分の住処に押し入られては困るだろう。どうあれ、ここはこの者たちの土地。入るのであれば、礼節を弁えるべきなのだ」


「黄二兄、こいつらは悪人だぜ。礼を尽くしてどうするんだい」


「この者たちが悪人とは噂話に過ぎぬ。お前は噂一つで真偽を見分けられる程に功徳を積んでいるのか」


 黄虎威に諭され、辺鵠は鬼面の男と張漢永に叩頭した。その姿を見て、鬼面の男が漸く柄から手を離した。


 素直な義弟の姿を見て、黄虎威は気分を良くし、


「過ちを犯すことよりも罪深いのは、それを恥じぬこと。恥じて正すのであればそれは君子の行い。辺七弟よ、それで良いのだ」


 と満足顔だ。


 さて、これで一段落かと鬼面の男は背を向けたが、黄虎威が制止した。


「待たれよ、仮面の御仁。実に某は辺七弟とご先輩が手合わせするのを拝見させて頂いた。真に優れたご武勇をお持ちのようで、興味が尽きぬ。どうか、一手ご教授願えないだろうか」


 この黄虎威、度量は広く武芸も奥深い。大侠と讃えられるに足りる人物なのだが、やはり江湖の武芸者。強敵と見れば手合わせをせずにいられない。


 鬼面の男は柄に指をかけるが、どうしたものかと頭を悩ませているようだ。黄虎威は、相手が応じてくれぬかと丸い目でじっと見て、


「一手だけで構いません。その一手がどれほど得がたいものか。きっと満足して、これ以上面倒を起こさずに身を返すと約束いたしましょう」


 鬼面の男はとうとう根負けしたようで、剣を抜いて応じた。

 左腕を上げて肩と剣を水平にする。どうも奇妙な構え方だと黄虎威が不思議がると、そのまま駆け出した。


 この奇妙な構えからどのような技が繰り出されるのか、黄虎威は好奇心のままにどっしりと構え、迎え撃つ腹積もりである。


 鬼面の男は水平に構えた剣を、半円を描くように頭上から右肩の方へと滑らせ、面を倒すといっそう強く踏み込んで間合いを一気に詰めた。


(来るか。この一手、慎んで賜ろう)


 刃は踏み込みと同時に揮われた。剣の大きさは三尺程、対して鬼面の男と黄虎威の距離は十尺程ある。明らかに剣の間合いの外から刃が放たれた。


すると、剣に込められた内功が刃となって烈風を巻き起こし、地を抉りながら迫ってきた。


 黄虎威はこれに驚愕すると共に、身を翻して大きく左に避けた。同時に、黄虎威が立っていた地面が穿たれ、剣で切られたような跡が浮かび上がった。


「お見事なり。これほどの腕前とは某、真に感じ入った」


 感涙を浮かべて、黄虎威が拱手する。


 この鬼面の男は、剣に内功を乗せ、気刃と変えて切り払ったのである。内功に秀でた黄虎威にも、内功を外に放つ技を習得しているが、専ら拳を頼りに武芸を磨いてきた為、対敵や飛び道具を吹き飛ばしたり出来る位で、直接的な殺傷能力は低い。内功と外功を組みあわせた技においては黄虎威よりも、鬼面の男の方が秀でているだろう。


 身を翻して剣を収める鬼面の男、黄虎威はそれを止めるつもりは無いが、問いかけた。


「不躾で申し訳ない。是非ともご高名お伺いしたい」


 辺鵠も頷いて、是非にと口添えする。先程の技しかり、手を交えた際に繰り出してきた技の数々に尊敬の念すら抱いているのである。


 鬼面の男は足を止め、固まるが答える素振りは無い。


実の所、この男も黄虎威に尊敬の念を抱いている。先程放った一撃は『龍驤天剣』という絶技である。未だ大成に至らず、威力は十二分にない見かけの技であるのだが、それでも同門の『獄門七科人』他六人の絶技でさえ及ばぬと鼻を高くしていたのである。それを容易く避けたのだから尊敬の念を覚えるより他ない。


