08:身代わり令嬢
「長旅で疲れただろう。少し休むと良い」
アレンに告げられ、彼の指示のもとライラに案内されて用意されていたエステルの自室へと向かう。
広く、そして日当たりの良い部屋だ。調度品はどれも上質なもので揃えられており、濃紺色を中心とした色合いでも室内に重苦しさは感じられない。むしろ窓から入り込む眩しさを濃紺色が程よく和らげてくれている。
壁沿いに置かれた本棚も、掛けられた絵画も、ソファに置かれたクッション一つとってもセンスの良さを感じさせる。
素敵な部屋、と呟き、ライラに感謝を告げてトランクを受け取った。
「今お茶をお持ちします。あと、その……ギデオン様には……」
「ギデオンで良いわ。そうね、お水をお願い」
「はい。あと、レディのご飯で食べられそうなものがあればお持ちします」
動物の話題なら緊張も解けるのか、ライラの声色は先程よりは幾分明るい。
次いで彼女は一度深々と頭を下げて部屋から去っていった。
そうして部屋に一人になり、深く息を吐いた。
「跳ね回りたいのを我慢して肩が凝るかと思った」
冗談交じりに話し、バスケットからギデオンを抱き上げる。
ぎゅっと抱きしめてクルクルと回れば、主人の興奮が伝わってきたのかギデオンも嬉しそうに尻尾を振りだした。
そうして二人……もとい、一人と一匹揃って、ベッドへと倒れ込む。
ボスンと音がするが痛みはない。柔らかなベッドだ。肌触りも滑らかで心地良い。
ギデオンがぴょんと跳ねるように立ち上がり、ふんふんと周囲を嗅ぎ始めた。シーツを嗅ぎ、枕を嗅ぎ、ベッドから降りてあちこち隈なく嗅いで回る。主人の新しい部屋に怪しいものは無いかと確認しているのだ、なんて頼もしいのだろうか。
そんなギデオンを横になりながら眺め、エステルはほっと吐息を漏らした。
市街地で助けてくれた黒衣の青年はアレン・クラヴェルだった。
なんて素敵な出会いだろうか。王都での出会いを『私にはアレンがいるから、素敵な出会いとは言えない』と考えていた自分に話してやりたいぐらいだ。
そのアレンは終始考え込むような素振りを見せていたが、きっと緊張していたのだろう。
(大丈夫。時間はいっぱいあるんだし、きっと打ち解けて素敵な夫婦になれるわ)
こんなに素敵な出会いを果たしたのだ、今以上に素敵な未来が待っているに違いない。
そう考えてエステルは窓から入り込む爽やかな空気をゆっくりと吸い込み……、うとうとと微睡む意識に従って目を閉じた。
◆◆◆
ライラに案内されてエステルが部屋を出ていった直後。
盛大な溜息を吐いたのは執事のドニ。眉間に皺を寄せており、体躯の良い彼が険しい顔をすると迫力は一入。女性はおろか、並の男でも臆してしまいかねないほどだ。
もっとも主人であるアレンはそれに臆するわけがない。かといって感情を露わにする執事を咎めることもなく、「エステルか……」と先程まで向かいに座っていた令嬢の――そして婚約者の――名前を口にした。
「アレン様、まさかあの女性が本物のエステル・オルコット様だとお思いですか? 護衛も着けずに市街地で食べ歩きをし、厄介事に首を突っ込み、果てにはトランクを自ら持って辻馬車に一人で乗るような女性が?」
「躍起になるな。それに厄介事は元々こちらが起こしたものだ。なにより、彼女が自らをエステル・オルコットと言っているのだから、きっとエステル・オルコットなんだろう」
「それで納得できるわけがありません」
アレンの返事に、ドニが眉間の皺をより深くさせて返す。
これが主人相手でなければ胸倉を掴んで詰め寄りかねないほどだ。
見兼ねたアレンが肩を竦め、一言「落ち着け」と宥めて話し出した。
「彼女はエステル・オルコットの身代わりだろうな」
「……身代わり?」
「本物のエステル・オルコットが僕との婚約を嫌がったのだろう。だがオルコット家がクラヴェル家の婚約を断れるわけがない。それに公爵家からの縁談は断るには惜しい……。だからこそあの少女を寄越したんだ。出自はメイドか、それとも村の娘か。なんにせよ、この幽霊屋敷に売り払われたんだから可哀想な話じゃないか」
己の屋敷を『幽霊屋敷』と言い捨て、アレンが肩を竦める。
憐れみと自虐が綯交ぜになった声色だ。……自分と結婚させられることへの憐れみと、身代わりを立てられるほど結婚を嫌がられる己への自虐。
それに対して、ドニが「なんてことを!」と怒りの声をあげた。アレンの膝に乗ってゴロゴロと喉を鳴らしていたレディが驚いたように顔を上げる。だがすぐさまアレンの手に頭を撫でられて心地良さそうに目を細めた。
「ドニ、そう大きな声を出すな。レディが驚くだろう」
「何を暢気なことを仰っているのですか! これはアレン様への侮辱、クラヴェル家への冒涜。今すぐにオルコット家に遣いをやり、本物のエステル・オルコットとそれを良しとした不届き者の当主を引き摺り出し、愚行を白日の下にさらさねばなりません!」
ドニの怒りは相当なものだ。
アレンが一言「それなら頼む」と告げれば、彼は直ぐにオルコット家に遣いを出すだろう。むしろ自ら馬に跨りオルコット家を目指すかもしれない。
そんな怒りを露わにするドニに対して、アレンはいまだ怒りの気配を見せず、それどころか「だから少し落ち着け」と再び宥めた。
「オルコット家に使いを出す必要はない」
「まさかあの娘を受け入れるおつもりですか」
「彼女が自らをエステル・オルコットと名乗っているんだ。無理に暴く必要はない」
「ですが、それではあまりにもアレン様が……」
先程の怒気は消え失せ気遣うようなドニの言葉に、アレンは小さく溜息を吐いて首を横に振った。
諦めと自虐を綯交ぜにしたその仕草に、ドニが眉根を寄せる。歯痒そうな表情だ。だがそれ以上なにも言わないのは、主人が決めたことならばこれ以上は口出しするまいと考えたからだろう。
「肖像画は屋根裏にでもしまっておいてくれ。それと、彼女の出自を疑わぬよう、屋敷の者達にもよく言い伝えておくように」
「……かしこまりました」
「レディ、お前もよろしく頼むよ」
アレンが膝の上に寝そべる愛猫に話しかける。
その声色はやはり落ち着いており、婚約を拒否された事を嘆くでもなく、偽物の娘を宛がわれた事を怒るでもない。
それどころか僅かに楽しそうな色さえ見せ、ふっと小さく笑みを零した。
「偽物の婚約者か……。幽霊屋敷の引きこもり公爵にはお似合いじゃないか」