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09:エステルの覚悟と現状

 


 未来の公爵夫人ともなれば学ぶべきことも仕事も多い。

 田舎村でのんびり過ごしていた日々が嘘のように、これからは目まぐるしい 日々を過ごすのだろう。


 ……と多忙な生活を覚悟していたのだが、エステルの日常は田舎村に居た時とあまり変わらず長閑なものだった。


 もちろんクラヴェル家の歴史や公爵夫人として振る舞うためのマナーを学んだりはしている。

 だがそれも午前に一時間、午後に二時間だけ。椅子に座って、話を聞いて、ふむふむなるほどと頷いていたらあっという間に終わりだ。もっと頑張れると申し出ても、講師達はみな「無理をさせるなと言われております」と苦笑を浮かべて去ってしまうのだ。

 その後は自由時間。本を読んでも良いし、庭園で過ごしてもいい。




「田舎村の貧乏令嬢が公爵夫人になるんだもの、多忙で苛酷な生活だと思っていたわ。本を頭に乗せて歩かされる覚悟だってあったのよ」


 そうエステルが肩透かしだと話すのは、昼食を終えた長閑な時間。

 黒薔薇が咲き誇る庭園の一角。そこに置いてあるテーブルセットに腰掛け、膝に乗せたギデオンの腹を撫でながら訴える。

 それを聞くのはテーブルセットの隣に控える側仕えのライラだ。空になったティーカップに紅茶を注ぎつつ苦笑を浮かべている。


「お昼にアレンに話してみたの。私もっと頑張れるから、勉強の時間を増やしましょうって。それに仕事も手伝えるし、クラヴェル家の役に立てるわ。……って」

「アレン様はなんと?」

「『きみに無理をさせる気はない』ですって。そのうえ『生活が急変したんだ、ゆっくりと学べばいい』とも言われたわ」


 エステルが参ったと言いたげに肩を竦めた。



 クラヴェル家に来てから一ヵ月。アレンとは常に一緒で甘い時間を過ごしている。……とは残念ながらいかず、彼と過ごすのは食事の時間ぐらいだ。

 もっと二人の時間をと考え「お茶をしましょう」「一緒に出かけましょう」と積極的に誘ってはいるのだが、彼は一向に応じてくれない。

 かといって露骨に嫌悪や拒否の姿勢を見せるわけではなく、それとなく断りを入れ、自分と居るより話が弾むだろうとライラを呼び出してしまうのだ。おかげで、この一ヵ月でライラとの距離はぐっと縮まった。


(ライラと仲良くなれたのは嬉しいわ。……でも、私はアレンとも仲良くなりたいの)


 ギデオンの腹を撫でつつ、エステルが溜息を吐く。

 今頃彼は自室で読書をしているのだろうか。先程もお茶をしようと誘ったのだが、「あと少しだから読み終えてしまいたい」と断られてしまったのだ。結果、黒薔薇の庭園でライラとギデオンと過ごしている。

 このまま別々に午後を過ごし、夕食時に少し会話をし、そして終わりだ。

 もちろん寝室も別である。せいぜい就寝の挨拶を交わすぐらいだ。「これが婚約者の距離なの?」と何度ベッドの中で首を傾げただろうか。


 確かにまだ正式な夫婦ではなく、婚約披露のパーティーも開いていない。

 ゆえに性急に求められても困るのだが、かといってこの距離は遠すぎる。これでは婚約者というよりは客人。いや、客人だってもっと頻繁に接するだろう。

 今の状況は客人未満。『同じ屋敷で生活している人』ぐらいである。


「アレンは私の事が嫌いなのかしら……」

「そんな事はありません。アレン様は、エステル様の正体を知っても……いえ、何でもありません!」

「ライラ、どうしたの?」

「と、と、とにかく! アレン様はエステル様を大事に思っております! あらお茶がもうない、新しく淹れてまいります!」


 あわあわとライラが去っていく。その後ろ姿をエステルは首を傾げながら見送った。

 この一ヵ月でライラとは親しくなれた。さすがにお互いの立場があるので『姉妹のように』とまではいかないが、彼女は自分を心から慕ってくれている。そして自分もまた、ライラが一緒にいると家族と過ごしていた時のような温かさを感じていた。


