32:アレンとエステルのパーティー
疑惑の視線が己に注がれるのを感じ、エステルは居心地の悪さを感じながら、それでも身を縮こませるまいと胸を張ったままアレンの隣に立った。
彼がそっと腰に手を添えてくる。穏やかな表情で心配など一つも無いと言いたげだ。
そんな彼に見つめられているとエステルの胸にも安堵が湧く。
たとえ布に隠されているものが肖像画だとしても、それが自分を元にしていても全く雰囲気の違う可憐な令嬢の肖像画だとしても、いったい何を不安に思う必要が有るのか。
アレンの隣に居るのは自分だ。彼が愛してくれているのは自分だ。その事実は揺らがない。
「先日の一件ではお騒がせして申し訳ない。今日はその事についてきちんと話をしたい。これが……ルゼール伯爵が話していた肖像画だ」
そう告げて、アレンが壁に掛かっていた布へと手を伸ばす。
黒薔薇と金色のリボンが飾られた濃紺の布。アレンの手がその布をゆっくりと捲り…、
そこに隠された、儚く繊細で麗しい令嬢の肖像画を露わにさせた。
「奇跡のエステル……」
ざわと周囲がざわつく中、エステルがポツリと呟いた。
あの肖像画は奇跡のエステルだ。屋根裏部屋にしまわれていた時と違い、今は立派な額縁に移されている。
明るい場所で改めて見てもやはり自分とは全く異なる雰囲気。瓜二つだが性格の違う双子、全く別の境遇で育ってきた生き別れの姉妹、世界中を探し回って見つめてきた外見だけは同じ赤の他人。無理やりな話ではあるが、そういった説の方が誰もが納得するだろう。
現に肖像画を見た来賓達は誰もがぎょっとし、肖像画とエステルに交互に視線をやった。その表情にも、瞳にも、疑いの色が濃くなっていく。
(動揺しちゃ駄目よ、エステル。堂々としていなきゃ)
己を律し、聞こえてくる疑惑の声を聞き流す。
アレンが陰口は聞き流すのが一番だと言った際は反論したが、今は別だ。今囁かれている疑惑は聞き流すべきもの。
『今だけは』聞き流すのだ。この後の為に。アレンを信じて。
そんなエステルの心臓がそれでもドキリと跳ね上がったのは、「ほら見ろ!」と声が上がったからだ。
声の主を探せばルゼールがこちらに向かって指を指している。勝ち誇ったような笑みに、彼の言わんとしている事など聞かずとも分かる。
「あの肖像画はどう見たって別人だ。公爵も皆の前でそれを証明しようとしているんだ!」
己の発言が正しかったとルゼールが訴える。
その言葉に感化されたのか、エステルに注がれる視線はより疑惑の色を濃くし、中には不届き者をと怒りさえ抱いて見つめてくる者も出始めていた。
広間の一角に身を寄せ合っているのはライラやメイド達だ。彼女達は不安そうにこちらを見つめている。エステルが不安を胸に泣き出しでもすればすぐさま駆け寄ってくるだろう。ドニも旗色が悪いと渋い表情をしている。
だがそんな視線に晒されてもなおエステルは臆することなく、胸を張ったままアレンの隣に立った。
(アレンの手は変わらず私の腰に添えられている。この手が離れていかない限り、不安を抱く必要はないわ)
そう自分に言い聞かせ、アレンへと視線をやった。
彼はじっとルゼールを見つめている。
濃い色合いの瞳。そこには迷いや躊躇いの色は無い。さりとて、以前に見たような、何もかもを無関係だと貫くような冷めきった色というわけでもない。
ルゼールの言葉を真っ向から受け止め、そして受け止めてなお動じずにいるのだ。
「ルゼール伯爵、貴殿は何の話をしているんだ。今日はエステルとの婚約を発表するためにパーティーを開いたんだ」
「何の話を、はこちらの台詞です。アレン様、この娘は」
「ルゼール伯」
ルゼールの話をアレンが名を呼ぶことで遮る。
「招待状にもこのパーティーの趣旨は書いてあったと思うが」
「ですが、どう見てもその肖像画は」
「伯爵。今夜は僕とエステルの婚約披露だ。他には何もない。貴殿が嬉々として暴くようなものも、なに一つない」
アレンの口調は淡々としているが底冷えする冷ややかさと言い知れぬ圧がある。静かな怒り。ゆっくりと流れる川のように優雅で、それでいて反論は一切許さぬ強さを秘めている。
更にアレンはその強さのままぐいとエステルを抱き寄せてきた。元より寄り添っていたエステルの体が彼にトンとぶつかる。
