逆ハーレムルートスタート
最悪だ。パーティの帰り道に思い出したのでは対策が間に合わない。
カークが俺の選んだドレスを着ろ、というのはイベントだ。新歓パーティで発生するもう一方のイベント。ただしセリフや状況は違う。フラグを立てずにいた弊害かもしれない。
ルートは潰したと思いこんでいたので完全に油断していた。クラウスの言うように、なんとしてもゲームの進行通りにする力が働いているというのはアメリにも実感できた。
しかし、単一ルートを選ぶというのはゲーム内で許されたプレイ方法なのに、何故それを阻もうというのか。前世の記憶のあるクラウスを攻略するのではゲーム通りにはならないということだろうか。
確かに今のクラウスはゲームの設定から随分離れてしまっている。
それはともかく、今問題なのは、
(フラグを立てなくても、立ったことになるということだとしたら)
必ず誰かに監禁される。そういうことになるのだから。
「カークと踊ったんだって?」
「――話さないんじゃなかったんですか?」
廊下でクラウスに話しかけられる。珍しいこともあるものだ。彼は自身のルートしか知らないのだからアメリがカークと踊った意味などわかるまい。
実際、イベントなのかと聞いてきた。
「ルートに入って一番最初のイベントです」
「ルートに入ったってこと?」
「タイムリミットは守れなかったはずなんですけど」
「……でもまぁ、それが濃厚か」
「気に入られたっぽいですしね」
あの展開は不思議な感じだった。明らかな失敗は自分らしいが、その後の自分も自分らしいと思ったのだ。
アメリのキリッとしたセリフ。誰にも翻弄されない態度。それがきっと攻略対象たちの心を捉える。
何故カークが初めてのダンスの相手だと言えなかったのだろう。何故嘘をついたのだろう。そんな度胸は前世の自分にはなかったものだ。しかしきっと、“アメリ”なら言う。
「困ったことになったら、相談においで」
予想外に優しいことを言い残し、クラウスが立ち去る。もう関わりたくないという態度だったのに。
このクラウスはアメリがゲーム通りの人格ではないと知っている。だから優しいのかもしれない。
*****
困ったことになっても腹は減る。
むしろちゃんと寝て食べて頭をクリアな状態に保たなければ、この先のイベントに立ち向かっていけないだろう。クラウスはアメリを好きになる気がない。ならばアメリのすることは、これ以上カークの好感度を上げないことだ。逆ハーレムルートを狙うにしろ、クラウスルートを目指すにしろ、それが一番となる。
引きこもりも終わり、アメリは他の生徒と同じく食堂で昼食を取ることにしていた。前世の学食と違い、支払いは必要ない。決まった料理が提供されるのかと思いきや、好きなメニューが選べるところが素敵だ。
しかもトンカツ定食がある。世界観的にはどうかと思うが、トンカツは美味しいから仕方ない。今日のアメリのランチはこれだ。切ってあるなら箸で食べたいが、アメリが使っているのはナイフとフォークだ。箸を用意するのはさすがに世界観に反したらしい。
それでも箸がほしいと思いながらアメリが優雅にフォークを動かしていると、後ろで食器が落ちる音がした。近いな、と思って振り返り、アメリの体は固まる。
未だフラグを立てていないはずの攻略対象、ジェレミー。
ブラウンの髪に少し仄暗い紫の瞳。あまり興味があるキャラではなかったが、改めて見てもイケメンには変わりない。
(やばい)
アメリは彼のいる方向に背を向け、どうしたらこの場から逃げられるか考える。
ここは食堂。ゲーム通りの展開なのだ。
自分の好きな女に色目を使ったと上級生に絡まれるジェレミーを助けてしまう主人公。確かにイライラさせられるが、何故そんな面倒くさいところに口を挟んだヒロイン、と思わないでもない展開だったのだ。
ジェレミーは上級生にも物怖じせず意見するヒロインに惹かれ、憧れが崇拝になり、ついには……という流れ。
…………ちょっといいな、と思わないでもないが、実際には三日と耐えられない。
逃げよう。いや、留まってフラグを立てるべきか。イベントを回避しつつ、クラウスとは友好な関係をキープするのが一番楽な方法だが、クラウスは途中で自分の心が豹変するのを恐れている。だったらいっそ逆ハーレムルートなのか!?
カークとのはルート開通イベントではなかったが、ジェレミーのこれは開通イベントだ。期限はとうに過ぎているが、フラグが立つイベントなのだ。
(好感度が知りたい!)
不便すぎる。かつては好感度がわからないゲームもあったらしいが淘汰されたのもよくわかる。こんな不安な状態でコンプなどできない。やりこみ要素はあったほうがいいが、やりたいゲームはたくさんあるのだ。それだけに時間は割けない……とかそういう問題ではなく、一発勝負のこの状況、不便極まりない!
今回は撤退すべきだ。
いずれどうしてもフラグが立つというのなら、心の余裕を持っておきたい。
アメリは退却ルートの検討に入る。
食器は戻すべきだが、返却口に向かうには後ろを振り返らなくてはならない。今日は戻さない。大体、そうしている生徒のほうが少ないのだ。ジェレミーに顔を見られず立ち去れる脱出ルートは一つ。目指すは左手の庭に出るドア。次の授業のある教室へは遠回りでも構わない。何しろ人生がかかっている。
(よし!)
