13:大広間のランタン
右を見ても暗く左を見ても暗い。窓の外も暗く、かと思えば一瞬眩いほどに光り、雷鳴が響く。大粒の雨はまるで怒りを含んでいるかのように窓を叩き、壁と窓で遮っていても風の轟音が聞こえる。その光景はまさに嵐だ。
非常時用の明かりは灯ってはいるものの、置かれている間隔は遠く、足元を照らすまでには至らない。一応灯っているとでも言うべきか。
クラヴェル家の屋敷はどこもかしこもすっかりと明かりが落ち、まさに『幽霊屋敷』である。
そんな中に響くエステルの勝利宣言に、足元にいるギデオンがワフッと鳴いて返事をした。
ぴょこぴょこと元気よく跳ね回っているが、きっとギデオンにはこの暗がりも恐れるものではないのだろう。
「やっぱり明かりが落ちたわね。こうなるんじゃないかと思ってたのよ。ねぇ、ギデオン」
足元で転がるギデオンを抱き抱えながら得意気に話す。
ギデオンが自分で歩きたいと身を捩りだしだが、それはぎゅっと一度抱きしめて頬擦りすることで沈めておいた。
暗がりの中で跳ね回る子犬など、ただでさえ危なっかしいものがより危なっかしくなるだけだ。階段を踏み外してコロコロ転がり落ちる可能性もあれば、覚束ない足元の給仕達に蹴飛ばされる恐れもある。
なにより、ギデオンには大事な仕事があるのだ。
ギデオンを抱きかかえて移動したのは屋敷の大広間。
普段は夜でも明かりは点いているはずのそこは、今夜に限っては足元も見えぬほどに暗い。屋敷中の明かりが落ちてしまったのだから大広間とて例外ではない。
非常灯らしきものはさすがに灯ってはいるが、それも遠い。これでは非常灯まで辿り着くのに一苦労、下手すれば家具にぶつかって怪我をしかねない。
「さぁギデオン、準備が出来たわ」
エステルがギデオンのお尻をポンと叩いた。
ワフッとギデオンが上機嫌で鳴いてクルクルと回れば、それに合わせて背中に括られた紙がヒラヒラと揺れる。
まるでマントを纏っているかのようではないか。
その紙には大きな文字で、
【大広間にてランタン貸出中】
と書かれている。
現に大広間には明かりを灯す前のランタンが並べられており、その数は十を超える。
朝方エステルがライラと共に街に出て買ってきたものだ。
といっても買い占めはしていない。店主に在庫を確認し、他の客も買えるように数に余裕を残して購入した。それを何件も巡って繰り返し、街の店だけでは足りないと離れた場所の店にまで足を運んだのだ。
一日がかりでなかなかに苦労したが、その甲斐あってエステルの背後ではランタンが並んでいる。
さすがに屋敷中に置いて回るほどの数ではないが、それでも夜の屋敷を守るために働く者達の手元を照らす分は十分にある。仕事が無くあとは夕食と寝るだけという者には共有して貰えば足りるはずだ。
「さて、それじゃあ皆に知らせに行ってね、ギデオン。暗い道には気を付けて」
行ってらっしゃいとギデオンのお尻をポンと叩けば、それを合図と理解したのだろう、ギデオンが颯爽と歩き出した。
背に括られた紙を優雅に揺らしながら悠然と歩く姿。また一度雷鳴が響いたがそれに臆する様子もない。なんて凛々しく頼もしい足取りだろうか。
◆◆◆
例年以上の暴風雨に、屋敷内にいる者達は誰もが動揺していた。
さすがに屋敷が壊れるとは思わないが、それでも慌てて窓に板を打ち付け、雷が鳴りそして屋敷内の明かりが落ちると驚きの声をあげた。
「ねぇ誰か明かりを持ってない?」
「持ってないわ。蝋燭ならあるけど……、でも暗い中で火をつけたら火事にならないかしら。どうしたらいいの?」
「まいったな、屋敷内を見て回りたいのに暗くて何も見えないんじゃ意味が無い」
みな口々に困ったと話し、自分達の危機管理能力の甘さを悔やむ。解決策を求めて声を掛け合っても問題が増える一方なのだ。
そんな中、ワフッ!と鳴き声が響き、誰もが話を止めてその姿を探した。
暗い廊下をぽてぽてと歩いてくるのは、クリームカラーの可愛い子犬。
ギデオンだ。暗い廊下も鳴り響く雷も物ともせず堂々とした歩みである。
誰ともなく呼び寄せ、その背に括られている張り紙を読みあげた。
「大広間にてランタン貸出中……?」
◆◆◆
「エステル様」
とエステルが声を掛けられたのは、ギデオンを送り出して十分後。
あけ放たれた扉からひょこと顔を出したのはライラだ。壁伝いに歩いて来たのか扉の縁に手を掛けていたものの、大広間が明るいと分かるとほっと安堵しエステルのもとへと近付いてきた。
その手にランタンは……無い。
あら? とエステルは首を傾げた。
「ライラ、貴女のランタンは? 貴女も一つ買っていたじゃない」
日中ランタンを確保しに店を回っていた際、すっかりエステルの話に感化されたライラは嵐への危機感を高め、自分用にとランタンを一つ確保していた。そのうえ、いつ明かりが落ちても良いように今日はランタンを肌身離さず持っていると宣言していたのだ。
だが今の彼女の手にはランタンはない。
それを尋ねれば、彼女は楽しそうにクスクスと笑いだした。
「私、明かりが落ちる直前までドニと話していたんです」
「ドニと?」
「えぇ、彼ってば、エステル様のことを大袈裟だと仰っていました。ランタンもあんなに買い込む必要はないのにって」
ライラが不満を訴えるようにぷくと頬を膨らませつつ話す。そのうえ、背筋を伸ばして胸を張りわざとらしく声を低くして「元よりある屋敷の備えで十分だ」と言い切った。きっとドニの真似をしているのだろう。似ていないのが面白く、思わずエステルも笑ってしまう。
だがどれだけ彼に否定されてもライラは折れず、もしもの事が起こるかもしれないと訴えた。
そうしてしばらく二人は押し問答を続け……、
「ドニが『屋敷の明かりが全て落ちるなんてありえない』って言い切った瞬間、一際大きな雷が鳴って、屋敷の明かりが全部落ちたんです」
「そのタイミングで!?」
「えぇ、そのタイミングです。ドニも私も一瞬唖然としてしまいました」
まるで待ってましたと言わんばかりのタイミングではないか。
「ドニは急いでアレン様のもとへ向かおうとしたんです。ですが屋敷はこの暗さですから明かりが必要でしょう? それで、私のランタンを貸してあげたんです」
得意げにライラが語る。
にんまりとしたその笑みは、きっとしてやったりと考えているのだろう。
明かりが落ちる直前に交わしていた会話の内容、明かりが落ちる抜群のタイミング、更にドニがランタンを借りていったというのだから、彼女がこの表情を浮かべるのも当然だ。
そうして、ドニはランタンを手にアレンを探しに行き、ライラはエステルのもとへ向かい、今に至る。
「残念、その場に居合わせたかったわ。でも、今からドニのように嵐を甘く見ていた人達がいっぱい来るから楽しみだわ」
ふふ、とエステルが笑う。
それとほぼ同時に、数人の足音と話し声が聞こえ、大広間にバツの悪そうな顔をした給仕達が現れた。