暗闇イベント
「――準備ができたら取り掛かってね」
「はい」
「あ、待って」
クレアから受け取ったリストを眺めつつ書庫に向かおうとすると、引き止められた。
「調子悪そうね? 他の人に頼んでもいいわ。帰って休んだら?」
「いえ、少し眠いだけです。この時間は眠くなりやすいですよね」
「大丈夫? 成績発表見たわよ。頑張り過ぎなんじゃないかしら」
冗談めかした言い方にアメリは苦笑する。
「副会長ほどでは」
「あら」
クレアもまた成績上位者だ。生徒会役員全員が成績上位者というのはよくできているようで、当然といえるのかもしれない。
今アメリが持っているリストは来月の星祭りのためのものだ。学園では授業以外の学校行事のすべてが生徒会主導で行われる。しかも伝統に則って、かつアレンジを加えつつ計画を立てなければいけない。去年と全く同じ企画だったりすると大ブーイングが起こるらしい。生徒からだけではなく、教師側からも色々と言われるそうだ。
なるほど、クラウスはいつも忙しそうに紙に埋もれているわけだ。
アメリがカートにリストの資料を載せながら書庫を歩いているとクラウスが現れた。
(あったな、こんなイベント)
スチルがよかったイベントは記憶に残りやすい。
「十年前の出納帳ってもう出した?」
「これです」
「今見せて」
アメリが渡した資料をパラパラとめくる。仕事のできる男は格好いい。
「灯り消えますよ」
「え?」
フッ
書庫はその機能上、窓がない。足元の非常灯以外は全て消えてしまった。この非常灯もまた間もなく消える。
「……イベント?」
「はい。クラウス様が私に愛の言葉を囁きたくなっていないのなら、灯りがまたつくまで待つだけのことです」
中途半端な非常灯のせいで出入り口の方向がわからない。堅牢で広い書庫の出入り口を探している間に迷って出られなくなってしまうだろう。
クラウスは諦めたのか、その場に座ってしまう。
「立ってても仕方ないし」
横に座ろうかと考えて、アメリは結局そのまま向かい合わせに座る。そもそも何故移動する必要があるのだろう。横に座るほど親しくもない。
通路の幅は足は届くが手の届かない距離だ。
「……業者の名前が知りたかったんだ。こんなことなら待てばよかった」
「ゲームでは私に会いたかったとか言ってましたよ」
「そう」
興味なさそうだ。
やがて完全に暗くなり、アメリは睡魔に負けそうになる。今日のランチはパスタだった。なるほど、炭水化物が多い。
「眠るの? 寝たら死ぬよ」
「ここは雪山じゃないんで」
「俺が殺すかもしれないよ」
「やめてください、物騒な」
「寝るなよ。君をおぶって連れ出したくない」
「まぁそういう理由ですよね。放っておいてもいいんですよ」
「クレアに叱られる」
クレアの名前を聞いてアメリの気合が入る。彼女に呆れられるのは嫌だ。あんないい上司はそういない。
「お喋りに付き合ってください。寝そうなんで」
しびれそうで足の位置を動かすとクラウスに当たった。お互いに足を引っ込める。
「喋ると言っても」
全ルート開放のせいか、クラウスのアメリに話しかけるなという命令は有耶無耶になっていた。クラウスから普通に話しかけてくるほどだ。
生徒会業務に差し障りがない程度の関係になれたのはいいことだ。アメリはこの環境をかなり気に入っている。
「――今日、図書館でジェレミーと一緒だった?」
「そうです。クラウス様も図書館へ?」
「いや、外から。ジェレミーが好きなの?」
クラウスが訊いているのは恋愛的な意味でだ。
アメリは思い出しては真剣に考えているが、まだ答えは出ていない。
「声は好きです。本当に、前世からずっと好きです」
「で、俺は顔だっけ」
「クラウス様はお顔が大変よろしいですね」
「カークは? 最近付け回されてるって話」
「うーん。特にどうってないんですけど、付き合いやすいですね。ゲームではあんな感じじゃなかったんですけど」
「好きとか言われてるの?」
「まだですね」
「まだ?」
「面白ぇ女は好きに昇格するんですよ」
クラウスは理解できてなさそうだ。テンプレだというのに。
「へぇ、やっぱロリコンじゃないのか」
「どういう意味ですか、それ」
「あいつの婚約者ってまだ六歳って話があるんだ」
「政略結婚的な?」
「だろうね」
「有名な話なんですか?」
「どうかな。隠してるわけじゃないから知ってる人も多いんじゃない? そう、それで今カークに浮いた話がないから、ちょっと有名になったよ君」
「えー! それで食堂で注目されてたのか……」
「そうなんじゃない?」
「明日から私も時間ずらそうかな」
「……も?」
「今日、ジェレミーさんと一緒に早めにお昼したんですよ。休講だったんで」
「一緒に食べたんだ」
「あー、やっぱまずいですかね」
ふああ
喋っていても眠い。アメリは二度目のあくびは噛み殺した。
「そんなに眠いのって、何か盛られたんじゃないの?」
「へ?」
「ジェレミーに」
「まさか」
