表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

誤字報告なんてご自由に

なろうで誤字報告してる経験から書いたものだが

映画化した呪術廻戦0巻で当てはまってるものが複数あることに気付いた

『目上の発言を「申したこと」と表現すること』『力尽く』『トライ&エラー』である


 まず結論から。

誤字報告を受けた作者の方は、ほっといてくれて全く構わない。

なぜならこちらとしても作者的には自分の子供たる作品には誤字が少ないほうがいいんじゃないの、

程度にしか思ってないので。という話である。

そして誤字を過剰に気にして更新がわずかでも滞るよりは誤字アリで毎月毎週毎日毎時毎分毎秒投稿していただきたいというのが

なろう読者としての基本的なスタンスだからである。


 まあそんなわけでとりあえずは、気に入ってる作品を読んでるときに脳内誤字センサーが反応したら都度報告するようにはしている。

しかし実際、誤字報告に反応されるのもどうにも心苦しいのである。

最初は明らかな誤字脱字誤変換だけを報告しようと思っていたが

報告せずにいられない微妙な報告もあるし

こちらの脳内誤字センサーもどうにも高性能であるとは言えないのである。

そのへんのことを挙げて行こうと思う。



一つ、こちらは気づいただけのことしか送信しない

 当然だが自分の気づかない誤字は全く無視することになっているのである。

 それに責任取る能力も、責任取る気持ちもないのである。


一つ、誤字ではないが、雰囲気的には違うかなという感性の問題

 例文:「だらけているよりかは訓練したほうがマシだろう」

 このセリフを冒険者が言う分には問題ないと思うが、騎士のセリフなら『か』は不要に感じてしまう。

 ていうかこの『か』ってなに? 方言? 無くても何も問題ないのに

 あればあるだけ俗っぽく感じるという意味の分からない文字だと思う。

 この文章で『か』を活かすならば『い』『り』『は』『う』を削って

 「だらけてるよか訓練したほがマシだろ」

 くらいにしたほうがより俗っぽさが出ていいのかなとも思う。

 最近はただこういうのを修正を送るだけだと伝わらない気がして

 一行上に注釈をつけるようになってしまった。実に良くないことだがやめられない。


  これも全く誤字ではないが皆さんも御存知の『不運(ハードラック) と (ダンス)っちまったんだよ』で有名な

 特攻の拓という漫画がある。この作品で有名な日本語の使い方は他にもあり、強調に""(ダブルクォーテーション)を多用することと

 なんというか無音の緊張とでも言うべきものに"!?"を多用することである。

 上記のダンスっちまったのコマにも入っている。

 それに馴染んでいるせいで、驚きのセリフの語尾につけるのも"!?"が当たり前という意識になっているのだが

 (実際、他の漫画やラノベでもそうなっていると思う。出版業界にはこれについても何らかのガイドラインがあるのだろう)

 しかしなろうではかなりの数の作家が"?!"を使っている。現在ブクマに入れている作家の中にも少なくとも二人いる。

(なお、書籍化されても「?!」のままであることは確認済み。やはり出版業界もなんとなくの慣例で動いていて絶対のルールなんてものはないのだろう)

 明確なルールがないので誤字の範囲に入ること自体ありえないのであるが個人的に気になるものである。この件に関しては明確に多数派支持な自分である。


一つ、敬語

 こいつは難しすぎる。現在の日本に敬語を一つの誤りもなく完璧に操れる人間ているのだろうか?

 この話も自分が正しいとはとても言えないので直さなくてもまったくかまわないと思っているものである。

  さて、小説で使われる敬語でかなり目にすることが多くて気になるのだが誤りとも断定できないものがある。

 明白に目上の人物の発言を「申すこと」「申したこと」「申されたこと」と表現することである。

 『申す』は単に『言う』の丁寧語に過ぎず尊敬や謙譲要素はないはず。

 だから『申し上げる』などとへりくだり要素を付けなければ目上への敬語としては機能しないはずだ。

 また目上が『何を申すか!』と怒ったり『申せ』と命令したりするのが尊敬や謙譲だったらおかしいので誤字扱いするのは正しいだろうと一応思っている。

 

