39 『妹=ませている』
「お姉、知らない人の靴が玄関にあったけど誰かいるの?」
そこには白色のセーラー服に身を包むツインテールの美少女がいた。
目鼻立ちにあどけなさを残していて、快活な印象の少女だった。どこか、安心できる空気感を感じられる。
「もも。帰って来ていたの?」
千里さんは驚いた顔で尋ねる。これが恐らく千里さんの妹なのだろう。しかし、妹は姉には返事せず、何故か輝く眼でこちらを見てくる。
「そんなことより、おねえのことだよ。その子、彼氏さん?朴念仁みたいな性格で自分がモテることにも気づかない無垢な人かと思っていたら年下の男の子が好みだったとは。しかも、身体を密着して誘惑するとは案外エロいよね。そう言えば、少女漫画の好みも刺激的な内容のもの・・・」
「もも。」
我が天使は、自分の世界に入って悦に入っている妹の名前を強く呼んで、彼女の血色のいい耳を引っ張る。
「痛い。痛いよ。おねえちゃん。ごめんってばもうこれ以上は彼氏さんの前では言わないから。」
「けんたろー君、悪いけれど少し一人で勉強しておいてくれる。誤解はちゃんと解いておいてあげるから。」
静かに、優しく能面の笑顔で語りかけてくる。少し、うちの親と田中み〇実に似ていた。
可愛ければ怖くてもいいって前に言ったかもしれないけれどやっぱ、撤回させてください。可愛くても怖いもんは怖い。
「あと、けんたろー君、妹の一連の虚言は忘れること。妹はちょっと虚言癖があるから。そうだよね。ももちゃん。」
「うん。お姉はムッツリなとこはあるけど、めっちゃ美人で優しくて料理も上手で貞操観念もしっかりしている人だから童貞の処女厨の人にもぴったりだよ。」
「余計なことは言わないの。」
千里さんが耳を真っ赤にしてももちゃんをにらむ。やっぱり可愛ければいいかも。
「それと、けんたろー君もさっきのことは忘れること。」
涙目で俺を睨んでももちゃんとやらを連れて行ってしまった。
いやあ~。千里さん、可愛かったー。やっぱ、可愛いって正義だわ。
それはともかく、千鶴さんに続いて、ももちゃんにも童貞って言われたんだけど、見た瞬間に分かるほど俺って童貞臭いかな?あと、姉はあんなにしっかりとしているのに何で妹は初対面の人に童貞とか処女とか言っちゃうの?
・・・
もしかして、千鶴さんの影響ってことはないよね?
まあ、考えても仕方ないので頑張って勉強しよう。
*
その後、三〇分くらいすると千里さんが戻ってきた。三〇分も、妹に対して、姉は何を話していたのだろうか?
私、気になります。
いや、やっぱりいいや。世の中には知らない方がいいこともある。政治家が普段どこの風俗で遊んでいるかとか、親の情事とか。
ごほん。
とにかく、その後は可もなく不可もなく復習は滞りなく進んでいく。さっきよりもほんの少しだけ距離が離れた位置で、千里さんは勉強を教えてくれていた。
少しだけ残念だけど、その方が緊張しなくて集中できるのでありがたい。多分、妹に近いって指摘されたので、俺に近付きすぎているのに気付いたのだろう。千里さんは天然なところがあるからな。
千里さんが俺なんかの近くにいたいと思う訳ないので多分、俺に勉強を教えようと、集中しているうちに近付いてしまっていたのだろう。
俺みたいな陰キャでも距離が近づく程に信頼して教えてくれるのは少し嬉しい。
だって、そのくらい近いところに居てもいいって思えるくらい俺に気を許してくれているんだって証だから。
もちろん、千里さんの性格がいいからそう思ってくれているだけっていうのも大きい要因だろう。
けれど、本気で医者を目指すんだったらコミュ障も脱却しなきゃなんないし、千里さんほどの美女からの信頼は自信になる。
