33:新たな肖像画
すっかりと変わってしまった場の空気に、エステルは以前にドニに言われたことを思い出した。
『アレン様が白いと仰ればレディも白猫に、黒いと仰ればギデオンも黒犬になります。そして、アレン様が仰れば誰であろうとエステル様になります』
まさにあの言葉の通りだ。
違うことと言えば、ドニは『この屋敷において』と言っていたが、結果的に見ればアレンの影響力は屋敷に留まるものではなかった点か。アレン・クラヴェルはやろうと思えば社交界中の黒猫を白猫に変え、クリームカラーの犬を黒犬に出来るのかもしれない。
「貴方達、今の毛色のままで居たかったらアレンの機嫌を損ねない方が良いわよ。下手すると白猫と黒犬にされちゃうわ」
そうエステルが冗談めかして話せば、足元にいたレディもギデオンもきょとんと眼を丸くさせる。
アレンだけはこの冗談に楽しそうに表情を和らげ「その時は僕は金の髪になろう」と悪戯っぽく笑った。
そんな二人の姿にさえも客達は「仲睦まじい」「似合いの夫婦だ」と話しているのだ。もはやエステルには彼等の手のひら返しの速さを言及する気も起きない。
「エステル!」
と呼ぶ声が聞こえてきたのは、鳴り止まないと思われていた拍手がそれでも次第に落ち着き始めた頃。
エステルがその声を聞きつけて声のした方へと顔を向け、そこに立つ人物を見つめて「お父様、お母様!」と声をあげた。
来賓達が道を開け、そこを通ってこちらに近付いてくるのはエステルの両親、オルコット家夫妻だ。田舎村では動きやすい服装ばかりの二人だが今はきちんとした正装を纏っている。
「エステル、遅くなってすまない。パーティーなんて今まで数えるほどしか出ていなかったから、何をどうして良いのかすっかり忘れてしまってな」
「途中で馬車も壊れちゃったから、ここまで辻馬車で来たのよ」
困ったものだと両親が笑う。その口調も声色も表情もまったく困った様子ではないのだが。
次いで彼等はアレンに対して改めて挨拶をしてきた。今まで手紙でのやりとりこそしていたが、こうやって顔を合わせるのは初めてである。
どことなく、どころか見て分かるほどに両親が緊張しているのは、いくら娘の伴侶とはいえ公爵を相手にしているからだ。とりわけ今はアレンが主催している絢爛豪華なパーティーの最中なのだから、村の広場でのお祭りが限度の田舎貴族は格の違いを感じてしまうだろう。
そんな両親のぎこちない姿に、エステルは「しまった」と心の中で呟いた。
いくらアレンは公爵とはいえ両親とは一回り年下どころか親子ほど年齢が離れている。そんな相手に緊張を隠し切れずにいる両親の姿に貴族らしさはない。
彼等の胸中をエステルは理解出来るし仕方ないと思える。
だが周囲は、アレンは、両親を見てどう思うだろうか?
