捜査本部(その10)
11月13日金曜日。
午後3時、氷山警察署の3階会議室に設けられた臨時の捜査本部にて、第2回会議が開かれた。
一昨日から予定されていたその会議は、一昨日には予定されていなかった終わり方をした。
この会議をもって捜査本部が解散となったのである。
昨日、中津江将太の身柄を無事保護し、捜査本部の役割を終えたことが解散の理由だ。
そして、併せて進めていたKの素性捜査も、『Kとその協力者が指名手配された』ことにより、全国の警察による捜査へと移行した。
たった1日にして全国的な捜査対象となった、Kとその協力者の容疑。それは『未成年者略取及び誘拐罪』『逮捕・監禁罪』『激発物破裂罪』『現住建造物等放火罪』そして『殺人罪』であった。
具体的には、中津江将太を自宅から連れ去り、そして富田家に軟禁した容疑。また、富田家の内部を爆発、全焼させた容疑。最後に、富田一家の3人『富田大介、恵子、恵介を殺害した容疑』であった。
会議が終わり、捜査本部の任を解かれた御手洗は、警察署の通常業務へと戻った。
久しぶりに警備課の自分の席に着くと、いろいろあったようで、実はたったの2日半で解散となった捜査本部を振り返った。
そしてその振り返りは、富田家のドアが開いた瞬間へと至る。
中から飛び出してきたのは、裸足の少年。その少年が中津江将太であることは一目見てわかった。
連れ去られたと思われるのが11月6日、そして身柄を保護したのが、11月12日。
6日間、富田家に閉じ込められていたその少年。ひどく憔悴...している様子は全く見られなかった。血の気も良く、身なりも汚くない。何より、「遅いんだよ」と警察官に文句を言えるほど元気であったのだ。
富久山の指示により、御手洗はその少年を、表に配置している車に誘導し後部座席に乗せた。そして運転席の安積に、署に帰るよう指示したのであった。
ドアを開けた瞬間に聞こえた『カチッ』という音、そしてすぐあとに続いた『ボンッ』という音。後者は、家の中、2階から聞こえたように思えるが、かなりの衝撃とともに聞こえた爆発のような音だった。
ドアを開けたことで何らかの仕掛けが作動し、家の中で爆発が起こったと判断した富久山。敷地内に配置していた大槻と片山に、近隣住民への避難を呼び掛けるよう指示した。
まだ爆弾が仕掛けられている可能性もあり、ドアを開け放したまま、しばらく様子を伺う。
その間、近隣住民の避難が完了したようだ。とは言え、平日の午後3時半という時間からか、在宅していたのは隣の住人、おそらく聞き取りをしたのと同一であろう住人だけであったようだが。
避難を確認すると、御手洗は富久山と共に玄関の中に入った。
が、入ってすぐ、まっすぐに伸びる階段、その上のほうから、今度は『パーン』、そして『ドーン』という音が聞こえた。何かが破裂し、何かにぶつかったような音。
そして、音がした方向、2階から何かが見え始めた。赤く揺らめくもの、火であった。
何かが爆発し、2階が燃え上がっているものと推測された。
富久山はすぐさま玄関の外に出る。御手洗も続く、かと思いきや、その足は中へと向かっていた。
その時に御手洗が恐れていたのは、もちろん自分の身の危険、そして、Kに関する証拠が火の中に消えてしまうこと、であった。
ちらりと見やった階段、火はすでに中段にまで辿り着いていた。
御手洗は土足のままリビングへと走った。
家の中は、窓が全て金属の板のようなもので覆われているものの、電気が点いているためか、外と同じくらい明るかった。
リビングに入り、まず目に付いたのは、つけっぱなしのテレビ。とある刑事ドラマの再放送が流れていた。
そしてテレビの前に置かれたテーブルの上には、カップ麺、栄養ドリンクや飲用ゼリーなどの食べ殻が散乱していた。
そして、テレビの対面、テーブルの手前に置かれたもの、それは、3人掛けのソファであった。
11月9日に、中津江将太の携帯電話から送られた画像、そこに写っていたソファと同じものと思われた。ソファの上には、今でも手に入りにくいとされている携帯用ゲーム機、そして、リアルな猫の被り物が置かれていた。
と、入り口から富久山の怒鳴り声が聞こえた。
『火が1階まで来たぞ、早く脱出しろ』
御手洗は、玄関へと走り、間一髪、家の外へと脱出した。その手には、無意識のうちに持ち出した、猫の被り物が握られていたのであった。
既に消防への連絡が済んでいたのか、御手洗が脱出してすぐ、消防車が到着した。
壁の耐火性、防火性が強力であるため、また、雨戸が頑丈なためか、煙が少し漏れている程度で、火が漏れたり、窓が割れる様子は見られなかった。
消防による、およそ1時間に及ぶ消火活動の後、鎮火が確認された。
火が家の外に漏れなかったため、隣家への影響が全く無かったのは幸いであったと言える。その分、家の中、特に2階部分の燃え方は凄まじかったらしく、1階と2階を隔てる部分が無くなっていた。
捜査の結果、パソコンや監視カメラなど、犯人の手がかりとなるようなモノは、全て黒いただの燃え殻と化していることがわかった。