ただ、少しだけ自己嫌悪もある。千里さんはそんなに集中して教えてくれていたのに俺は何をやってんだかと思う。千里さんみたいに集中しないとな。
*
千里視点
(なんか、けんたろー君が凄い一生懸命になって勉強してくれているよ⁉それに、なんだか私の方を尊敬のまなざしで見つめてくるし。まさか、けんたろー君が集中できていなかったのって私がちょっかいかけたからなんじゃ…。別に千鶴ちゃんじゃなくても女性らしいことをしたら健太郎君って緊張するんじゃないの?けんたろー君は女の子に免疫なさそうだし。ってことは、私、つまらない意地を張ってけんたろー君の勉強の邪魔をしていた?これじゃあ、けんたろー君の役に立つどころか逆のことをしちゃっているじゃん。何やっているの千里⁉でも、まだ挽回できるはず。私も集中しよう。)
そう心に誓って、次に教えるべき問題の説明を、千里は頭の中で組み立てていく。
*
そうして、健太郎と千里は凄く紆余曲折を経て二人揃って集中するのだった。
千里の妹は、変な気を回して、健太郎の家に電話をして、今日は千里家に泊まると伝えていた。
姉がしっかりものにみえる天然だとすれば、適当にみえてしっかりものなのが千里の妹のももなのだ。
「遂にお姉も春が来たかぁ。あれからお姉の部屋から二人が出てくる気配はないし。もう、ことを始めちゃっているよね。勢いでああいったけど、お姉は初めてであっているよね?いやぁあの真面目で可愛いお姉を落とすなんてあの童貞っぽい子にはちょっと妬けちゃうなぁ。」
手にもつクッションを叩きながら、姉の甘酸っぱい恋を楽しむように、ももはベッドの上に寝転んでいた。
「でも、ヤり始めた割に静かなのは気になるかな。普通、多少は声とか動作の音が漏れちゃうんじゃ。まさか、勉強しているとか?いやいや、ないない。だって、若い男女が密室の部屋で二人きり。傍目から見ても結構、心を許しあっている様子だったし何もないってことはないよ。いくら、お姉が意気地なしで、あの子が童貞っぽいからって。うんうん。お姉の部屋にはさっき、こっそりゴムも置いておいたし大丈夫だよね。明日は私の食事当番だし、赤飯でも炊こうかな。」
クッションを抱いてベッドに仰向けになりながら千里の妹はそれからも一人ブツブツ呟くのだった。ほんの少しの姉への愛情と、大きな姉へのからかいをもって、ももの妄想は捗るのだった。
*
翌日午前三時頃、目を覚ますと、ベッドの上にいた。隣には千里さんがいた。
一緒に、仮眠を取ろうと思って、そのまま二人とも寝てしまったようだ。
二人とも謎に勉強に集中していて気にしなかったけれど、これって所謂同衾ってやつになるんじゃ…。
そう思うと全身から熱が発せられる。俺は、この年上の女の子に恋をしているんだなって思える。
千里さんの形のいい唇が目の前にあった。艶やかな唇に眼が吸い寄せられる。
千里さんは本当にきれいだな。肌もしみ一つない色白だし、白磁のように穢れがない。そんなきれいな人に教えてもらえるだけでもすごいことなのに、恋をして、劣情も持ってしまいそうになる。
そんなことを考えてしまう自分が傲慢に見えて、薄汚い人間にみえて、嫌になる。
この恋心はしまっておかないとな。
それでも、やっぱり、形のいい桃色の唇に視線が吸い寄せられる。
・・・
キスしたい
…いかん、いかん。夜中のテンションで変なことを考えているぞ、俺!気分転換がてら、外の空気を吸ってこよう。
千里さんを起こさないように外に出ると辺りは真っ暗だった。今宵は新月らしい。都会ではないので、車も人も何も通らない自分だけの空間となっている。
真っ暗闇の中、一人だけのその空間を楽しむ。
ごそり
