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後日談 ついに彼女は捕まった

(来ちゃったよ……)


 就職先が他国の王宮。我ながら思い切ったことをしたと思っている。


「本当に来たんですね」

「今更やめないわよ……」


 何故そんな呆れたように言われなければならないのか。ルネッタとは最後に会ってからまだ一月も経っていない。だいたい卒業後の進路が生徒会役員にバレて、何もなかったような顔をして社交界で彼らに会う度胸はアメリにはない。


「また来月に、って言ったじゃない」

「そうですが……」

 土壇場で逃げると思っていたのだろうか、ルネッタは言葉を濁した。彼女は知らないだろうがアメリにはどうしても途中で投げだせなかった理由がある。今度は契約書を穴が開くくらい読んだ。隅から隅まで目を通した。「もうだまし討ちみたいなことはしないよ?」とクラウスは言ったが、そのあたりに関しては心底彼を信用していない。


「よく頑張りましたね」

「え……うん。ほんっっと苦労したわ」


 まさかこのタイミングで労をねぎらわれるとは。

 確かに意識して綺麗に振る舞おうと思わなくても、それなりになったような気はする。アメリは一年間の地獄の日々を思い起こす。半分以上は思い出せないでいるが。

 マナーレッスンはとにかくもう辛かった。内定を蹴ろうかなと本気で考えたものだ。枕を涙で濡らすなどネタだと思っていたのに、夜中に勝手に涙が出てきて半ば放心状態になったこともある。


「本当に必要なのかなって思ってたもの」

「必要ですよ。王族の方とお会いする機会も多いですし」

「まあ、そうよね」


 一昨年は気にならなかったが己の身についてきたせいか、ルネッタの立ち振舞がどれほど洗練されているかわかるようになっていた。可憐な容姿も相まって、何故ヴィンセント以外の男性が言い寄らないのか不思議なほどだ。この無表情さは意図的なものではないかとようやく気がついた。


「着いたばかりですし、今日はゆっくりして、夕食は私と一緒に取りましょう。殿下との謁見は明日に。事前に連絡できればいいのですが、急に時間が空くことも考えられますのでそれまではできるだけ部屋にいてください。着任は四日後となりますので、それまでは自由にしてください」

「ありがとう。やっぱり忙しいのね」

「今のお立場ではご本人に動いていただくことの方が多いですしね」


 学園では自分ではあまり動かず、人をこき使うことの多かったクラウスのことを思うと少し不思議な気持ちになる。

「アメリはしばらくはそれほど忙しくはないですよ。それでも大変だと思いますが」


 ルネッタはアメリの先を迷いもなく歩いていく。

 自分が来たのは公太子宮の離宮だったはずだが、ルネッタは出口に向かうどころか奥に進んでいる。


「……ルネッタの部屋はここにあるの?」


 色々と考えた結果、言えた言葉がこれだった。


「ええ。将来的にはどうなるかわかりませんが、今は職員寮みたいになってますね」


 ルネッタの言葉にほっとする。


「他国出身者が多いから?」

「そうですね。私の場合は兄が結婚したので少し居づらかったということもあります。部屋で紹介しますが、侍女が一人つきます。給与は内務省から出ているので気にしないでください」

「侍女とかいらないんだけど」

「ヴィンセントは使用人を二人つけましたよ?」


 ルネッタの言葉にはほんのり悪意がある。去年一年間はヴィンセントの姿を見ることはなかったが、ルネッタのもとに手紙は頻繁に来ていたようだ。うんざりしているルネッタの愚痴につきあってケーキを食べたのは一度や二度の話ではない。

 アメリとしては半笑いするしかない。


「相変わらずみたいね」

「ええ、 進歩がありません」


 どこか怒ったようなルネッタの後ろをアメリはくすくす笑いながら着いていった。





 アメリの部屋と言われて案内されたところは離宮の随分と奥まった場所だった。

 球体の中のようなふんわりとした部屋で、必要なものは全て揃っていて不満があるとすればキッチンがないところだった。お湯がほしければ侍女に頼めばいいということだが、ついこの間まで寮生活をしていたアメリとしては変な感じだ。

 実家なら人を使うのに抵抗はないが、場所が変わるとこんなにも遠慮がちになってしまうものか。聞いたところ別に彼女に個室があるらしく、夕食の後は侍女部屋から下がってもらった。


「ふー」


 誰もいなくなってアメリはようやく息がつける。


 学園での最終学年ではクラウスの派遣した家庭教師から色々なことを教わった。勿論、学園の勉学はおろそかには出来ず、何を言われたわけではないが、やはり成績は落とせないと勉強するならほとんど遊ぶ暇はなかった。おまけに生徒会の書記職である。三年目の思い出らしいことは思い出せないほどだ。


 もう寝るだけだとゆったりとした夜着に着替え、ソファでぼんやりとする。慣れない移動で疲れているはずだが、興奮もしているのか目が冴えた。


(明日はクラウスに会って、明後日はどうしよう。観光じゃないけど、街を見て回りたいなぁ)


 長期休暇で五日ほどルネッタの別邸に滞在したが、グエンバドルで有名な避暑地が滞在先なので王都のことは未だよくわからない。あのクラウスの部下になるのだ。しばらく休みは取れないに違いない。今行かなかったら一体いつ行けるのかわからない。