 「申される」は尊敬のられるが付いた立派な敬語であるので目上に使って良いという意味のことを以前ネットで見たことがあるが

 自分はとても危険であると考える。

 なぜなら敬語は相手があってのもので、敬すべき相手が不快と感じたら文法が正しかろうと意味がないからである。

 自分の場合読んでいる時に見つけると一瞬ただの受身形として脳が処理しようとするので、貴人も敬されていないと感じる可能性があると思う。

 「仰る」「仰せになる」こっち系の言葉に修正するほうが安全だろうと修正案を送るようにしている次第である。

 さらに自分は「おっしゃる」で敬語表現であり「おっしゃられる」は二重なので間違いと習ったはずだがそれでいいのだというのもネットでみたことがあって混乱は続いている。

 昔の文献にも「候べく候」「候にて候」などという相手を苛つかせるためにやってんのかみたいな敬語重ねは頻出してるし。


一つ、日本語自体の欠陥

  完全な言語などないが、各時代に文字言葉を好き勝手に輸入したり変更したり造語したりした結果

 かなりデタラメで矛盾を含んでいることだろう。近年はカタカナ言葉が爆発的に増えたわけで。


 例文:「ガッシ、ボカッ。やられた俺は力尽きた」「物理で殴るの最強。力尽くでこの世を渡る」

  『ちからつきる』『ちからずく』全く違う意味どころか逆に近い意味に全く同じ漢字が宛てられている。

 「づ・ず問題」も微妙に含まれているし明らかな欠陥といえると思う。

 『尽』には基本ネガティブなイメージがある(『無尽』として、マイナスとマイナスを掛けてプラスの意味にするイメージが強いですよね)ので、自分の場合『力()く』を『力ずく』と開くよう誤字報告した。


 例文:「娘に土産を強請(ねだ)られる」

  ご家庭におけるほんわかシーンだと感じるこの文だが、ためしに頭に一言修飾を加えたならどうだろう。

 「ヤクザの娘に土産を強請られる」

 一瞬にして家庭の出来事ではなくなった上に強請(ねだ)るは強請(ゆす)るへと変わる。物騒すぎる。"ミヤゲ"もなにかの隠語ではないかと疑ってしまうことになるだろう。

 ひらがなに開くかふりがなを振るようにしないと、ほのぼのストーリーでこの物騒な勘違いが立ち上がってきたら雰囲気台無しである。

 

  また下に書いているが『さわりだけでも』という使い方は基本的に間違いなのだが

 それに代えるべき絶対的に適切な言葉というものが多分存在しない。これも欠陥だと思う。


一つ、気づいても送信しない

 誤字やそれに近いものは個性とも言えるのではないか、そういう疑問は未だ解決していない。

 よってとりあえずスルーすることで、もともと無い責任感をさらに放り捨てている。


 代表的なものの一つは表記揺れ。

 例: 誤字なんてない 誤字なんて無い 

 この2つが一話に同時にあった場合、誤字報告すべきだろうか? 前者と後者、誤字はどちら?


 他にはら抜き言葉。自分はら抜き言葉をやや下品に感じる古い感性をもっているが

 言語の完成度としてはら抜き言葉を積極的に使うほうが誤認の可能性が低くなる分正しいと考えている。

 だから会話文ではスルーしている。

 ……いるのだが、普通に考えると貴族キャラなどは、頑なにら抜き言葉を

 下賤の者の言葉遣いとして拒否するような精神性を持つものではないだろうか?

