30:夜の森の幽霊屋敷
パーティー当日、クラヴェル家の屋敷は豪華に、そして厳かに飾られていた。
元より黒と紺色を基調とした飾り付けをより顕著にし、屋敷中の明かりをオレンジ色で統一する。
鬱蒼とした森の中、月明かりを受けて咲き誇る黒薔薇の庭園。その奥に聳え立つ屋敷は言い知れぬ美しさを纏う。
『幽霊屋敷』
その名がまさにだ。
現にはじめてこの屋敷を訪れた年若い令嬢は怯えの様子を見せながら馬車を降り、ランタンを手に近付いてきたメイドにさえ恐る恐るといった態度を見せている。
それでもメイドに案内されながら屋敷へと近付けば、その魅力にほぅと吐息を漏らした。
居合わせた来賓達も同様、目の前の屋敷の雰囲気に飲まれるように立ち尽くしていた。
恐ろしく、そしてなんて美しいのだろうか。
「ご案内いたします」
「え、えぇ、お願い……。まぁ、黒猫がっ……!」
黒薔薇の庭園からスルリと現れた黒猫に、令嬢が小さく悲鳴をあげた。
まるで黒薔薇が一輪、姿を変えて近付いてきたのかのようではないか。月と幽霊屋敷を背に歩く姿は不吉に感じられる。
だが黒猫はニャーンと高く鳴くとメイドの足元に擦り寄った。よく見れば黒い体に金色のリボンを着けて洒落ている。その洒落た格好と、メイドの足の間をスルリスルリと体を擦りながら纏わりつく慣れた姿に、怯えすら抱いていた令嬢が安堵した。
これは黒薔薇の化身でもない、只の猫だ。それも随分と懐いている。
「この猫ちゃんは?」
「レディと申します。アレン様がこのお屋敷に移る際、縁起が悪いと言われ引き取り手の無かったこの子を譲り受けて連れてきたんです」
「そうだったの……、アレン様はお優しい方なのね。あら、あっちから来るのは」
令嬢がふと視線を他所へと向ければ、今度はクリームカラーの犬が駆け寄ってきた。
それを見て令嬢が慌ててレディへと視線を落とした。逃げるように促すのは犬と猫は仲が悪いと良く聞くからだ。
だが猫の元へと駆け寄ってきた犬は飛び掛かるでも吠えるでもなく、レディの体を鼻先でツンと押すだけだ。それを受けるレディも怯える様子無く、纏わりつく相手を犬へと変えた。黒とクリームカラーが溶け合うかのように体を合わせる姿は微笑ましいの一言に尽きる。
周りに居た来賓達もこの光景を表情を和らげて見守っており、再び屋敷に向かうべく歩き出す足取りは先程より幾分か軽やかだった。
「ギデオンとレディがお出迎えをしてくれてるわね」
エステルが窓の外の景色を眺めながら話せば、隣に立っていたアレンが穏やかに微笑んで頷いてくれた。
パーティー当日を迎え、はしゃぎたい気持ちを何とか堪えているエステルに対してアレンは随分と落ち着き払っている。初めての主催、それも今まで人との交流を避けていた身となれば緊張してもおかしくないのに。
(もしかして無理をしてるのかしら……。私の前でだけは無理をしなくても良いのに)
そう考え、エステルはきょろきょろと周囲を見回した。
幸い今ここには自分達しかいない。普段はアレンの側に控えているドニも今は来賓達の対応のために表に出ている。
ならばとエステルはアレンの腕をクイと引っ張った。「ん?」とどこか嬉しそうな声と共に彼が目を細めて見つめてくる。
「アレン、今は私しか居ないから大丈夫よ」
「大丈夫? 何がだ?」
「震えても良いわ、弱音を吐いても構わない。今なら誰も見てないし抱きしめてあげる。だからほら、今ならまだ平気だから!」
「……よく分からないが、今ならエステルに抱きしめてもらえるんだな」
それならとアレンがそっと肩に触れてきた。優しく包むように擦り、その手をエステルの腰へと滑らせる。
そっと優しく抱きしめられ、エステルもまた彼の体をぎゅっと抱きしめ返した。