だが、この男はさる事情で名を明かすには躊躇いがある。その為、躊躇しているのだが黄虎威は叩頭し再び問いかけた。

すると、


「待たれよ、黄大侠」


 と谷の奥から声が響いた。重々しい男の声だ。顔を上げで見やると、中年の男が歩いてやってくる。ゆっくりと歩いているようにしか見えぬのだが、既に百間以上もあっただろう距離を五十間まで進んでいた。


 待つ暇もなく黄虎威の前まで来ると、手を伸ばして立たせようとする。これに、黄虎威は敢えて内功を巡らして対抗した。この中年の男の腕の程を確かめるつもりである。


 黄虎威の意図を察した中年の男は、内功を巡らして気を送った。ゆったりと温かい気が伝わってくると、黄虎威は更に内功を練って対抗した。これに応えて中年の男も送る気を強くする。互いに内功で押し合って競っているのだ。


(この男の内功の深さ、尋常ではないな。このまま内功を比べあった所で勝てる保証はない。だからこそ、敢えて比べあいたいものだが……)


 黄虎威は立ち上がると、中年の男に拱手した。


「お初目にかかります。黄虎威と申します。少々腕に覚えがあるとはいえ、お手前を試すような無礼、大変申し訳なかった」


 中年の男と内功の強さを、勝敗着くまでやってみたいが、もしも途中に気が乱れれば、逆流して荒れ狂いどちらも重症を負ってしまう。それでは不味いので、黄虎威は身を引いたのだ。


肖子墨(しょうしぼく)と申す」


 この肖子墨と名乗る中年、『獄門七科人』の一人『紫金仙狐』肖子墨である。『獄門七科人』の内、首領の位にありその深慮遠謀は当世一と讃えられるほどだ。


 短い挨拶で拱手を返すと、鬼面の男を指さして、


「この者は少々口下手でな、ご無礼をどうか容赦してほしい」

「いや、こちらこそ真に失礼仕った。容赦を乞うのはこちらだ」


 互いに礼を尽くして答える。江湖に生きる者として礼節は重要だが、それをこの二人は重々承知している。


「本を正せば某の愚弟が無理にお住いに立ち入ったことが原因。愚弟には真心のままに謝罪させましたが、この度の非礼をお詫びさせて頂く機会を是非とも頂戴したい」


 黄虎威の深く礼を弁えた姿勢に、肖子墨は胸を打たれた。


「こちらの愚弟とそちらの賢弟の間で些細な誤解があったことは承知した。ならば、こちらにも非があるはず。そこでどうだろう」


「大師の仰ることに従います」


「あと四月も経てばこの谷の紅葉も明媚なものになる。その時期を見て、武君七侠の皆様方をお招きし、ささやかながら酒宴でおもてなししよう。その場で杯を飲みかわし、談論の儀を以て和解としようではないか」


 黄虎威は手を叩いて応じた。


「これ以上にない賢策、頭も上がらない。是非ともそのようにいたしましょう」


 和解が成ることもさることながら、英雄好漢とは往々にして酒と風流を好むもの。これに応じない手はなかった。


「それでは四ヶ月後、再びこの谷で」


「心得ました」


 黄虎威、肖子墨共に拱手して身を翻し義兄弟を連れ立ってその場を後にした。


2.

 悪生谷を出た黄勝は早速、鎮江に向かい、町の酒楼に腰を据えて文を書き始めた。悪生谷での出来事、四ヶ月後の談論についてである。


 文を書き終えると、窓辺に寄って口笛を吹いた。鳥の鳴き声のような高い音は、三階建ての酒楼から町中に響き、道行く人達は変わった鳥もいるもんだと足を止めて空を見た。


 やがて、西の空から黒点が見えてきた。それは物凄い速さで黄虎威の居る酒楼まで飛んでくると、縁にそっと降り立った。


 巨大な白鷲である。


 書いた文を白鷲の足に結ぶと、『武君七侠』のうち黄虎威と辺鵠を除いた五人に届けるように頼んだ。怜悧な顔立ちの白鷲は黄虎威の頼みを理解すると、高く一声鳴いて飛び立った。