意を決して立ち上がった瞬間、後ろから何かが飛んできた。
「ひゃあ!」
才色兼備。派手ではないが、整った顔立ちの知的美人。という設定のヒロインにあるまじき声が出た。本気で驚くと声は出ないというが、そこまでではないのか、変な悲鳴になってしまった。
前方での床に金属が落ちる音。思わずアメリは後ろを振り返る。
憂いを浮かべ、床を見つめるジェレミー。スチルか。その横にはびっくりした顔でこちらを見つめる上級生。温度差がひどい。
「なんでフォークが飛んでくるのよ!?」
「なんでって言われても……」
この時点ではアメリは新入生一ヶ月目。学校にも慣れ、だからこそ上級生には逆らわない。ゲームのときはさして気にしてなかったが、相手は三年生。フォークを飛ばして目を丸くして……小学生か。
そう思った瞬間、アメリの中の何かのスイッチが入った。
「こんなに大勢の観衆の前で、よく彼女に振られましたー。なんて大声でおしゃべりできるものね? いくらムシャクシャしたからってフォーク投げるなんて赤ちゃんなの? 赤ちゃんの癇癪なら仕方ないわ。ええ、赤ちゃんなら赤ちゃんらしくおうちでママに抱っこしてもらいなさいよ。学校に通うなんて、せめてオムツが取れてからにしてもらえないかしら」
一気にまくし立てる自分にアメリは驚く。前世の自分なら最初の十文字あたりで噛んでいそうだ。こんなになめらかに口が動く気がしない。と、同時に驚く。ゲームのセリフと違う。もっと上品だった。
とはいえ、インパクトはこちらのほうが上だ。その証拠に上級生たちはぽかんとした顔のあと、その顔を歪め紅潮させた。
(こんなこと、する気はなかった)
私は誰だ?
勝手に体が動くのも、衝動ではなく誰かの意思なのだろうか。
「お返しするわ」
フォークを拾い、上級生に向ける。誰も動かないのを見て、アメリはそばのテーブルに置いた。
助けてしまった。セリフは違うが――フォークも飛んでこなかったが――状況としてはフラグが立ってしまったと考えていいだろう。
(お皿、どうしよう)
持っていくべきには違いないが疲れてしまって一歩も動けない。ゲームならここで放置できるが現実はそうはいかない。
手が震えだす。
(私はアメリ、じゃなくて、私の――名前、)
思い出せない。
もうここにはいたくない。多分、イベントは終わり。食堂から誰もいなくなればいい。
視界がぼやける。
ふらり
意識が遠くなる。揺れる体を誰かが支えてくれた。
(ああ、よかった。頭打ったら痛いもの)
******
「……」
目を覚ますといつもの天井……ではなかった。知らない天井。安っぽい白い壁紙とは違う、石の天井。まだ『夢』だ。
(起きそこねた)
アメリが瞬きをすると目尻から涙がこぼれた。
泣きたい。泣こう。
その気持ちは耳馴染んだ声に邪魔をされた。
「よかった。どこか……まだ痛いですか?」
「……だいじょうぶです」
「泣いていますよ」
ジェレミーがアメリの涙を拭う。
「あ、すみません」
制服のタイの色で下級生とわかっているだろうが、ジェレミーは丁寧な言葉を崩さない。
こういうキャラだった。大人しく引っ込み思案であるが、意思は強い。その強さが変な方向へ行くのが問題だが、こうして話してみると、そんなルートをたどるキャラには思えない。
「いえ」
アメリは体を起こした。少し休んだからか、倒れる直前の異常な恐怖心はなくなっていた。
「お気になさらないでください」
気の強い、だが落ち着いた少女。なりたい自分のようなヒロイン。そういうところもこのゲームが好きだった理由だ。
「あ、あの。養護の先生は今席を外していて。先程まではいらっしゃいました。リボンも、先生が」
言われてアメリは襟を締めるリボンが外れているのに気がついた。いきなり倒れたのだ。締めている箇所は緩めるのが普通の対処だろう。
「授業が、」
「先生はこのあとの授業は欠席されて、寮に戻ったほうがと。付き添います。といっても、僕は寮の入り口までしか行けませんけど」
穏やかな口調。こんなふうに話すキャラだっただろうか。早々にストーカー気質を全開にしていたのでねちっこいイメージしかない。
(ジェレミールートでいいかな)
まだ頭はうまく働かない。優しい声が嬉しかった。
「ありがとうございます」
「……」
「ジェレミー?」
「あ、いえ。あ! あの、僕名乗りましたか?」
「あ、いえ。こちらこそ、失礼しました。お名前は……その、食堂で耳にしたものですから」
「そのことについては、本当にすみません。貴方を巻き込んでしまって。お怪我はないですか? あ、先生はないとおっしゃっていたのですが、心配で」
「どこも痛くありませんわ」
「でも、泣いていたでしょう?」
言われて言葉に詰まる。自覚はなかったのだ。
アメリはにっこり微笑んでみせた。
「助けていただいたお礼がまだでしたわ。私はアメリ・ノーマ。本当にありがとうございました」
「いいえ、お礼を言うのは僕の方です。ああいうことは……よくあって、なのでまた僕を見かけても無視したほうがいいですよ」
「……色目を使うことが?」
(言葉選べよ、自分)
流石にびっくりされるかと思えば、ジェレミーは困ったように下を向いた。
「なんか、よくあるんです。ああいう、勝手に好きになられて、なんかトラブル的な……なんていうんでしょうね。はは、恥ずかしいです」
「素敵な声ですものね」
「え?」
「素敵な声をお持ちですね」
何枚CD買ったっけな、と思いながらアメリは言う。
「……ありがとうございます」
ジェレミーがはにかんで俯いた。
アメリはきゅんとしてしまった自分を認めざるを得ず、
(あー、フラグ立っちゃったなー)
と、他人事のように思った。