03:幽霊屋敷の引きこもり公爵
肖像画ばらまき作戦が決行され、一ヵ月が経った。
音沙汰は全くないが誰も気に掛けず、エステルもさして嘆くことはない。可愛い五匹の子犬に囲まれてもふもふと充実した毎日を送っていた。
血相を変えた父が一通の封筒を手にエステルの元へ駆けつけたのは、そんな矢先のことである。
「アレン・クラヴェル?」
「あ、あぁ、クラヴェル公爵家の当主。アレン・クラヴェル様だ。お前も知ってるだろう」
「えぇ、噂程度にだけど。そんな方からいったい何の手紙なの? そろそろ教えてよ」
結論をはぐらかすような口調の父に、エステルが痺れを切らして結論を求める。
だがそれを受けても父は答える様子はなく、それどころか手にしていた封筒から便箋を取り出すや読み直し始めてしまった。随分と落ち着きなく「やはり書いてある」だの「きちんとサインもある」だのと呟いているあたり、どうやらよほど信じられない内容の手紙なのだろう。
だが向かいに座るエステルには便箋の内容は読めず、父が何度確認を繰り返そうが疑問が募るだけである。
「ねぇお母様、お母様も手紙を読んだのよね? いったい何の手紙なの?」
再び手紙を確認しだす父に見切りをつけ、一緒に部屋に入ってきた母に回答を求める。
だが母は母でコロコロと笑うだけだ。「こういう事はお父様から聞かなくては駄目よ」と窘めつつ、絨毯の上で寝そべるポーラを撫で、子犬たちに群がられている。
その姿は穏やかで優しい母親そのものだが、どこかこの状況を楽しんでいる色もある。きっとどれだけエステルが強請っても悪戯っぽく笑うだけで教えてくれないだろう。強請れば強請るほど彼女を楽しませるだけだ。
ならば父を待つしかないか……とエステルは諦め、母に群がる子犬を一匹抱き寄せた。父を待つ間せめて子犬を堪能していようと考えたのだ。
それから十分後、父がようやく「それでな、エステル」と話し始めた。
ようやく本題に入れるとエステルがほっと安堵の息を吐く。膝に乗せて撫でまわしていた子犬はいつの間にか眠ってしまった。試しに鼻を擽って起こそうとするもペロリとピンク色の舌が出るだけだ。
「お前にアレン・クラヴェル様から手紙が届いたんだ。……間違いなく、お前にだ。……お前に、だよな」
「お父様、いい加減に確認するのは止めて」
「そ、そうだな。すまない。それで、アレン・クラヴェル様が、お前との婚約を望んでいらっしゃるんだ」
真剣みを帯びた声色で告げてくる父の話に、エステルはきょとんと眼を丸くさせ……。
「それ本当に私宛? 間違いじゃなく? 確認しましょう」
と、もう何度も確認されたであろう便箋を父と一緒になって覗き込んだ。
◆◆◆
アレン・クラヴェルの名を知らぬ者はいないだろう。
田舎村の貧乏男爵家のエステルでさえ彼の名前は耳にしたことがある。……それと同時に、彼の異名も耳に入ってきていた。
【幽麗屋敷の引きこもり公爵】
それがアレンの異名である。
若くして両親を亡くし公爵家の当主となった彼は、幽霊が出ると噂されている森の中の古びた屋敷を買い取り、そこに籠って滅多に人前に出てこないという。
珍しく社交界に顔を出したかと思えば陰鬱とした表情を終始浮かべ、誰にも話しかけず、誰も話しかけてくれるなと無言の圧で訴え続ける。そうして気付けばいつの間にか居なくなってしまうのだ。時には帰る後ろ姿を見た者すらおらず、まるでふっと風に消えてしまったかのように……。
そこから着けられた異名である。それどころか、幽霊屋敷に住むアレン・クラヴェルこそが幽霊なのではという噂まで出回っている。
(そんなアレン・クラヴェルが、私との婚約を……?)