 西の空に黒点となって消えていく白鷲をしばらく眺めた後、黄虎威は卓に戻った。


 向かいには辺鵠が座っており、注文した牛肉の炒め物や山薬の飴糸に舌鼓を打っている。


 甘いものに目がない黄虎威も、山薬の飴糸に箸を伸ばして堪能した。


 皿を空にしてから、黄虎威が口を開く。


「兄弟たちはみな近くにいる。三日もあれば全員この酒楼に来るだろう。詳しい話はみなが集まってからにしよう」


 辺鵠がそれに応じると、黄虎威は酒を頼んで喉を潤した。


 黄虎威は例に漏れず、酒を好むが下戸である。いつも数杯で酔うのだが、呑む速度が早く、杯を干しては直ぐに新しく注ぎ直して飲む。既に顔は赤みがさし、気分揚々と大笑いしている。


 辺鵠は内心気が気でない。悪生谷に押し入って事を構えたことを蒸し返され、また怒られるのではないかと戦々恐々である。普段はとても度量深く人徳の厚い黄虎威だが、酒が入ると君子どこにやら。一度機嫌を損なえば、烈火のごとく猛り狂い手に負えない。


 そんな黄虎威の機嫌を悪くしないか気が気でないのに、結局の所、辺鵠は『獄門七科人』との和解など心の内では賛成しておらず、気が滅入るばかりである。


 悪生谷では師兄の手前、鬼面の男と張漢永に叩頭したが納得はしていない。あっぱれな腕を持っていた鬼面の男はともかく、張漢永など卑怯千万の下劣漢である。和解が成ったとしても、師兄達の目すらなければ殺してやりたいほどだ。


(黄虎威の兄貴は和解をするつもりみたいだが、他の兄貴達はどう思うだろう。まさか満場一致の和解などないだろう。もしも破談となれば、その時は堂々と攻め入って、あの下劣感に天誅をくらわせてやる)


 と考え、はっと息を飲む。元来、猪児などと揶揄われる辺鵠。単純な性格故に思ったことなど顔に出やすい。その点については自覚があり、今考えていたことが黄虎威に読まれてしまってないか焦ったのである。


 恐る恐る黄虎威に目をやると、酒に夢中で気づいていなかった。ほっと息を呑むと、張漢永への憎悪は心の隅に追いやって、酒の肴を楽しむことにした。


「それにしても、あの鬼面の者。あっぱれな内功であった。是非ともあと数手手合わせをしたかったものだ」


 黄虎威は口々に鬼面の男のことを褒め讃え、事の起こりなど気にしていないようだ。これ幸いにと、辺鵠も続けた。


「あれほどの好敵手、江湖広しと言えど中々いない。名を聞けなかったことが残念でならいないよ」


「然り。だが、あの御仁にも何か訳があるのだろう。武芸に秀でている者とは総じて徳が高く他者に礼節をもっているもの。訳がなければ名乗らぬ非礼などしでかすはずがない」


 二人は口々に鬼面の男を讃えていたが、辺鵠はふと奇妙に思っていたことを問いかけた。


「そう言えば張二兄、どうして悪生谷に来たんだい。まさかずっと俺の後を追いかけてきたわけではあるまいし」


「なに、少しばかり用があって太湖まで来ていたのだ。すると遠くから風に乗ってお前の声が聞こえてきてな。気になって飛んできたのだ」


 辺鵠が谷に立ち入る前に張漢永を罵っていた大声が、何の偶然が黄虎威に届いていたのである。


「用事と言うのはなんだい。まだ済ませていないのなら俺も手伝えるかもしれない」


「それには及ばない。今すぐに解決出来ることでは無いからな。『江南剣侠』円水蛍(えんすいけい)殿に助っ人を頼まれてな」


「『江南剣侠』だって、黄二兄それは本当かい」


 辺鵠は目を丸くして問いかけた。『江南剣侠』円水蛍とは江南一帯に剣の腕を轟かせている一大剣豪であり、江湖にその威名を知らぬものはいない。『武君七侠』とてその名に及ぶかどうかは怪しいところである。


 黄虎威は辺鵠に問われて、内心しまったと嘆息した。『江南大侠』に頼まれた大事は慎重に運ぶ必要がある。その為、『武君七侠』の兄弟たちにも秘密裏に事を運ぼうと決めていたのである。しかし、酒に気をよくしてついつい漏らしてしまった。