アレンは背が高く、スラリとした身体つきながらに細すぎず程よく引き締まっている。対してエステルは女性として平均的な身長。つまり両者の身長と体躯の差は明確で、エステルから『抱きしめる』と言ってもいざ抱きしめあうとなると彼の腕の中にすっぽりとおさまってしまう。
それでも自分が抱きしめているのだと主張するようにポンポンと彼の背中を叩き、「大丈夫よ」と優しい声色で話しかけた。
「初めてパーティーを主催するんだもの、緊張しても仕方ないわ。不安になるのも当然よ。でもエメット夫妻もいらっしゃるし、ライラもドニもみんな居る。なにより私がそばに居るから、そんなに緊張しないで、アレン」
「そうか、僕が緊張してると思っていたんだな」
「緊張してないの?」
「あぁ、してないよ。今日がどうあってもエステルは変わらず僕の隣に居てくれると信じているから」
だから平気だとアレンが告げる。その口調にも声にも、緊張を誤魔化すような色も無ければ強がるような色も無い。普段通り落ち着いたものだ。
これにはエステルも「あら?」と声を漏らし、自分を抱きしめるアレンを見上げた。彼は穏やかに微笑んでおり、やはり表情にも緊張の色は無い。
どうやら本当に当人が言うように緊張も不安も無いらしい。つまり心配は杞憂に終わったということだ。
「緊張してないのね。まぁ、してないならそれに越した事はないわね」
「そうだな。……だけど、もしも緊張していたらエステルはキスをして慰めてくれたかもと考えると惜しくなる」
悪戯っぽいアレンの言葉にエステルは空色の瞳をパチンと瞬かせ、次いで目を細めて笑った。
「アレンってば」と彼に告げる己の声の甘いことと言ったらない。
「きっとアレンが弱々しく『緊張している』と打ち明けてくれたら、励ますためにキスをしていたわ」
「それは惜しい事をした。今から緊張したいところだが、長いこと引き籠っていたせいか緊張の仕方が分からないんだ」
どうしたものか、とアレンがわざとらしく悩む。もちろんエステルを抱きしめたまま。
この冗談に、エステルは思わずクスクスと堪えきれず笑ってしまった。もちろん彼の腕の中で。
「安心して、アレン。緊張せず堂々としてる立派なアレンも素敵でキスをしたくなるわ」
だから大丈夫、と、先程のように彼の背中をポンポンと叩いて宥めた。
「そうか」と返すアレンの声は嬉しそうで、少し弾んでいるようにさえ聞こえる。その分かりやすさは面白くてなんて愛おしいのだろうか。
確かに今のアレンは初主催のパーティーを目前にしているとは思えないほど堂々とした態度で立派だ。公爵家の威厳を感じさせて格好良いと思う。だけど自分に素直に甘えて愛情表現を強請るところは可愛らしくも思える。
そんな熱く甘い想いに浮かされるまま、エステルは彼を見上げキスを待つため目を瞑り……、「エステル」と呼ばれて、目をつむったまま「なぁに?」と返した。
「きみからキスをしてくれるんだろう?」
アレンに尋ねられ、エステルは瞑っていた目をパッと開いた。
一瞬、アレンと目が合う。深く吸い込まれそうな色濃い瞳だ。それが次第に細まり、そしてついには目を瞑ってしまった。
先程のエステルと同じ行為。何を言わんとしているのか分からないわけがない。
彼はキスを強請っているのだ。
その分かりやすさにエステルは笑みを零し、彼の腕の中で背を伸ばし、彼の体を支えに爪先立ちをし……、そして形の良い唇に己の唇を重ねた。
なんて心地良いのだろうか。
その余韻を感じながら唇を離せば、閉じられていたアレンの目がゆっくりと開かれるのが間近で見えた。嬉しそうな表情だ。
「素敵なパーティーにしましょう、アレン」
そう声を掛ければ、彼も穏やかに微笑んで同意し……、そして、まるで先程のお礼のようにキスをしてくれた。




