16:幽霊屋敷の隠し事
アレンとの仲は好調。
ぎこちない表情を浮かべて共に過ごすのを避けていたかつてのアレンが嘘のように、今では積極的に二人で過ごす時間を作るようにし、そして二人で居る時は愛おしそうに微笑んでくれる。
自分を呼ぶ彼の声に愛を感じるし、彼を呼ぶ自分の声にも自然と愛が込められる。
なんて幸せなのだろうか。
思わず家族へと綴る手紙も惚気の色が強くなってしまう。惚気に気付くたびに合間にギデオンの成長を綴っているが、きっと家族にはバレているだろう。
それどころか返事にはたまに村の住民達からの返事まで着いているのだ。どうやら手紙の内容は村に筒抜けのようで、「村中に惚気話をして回ってる気分」と恥ずかしさで頬をおさえたが気分的には満更でもない。
だが全てが順調というわけではない。
気になることがある……。
(アレンがこの間言っていた『本来のきみ』ってなんのことかしら。相変わらずみんなの様子は時々おかしいし、アレンと結婚する前にこの謎は解かないと……)
考えを巡らせながらエステルはクラヴェル家の屋敷を歩いていた。
クラヴェル家の者達はアレンを筆頭に皆優しく親切だ。だがどうにも何か隠している気がしてならない。
時折なにかを言いかけて慌てて口を噤んだり、時にはメイドや給仕同士で咳き込んだり話を無理に変えたりと誤魔化し合ったりもする。その筆頭はライラであり、彼女が何か言いかけそれをドニが咳払いで制するのを何度見たことか。
それに対して言及するも、彼等はいつだって「なんでもありません」としか答えない。
だがそれも昨日までだ。
今日こそは聞き出してやる……! とエステルは心の中で決意し、階段の窓を拭くライラの姿を見つけて足を止めた。せっせと働く彼女の足元にはレディがちょこんと座っており、まるで未熟なメイドとそれを監視する厳しい女主人といった光景だ。
それが面白く、笑いそうになるのを堪えてライラに声を掛けた。
「ライラ、聞きたいことがあるの。少し良いかしら」
「はい、私でお答えできることであればなんでも」
「アレンや貴方達がいつも何か言いかけてるけれど、あれっていったい……」
何かしら、と言いかけ、エステルは言葉を止めた。
先程までは穏やかに微笑んでいたライラが視線を泳がせ、ぎこちなく右を向いたかと思えば左を向き、忙しなく手を動かし、「それは」「その」「いえ」「そんな」だのと口にしだしたからだ。
明らかな異変である。そのうえ上擦った声で「なんのことでしょうか」と白を切る。正確には「な、ななな、なん、なのことでしょうか?」であり、「か?」の声は思いっきり裏返っていた。
彼女の足元にいたレディが細く長いしなやか尻尾でタンタンと床を叩き、挙句にスクと立ち上がるとどこかへ歩いていってしまった。
これはライラの分かりやすすぎる態度を咎めているのだろうか。人間だったのなら、きっと肩を落として片手を額に当てて盛大な溜息でも吐いて去っただろう。
それほどにライラの反応は分かりやすい。
本人は「私にはわかりかねます」と上擦り裏返った声で訴えているが、これは知っていると言っているようなもの。
(ライラを問い詰めるのは気が引けるけど、聞き出せる可能性が高いのはライラなのよね。ここは心を鬼にして……!)
慌てふためき逃げ道を探し出すライラを前に、エステルは揺らぎかける己を心の中で叱咤しもう一度ライラを呼んだ。
「ライラ、貴女が話したとは誰にも言わないわ。……貴女が自らばらしそうだけど。もし何かあったら私の責任にして良い。だから教えてちょうだい。みんな何を隠しているの?」
「そ、それはっ……。ほ、本物のエステル様を……でも、私達は……」
ライラの口調はしどろもどろで、まっとうな会話とはけして言えない。
だが時間は掛かりそうだがこのまま問い詰めれば聞き出せそうだ。そうエステルが解決への糸口を見つけた瞬間……、
「ここに居たんですね、ライラ」
横から声を掛けられた。
見ればドニがこちらに歩み寄ってくる。彼の足元にはまるで先導するように歩くレディの姿もある。
「エステル様、お話中のところ申し訳ありません」
恭しく頭を下げ、ドニが会話の邪魔をしたことを詫びる。……だが謝りはすれども己の話を続けてしまう。
曰く、茶葉が切れかけているためライラに買いに行って貰いたいという。それを聞いた彼女は目を白黒させつつもコクコクと頷き、購入リストのメモを受け取るとエステルに対して一礼してすぐさまその場を離れてしまった。
(……逃げられたわ。いえ、逃がされた、と言った方が正しいかしら)
やられた、とエステルがチラと横目でドニを見上げる。
慌てふためき説明し掛けていたライラと違い、彼は落ち着き払った態度をしている。そのうえ「では失礼します」と再び恭しく頭を下げて去ってしまう。
それを見届け、次いで視線を落とした。
足元にはちょこんと座るレディ。彼女は相変わらずツンとした態度を取っており、去っていくドニの背中をまるで「ご苦労さま」とでも言いたげに見つめている。
ライラの態度を見兼ね、このままでは彼女が話してしまうと考えてドニを呼んだのだろうか。
だとすればなんて頭の切れる子なのか。……今は褒める気にはならないけれど。