一度口にしてしまった以上、隠し立ては難しい。


 黄虎威が頭を抱えて難儀していると、


「ほう、『江南剣侠』殿と何やら善行を解こそうというのですね、とても興味深い」


 と誰かが割り込んでくる。柔らかで落ち着いた声であり、二人とも聞きなれた声だった。


「司五弟、早いでは無いか」


「ええ、たまたま近くの商店に用事がありましてね。白鷲が空を駆けていくのを見たので、目で追ってやって参りました」


 やって来たのは『武君七侠』が一人、『鉄筆書生』司天祐(してんゆう)である。整った眉に形の良い鼻を持ち中々の美丈夫であり、常に穏やかな笑みを浮かべでいる優男である。好んで書生の身なりをし、見た目たがわず詩や書に精通した博識で、同時に点穴術の名手でもある。


「司五弟よく参った。どうだ駆けつけ一杯、ここの酒は中々いいものを出しているぞ」


「勿論です。英雄の杯を断るなんてありえません。是非ともご一緒させてください」


 司天佑は杯を受け取り一気に飲み干す。見た目に限らず酒には強く、潰れた黄虎威の介抱は専ら司天佑の仕事である。


 気をよくした黄虎威はどんどん酒を呷り、顔を真っ赤にして卓に頭を填めた。毎度のことに手馴れた司天佑は、黄虎威の巨体をその細身で担ぐと懐から銅銭を出して辺鵠に弾いた。


「これで支払ってください。行きますよ」


「五兄、俺が抱えるよ」


「構いませんよ、これは私の仕事ですから。代わりに貴方は宿を取ってください」


「分かりました」


 こうして三人は酒楼を出ると、辺鵠が先頭を歩いて大通りを抜け、町外れの宿を取った。人気のある大宿に足を向けたところ、司天佑に制されたからである。


(兄貴達をこんな安宿にお連れしてよいのだろうか)


 内心不安だが、部屋を取ると司天佑はそくさくと二階の部屋に上がっていった。遅れて着いて行くと、布団を敷いて黄虎威を寝かせていた。


 それから「太陽穴」と「小陰穴」を突いた。腸と腎臓の気の巡りを良くする経穴で、同時に陽の内功を送り込んだため、ほどなく黄虎威は酔いからさめ目を覚ました。


「司五弟、世話をかけた」


「いえ、大したことはしていません」


 無論、経穴を突いて酔い醒ましなど大したことではあるのだが、謙虚な性格の司天佑は敢えて声を上げることはない。『鉄筆書生』の名は江湖中に知れ渡っているのだが、司天祐本人を知るものは中々にいない。


「黄二兄、ここであれば聞き耳を立てる余人もおりますまい」


 司天佑に促され、黄虎威が語り始める。


「良いか、これは我らが兄弟とて決して他言無用。必ずだぞ」


「必ず。もし余人に漏らすことがあれば、きっと天に見放され、持てる技全てを失って野原で果てるでしょう」


 辺鵠も同じように答えた。


「実はふた月も前に太湖にある『湖遊荘』という円大侠の別荘が賊に襲われたのだ。残忍な賊は『湖遊荘』に仕えていた十名の従僕を一人残らず殺めると、蔵に押し入って円大侠の至宝を盗み去ったのだ。円大侠はこのふた月血眼になって賊と盗品を探していたが、その絶技故か門弟を構えて居られぬ。どうしても人手が足りぬ。その訳でこの黄虎威を含む四人の後進を招いたのだ」


 一通り話を聞くと、辺鵠は問いかけた。


「盗まれた至宝というのは。それと、黄二兄以外誰を招いたんだい」


「盗品については……こればかりは話せん。後のお三方は共に高名な武芸家、峨眉派高弟の百鳩世(ひゃくきゅうせ)殿、郷一春(ごういっしゅん)殿、晋蓮華(しんれんげ)殿である」


 辺鵠は息を飲んだ。それぞれが剣、槍、鈎の名手であり次代の峨眉派の筆頭候補とされている。そのような達人たちに助力を乞うてまでも取り返したい至宝とは一体どのようなものなのか。