貴族の振りをしているだけ。
それすらも緊張してままならない。
……そう考えてしまうかもしれない。
なにせ今この場にいるのは公爵と、そして公爵家主催のパーティーに呼ばれるだけの身分ある者達ばかりなのだ。
「アレン、二人は私の本当の両親なのよ。変な勘違いをしないでね」
「勘違いなんてしないさ。彼等は正真正銘きみの両親だ。顔付きも似ているし、なにより雰囲気が同じだ。暖かくて明るい、僕には眩しいとすら感じるよ」
アレンの口調は落ち着いており、そして両親に対しての好意が窺える。
彼が自ら言った通り疑ったりはせず、今この場にいる二人がエステルの両親だと確信を得ているのだろう。
……もっとも、それはきっと『自分がエステルだと言い切る偽物のエステルの両親』なのだろうけれど。
「あぁ、またややこしいことに……。あら、貴方は」
更に深まりそうな勘違いにエステルが呻き、だが次の瞬間、客達の中からこちらに近付いてくる青年に目を止めた。
見覚えのある青年。彼もまた畏まった正装をしてはいるものの緊張を隠し切れず、落ち着きなく周囲をの様子を窺いながら歩いている。その姿にもやはり貴族らしさはない。
だがそれも仕方あるまい。そもそも彼は貴族ではないのだ。
「貴方、私の肖像画を描いてくれた画家よね?」
「は、はい、そうです。お久しぶりですエステル様、この度はおめでとうございます」
「ありがとう。アレンと結ばれたのは貴方が描いてくれた肖像画のおかげよ!」
エステルが感謝を告げれば、画家が恭しく頭を下げた。
次いで手にしていた物へと視線を向ける。厚みはないがそこそこの大きさの箱。いったい何かとエステルは尋ねようとし……、「絵を持ってきたの?」と尋ねた。
「はい。恐れ多いとは思いましたが、お祝いの品に……、その……アレン様の肖像画をご用意いたしました」
「アレンの肖像画?」
「はい。オルコット様からこのパーティーの話を聞き、何か出来ないかと考えたところ、お二人からご提案頂きまして」
「わざわざありがとう。でもどうやってアレンを描いたの?」
「自分はこの土地の出身なんです。以前からアレン様のお話は伺っておりまして、たまにですが、市街地に出られた際にお見掛けした事もあります」
「そうなの?」
「えぇ、……本当に、たまにですが」
アレンは引きこもりだ。だが極稀ではあるが外に出る事がある。
思い返せばエステルも初めて彼と出会ったのは市街地だった。
どうやら画家はそんなアレンを何度か見かけた事があるという。更には先日エステルに連れられて市街地を歩くアレンの姿も見ていたらしい。
「画家の仲間が、アレン様が市街地にいらっしゃると教えてくれたんです。それにアレン様が市街地を訪問されるとそれだけで噂になりますから」
「アレンってば、引きこもりすぎるから一歩外に出るだけで珍しがられるのよね。そのうち『アレン・クラヴェルを見たら一日良いことが起こる』なんて言われるようになるかもしれないわ」
冗談めかしてエステルがコロコロと笑う。――これに対して引きこもりの自覚があるアレンは肩を竦めるだけだ。思う所がありすぎる、と言いたげな表情である――
どうやら画家は以前にアレンを見た時の記憶と、そして市街地で見かけた姿。更に今日のパーティーでエステルの両親よりも早めに到着したため、遠目からアレンを眺めて絵の調整をしていたらしい。
「さすがに細部までは描けず、まだ完成はしていないんです。ですがもしお気に召していただけたなら、お時間を頂ききちんと完成させ、エステル様の肖像画の隣に置いて頂けたらと思いまして」
「そこまで考えていてくれたのね。ありがとう、とても嬉しい。ねぇアレン、もちろん大歓迎よね?」
「あ、あぁ、僕はエステルが良いなら構わないが……」
なんとも画家らしい贈り物に、エステルは喜び感謝を示し、対してアレンは「肖像画……」と困惑を示している。チラと背後の肖像画に向けるアレンの視線には気まずそうな色さえある。
無理もない。アレンにとっての『肖像画』とは『奇跡のエステル』であり、そして彼の中での『本物のエステル・オルコットを描いた肖像画』なのだ。
だが困惑するアレンを他所に、エステルは僅かながら可能性を見出していた。
この画家はエステルを儚く繊細に描いていた。
面倒な勘違いの元と言えばそうなのだが、そもそも彼が描いてくれなければアレンとの縁談は無かったのだから文句はない。むしろ感謝しかない。
そんな画家がアレンを描けばどうなるか……。もしかしたら、とエステルは期待を抱き、「ぜひ見せて!」と画家を急かした。
「まだ未完成ですが」
話しながら画家が箱から肖像画を取り出し、それをアレンとエステルに見えるようにと向ける。
そこに描かれているアレンの姿を見て、アレン本人とエステルは同時に息を呑んだ。
濃紺の髪は夜の闇を絵具にしたかのように深く、切れ長の瞳は涼し気で凛とした麗しさがある。
これが未完成なのかと思えるほどの出来栄え。
なんて美しい……、
アレンの顔でありながら、明るい雰囲気を纏う爽やかな好青年の肖像画だ。
「これが……僕……?」
ポツリと呟いたアレンの言葉を聞きながら、エステルは心の中でガッツポーズを取った。