背後で音がした。いきなりの物音に肩をピクンとさせて、慌てて振り返る。
そこにいたのは、ポニーテールに結わえた茶髪の幼馴染の凛だった。顔は見えないが間違いない。
凛は手に何かを持って俺の方を何も言わずに見つめていた。
「えっと、凛じゃないか、どうしたんだ?こんな時間に、眠れなくて散歩でもしていたのか?」
それにしたって凛の家からここまでは歩きだと二時間ほどかかるはずだ。電車が使えればもう少し早いがあいにく電車が動いている時間ではない。
「あの、それよりも話があるんだ。ちょっとついてきてくれる?」
凛はそう静かに言って、俺を先導する。どこか、思いつめたような感じがする凛が心配になって、疑問も呈さずにそのまま、ついていく。
案内されたのは、古くて使わなくなった裏通りにある廃びれたビルの一階だった。
「どうしたんだ?凛?使わなくなったビルとはいえ、一応不法侵入になっちまうぞ。」
俺はできる限り明るい口調で凛を窘める。
「それよりも、どういうことなの?」
「へ?どういうことって?」
「何で、私のことが大切とか言いながら他の女の子の家にお邪魔したり、一緒のベッドに寝たりしているの?」
重い口調で凛が俺を責めてくる。
「えっと、すまん。」
ここにきて、俺はようやく凛が俺のことを好きだったんだと確信に近いものを感じる。でなければ、怒らないだろう。
…でも、何で色々知っているの?
「ねえ、私のこと大切だって言ったよね?大好きな人って言ったよね?」
正直な話、「大切な人とは言ったが、大好きな人とは言っていない」って思った。それでも、俺が勘違いさせるような行動をしていたのは事実だし、今に至っては、その違いは凛にとっては些末な問題なのだろう。
「ごめん。」
「謝らなくていいよ?でもね、私はけんたろーが好き。」
密室。二人きりの空間で世界一大切な幼馴染の凛から告白を受ける。それでも俺には好きな人がいた。その思いにこたえることは、できない。
「ねえ、こたえてよ。」
そう言って、凛は俺に近づいてくる。
そして、凛は手に持っていたらしいものを俺に突きつける。
「凛、これは?」
俺の首元にヒンヤリとした硬い細いものがあたる。
「うん?包丁だよ?」
小首をかしげて可愛らしく言う。状況と表情があっていない。
「とりあえず、包丁を下ろせ、それに俺はお前とつりあうような奴じゃない。」
「だーめ。それにけんたろーがどう思おうと、けんたろーだけが好きなの。」
「じゃあ、一緒にとりあえず遊園地にでも行ってデートしようぜ。そうしたら、凛だって、俺みたいに話題も少ないつまらない奴のことなんて好きじゃなくなるよ。」
とりあえず、頭に血が上っているであろう凛を落ち着かせようとする。
「ううん、だ~め。だって、私はもう、けんたろーの悪いところもいいところもよく知っているもん。」
「…とりあえず、考えさせてくれ。」
俺は自己保身から言葉を発する。
けれど、凛は許してくれない。
「だ~め。けんたろーはいくじなしだから今、こたえてよ。」
そう言って、手に持っていた包丁を改めて俺の首に押し付ける。少しだけ皮膚の一番薄いところが切れている感覚がする。
(凛のやつにこんな一面があったなんて。…いや、俺が凛の恋心に中々気付かないから、きっとそういう気持ちがたまっていってこうなっちまったのか。だったら、俺が悪いか。)
緊張からかいた手汗をズボンで拭う。
ここを切り抜けたらやっぱり、千里さんに告白しよう。言葉にしなきゃ思いは伝わらない。俺は凛をみてそう思った。
「何を考えているのかな?かな?け・ん・た・ろ・う。もしかして、チサトさんのこととか考えているの?ぞっこんだったもんね。怒ったりしないから何を考えているのか教えてくれるかな?」