そして、焼け跡からは誰も予想し得なかったモノが発見された。いや、もしかしたら、首を吊った遺体が1つ、見つかる可能性は考えられていたのだが。
発見されたのは、頭骨の数から3人分と思われる『焼死体』であった。
御手洗が富久山と署に戻ると、身柄を保護した中津江将太への聞き取りは既に終わり、父親の迎えにより帰宅した後であった。
一足先に署に戻り、聞き取りに立ち会っていた大槻が、その結果を2人に教えてくれた。
まず、少年が連れ去られた経緯、それは富久山が立てた仮説と一致していたようだ。
そして、どこだかわからない家の中に、実に6日間も閉じ込められていた少年にまず質問したこと。監禁か、あるいは軟禁か、どのような扱いを受けていたのか。
少年の回答は、『快適に過ごしていた』だったという。
家の中は、全ての窓が金属の板のようなもので厳重に塞がれ、玄関のドアにはドアノブすら付いていなかった。そして外への脱出を防ぐためか、家中探しても、ドライバーや金槌のような工具はおろか、金属と呼べるものは何一つ置かれていなかったという。
ただし、外に出れないというだけで、中での生活にはほとんど制限が無かった。手錠のような、拘束する物もつけられておらず、自由に動き回ることができた。
トイレ、風呂、流しなどでは水も流れ、なんならお湯も出たのだという。
また、家の中には水やお茶等のペットボトル、カップ麺や栄養ドリンク、飲用ゼリーなどが大量に保管されていたらしい。1人であればおそらくは3か月は過ごせたのでは、というのが少年の見解であった。
もしかすると、この軟禁がそこまで及ぶ可能性も考えられていたのかもしれない。
さらにはテレビを観ることもでき、9日月曜日には、自身の行方不明を報じるニュースも観ていたのだという。
何より、リビングのテーブルの上には、今も入手が困難なゲーム機、そしてソフトも数本置かれており、退屈する余裕は一切無かったと語っていた。
しかし、そんな、引きこもるには一切不自由の無い家の中で、唯一立ち入れない空間があったという。『立ち入れない』というのは、鍵がかかっていて物理的に入れなかったのと、もし鍵がかかっていなくても立ち入りたくはなかった、という2つの意味があったらしい。
その部屋は、2階の真ん中にあった。
2階には部屋が3つ、トイレが1つあった。その部屋の配置を見て、少年は、ここが4月に一度訪れたことのある富田家であることに気づいたという。
そして真ん中の部屋、そこが富田恵介の部屋であることを思い出した。
だが、当時の記憶と異なる点が2つあった。ひとつ目は、鍵がかかっていて入れないこと。
そしてふたつ目、目線の高さに小窓が設けられていたのだ。
小窓には分厚そうなガラスが嵌め込まれており、薄く、白く曇っていた。窓に触れてみると、異様に冷たく、部屋の中が極寒なのかと思ったそうだ。
そして、少年はその窓から、中を覗いた。
一度立ち入ったことのあるその部屋。中には3つの人影があったという。
ベッドの上に2つ、そして宙に浮いている1つ。
ベッドの上の2つの人影、目を凝らしてよく見ると、男性と女性が1人ずつ仰向けになっているようだ。2つの人影は微動だにせず、そして、女性の目は瞬きをすることなく開いたままであったという。その女性と、目が一瞬合ったように感じ、少年は小窓から目線を一旦外した。
落ち着いてもう一度覗くと、女性は目を見開いたまま、ただ顔がこちらを向いているだけのようだった。
そして、宙に浮いている人影を見る。よく見ると、天井からロープのようなものがぶら下がっており、その人影の首に巻き付いているようだ。そのことから、宙に浮いているのではなく、吊り下がっているのだ、と認識を改め、さらによく見てみる。
こちらを向いたその表情は、苦しみもがいた後のように、ひどく歪んでいたという。
顔を含め、露出している皮膚が真っ白いのは、極寒の中にいるからだろうか、と一瞬思った。が、そうではなく、首を吊って死んでいるからだ、ということがわかった。
そして、その顔。
それは間違いなく、『富田恵介』であったという。
少年は吐き気を催し、2階のトイレで胃の中のもの全てを出した。そしてそれ以降は、2階へは立ち入らなかった。
それは軟禁が始まった初日、7日の昼過ぎのことであったという。
御手洗の振り返りは、先ほどまでの本部会議へと至っていた。
会議では、富田家の焼け跡から見つかった、3人の焼死体の鑑識結果が報告された。
おそらく爆発があったのは、鍵がかかっていた、そして、その3人がいたという富田恵介の部屋であったのであろう。
その死体は、もはや死亡推定時刻などわかりようがない、白骨と化していたのであった。
そのうちの2人は、富田大介とその妻、恵子のものであることがわかった。
半年間の旅行に行く前に歯科検診を受けていたらしく、歯形、治療の痕が、歯科医院に残されたものと一致したのだ。
そして、残る1人の白骨は、身元を特定することができなかった。
だが、白骨から推定できる年齢、性別、体型、そして中津江将太の証言から、富田恵介であるとされたのであった。