「中々の大事ですね。然るに黄二兄、少しばかり踏み込んだ質問をしてもよろしいでしょうか」


「うむ……毒を食らわばなんとやらだ。司五弟であればきっと良い考えを思いつくだろう」


「きっとお役に立てるよう尽力致します。さて黄二兄、下手人は単独でしょうか」


 頭脳明晰の司天佑の問である。下手人に迫る手掛かりを指し示すに違いないと黄虎威は答えた。


「下手人は恐らく単独。件の日は雨が降っていたそうだが、残された足跡は一つ分だったとか」


 黄虎威が答えると、司天佑はうんと一度頷くと言った。


「ならば、これから名を上げる剣の使い手を当たるのが吉でしょう」


 これを聞いて辺鵠は首を捻るのみだが、少し考えた後に黄虎威は呵呵大笑し応じた。


「口を滑らせて吉とでたか。何、司五弟と辺七弟ならば円大侠も咎めまい。このまま手を貸してくれないだろうか」


「無論、尽力致します」


 司天佑と辺鵠は同時に頷いた。


 黄虎威は素晴らしい義弟を得たと内心得意げである。


 気分を良くした黄虎威は、亭主に言付けて酒を運ばせまた一献飲みかわそうかと考えたところで、まだ話していない大事について思い出した。


 無論、悪生谷の事である。


「司五弟、もう一つ大事があるのだ、我ら義兄弟全員に関わること、また一つ知恵を絞ってほしい」


 そう前置くと、事の起こりである辺鵠が変わって話し始めた。張漢永のくだりは流石の司天佑も怒りを顕にし、鬼面の男のくだりでは拍手喝采した。だが、最後まで聞き終えると、難色を示して頭を抱えていた。


「なるほど確かに大事ですね。私としては和解がなればと思いますが、他の義兄弟達はどう考えることやら」


 司天佑が賛成してくれたことに黄虎威は喜色を浮かべたが、やはりほかの義兄弟のことを考えると頭が痛い。


 辺鵠はやはり二人の手前、和解に賛成を示すが心うちでは納得できていない。他の義兄弟が集まり決を取ることになったら反対を示すだろう。


「然るに、私に義兄弟達を納得させる策を求めているのでしょうが、こればっかりはどうにも。力及ばず申し訳ない」


「いや、謝ってくれるな。しかし、司五弟でも匙を投げるとあっては、やはり和解は不可能なのだろうか」


 喜色一転、暗色を浮かべて悲痛な声を上げる。


「黄二兄、あなたのお心遣いは誠に素晴らしい。確かに悪生谷のお方達は江湖の噂によって悪人と囁かれるが、それによって悪と断ずるは暗愚の行いに違いありますまい。ここは一手、真心のままに義兄弟達を説得するより他はないでしょう」


『武君七侠』の中でも二席にあり、また人徳厚く他の兄弟達に強く慕われている黄虎威であれば、本にその真心を指し示すことで納得させることができないだろうかと考えたのである。


 黄虎威にしても、やはりそれ以上の考えはない。


 司天佑に頷いて返すと、腹積もりを据え兄弟達の到着を待つことにした。


3.

悪生谷を吹き抜ける風はまるで谷が泣いているようである。元は人のいつかぬ山奥の土地であり、物寂しいげな様は泣く声を伴って胸に切なさを湧き起こす。


果てのない夜空の下、悲哀のこもった嘆息が一つこぼれ落ちる。寂寥たる谷を人家から離れた絶壁の上から見下ろして、晴れぬ心中のままに吐露したのは肖子墨。江湖で恐れられる『獄門七科人』が筆頭その人である。


見上げれば夜空には黒雲が広がり、月は薄く光明は心持たない。一層心を暗くし、再び嘆息した。


(如何にすれば兄弟たち説得できるのか)


頭を悩ますのは無論、四ヶ月後の『武君七侠』との和解の義についてである。


肖子墨とて口から出任せで約定した訳ではなく、本心から和解がなり交を結ぶことが出来れば誠に幸いであると考えてのこと。


しかし、その心算虚しく義兄弟達からは同意を得られない。七人中、己を含む三人を除き後は頭を縦に振らない。真心を込めて説得にかかったが頑として応じず、ただ頭を悩ませるのみである。


江湖に悪名高き『獄門七科人』だが、実の所は正邪の別において悪と断ずるには難しい。彼は自ら奉ずる侠の道に従ったが為に悪党の謗りを受ける羽目になったのであり、このまま辺境の地で汚名を被ったまま果てるには惜しいものばかりである。


