25:幼いアレンとエステル
その後もパーティー会場を見て回り、普段とは違う時間を過ごす。
景観はどこも美しく、用意された食事はどれも美味しい。とりわけタルトは美味しくエステルが感動していると、アレンが懐かしむように「このタルト、大好きだったんだ」と話してくれた。
曰く、まだアレンの両親が存命だった頃、夫妻がこのタルトを持ってクラヴェル家に遊びに来てくれていた。エメット家お抱えのシェフならではの一品だという。
「普段はあまり我が儘を言わないようにしていたんだが、夫妻がこのタルトを持ってきてくれた時だけはどうしても我慢できなくて、挨拶も半ばに早く食べようと急かしてしまって……」
照れ臭そうにアレンが話す。タルトを味わうことで幼少時の気持ちを思い出しているのか、どこかあどけなさを感じさせる表情だ。
彼の話の微笑ましさに思わずエステルも笑みを零してしまう。
幼い頃のアレンも今のように聡明で落ち着きのある子供だったのだろう。そんな子供が大好きなタルトを前に我慢が出来なくなってしまう……。なんて可愛い話なのか。彼を囲む大人達はこれを我が儘とは思わず、愛しみながら見守っていたに違いない。
「小さい頃のアレン、私も会いたかったわ。きっと可愛かったでしょうね」
「僕も幼い頃のエステルに出会いたかったな。きっと今のエステルをそのまま小さくしたように眩くて、可愛らしく……。いや、この話は止めよう」
「アレン?」
突然無理やりに話を終えたアレンに、エステルは彼を案じるように顔を覗き込んだ。
先程までは過去を懐かしんで微笑み、そして幼いエステルを思って愛おしそうに眼を細めていたというのに、今はどこか苦しそうな表情をしている。眉尻が下がり、なんて切なげなのか。
仮にこれが幼いアレンだったならエステルはすぐさま抱きしめて慰めていただろう。
だがさすがにパーティー会場で抱擁は出来ず、どうしたのかとエステルがじっと見つめれば、彼は気まずそうに視線をそらしてしまった。
「きみが過去を懐かしんで元のエステルに……、いや、故郷に、家族のもとに帰りたいと思ってしまったらと不安になったんだ」
「アレン……、貴方って本当に心配性なのね」
申し訳なさそうに話すアレンに、堪らずエステルは彼の腕を擦った。
抱きしめたい気持ちが増していくが、それはぐっと我慢だ。
「安心してアレン。約束したでしょ、私はどこにも行ったりしないわ。……あと、元のエステルに至っては戻りようがないから」
「エステル……。そうだな、心配するあまり君の言葉を疑ってしまった」
エステルの話を聞いて気が楽になったのか、アレンの表情が次第に和らいでいく。
次いで彼は自分の腕を擦るエステルの手を優しく掴むとゆっくりと己の口元へと引き寄せた。
ドレスに合わせた手袋をしているのに布越しでも彼の唇が触れたのが分かり、その柔らかな感覚に、そして目を伏せ指先にキスを落とすアレンの麗しさに、エステルの胸が跳ねる。なんて素敵なのか……。
「パーティー会場で弱音を吐いたのは失敗だったな。もし二人きりだったら、きっとエステルに抱きしめて貰って、ちゃんと唇にキスも出来たのに」
残念、とアレンが呟く。
その表情からは先程の切なげな色は既に消え失せ、誘うような蠱惑的な色がある。そのうえ「せめて指先に」ともう一度エステルの指に唇を触れさせるのだ。
これにはエステルも「アレンってば」と頬を赤くさせた。もちろん手を引いたり等するわけがないのだが。
そうして談笑をしながらパーティーを楽しんでいると、ふとアレンが何かに気付いたのか言葉を止めた。
道の先に一人の男性がいる。少し小太りめの恰幅の良い男性で、エメット夫妻と何やら話している。表情は楽しげで会話も弾んでいるようで、彼等が親しいことが離れた場所からでも見て分かる。
「あれは確か子爵家の……、以前にクラヴェル家に来た事があるはずだ。あの時はドニに対応してもらったが、ここは僕が行った方が良いかな」
「そうね。見て、夫人も手招きしてるわ。なんだか人見知りの子供を呼ぶような手招きね」
「夫妻には今の僕が雷の日のレディと同じくらい弱々しく見えるのかもしれないな」
肩を竦めてアレンが話す。自分の引き籠りが原因とは分かっているが、さすがにこれほどの子供扱いは文句を言いたげだ。
そんな彼の一面にも愛おしさを感じながら、エステルは「行きましょう」とアレンの腕を引いた。
だが次の瞬間、「偽物が」と小さく聞こえてきた声に歩き出そうとした足を止めた。
「エステル、どうした?」
「今、何か聞こえてきた気がして……。ちょっと見てくるから、アレンは先にエメット夫妻のところに行っていて」
「いや、僕も行く。何かあったらどうするんだ」
「大丈夫よ。広間からは出て行かないから。離れないって言ったでしょ」
だからと宥めれば、ようやく納得したのかアレンが小さく頷いた。それでも「あまり遠くには」だの「何かあったらすぐに僕の名を呼んでくれ」と念を押してくる。
なんて愛おしいのだろうか。こんなアレンを放ってどこかに行くなんて出来るわけがない、頼まれたってお断りだ。
すぐに戻ってこよう。彼を安心させなくては。
そしてクラヴェル家に来ていたという男性に自分も挨拶をしよう。
ここで挨拶をしなくては男性に逃げたと思われかねない。果てには【幽霊屋敷の人見知り公爵夫人】の渾名が着いてしまうかも。
(……でも、さっきの声は何だったのかしら)
『偽物』と聞こえた気がした。
もっともそれがエステルに対して発せられた言葉かは分からない。もしかしたら他所で話をしていた人達の会話が聞こえてきただけかもしれないし、そもそも聞き間違いかもしれない。
(だけど私に向かって言われた気がした……。何かしら、なんだか嫌な気がする)
妙な胸騒ぎに急かされるようにエステルは会場内を歩いた。
一歩進むたびにスカートの裾がふわりと翻る。周囲は煌びやかで、だが今はそれを優雅に感じている余裕はない。
もっとも会場内を歩いたところで、あの言葉を発した人物など探せるわけが無いのだが。
それが分かっても気になってしまう。妙な胸騒ぎがするのだ。
そんな焦りとも言える気持ちを胸に歩き、会場内を見て回る。今日のパーティーは今いる広間以外にも、テラスや、外の庭も開放されている。
酒を片手に話していた者が「少し夜風に」と話しながら外へと繋がる扉を抜けていくのを眺め、エステルは会場内をぐるりと一度見回した。
(特におかしな様子の人もいないし、あれ以降は視線も感じない。やっぱり気のせいだったのかしら)
はじめてのパーティーで緊張し、周囲を気にかけすぎていたのかもしれない。
「私も心配性ね。アレンの事を言えないわ」
小さく笑い、すぐにアレンの元へと戻ろうと歩き出し……。
グイと肩を掴まれた。
「きゃっ……!」
咄嗟に声をあげる。
振り向くように強引に肩を引かれ、その乱暴な動きによってドンと背中を壁にぶつけた。