腰に添えられたアレンの手はしっかりとエステルを捕らえており、放すまいと、誰にも渡すまいと主張しているかのようだ。
小さくアレンを呼べば、彼は愛おしいと言いたげにエステルの額に唇を落としてきた。唇が放れる際に聞こえる微かなリップ音と囁くようにエステルを呼ぶ声は、先程までの冷ややかな口調が嘘のように穏やかで甘い。
「今夜のパーティーは婚約披露のためだ。エステルとの愛と将来と、そして二人で公爵家を支えていくと誓うための場。ルゼール伯はどうやら今夜を楽しめないようだ。残念だよ、伯爵」
ルゼールへと告げるアレンの声色はまたも威圧的なものに戻ってしまった。
淡々とそれでいて威圧的にルゼールに対して喋り、かと思えば嘘のように甘くエステルの名を呼び、だが今度はその甘さが嘘のように冷ややかなものに戻ってしまう。
その変化に気圧されたのだろう、ルゼールが言葉を詰まらせるのがここからでも見て分かった。彼の背後に居る妻子も居心地が悪そうに周囲を見回している。
周囲の空気が微かに変わり始めていた。
誰もがアレンの静かでいて絶対的な威圧感に当てられているのだ。同時に、これだけ疑惑の視線を注がれてもなお堂々とアレンに寄り添うエステルにも感化されていた。
その空気を後押しするかのようにアレンが再び話し出した。今度はルゼールを含め、来賓達全員に告げるように。
「何も疑う余地のない、簡単な話だ。僕はオルコット家に婚約の手紙を出し、エステルがクラヴェル家に来てくれた。そして僕はエステルを愛し、エステルも……」
「もちろん愛してるわ、アレン」
「あぁ、良かった。この通り、エステルも僕を愛してくれている。愛し合う二人が生涯を共にする。今夜はその第一歩、それを皆に祝ってもらうための場。ただそれだけだ」
はっきりとした口調でアレンが話し、肖像画を一瞥した。
彼の静かで冷ややかな威圧感に気圧されていた者達もつられて肖像画を見る。そして再びアレンの隣に立つエステルへと視線をやった。
来賓達の視線はいまだ物言いたげだ。だが何も言えずにいる。
極め付きはアレンが告げた、
「僕の愛するエステルはただ一人だ」
この言葉だ。これを最後に、反論はおろか誰一人として囁き合う事すら出来なくなってしまった。
周囲の空気は既に変わりきっている。
そんな空気の中、高い拍手の音が響いた。この場違いなほど歓喜に満ち溢れた拍手は……エメット夫人だ。
彼女はしきりに拍手を贈り、アレンが立派に育ち伴侶を得たことを喜び感動している。寄り添う夫と良かったと顔を見合わせ、夫君もまたアレンの成長と幸せを祝って表情を綻ばせている。二人寄り添い拍手を贈る姿はまるで息子の成長を見守る親だ。
エメット夫妻はこの婚約を喜んでいる。それは誰が見ても分かるだろう。
二人の拍手は屋敷の中に響き……、そして、一人また一人とそれに続いた。最初こそパラパラと聞こえていた拍手が次第に増え、音を増し、そして広間に溢れていく。
その変化の速さと言ったら無く、あっという間に会場内はお祝いムードだ。
なぜか?
アレンがアレン・クラヴェルだからだ。
今の今までアレンは引き籠って外部との交流を途絶えさせていたが、これから彼が変わるというのなら、誰より敵に回してはいけない存在だ。敵に回せば最後……どころか、敵に回すことすら出来ず潰されるかもしれない。
それほどまでにクラヴェル家は権威があり、そしてその権威を引き籠っていてもなお衰えさせぬほど、公爵家当主としてのアレンの手腕は優れているのだ。
アレン・クラヴェルを敵に回し、彼の幸せを喜ぶエメット夫妻さえも傷つけ、そこまでしてエステルの真偽を言及するメリットがどこにある。
そんな打算めいた考えの末、誰もがアレンとエステルの婚約を祝う事にしたのだ。
そして祝うと決めたらあっさりとしたもので、誰ももう疑惑の視線をエステルに向けてはこない。
もちろん陰口なんてもってのほか。むしろアレンを『引き篭もり公爵』と影で呼んでいた者ほど必死になって二人の門出を祝っているではないか。
最後まで悔し気な表情を浮かべていたルゼールもこの空気に飲まれ、肩を落とすと共にゆっくりと緩慢な拍手の音を奏でた。




