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07:幽霊屋敷の公爵

 


「……きみは、あの時の」


 唖然としたように青年が呟く。

 濃紺の髪に同色の瞳。黒を基調としたスーツには胸元に銀糸の美しい刺繍が施されている。

 深い色合いの髪と瞳、そして品の良いスーツを着こなす姿。整った顔付きもあわさり大人びた雰囲気を与える青年だ。


 彼は驚いたと言いたげにエステルを見つめている。

 その視線にエステルははたと我に返り、慌ててスカートの裾を摘まんでお辞儀をした。


「エステル・オルコットと申します」

「きみが、エステル……?」

「えぇ、私がエステル・オルコットです」


 他にもエステルを名乗る同名の女性は山のように居るだろうが、少なくともこの場で話題に出されるエステルは自分の事だ。

 そう考えてエステルが言い切るも、どういうわけか青年は怪訝な表情をしている。眉根を寄せ、考えを巡らせ、それでもと胸元に手を添えると名乗った。


 アレン・クラヴェル。


 クラヴェル公爵家当主。

 この屋敷の主人であり、そしてエステルの婚約者、未来の夫だ。


 彼の名乗りを聞き、エステルは己の胸が一瞬にして歓喜に満ちるのを感じた。

「こんな素敵な事って無いわ!」と今すぐに飛び跳ねたいくらいだ。きっと今自分の紫色の瞳はこれでもかと輝いているだろう。鏡を見なくても分かる。

 だが流石にここではしゃぎ回るわけにはいかず、ぐっと堪えてアレンへと向き直った。


「さっきはありがとうございました。アレン様が守ってくれなかったら、きっと怪我をしていました」

「……いや、むしろうちのメイドが迷惑を掛けた。屋敷の案内は彼女に任せよう。ドニ、ライラを連れてきてくれ」


 アレンが執事服の男に命じれば、ドニと呼ばれた彼は一礼して部屋を去っていった。



 そうして応接間にはエステルとアレンだけが残された。……それと、いまだバスケットの中で眠っているギデオンも。

 ソファに座るよう促されて応じればアレンもまた向かいに腰掛ける。彼は些か難しい顔をしているが、エステルはきっと緊張しているからだと判断し「あの」と声を掛けた。

 濃紺の瞳がこちらを見つめてくる。深い色合い、見つめていると吸い込まれそうだ。


「アレン、って呼んでも良いでしょうか。それともやっぱりアレン様の方が良いですか? あなた、……これはちょっと早すぎるわね」

「アレンで構わない。それに敬語もいらない」


 気を遣わなくて良い、とアレンが言い切る。

 素っ気ない言葉遣いではあるが、それでもエステルは親しみを込めて「アレン」と彼を呼んだ。

 濃紺の瞳が意外そうにこちらを見つめてくる。


「それで、きみのことは……」

「私? 私のこともエステルで良いわ」

「そうか、エステルか……」


 考え込むような表情でアレンが返事をし、その後は黙りこんでしまった。


(まだ緊張しているのかしら。もしかして未来の奥さんを前にして照れてる? 落ち着いた雰囲気の大人びた方だと思ったけど、意外と初心なのね)


 ふふ、とエステルが小さく笑みを零した。

 アレン・クラヴェルは実年齢以上の落ち着き払った態度を見せる青年だ。だが未来の伴侶に対して照れて言葉をうまく紡げずにいるとなれば、見た目とのギャップを感じてしまう。もちろん良い意味でのギャップだ。