 そのへんで報告を我慢しないとならないあたり、自分の未熟を痛感するものである。


一つ、こちらの偏見やくせを押し付けることになりかねない

 以前に書いた駄文で、辟易する はいいけど 辟易とする はどうにも引っかかってしまうという意味のことを表明した。

 これはわかっているからいいが気づかないレベルでそういうことをしてしまっているかもしれない恐怖がある。

  ら抜き言葉などは、会話内ではそのまま全スルー、地の文はコメディ調の作品でない場合誤字として報告する

 これを基本にしているが、それが絶対正解とも思えないし誤字の数が多い場合など調子に乗ってついでに報告してしまってるときもある気がする。


一つ、どう直していいかわからない

 ああ文章を修正してるうちに調子を崩したな、というのが判るくらい全体として意味不明の文が載っていることがある。

 というか基本的になろう読者には経験がお有りだろうと考える次第である。


一つ、ギャグに気づいてない可能性

 なろう発、某ビブリオマニアのサクセスストーリーにおいて

 複写の魔法に『コピーシテペッタン』と名前をつけ、

 ヒロインにそこから当然間違いはわかってるとさらに『コピーアンドペッタン』と言わしめたら

 感想欄に大量のまだ間違ってるという書き込みがなされたということがあった。

 そこはキャラにツッコむところで作者にではないというのがわからなかった人が多数いたというわけだ。

 作者も大変だなと思うし、自分だって絶対間違わない、ギャグは100%拾えるもんねとは言いきれない。

 2ch、5ch、ブロント語やゲーメストなどの、誤字や変な表現を笑いにしているものの引用は特に危ない。


一つ、広まっている誤用の扱い

 例文「さわりだけでも教えてほしい」

 この使い方は間違っている、さわりは『核心』という意味で『ちょっとさわってみる程度』ではない。

 そういう話はぐぐるとすぐでてくるが、間違いだからこう直すべき、と言い切れる単語はかんたんにはでてこない。いや全然でてこない。

 自分は以前『とっかかり』と報告してみたが今でも納得しきれてはいない。

 このように間違いではあるが正解として出せるものがない異常な状態であるからして

 遠くない将来に必ずや誤用ではなくなることだろう。そう考えると誤字報告するのもちょっとつらい。


 例文「凄い蹴りだ 骨身に堪 (こた)えるぜ」

 これもまちがいで 『堪』はほぼイコールで『耐』に置き換えてよい漢字だ。

 そう考えて置き換えてみれば『堪』を使うおかしさが解るはず。

 正しいのは強い衝撃に痛さ苦しさとして骨身が反応してしまうほどの蹴りだ ということで『骨身に応える』なのだが

 字面の印象的にどうみても誤用の方がふさわしいと感じてしまう。

 『応』という漢字が、ダメージ表現に使うにはポジティブなイメージがありすぎるからだと思う。

 個人的にはダメージ食らった時に「こたえた」と表現するのをやめるしか無いと思う。


 例文「トライ&エラー」

 これを正しいのはトライアルだよ、と言うのはかなり難しい段階に入っていると思う。

 ネットでなくてもお偉いさんに分類される方々が普通に使うし

 実際自分も恥ずかしさのようなものが湧いてしまい誤字報告はしないでいる。


 例文「こんなのは対処療法にすぎない」

 実はこれ、見かけた時に正しく対症療法と書いている作者の方が少ない単語だ。

 怪我や病気に対処する方法をこそ『治療』や『療法』と呼ぶのだろうと思われるので

 『頭痛が痛い』系の誤字とも言えるだろう。

 対症療法という言葉は基本、例えば過労から起こる身体失調に、頭痛に鎮痛剤、鼻詰まりに点鼻薬、高熱に解熱剤と投与して肝心の休息を与えないようなやり方として使われる。

 転じて小説では暗躍する黒幕の正体や居所がつかめず、変事のたびに急行して末端を叩き続けるしか無いような状態を例えているわけだ。

  しかし、対症療法自体は重要である。例えば親知らずを抜いた日の夜に、抜いた傷は放置して痛みだけ止める対症療法である

 鎮痛剤を飲まないと地獄である。自分は飲み忘れて痛みで飛び起きたことがある。

 個人的には自然治癒が最高だと、アトピーにステロイド剤使用を頑なに拒否する人に疑問を感じる。

 絶えずつらい痒み痛みにさらされていては自然治癒力も低下すると思うからである。歯の痛みと同様、眠れなければ体力は自然治癒でなく苦痛への対応に使われてしまう。

 要するに、親知らずを抜いたのに、鎮痛剤を服用しないくらい馬鹿げたことだと思う。

 お医者様とよく相談して、使用量を管理、治療中の苦痛を軽減して休養することこそ自然治癒には重要であると考える次第である。


