21:遠い田舎村の令嬢
誤解は正さねばならない。
だが誤解を正すために無理に言及したり躍起になって詰め寄ってはアレンを傷つけてしまう。アレンと幸せな結婚をするために誤解を解くのに、そのために彼を苦しめては元も子もない。
本末転倒。相手の気持ちを考えず、それどころか相手を傷つけても自論を通そうとするのはオルコット家の令嬢にあらず。
ゆえに、エステルは自分にルールを課していた。
『本物のエステルの話をするのは一日一回だけ』
抱きしめられて絆され話を終いにしても、ドニに割って入ってこられても、レディに邪魔をされても。一度『本物のエステル』の話題をしたのなら一回とし、どんな終わり方をしようとも以降は決して口にしない。
だから今日の分は終わり。
夕食は楽しく明日の予定を話し、二人でデザートを堪能し、そして夜の庭園を穏やかに語り合いながら過ごす……。
そうエステルは考えていた。
少なくとも、夜の庭園を歩いている最中アレンから「エステル、さっきの話をしよう」と言い出されるまでは。
「……さっきの話?」
「途中で屋敷に戻ってしまってすまなかった。きみがどんな気持ちで話をしたのかを考えずに、僕は自分の保身ばかりで……」
「そんな、気にしないでアレン」
項垂れそうになるアレンの腕を慌てて擦る。
そのまま彼の手をぎゅっと握った。少し冷たいのは話をしようと意気込み緊張しているからだろうか。
自分の温もりを与えるようにと指を絡めればアレンが小さく笑った。僅かだが表情が和らいでいる。
それに小さく安堵し改めて名を呼べば、彼もまた名前を呼んでくれた。じっと見つめてくる。愛おしそうに、そして何かを思い出すかのように、目を細めて……。
「オルコット家に婚約を申し込んだのは、確かに肖像画を見たからだ。だけど……」
一瞬、アレンが言葉を詰まらせた。
ザァと音を立てて風が吹き、咲き誇る黒薔薇が揺れる。闇夜と合わさってまるで夜の海に波がたつかのようだ。
「婚約を申し込んだが、エステル・オルコットに惹かれたわけじゃないんだ」
呟くように話すアレンの言葉に、エステルは小さく躊躇いの声を漏らした。
◆◆◆
幼くして両親を亡くしたアレンに周囲の大人たちは同情を示し……、そして憐れむ表情の裏では公爵家の権威を狙っていた。
欲深い手がクラヴェル家を手に入れんと伸ばされる。時に優しく、時に憐れみ、そして時に威圧的に、あの手この手で権威を奪おうとしてくるのだ。
それは幼い少年に耐えられるものではなく、ゆえにアレンは信頼できる者だけを連れて森の中の幽霊屋敷に引きこもった。
他者との交流は必要最低限に抑え、誰も頼らず、己だけで公爵家を守っていこうと決めたのだ。
当時まだ公爵家を背負うには幼い年齢だったが、それでも元々の才能もあってか家業をこなすことが出来た。
だがさすがに跡継ぎは自分一人では作れない。
その問題に直面する頃にはアレンの引きこもりは定着しており、社交界では『幽霊屋敷の引きこもり公爵』と呼ばれるまでになっていた。その不名誉な呼び名は幾度となく耳にしドニやライラは失礼なと憤慨しているのだが、アレンはさして気にせずにいた。事実、引きこもり公爵なのだ。幽霊屋敷ではないが。
だがそんな引きこもり公爵のもとに誰が嫁に来るだろうか?