眠り薬なんて、と思いつつも引っかかる。何しろイベントと同じだ。ゲームとはアメリへの接し方も違うし、距離感も間違えていない。別人なのではと思うくらいだが、言われてみると気になる。
「どうしよう……」
「冗談だよ。薬盛るならちゃんとやるだろうし。それに君はジェレミーのことが好きなんでしょ?」
相変わらずやる気の感じられない口調だ。
「え」
アメリの顔が赤くなる。しかし暗闇の中、誰にもそのことはわからない。耳が熱いな、とだけアメリは思ったが、急な質問に驚いただけだと解釈した。
「声は好きですけど……、まだ好きかどうかは? ははっ」
「普通に恋愛ができるなら、それでいいんじゃない?」
「――クラウス様こそ、なにか薬盛られました?」
「この間、仮死状態にする薬を手に入れたんだけど」
「そういう薬って必要ですか」
冗談と思って言葉を返せば、一瞬の間の後クラウスが吹き出した。やはり冗談だったらしい。
「……明るくならないな」
クラウスの声に返る言葉はない。静まり返った書庫に僅かにある音はアメリの寝息だけだ。
足が当たったときにどのくらいの位置にいるのかわかっていた。クラウスはアメリに近づくと肩を揺すった。
「アメリ、起きて」
「う……ん」
身じろぎはするが起きそうにない。本当に薬でも盛られたのだろうか。それにしては効き目が悪い。薬が効きにくい体質なのだろうか。
「起きろ」
「ん」
本当に起きない。顔を傾けたらしく息がクラウスの手に当たる。手をアメリの頬にかけるが、呼吸に乱れは起きなかった。
滑らかな肌、指に絡まるシルクのような髪。
無言でクラウスはアメリに口づける。離れた後ポツリと言った。
「好きじゃない」
*****
星祭りは生徒会主催の学校行事だ。それでも出席者のほとんどが貴族となれば、社交界並みとは言わなくてもドレスコードがある。そして学年、家格を考慮した上でドレスを選ばなくてはならない。
「よかったらうちのお抱えの商会でドレスを仕立てない?」
突然そんな事を言いだしたクレアの実家は公爵家。基本、上位貴族のお誘いは断ることはしないことになっており、できればアメリも断りたくはないが、この場合特に費用面が気になる。
返事を言いよどんだアメリに察するものがあったのか、予算を尋ねられる。
「予算内で、と言えばいいわよ。それに私の紹介だからきっと色々おまけはしてくれるでしょう」
クレアは公爵家のご令嬢にしては金銭感覚がしっかりている。さすが経営学を履修しているだけのことはある。以前に聞いた話だと、まるで地方貴族の跡継ぎが選択しそうな履修計画になっていた。兄弟の話は聞いていないが色々とあるのかもしれない。
「そういうことでしたら是非」
「じゃあ決まりね。店舗の方まで足を運んでもらえるかしら。さすがに私と一緒にというのはよくないし、かといってそちらに行かせるのも何があるかわからないし」
「はい。それはもちろん」
「そう。だったら週末一緒に行きましょう。馬車の手配はしておくから」
(はい?)
装飾衣装は業者を呼んで仕立てるのが一般的だ。近隣に済む貴族となると一度実家に帰って手配している者もいる。アメリの部屋にモータウン家贔屓の紹介の人間が出入りしたとなると変な噂が立つかもしれないから……ということだろうが、紹介状ひとつあればいいのではなかろうか。
「別に一緒に頼めばいいんじゃないか? アメリがクレアのお気に入りってことはもう知れ渡っているんだし」
そばで仕事をしていたクラウスが口を挟む。クラウスはクレアには幾分砕けた口調で話す。よそ行きのような王子様然とした話し方ではなく、どちらかと言えば仕事の上司のような話し方だ。実際、上司みたいなものなので、そのせいかもしれない。
「あら、盗み聞きとは会長らしくありませんわ」
「聞こえたんだよ。内緒の話なら他所でやってくれ」
「そういうことなら書庫に行きましょうか、アメリ」
「ここで続ければ?」
クラウスは席から立ち上がって別室につながるドアを開けた。クレアはアメリと目が合うとお茶目っぽく肩をすくめた。
アメリが書庫で眠ってしまった日。クラウスはアメリを姫抱っこして出てきたそうだ。
「あの、私と会長は何もありませんよ」
「そういうことにしておいてもいいけど、もうちょっと意識してあげて?」
「それは絶対にありませんから」
「会長はあなたのことを意識しているように見えるのに」
(恋愛脳かな?)
あの邪険にした感じが、逆にツンデレに見えるとか。クレアには悪いがアメリにはとてもあの言動の内にラブは見えない。
「あなたに対する態度は、王子様とは思えないじゃない?」
「副会長の会長に対する態度もそうですよ」
「だって、王子様じゃないもの」
「……まあ、そうですね」
「そういう意味じゃなくってね。あの人、私とは色々あったのよ」
現状、三年生のクレア、二年生のクラウス。実際の年齢は同じ年。実は入学前からの知り合いだったのかもしれない。過去形で話したということは今婚約者同士ということはなさそうだ。
言動の内にラブが見えるのはクレアの方に思えた。