うんうんと肖子墨が頭を悩ませていると、二人の男女がやってきた。年恰好はまだあどけなく少年少女の歳頃、共に風靡な顔立ちをし、端正な眉や目元はそっくりであり、二人が双子であることを指し示していた。


少年の方を劉白亀(りゅうはくき)、少女の方を劉鶴女(りゅうかくじょう)と言う。


二人も『獄門七科人』に数えられ、江湖では忌み子として忌み嫌われている。この二人を除く五人は義兄弟であり、双子は立場上、五人の弟子となっている。


「お越しですか」


憂いた顔はどこにやら、破顔一笑し穏やか語りかけた。


「もう時間も遅い、今日は休まれたらどうでしょう」


本来であればふた回り以上歳上の肖子墨が歳若い二人に、このように礼を尽くすのは珍奇なものであり、何か訳があることを察せられる。


「肖おじさんこそ休んだ方がいいです。心労で顔が青くなっておられます」


心配げに劉白亀が言うと、肖子墨は感激しながらも大事無いと短く答えた。


壮年に差し掛かりながらも、妻子をもたず孤独な身。それゆえこの双子に本当の親子以上の愛情を注いでいる。『武君七侠』との和解にこだわるのは何よりもこの双子の為である。和解がなった暁には九華山の門派に加えていただけないか頼み込むつもりなのだ。


「やはり、四ヶ月後の和解の儀について頭を悩ませているのでしょうか」


劉鶴女が問いかけると、肖子墨は少し間を置いた後に小さく頷いた。


「私たちは肖おじさんの考えが一番だと思いますが、やはり他のものを説得するのは難しいでしょう。おじさんが私達を思って苦心なさっていることは無論分かっているつもりです。ですが、もしおじさんが心労絶えず大病を患ったらとても耐えられません。どうかお体を休めてください」


肖子墨の目をじっと見つめて、劉鶴女が優しく言った。その真心に感激した肖子墨は逆らうことなく従った。


(お二方とも心優しい君子に育った。これ程までに優しい言葉をかけてもらうなど、この肖子墨誠に果報者。必ずこの御恩に報いなければ)


一人心地で立っていた絶壁から飛び降りると、屋敷へと向かう。元々人の住まぬ悪生谷であったが、居着いた肖子墨とその義兄弟達が開拓し、また同じような境遇のものに門戸を開き一つの集落になっていた。肖子墨は『獄門七科人』の筆頭として集落の顔役を任されている。大なり小なり悪党の集う悪生谷では、顔役の言が何より優先という掟がなにより重要であり、この最低限の法がなければとうに悪党同士の喧嘩で住民は全て死んでいる。


急流によって作られた急坂に沿って質素な小屋が並ぶ。それらを過ぎて進むと、川を挟んで建てられた立派な橋がありその上に『獄門七科人』の住まう屋敷がある。


険しく川の流れも早い峡谷があるが為に、家屋を建てるのには全く向かないが、隠れ家としてはこれ以上にないくらい都合がよく、例え官軍が向けられても谷に押し入るのは容易ではなく、人数も限られる。


また、意外なことにこの急流の中にも魚が住んでおり、過酷な環境にいるためか身のつきがよく食糧に不足は無い。


総じて、悪党共には極楽のような場所であった。


屋敷に入ると、広間には肖子墨と劉兄妹を除いた三人の『獄門七科人』が集まっていた。


「大兄、お疲れのようだ。どこに行っていたんだい」


最初に声をかけたのは大男、『砕岩鉄槌』の忠稔志(ちゅうねんし)。見た目通りの粗暴な男で、自身が肖子墨の心労の種の一つであるなど考えもしまい。


「少しばかり星を見にな。生憎雲に隠れてよくみえなんだ」


「それは残念ですね。どうです兄者、代わりに裏庭の花を愛でてみては」


艶のある声を出した女人は『赤爪妖女』の程梅嬉(ていばいき)。目立ちよく笛の音のような人を魅力する声をもっており、それが原因で様々な凶事に遭い挙句の果てに妖女の謗りを受けているのだから、嘆かわしい。


「お前さんが心を込めて育てたんだ。大兄だって心を動かさずにいられない」


程梅喜の肩に手を添えて言ったのは『狂想魔笛』程江夏(ていこうか)。夫であり、妻を何よりも大切にしている。二人は長い間すれ違い、結ばれるまで十年の歳月を悪生他人で過ごした。