もちろん公爵家の権威に目が眩み是非にと言い出す家は山のようにあるだろうが、元よりアレンはその手合いから逃げるために幽霊屋敷に籠ったのだ。
自分が、自分こそが、自分だけが、このクラヴェル家を守っていく。
ゆえにクラヴェル家の名前と権威を求める女性とは結婚出来ない。
かといって一から女性と惹かれ合おうとも思わない。幽霊屋敷の引きこもり公爵を誰が好いてくれるのか。そもそも人付き合いを避けたい。
ならば養子か? それも周囲から何か言われかねない。
そんな悩みを抱くアレンの目に、とある肖像画が写り込んだ。
昔から懇意にしている夫妻の家を訪ねた時だ。アレンが幽霊屋敷を出て他者の家を訪問するなど滅多にない事である。
描かれているのは、儚く麗しく、ガラス細工のように繊細な少女。白い肌と紫色の瞳は美しく金の髪は輝くように美しい。
穏やかに微笑む表情からはどことなく薄幸そうな印象を与える。良く言えば控えめ、悪く言えば意思が弱い。何かを想っても口には出さず、ただ穏やかに微笑んで頷くだけ。そんな人形のような存在。
エステル・オルコットである。
正確に言うのであれば、奇跡のエステル・オルコットである。
その肖像画を見た瞬間、アレンは思った。
「この女性こそ」と。……いや、「この女性ならば」と言った方が正しいか。
穏やかで控えめそうなこの女性ならば自分のやる事に口を挟むまい。更に『オルコット家』は格下どころの話ではないのだ。クラヴェル家と対等になろうなどと思わないはず。アレンが望めば煩わしい親戚付き合いも避けられる。
もちろん不自由はさせない。公爵夫人として十分な安泰と生活を約束する。口を挟まずに居てくれればオルコット家にも良くしよう。
……ただ、それだけだ。自分はそれだけしか与えられない。
だからこそ、この意思の弱そうな女性が最適だと思えたのだ。
幸薄そうな儚さも、今にも消え入りそうな繊細さも、幽霊屋敷に閉じ込められるに似合っている。そんな自虐を交えた皮肉さえ感じていた。
◆◆◆
「だからオルコット家に手紙を出したんだ。……すまない」
最後に謝罪の言葉を付けたし、アレンが話を終えた。
繋いでいた手をそっと解くのは罪悪感からだろうか。彼の手が、惜しむように指先を一度絡めてからするりと離れていく。
それどころか先程まではゆっくりとはいえ歩いていたのに、ついにはその歩みも止めてしまった。気付かずエステルは一歩進んでしまい、わずかに出来た距離を慌てて振り返る。
「……エステル・オルコットに惹かれたわけじゃない。彼女ならこの地に、この幽霊屋敷に大人しく捕らわれてくれると思っただけなんだ」
そこに愛はない。
だが流石にそれを言う気にはなれなかったのか、アレンはもう一度「すまない」とだけ告げた。
「それで肖像画を屋根裏にしまっていたのね」
元より、アレンは肖像画のエステル・オルコットに惹かれていたわけではない。
となれば肖像画自体にも未練はなく、屋根裏にしまいっぱなしにしていてもおかしな話ではない。『偽物のエステル・オルコット』が屋敷に居て、誰もがその話題を出すまいとしているのだから猶更だ。
そういう事だったのね、とエステルは心の中で呟き、次いで一歩アレンへと近付いた。彼の目の前に立ちゆっくりと腕を広げて抱きしめる。
小柄なエステルに対してアレンは背が高い。背格好だってしっかりとしている。抱きしめるというよりは抱き着くに近いが、それでも構わないとぎゅっと両腕に力を入れた。まさか抱きしめられるとは思っていなかったのか、戸惑うように名前を呼んでくるアレンの声が耳に擽ったい。
「話してくれてありがとう、アレン」
「エステル……。きみが好きだ。肖像画も何も関係ない、今こうやって僕と一緒に居てくれるエステルが好きなんだ」
「私もよ。私が正真正銘本物のエステル・オルコットという事はさておき、私もアレンの事が好き。どこかに大人しく捕らわれる趣味は無いけど、喜んでこの幽霊屋敷で貴方と一緒に暮らすわ」
抱きしめたままエステルが胸の内を話せば、そっと自分の背に彼の腕が回された。
ゆっくりと恐る恐る抱きしめてくる感覚が少し面白くて笑えば、強張っていた彼の体から力が抜けるのが分かった。次第に抱きしめてくる腕の力が強まり片手が自分の髪を掬っているのも分かる。夜の闇の中、濃紺の上着を纏った手が金糸の髪を掬う。さぞや美しい光景だろう。
見上げればアレンが愛おしそうに見つめてくれる。濃紺の瞳、見つめていると吸い込まれそうに色濃い。
その瞳に当てられるようにエステルは彼の名前を小さく一度呼んでそっと目を閉じた。髪を掬っていたアレンの手が一瞬ぴくりと揺れたのが分かった。
(自らキスを誘うなんて、はしたないと思われたかしら? ……でもこれが私、エステル・オルコットだもの)
深窓の令嬢こと奇跡のエステルならばこんな事はしないだろう。だが自分は深窓の令嬢ではないし、そんな自分をアレンは好きだと言ってくれたのだ。
そう心の中で自分自身に言い訳をして待てば、背に回されてた彼の手が離れ、今度は頬に優しく触れてきた。
大きな手。少しひんやりとしていて、恥ずかしさで熱くなった頬に心地良い。
その心地良さにうっとりと酔いしれていると、「エステル」と優しい彼の声が間近で聞こえ……、
そしてエステルの唇に、柔らかな感触が触れた。




