06:森の中の幽霊屋敷
街中で見つけた辻馬車でクラヴェル家へと向かう。
屋敷は鬱蒼とした森の中にあり、道こそ整えられているが人気はない。辻馬車の御者もエステルから目的地を聞いた際には「本当に行くんですか?」と尋ね返してきたほどだ。
そんな御者に「本当に行くのよ」とはっきりと返し、公爵家の敷地の手前……、どころか「幽霊屋敷には近付きたくない」と訴える御者により随分と手前で降ろされてしまった。よっぽどの怯えようで、エステルを下ろした後も逃げるように去ってしまったのだからよっぽどである。
そうして屋敷を目指して歩き出したのだが、さすが公爵家、敷地の広い事と言ったらない。
門番の姿も見当たらず仕方なしに敷地内に入ったものの、肝心の屋敷まで距離がある。
「前途多難と取るべきかしら。それとも多少のアクシデントは旅にはつきものと考えるべき? 今歩いていることに関しては、アレンとの顔合わせを前に落ち着く時間が取れたと考えるのが良いかも」
そうしましょう、と自分に言い聞かせる。
何事も前向きに考えるべきだ。
「それに、さっきのアクシデントは危なかったけどロマンチックだったわね。可憐な令嬢を助ける寡黙な青年……。なんだか恋が生まれそう。あ、でも私にはアレン・クラヴェルが居るんだもの、『素敵な出会いだったわ』なんて言ったら駄目ね。ねぇギデオン、今のはアレンには内緒にしてね」
青年から渡されたハンカチを手に、エステルは独り言ちながらバスケットの中へと話しかけた。
そこではギデオンが丸くなっており、エステルが名前呼べば顔を上げるものの、すぐさまポスンと頭を落としてしまう。
どうやら眠いらしい。ついさっきまで爛々としていた目もいまはとろんと眠たげで、試しにとエステルが頭をこちょこちょと擽るとそのまま眠りについてしまった。
「ギデオン、あと少しでクラヴェル家よ」
起きて、と優しく囁きつつ、眠るギデオンの頭を撫でてやる。もちろんその程度で熟睡する子犬が起きるわけがなく、むしろ心地よさそうに眠りを深めるだけだ。
小さなお腹が上下し、耳を澄ませば寝息まで聞こえてくるではないか。
「可愛い」
思わず呟いてしまう。
早くふかふかのクッションで眠らせてあげたいと歩みが自然と早くなる。
そうして足早に、それでいてギデオンを起こさないよう気を付けて歩けば、あっという間に屋敷の前までたどり着いた。
鬱蒼とした森の中にある屋敷。外壁や飾りのすべてが黒と濃紺を基調としており、陰鬱とした空気をより濃くしている。庭園には花が咲いているものの、それも黒薔薇というからよっぽどだ。
仮に森に迷った者が真夜中にこの屋敷に辿り着いたとして、はたして助かったと思うだろうか。鬱蒼とした屋敷の空気に震え上がり野宿を選ぶかもしれない。
(なるほど、これは幽霊屋敷と噂されても仕方ないわね。でも落ち着きのある素敵なお屋敷だわ)
暗い色に支配され陰鬱とした空気が漂っており、幽霊屋敷と言われ恐れられるのも納得だ。
だがよくよく見れば屋敷は古いながらもきちんと手入れをされており、庭園の黒薔薇だって美しく咲き誇っている。
確かに公爵家の屋敷と言われて想像する華やかさは無いが、むしろこの森の中にそんなものを構えたら景観を損ねてしまうだろう。
「森の中の古城、そこで愛を紡ぐ私とアレン……。なんだか物語に出てくるお姫様と王子様みたいじゃない」
素敵、と浮かれるエステルの足取りは軽く、今にもスキップでもしそうだ。
◆◆◆
屋敷の正面扉の前に立ち、コンコンとドアノッカーを鳴らす。
待つこと数分。ギィと古めかしい音をたて、扉がゆっくりと開かれた。
「どなた様でしょうか」
出て来たのは執事服を纏った男。年は三十歳前後だろうか。
しっかりとした体躯に執事服は些かきつそうだ。銀色の髪に青色の瞳はただでさえ冷ややかな印象を与えるのに、更に視線は厳しく警戒するようにエステルを見つめてくる。
そんな男の問いかけに、エステルは胸を張って答えた。
「エステル・オルコットよ。遅れてしまったお詫びに、出迎えが無かった事は許してあげる」
お相子にしましょう、とエステルが告げる。
本来ならば、未来の夫人が到着したならば出迎えの一人や二人寄越すべきだ。むしろ到着前から屋敷の前で待ち構え、馬車が着くなりお待ちしておりましたと歓迎し、荷物を持ち、屋敷に通すのが普通ではないか。
だというのに屋敷の敷地内に着いてもメイドの一人も出てこなかった。門番も居なかったので到着を知らせる術も無かったのだ。
だがエステルに非が無いわけではない。馬車の故障、おまけに市街地を楽しんだ挙げ句に騒動に巻き込まれ、更には辻馬車には屋敷のだいぶ手前で下ろされ……と到着時間が予定より些か遅れてしまった。
だからこそ、ここはお互い水に流そうとエステルが話せば、執事服の男は青色の瞳を丸くさせた。
「エステル……、エステル・オルコット様……ですか」
「えぇ、そうよ。こっちは連れのギデオン。ほらギデオン、起きて、挨拶をしましょう」
バスケットを軽く揺らしてギデオンを起こす。
だというのに可愛い子犬はぐっすりと眠っており、揺らしても、それどころか鼻先を擽っても起きない。ぺろりと舌を出してエステルの指を舐めるだけだ。これはもう少し寝かせておいた方が良いだろう。
「……では、こちらへ。今アレン様をお呼びしますので……」
「えぇ、お願い」
歯切れの悪い話し方をする執事服の男に案内され、通されたのは応接間。屋敷の外観同様に年期を感じさせる部屋だが、それがかえって厳かな落ち着きを漂わせている。
絢爛豪華とは言い難く、公爵家の屋敷の一室にしては質素と思われるかもしれない。だが見る者が見れば、調度品や壁に飾られている絵画にセンスの良さを感じるだろう。この部屋も黒と紺色で揃えられているあたり、屋敷の内外ともに統一されているのかもしれない。
応接間に入り、執事に促されてソファに腰掛ける。
「少々お待ちください」と告げて去っていくのを見届け、部屋にはエステル一人。……正確には、エステル一人とギデオン一匹。
「なんだか変な反応だったわね。でもこれが普通なのかしら。嫁入りしたことがないから分からないわ。貴方のお母様の時は、毎日昼になるとうちの庭にお父様が入りびたっていて分かりやすかったんだけど」
ねぇギデオン、といまだ寝ているギデオンの鼻を擽りながら話しかける。
もちろんこれは犬の話だ。ギデオン達の父親は毎日昼になるとオルコット家の庭に入り込み、母犬ポーラに付き纏っていた。「なんて熱心なアプローチ、ラブロマンスだわ」と、そんな事を話しながら見守って数ヵ月後、ポーラのお腹が大きくなりはじめ、そしてギデオン達が生まれたのだ。
犬は分かりやすくて良いわね、と羨めば、それとほぼ同時に扉がノックされた。
ドキリとし、それだけでは足りないと思わず反射的に立ち上がる。
ゆっくりと扉が開かれて、そこから姿を現したのは……。
「……っ! 貴方は!」
そこに居たのは、先程助けてくれた黒衣の青年だった。