 例文「雪辱を晴らす」

 これは書籍やメーカー製ゲーム内の文章でもしばしば登場する誤字だ。

 『雪辱』は"(はずかし)め"を(すす)ぐ(洗い流す)という意味なのでこれだけで恨みを晴らすところまで完結している。

 よってなろう的に意訳すると追放から仕返しまでの流れであるいわゆる"ざまぁ"であり、それを"果たす"というのが正解になる。

 現状未解決でこれから晴らす(消し去る、吹き飛ばす)べきなのは"屈服させられている恥"という意味の『屈辱』であり

 これもなろう的意訳すれば"ドアマット扱いされた恨み"である。

 『ざまぁイベントを果たす』のが雪辱、『ドアマットの恨みを晴らす』のが屈辱と覚えるべきだと思う。


 例文「ああ、我が妹の健気さいじましさよ」

 意地汚いとかけちくさいという意味の『いじましい』を『いじらしい』と混同しての誤用である。

 なろうでも最低5回は誤字報告した覚えがあるメジャーどころの誤用といえる。

 書籍で印象的だったのが

 ラノベの当時通称『はまち』とか『俺ガイル』とか言われていた作品で、

 そのへんの女性以上に可愛くて性格もいい同級生男子と、兄としてシスコンをこじらせている妹

 このネタ的全肯定聖域枠のキャラ二人を「いじましい」と断じてしまっていた件である。


 例文「とんでもありません」

 なろうどころか日本中のどこにでも、おそらく今この瞬間にもあまりにも頻出しているものである。

 これの誤字たる理由は要するに『とんでもない』で一つの単語であり

 ゆえに『とんでもある』とか『とんでも御座る』などという活用は存在すらしようがないので

 『とんでもありません』『とんでも御座いません』などというそれを否定形にした言葉も存在しようがないということだ。

 しかし、貴人やら上司やら先輩やらの言葉への返答に『~ないっ!』などという形で返す勇気が出ないので

 『ない』を『ありません』『ございません』にしたいという現代日本人の気持ちは『とんでもなく』よく解るのである。

 よって自分も誤字報告はしないでいる。これも遠くない未来に誤字とはされなくなるものであろう。

 

一つ、修正が作品内容に絡んでしまう可能性

 自分は直そうが直すまいが、それ自体は作品に影響がないことを重視して報告をしている。しかし。

 何度も『さわり』の話になってしまうが、武術の老師的キャラクターの

 「〇〇武術のさわりぐらいは教えてやってもいいぞ」

 とのセリフを発見。これも修正に頭を捻ったが武道武術の話だけに『初伝』というのを思いつき

 他もいくつか出したが作者もこれを選んで修正した。なかなかうまいこと考えたと自画自賛しようと思ったが

 とくに説明のない武術に初伝という項目があるとした以上、中伝や皆伝、奥伝やら奥義やらと

 一定のシステムがあろうという推測が成り立ってしまう。門下生の名乗りにも影響しかねない。

 (怠惰流ぐうたら術中伝、なまけもんである! といった具合のやつ)

 作品の設定に余計な押しつけをしてしまったことになるかと少し後悔している。


一つ、こちらの報告も必ずしも正しくない

 最近、戦場になった街のありさまを『凄惨たる』と表現した作品があった。

 その後も複数回『凄惨』を強調していた。

 とても明敏なこの自分は『凄惨』はタリ活用はしないと即座に看破し

 『凄惨な』と、タリ活用したいならと『惨憺たる』の二種類を誤字報告として送ったのである。

 すぐさま作者は『凄惨な』のほうを選択して修正した。

 ……さてまったく明敏でない自分はその段階で、タリ活用でないならナリ活用『凄惨なる』を送り忘れたなと気づくわけなのだ。

 報告して修正があってさらにまた送るなんて、『なる』を作者が取り入れるとも限らないし、

 表記一つで粘着ウザ絡みするキモいやつにならないかと自分が心配になるわけである。

 そういうわけで追加の誤字報告はしなかった……。



 あまり考えずに色々書いてしまったがとにかく誤字報告は強制しているものではないという意志だけは

 繰り返し表明するものである。思いつきで書き並べたので後日修正するかもと思う。

この文をはじめて書いたときには同音異義語が多すぎるのは日本語の大きな弱点だと思っていたけど

最近は、小さいもしくは専門的な集団の中で、漢字で解ればいいと同音異義を恐れずに造語をバンバンできるのは

近しい者同士での限定的情報伝達という面ではむしろ優れているのではないだろうかと思うようになってきた

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