「分かったのは、皆が『本物のエステル』について隠してるってことぐらいね。アレンも以前に同じことを言っていたけど……。『本物のエステル』って何なのかしら」
いったい皆は何を隠しているのだろうか。
謎は深まるばかりだと、エステルは首を傾げつつ歩き出した。
……ところで、レディが隣を歩いて着いてくるのは監視だろうか。
◆◆◆
「アレンや貴方達が何か隠しているなんてこれっぽっちも思ってないわ」
「さようでございますか」
「でもね、もしも、仮に、何か隠していたとしたら話してほしいの。私だけ知らないなんて、それってやっぱり寂しいじゃない」
「さようでございますね」
「……聞いてるのかしら、ドニ」
「さようでございます」
エステルの問いかけに、ドニが返す。……返答にはなっていないが。
これにはエステルも眉間に皺を寄せ、しゃがみこみ視線を床に落とす彼を睨みつけた。
ドニはクラヴェル家の執事である。
アレンの身の回りを補佐し、執事長として屋敷内を取り纏める。更にはクラヴェル家の仕事も手伝っており、仕事量と仕事の幅は本来の執事の域を優に出ているだろう。以前にアレンから、本来ならばクラヴェル家の親族が行うこともドニが担っていると言っていた。
公爵家の執事でありながら公爵の右腕でもあるのだ。
となれば当然だが多忙な日々を送っている。
それはエステルも理解しており、彼に声を掛けた際に「仕事を続けながらで構わないわ」と告げておいた。
話さえ出来ればいいのだ。仕事途中で無理に手を止め、こちらを向いて背筋を正して……なんてして貰わなくても構わない。失礼と咎める気もない。
……のだが、さすがにギデオンをブラッシングしてやりながらの生返事、というのはどうだろうか。
女主人としてどう思う? と視線でレディに問うも、彼女は相変わらずツンと澄まして座っている。ドニならばライラと違いうっかり口を滑らせる事は無いと考えているのか、もしくは、新米女主人にはこの態度も止む無しとでも思っているのか。
「手は止めなくて良いけど、話は聞いて欲しいの。ねぇドニ、何か隠している事はない?」
「さようでございますか。ご覧ください、エステル様。どれだけブラシを掛けても毛が抜けて、止め時が分かりかねます」
彼らしからぬ事を話しつつ、手にしていたブラシでギデオンの腹を撫でる。
ブラッシングが好きなギデオンはご機嫌で腹を撫でられ、かと思えば今度は背中をとごろんと転がされた。尻尾の先まできっちりブラシを掛けられたというのに、それに喜んで振る尻尾からクリームカラーの毛がふわりと舞うのだ。
見兼ねたエステルが「程々にしないと夜が明けるわ」と忠告しておいた。
換毛期の犬のブラッシングとは終わりがない作業だ。
きっとこの時期だけ犬は『犬』ではなく『無限に毛が生える生き物』に変化するのだろう。
いや、今は犬の換毛期を語っている場合ではない。
「それで隠していることなんだけど……。良いわ、今回は諦める。でも花柄のハンカチがどこかに落ちてなかったかは教えてちょうだい」
「ハンカチ、ですか?」
ギデオンのブラッシングをしていたドニが手を止めてこちらを向く。
それに対してエステルは数日前からハンカチが一枚見当たらないことを伝えた。オルコット家から持ってきたハンカチで、隅にレースが飾られ刺繍が施されている。
だが詳細を話してもドニにも心当たりはないようで、彼は一瞬考え込んだものの首を横に振って返してきた。
「メイド達に探すように言いつけておきます」
「屋敷の中にあるのは間違いないからそこまで必死に探さなくても平気よ。ただ見当たらないからどこにいったのかと思っていただけ」
「でしたら、最後に持ち出した日のことを教えて頂ければ、私が探してまいります」
「最後に持ち出した日……。そうだ、あの嵐の日よ。アレンと一緒に屋根裏でデザートを食べていて……」
屋根裏で二人でデザートを食べた際、ハンカチで手を拭いた。
少し汚れてしまい、服に着いたりしないようにと屋根裏の一角に畳んで置いておいたのだ。
そして……、ハンカチの事をすっかり忘れてしまい屋根裏を後にした。
「屋根裏だわ!」
「でしたら私が」
「ありがとう、ドニ! 貴方のおかげで思い出せたわ!」
場所が分かれば後は取りに行くだけだ。
そう考え、エステルは「ブラッシング頑張って」と一言告げて軽やかな足取りでその場を後にした。
◆◆◆
残されたのは床に転がるギデオンと、いつの間にかその隣にちょこんと丸くなるレディ。そして唖然として去っていくエステルを見届けるドニ。
「でしたら私が取りに行ってまいります」と言うつもりだったのだが、エステルはその隙を許さぬ勢いで去ってしまった。走り出さなかっただけマシな勢いである。
「あれで貴族の令嬢を演じているつもりなのか……」
ドニが溜息を吐く。
それに対して、彼の手元で転がっていたギデオンがひょいと顔を上げた。母犬譲りの丸く大きな瞳でじっと見つめてくる。
「あぁ、別にお前のご主人の嫌味を言っているわけじゃないからな。ただ、あれで本人は騙せているつもりなのかと……。でも、それぐらいがこの幽霊屋敷には良いのかもしれないな」
そう肩を竦め、再びブラシを手にギデオンの腹を撫で始めた。