「大兄はお疲れなんだ。花なんて見るもんかい。ささ、どうぞおやすみなされ」


忠稔志のどら声にむっとした程夫婦であるが、肖子墨を気遣っての言葉、怒りを抑えて何も言わなかった。

そんな三人の機微を察した肖子墨は微笑を浮かべて寝室に向かおうとしたが、


「皆の者、劉兄妹を見なかったか」


と屋敷に踏み込んできた者がいた。


やや顔を赤らめて勢いよくまくしたてたのは、義兄弟きっての剣の使い手『落燕妙剣』応信(おうしん)である。燕も落とす剣技は筆舌に尽くし難く、その絶技を劉兄妹に伝えようと付きっきりで剣を教えているのである。しかし、この双子は応信以外の『獄門七科人』にも技を習っており、剣でかなわなくても、軽功や内功の術で時々あっと言わせる。此度は肖子墨に習った軽功の術をもって、応信の目を盗んで稽古途中に抜け出したのだ。


ぺろっと舌を出して己の背に隠れた劉兄妹に事情を察した肖子墨は、肩を落として溜息をつき、応信に詫びた。


「すまぬ応弟、この二人は私の心労を気遣って抜け出したのだ。責めるなら私を責められよ」


こう言われては怒るわけにいかず、応信はとんでもないと恐縮するのみである。


この四人は掛け値無しに肖子墨を尊敬しており、普段はとても聞き分けがよく、火の中水野中の勢いである。


「いつだって肖おじさんには聞き分けがいいのに、何故『武君七侠』との一件には反対なんです」


劉白亀が問いかけると、途端に四人は苦い顔になった。無論、肖子墨の頼みとなれば首を縦に振るものだが、こればかりにはどうしても二つ返事は出来ない。誰もが誰も、武林の住民に痛い目に遭わされており、信用していない。音に聞こえし大侠達であってもそれは変わらないのだ。


「何、兄弟達の心は分かっている。私とて無理強いはしたくないのだ。もしもの時はわたしが九華山に向かって謝罪して来よう」


この言に反対派の四人は一斉にそんなことしないで欲しいと言ったが、意見は変えない。肖子墨とて、面子を盾に脅しかけようとした訳ではなくそれ以上は謝罪しようなどと口にしないと言った。


その代わり真心に乞うことにした。


「兄弟たちよ、『武君七侠』との和解は何も自分の身可愛さでは無いのだ。何を隠そう我らが劉兄妹のためである」


突然の肖子墨の言に反対派の四人が驚くまいことか。件の劉兄妹の驚きはそれ以上である。


口を開けたまま固まった一同を前に、肖子墨は続けた。


「我ら天征派の門弟達が『獄門七科人』と謗られて早十五年。二人を除いた我ら五人の罪はもはや贖いきれぬ。しかし、劉兄妹になんの罪があろう。数奇な生まれ故にその名を忌み嫌われ、生まれながらの罪人の印を押された。それを許すまいことか。例え天が望んでも我らが許すまいことか」


平時は穏やかな肖子墨が珍しく怒気を孕んで叫ぶ。その心の内を深く理解している義兄弟四人は同じように、


「ああ、我らが決して許さぬ」


と声を揃えた。


「例えこの血に変えても、我らはこの汚名を注がねばならぬ。『武君七侠』との和解はその為の好機なのだ。かの大侠達であれば故を話せばきっと許してくださる。我らが許されなくても、劉兄妹だけは。ならばどうして迷うことがあろうか」


肖子墨の激に反対派の四人は強く心を動かした。彼らとて、劉兄妹を我が子のように可愛がってきた。加えて敬愛する肖子墨の真なる義侠の心からの言である。


最初に口火を切ったのは程梅喜。長らく子を授からなかった為、劉兄妹を本当の子と思って接しているからだ。


「大兄のおっしゃる通りにします」


続いて程江夏、妻に続いた。そこに人一倍師弟の念が強い応信、肖子墨を誰よりも尊敬している忠稔志と続いた。


『獄門七科人』満場一致での『武君七侠』との和解に望むことになったのだ。


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