こえー、ションベンちびりそう。
それでも、凛の気持ちには真っ直ぐぶつからないといけないって気持ちも芽生えている。だって、小三からずっーと俺のことを好きでいてくれたんだ。三人に一人は離婚を経験する世の中で、これはすごいことだと思う。
もしかしたら、他の人がこの状況をみていたら、”急いでこの場を逃げて警察に行って二度と、凛と出会わないように取り計らってもらえるよう、相談した方がいい”って言ってくれる人もいるかもしれない。けれど、やっぱり、それは嫌なんだ。傲慢かもしれないけれど、幼馴染のことは、自分の手で何とかしたい。俺にとっては生まれた時からずっと、傍にいる大切な幼馴染なんだ。困っていることがあれば相談に乗りたいし、道を踏み外しそうになるなら手を差し伸べてあげたい。今回なんて、半分以上は俺が悪いんだから、なおさらだ。
「な、何も考えていねーよ。ましてや千里さんのことなんて。お前こそ千里さんに嫉妬してんのか?」
いつもの口調はできる限り変えずに、日常の延長の会話のようなノリで聞く。
「そんなことないよ。それに、別に、悩むくらいなら私の告白を断ってくれてもいいんだよ。」
「そうなのか?じゃあ…」
やっぱり、俺の幼馴染は話がわかる、優しい女の子らしいと、安堵しかける。
しかし、凛は、恋する乙女が出す満面の笑みで
「だって、愛するけんたろーと一緒の時に一緒の場所で死ぬっていうのも中々にロマンチックでステキだもんね。」
「それはつまり・・・」
「うん。けんたろーが告白を断ったら一緒に死のうね。こういうことをするのは初めてだけど痛くしないから安心してね。」
くそっ。全然、大丈夫じゃねーよ。とはいえ、何度も言うが、凛がこうなったのは元はといえば俺のせいだ。
俺が悪い。このままじゃ、俺の幼馴染が俺のせいで犯罪者になっちまう。
こんなにいい奴なのに、俺なんかのために人生を棒にふるなんてあってたまるか。
どうする?どうする?
しかし、あまりいい案は浮かばなかった。…辛うじて浮かんだ案を実行してみるが、彼女に連絡がつくかは、微妙なところだ。心許ない。
…仕方ない、大切な幼馴染だ。
真っ直ぐぶつかりますか!
それで死んだらドンマイだな。
天を見上げ、ビルのかけたコンクリートを見つめる。そして、静かに数秒、瞑目して覚悟を決める。
「凛、俺はお前の思いにはこたえられない。俺が勘違いさせちまったんだよな。ホントにすまん。」
俺はその場で土下座をする。こんなもので許してもらえるはずはないけれど、ビルの埃まみれの地べたにしっかりと、額をつける。
「なんで?どうして?私じゃダメなの?私のどこがいけないの?顔?それとも、性格が醜いから?」
凛は泣きそうな顔で叫ぶ。胸が痛い。俺まで泣きたくなる。
でも、断る側が泣くなんて論外だ。俺は泣くのをぐっと我慢する。
「お前は最高の幼馴染だよ。俺にとっては、もったいない程に可愛くて、優しいと思う。けど、俺には好きな人がいるんだ。」
俺は幼馴染が優しいことを信じて、ただ、訴える。
「そっか。じゃあ、一緒に死のうか?」
「残念だが、そいつは無理だよ。優しい凛にはそれはできない。」
「そんなことないよ。私は意外と醜くて計算高い女なんだよ。けんたろーが思っているほど優しくないよ。」
「そうかもな。でも、俺は信じたいから信じるだけだ。」
「本当に、本当にいいの?逃げるなら今のうちだよ?」
凛はそう言って、包丁を俺から離した。
「構わねーよ。」
俺はにかっと余裕の笑みを凜に浮かべる。そして、凛が持っていた包丁の刃を掴んでそのまま、俺の腹部に当てる。
「そっか。」
ドスン
ポタッ、ポタッ
凛はそのまま、俺の腹部に包丁を突き刺した。
 