 そんな愛でる気持ちで彼を見つめていると、さすがにこのままだんまりは失礼と考えたのか、アレンは渋い表情を浮かべたまま、それでも改めてエステルへと視線を向けてきた。


「……どうして市街地を一人で歩いていたんだ?」

「馬車が途中で壊れてしまったの。だから辻馬車を拾おうと思って」

「荷物もあって大変だったろう。……ほかに荷物は?」


 エステルの傍らにはトランク一つとバスケットしかない事に気付き、アレンが不思議そうに尋ねてくる。

 それに対してエステルは「これだけよ」と断言した。アレンの表情がまたも意外だと言いたげなものに変わる。


「これだけって……。トランク一つか?」

「トランク一つと可愛い子犬。これで十分だわ。それに、手紙に『こちらで全て用意する』って書いてくれたじゃない」

「あぁ、そうだったな……」


 自分で書いた文面を思い出したのか、アレンが小さく頷いた。

 控えめなノックの音が響いたのはちょうどその時だ。アレンが返事をすれば扉が押し開かれ、そこからドニと、そして一人の少女が顔を覗かせた。

 市街地でエステルが助けた少女だ。綺麗に結ばれた三つ編みがメイド服とよく似合っている。

 彼女は「お待たせいたしました」と恐る恐るといった様子で室内に視線をやり、そしてソファに座るエステルを見つけるときょとんと眼を丸くさせた。


 そんな彼女を気遣ってか、アレンが宥めるような声色で少女を呼んだ。


「ライラ、彼女はオルコット家のエステル。エステル、彼女はメイドのライラだ。きみの身の回りのことは彼女に任せようと思う」

「エステル様? 貴女が……」

「えぇ、私がエステル・オルコットよ。よろしくね、ライラ」


 エステルが微笑んで告げる。

 だがライラは眉尻を下げた困惑の顔を浮かべ、エステルとアレンを交互に見始めた。「アレン様……」と小さく主人を呼ぶ、その声のなんと弱々しいことか。


(ライラも緊張しているのかしら。でもアレンと結婚をしたら私は彼女の主人になるわけだし、緊張するのも無理はないわね)


 見たところ、ライラはエステルよりも若い。

 きっとメイドとして働き始めたのも最近なのだろう。新たな主人を前にして緊張してしまうのも無理はない。

 もちろんエステルはそれを失礼だとは思わないし、未熟なメイドを着けられたと怒ることもない。むしろ年の近いメイドを側仕えに着けてもらえるのは有難いことだ。


 仲良くなれるかしら、とエステルが心の中で呟く。

 次いでふと顔を上げたのは、不思議な音が聞こえてきたからだ。カリカリとなにかをしきりにひっかくような音。

 その音を聞き、誰もが扉へと視線をやった。ドニが扉を開ければ、隙間からスルリと入り込んだのは……一匹の黒猫。

 自分以外の動物の気配と匂いを感じ取ったのか、バスケットの中で眠っていたギデオンがキュンと小さく鳴いて顔を上げた。


「やぁレディ、来てくれたのか」


 アレンが優しい声色で猫へと話しかける。先程までの怪訝な表情が嘘のように、黒猫へと向ける表情は随分と柔らかい。

 レディと呼ばれた黒猫は優雅な歩みでアレンへと歩み寄ると、ぴょんと彼の膝に飛び乗った。

 美しい毛並みの猫だ。アレンの手に撫でられ、金色の瞳をうっとりと細めている。


「レディ?」

「あぁ、この子の名前だ。レディ、彼女はエステル」


 アレンの口調はまるで人間相手のようだ。むしろ今日一番穏やかで優しい声色である。

 それを聞くレディはちらとエステルに視線を向けるだけで、すぐさまアレンへと向き直ってしまった。彼の話を分かっていないのか、むしろ分かったうえで興味が無いと言いたいのか。

 つれない態度、とエステルは心の中で呟いた。次いで隣に置いたバスケットの中へと視線をやる。

 先程まで熟睡していたというのにギデオンはすっかりと目を覚ました様子で、バスケットの縁に前足を掛けて身を乗り出している。視線の先にいるのはレディだ。もっとも、レディはギデオンに対しても一瞥だけで済ませてしまったが。


「良かったわねギデオン、素敵なお嬢さんがいるわ」


 仲良くしてね、と声を掛け、ギデオンをバスケットから抱き上げて膝の上に乗せる。

 興奮しているのか寝起きで元気が有り余っているのか、最初こそレディの方へと行こうとしていたが、それはぎゅっと抱きしめることで制止した。「じっとしていて」と告げればきちんと膝の上に留まるのだから、母犬ポーラに似て聡明な子だ。


「この子はギデオン。ギデオン、彼はアレンよ」


 先程のアレンの紹介を真似れば、それが分かったのかアレンが少しばかり表情を緩めた。

 ふっと小さく息を漏らして笑う。穏やかで温かみのある表情だ。


 次いで彼は再び考えるように黙り込み、しばらくレディを撫で……そして深く息を吐いた。

 何かを決めたと言いたげな表情だ。


「これからよろしく、エステル」


 アレンが穏やかに微笑む。

 その背後ではドニが険しい顔をし、ライラが困惑しつつアレンとエステルを交互に見やる。

 なんともいえぬ温度差のある反応ではないか。


 それでもエステルはアレンの歓迎の気持ちが嬉しく、そしてこれからの彼との幸せな日々に胸を弾ませ、


「よろしくね、アレン」


 そう微笑んで返した。




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