 それと同時に、彼女が些かおっちょこちょいであわてんぼうという事も早いうちに知った。

 常にあわあわと忙しなく屋敷内を移動し、棚からものを取ろうとして床に落としたり頭をぶつけることは日常茶飯事。「頼まれていた本を持ってまいりました」と手ぶらで部屋を訪れることもあった。

 そして先程のように何か失言しかける事も多々ある。言いかけ、はっと息を呑み、口を押さえ、そそくさとその場から去ってしまうのだ。もしくはメイド仲間に口を押さえられ、引きずられて部屋を出ていくことも。


(だけどいつも最後までは聞けないのよね。いったいライラは何を言いかけているのかしら……)


 戻ってきたらそれとなく言及してみようか。だが自分より年若い彼女を問い詰めるのは気が引ける。

 きっとあわあわと慌てふためき、逃げ道を探し、そして主人を前に嘘を吐くことも出来ずに項垂れてしまうだろう。三つ編みが力なく垂れる姿は見ているこちらまで辛くなる。


「ライラを問い詰めるのは駄目ね。意地悪な公爵夫人と思われたら嫌だわ。となると、他のメイドか執事から聞きだすか……ドニは手強そうなのよね……。あら」


 庭園の一角からこちらに歩いてくるレディの姿を見つけ、エステルが独り言を止めた。

 暖かな日差しの中、黒薔薇が咲き誇る庭園を黒猫が颯爽と歩く。色合いから不吉と考える者もいるかもしれないが、エステルの目には美しく映るだけだ。

 膝から降りようとするギデオンを抱きしめて宥め、「レディ、ごきげんよう」と彼女を呼んだ。


「貴女なら何か知ってるかしら。ねぇ、一緒にお茶をしない? 聞きたいことがあるの」


 どうかしら、と誘いの言葉を掛ける。

 だがレディは相変わらずツンと澄ましたまま、ゆらゆらと尻尾を揺らして素通りしてしまった。金色の瞳は今日もこちらを一瞥するだけだ。


「相変わらずつれない子。あら、ギデオン駄目よ」


 抱きしめて止めていたギデオンが我慢出来ないと活発に動き、身を捩るとするりとエステルの腕の中から抜けて地面に降りてしまった。

 トンと見事に着地すると、その勢いのままレディのもとへと走っていく。

 対してレディは近場にあったオブジェまで駆け寄りぴょんと飛び乗った。猫らしい身軽さだ。そこでちょこんと座って毛繕いを始めてしまう。哀れレディ程はジャンプが出来ないギデオンはオブジェの足元を飛び跳ねころころと転がっている。

 吠えてはいけないと分かっているがレディを呼びたいのだろう、ワフッワフッ!と吠えるとも鳴くとも違う声を出す様のいじらしさといったらない。もっとも、それを聞いてもレディは一瞥すらしないのだが。


「ギデオンってば見事に弄ばれてるわね。粘ってもレディは遊んでくれないわよ、戻ってらっしゃい」


 エステルが声を掛けるも、遊びたい盛りの子犬は応じない。

 オブジェの足元でコロコロと転がっていたかと思えば、今度は吹き抜ける風に舞う花びらを追いかけて走り去ってしまった。どうやら興味は一瞬にしてレディから花びらに切り替わったようだ。

 なんて元気いっぱいで可愛らしいのだろうか。

 仕方ないとエステルは立ち上がり、オブジェの上でこちらを見つめてくるレディに「ライラが戻ってきたら説明しておいて」と告げてギデオンを追いかけた。




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