「詐欺かもしれない」と思わずエステルが呟き、再び手紙を確認しだした。それほどまでに信じ難い話しなのだ。
だが公爵家を騙って貧乏男爵家を騙したところでいったい何の得があるというのか。クラヴェル家の名を騙るとなれば詐欺師も震え上がり、そしてオルコット家を騙すと知れば鼻で笑い飛ばすだろう。
「手紙は本物みたいね。でもアレン・クラヴェルがどうして私の事を知ってるのかしら」
「どうやら先日の肖像画ばらまき作戦のおかげらしい。お前の肖像画のどれか一つが巡り廻って彼の目に留まったんだろうな」
「私が子犬を撫でている間に、額縁の中の私は長旅をしていたのね」
今頃肖像画の自分達はどこにいるのか。もしかしたら海を越えて砂漠を越えて、大冒険をしているかもしれない。
予想以上に遠出をしている肖像画達に、父が「他は回収した方が良いだろうな」と考えだす。肖像画は複数あってもエステルは一人、クラヴェル家との結婚が成立したら肖像画達は役目を終える。他所の子息のところに流れ着いて求婚される前に回収した方が良いだろう。
どうやって回収すべきかを考える父に、エステルは「ちゃんと全部飾ってね」と告げた。父も母も嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。
次いでエステルが視線を向けたのは、アレン・クラヴェルからの手紙。
内容は至ってシンプルで、求婚しているわりに洒落た言葉はおろかエステルを褒める言葉一つすらない。
だが綺麗な文字で綴られている。彼が直々に書いたのだろうか。
その便箋を後生大事に封筒に戻し、エステルはパッと表情を明るくさせた。
「なんにせよ、アレン・クラヴェルが私を見初めてくれたってことね。嬉しい、彼に会う日が楽しみだわ! 幽霊屋敷の公爵様なんてミステリアスで素敵じゃない!」
「さすが我が娘、前向きだな。しかし同行者は極力少なくとわざわざ書くとは、聞きしに勝る人嫌い」
「ちょうど良いわよ。うちには同行出来るメイドなんていないんだもの」
アレン・クラヴェルからの手紙には、エステルの嫁入りに同行する者は極力少人数でと書かれていた。
側仕えも必要なものは全てこちらで用意する、不便はさせない、と再三書くほどの念の押しよう。
洒落た言葉や褒め言葉よりもこちらを重視するあたり、本音はエステル以外には来てほしくないのだろう。
他家の令嬢であればこの文面に不安を抱いただろう。もしくは失礼なと怒るか、それとも誰を選ぶべきかと並ぶメイドを前に頭を悩ませるかもしれない。
だがオルコット家は貧乏男爵家。メイドと言えば、昼過ぎに来て夕方に帰る村の主婦だけだ。当然ながら同行なんて出来ない。ちょうどいい話ではないか。
「私、一人でクラヴェル家に行くわ。ちゃんと小まめに手紙を出すし、なにかあれば直ぐに戻ってくるから大丈夫よ」
心配いらない、とエステルが笑う。
それに対して、ワフッ!と声があがった。正確に言うならば鳴き声だ。
見れば、愛犬ポーラが一匹の子犬を咥えながらゆっくりとこちらに近付いてくる。
「ポーラ、聞いて! 私にもついに縁談が……。ポーラ、ギデオンを連れてどうしたの?」
母犬ポーラに咥えられているのは彼女の息子の一人、ギデオン。クリームカラーとペロリと垂れた耳、五匹いる兄弟犬の中でも一番母に似ている子だ。
そんな息子を咥えながら運び、ポーラはエステルの元までくるとギデオンをエステルの膝の上におろした。
母犬に運ばれていた子犬がころんと転がる。「ギデオン、今日も良い子ね」と名前を呼びながらお腹を撫でてやれば、嬉しそうに手を舐めてきた。
元気な男の子だ。やんちゃで可愛らしく、時には母犬ポーラの血筋を感じさせる聡明さも見せる。
「ポーラ、どうしてギデオンを私に……。まさか、良いの?」
愛犬の意思を察し、エステルが改めて彼女を見る。
ポーラは母犬らしい穏やかな瞳でじっと子犬を見つめ、次いでエステルを見上げた。茶色の瞳が無言ながらに訴えてくる。何かを伝えようと、否、託そうとしている瞳だ。
エステルもまたポーラを見つめ返し、彼女の意思に応えるため膝の上で引っ繰り返っているギデオンを抱きしめた。
「ありがとう、ポーラ。ギデオンが一緒に来てくれるなら安心だわ!」