「――よし!」


 眠れそうな気がしないが、布団に入っていたらすぐに眠れるだろう。

 アメリは伸びをして、ソファから立ち上がる。可愛らしくはあるものの凝った装飾の天蓋付きのベッドはちょっとやりすぎではと思ったが、ルネッタの言うように公太子付きには伯爵令嬢以上が採用されるというのなら、この設備は仕方ないと納得した。

 落ち着いて安眠できるようになるには数日掛かりそうだ。アメリの実家はここまで立派な天蓋はない。


 いきなり寝室の扉が開く。入ってきたのは笑顔のクラウスだ。


「よかった。起きてたね」

「!!!」


 全く予想していなかった。いや、乙女ゲームなら予想してしかるべきかもしれない。

 けれど、アメリはもうゲーム的展開は終わったと思っている。普段の生活通りの意識で問題ないはずだ。そう、問題なのは自分ではない。彼だ。


「未婚の令嬢の部屋をノックもなくいきなり開ける公太子って存在していいんですかね?」

「手厳しいな。ノックしたら誰かが来たってわかるじゃない?」

「そうですね、私がわかります」

「ここ、職員寮だしさ」

「……紳士でしたらノックは必要では?」

「ここまで来たらもういらなくない?」


 心底不思議そうに首をかしげるが、その理屈がわからない。

 しかしこれは彼だ。紛れもなく彼だ。どっと疲れるとともに何故か安心した。身一つで見知らぬ世界に飛び込んだが、アメリは何とかやっていけそうな気がした。


「じゃあ言い方を変えよう。不用心だね?」

「鍵をかけてても合鍵持たれてたら意味ないですよね」

「憎らしいくらい動じないね。――花嫁教育の賜物かな?」

「ちっがいますよ!!」


 思わず大声を出せば、クラウスはシーと言いながら人差し指を口元に当てる。無駄に絵になるのは相変わらずだ。

 クラウスとは女神生誕祭ぶりだ。卒業式には来られないからと言ったが、むしろそちらには来ないでほしいと思った。半端なく目立つのだ。しかも、たった一年で制服が似合わなくなっている。生誕祭の日はまだ着られたからと制服で学園内にいたアメリに会いに来たのだが、ちょっとしたコスプレ感があった。ルネッタがいて本当に良かったと思う。即座に服を用意できるなど有能すぎる。


 クラウスは初めて入ったのか、部屋の調度や花瓶に生けられた花を触ったりしながら歩き回る。

 確かに手配をしたのは彼かもしれないが、それがどうなったのかまでは知らないだろう。


「とにかく! いきなり部屋を開けられたら困ることってあるでしょう?」

「どうして? やましいことでもあるの?」

「身だしなみを整えているときとか、入ってこられるのは嫌ですよ」

「そんなの一人ですることないでしょ? 見る限りきちんと仕事のできるメイドみたいだけど、気に入らなかったら言ってね?」

「それは大丈夫だと思います」


 普通に会話をしていたはずだが、軽快な感じはそのままでクラウスの目が笑ってない。


「そんな一人で身だしなみを整えるようなことがあるのは困るんだけどね?」

「一人に慣れてしまっているもので。とはいえ、気をつけます」


 素直に謝れば、つられたようにクラウスは眉を下げた。


「……まあ、いいんだけど」

「そういうわけなんで、帰ってもらえますか」

「上司に向かってそれはどうなの」

「着任前ですし」

「ならいいじゃない」


 クラウスはにこにこ笑ってアメリの横に座った。


「――忙しいんじゃないんですか?」

 ひょっとして明日会う予定の話が今になったとかいうのではないだろうか、とアメリは一瞬考える。さすがにそれはないだろう。麻痺しているが二人きりで会うなど普通はありえない間柄なのだ。

「とっても忙しいよ」

 クラウスはアメリの髪に手を伸ばす。一房取ってくるくると指に絡ませる。アメリといる時のクラウスの癖だ。

「だから会いに来た」

 絡ませた髪をそのままに口元に寄せて口づける。碧い瞳はアメリを見たままだ。悔しいがクラウスの狙い通りの反応をしてしまう。真っ赤になったアメリを見て、クラウスは愉しそうに微笑んだ。


 今更になって自分が軽装というには程がある夜着姿なのを思い出した。

 いつもどおりの色気のない会話をしていたせいでその辺の認識が飛んでいた。これでは不用心だと言われても仕方がない。


「首まで赤いよ、アメリ」

「離してください」

「嫌だ」


 ソファの背に押し付けられて唇を押し付けられる。思わず身を固くするとアメリを引き起こしながらクラウスは座り直した。


「何もしないよ。――今はね」

 悪魔の笑みだ。

「それは最後の手段かな?」


 安心したような、残念なような。落ち着かない気持ちになってアメリは顔を伏せる。何か、なにか言わなければ。


「あ、明日お時間取れるんですよね?」

「それね……ちょっといつになるかわからないんだよね。だから一人で街へ出かけるとかやめておいてね。どこかで時間を作るから」

「時間、ですか」

「視察を兼ねられると思う――ルネが非番のときなら一緒に出かけてもいいよ。とにかく勝手に外に出ないでね。危ないから」


 この辺りの治安は悪かっただろうか。アメリは不思議に思う。妙齢の令嬢の独り歩きが危ないというのはわかるが、侍女を連れて歩くくらい祖国でもあったことだ。


 クラウスはアメリの疑問に気づいたようで意味ありげな笑みを浮かべた。

「一般的な治安が悪いわけじゃないけど、俺の目が届くところにいるほうが安全だよ」

「私、働きに来たんですよ?」


「君さ、俺のこと誰だと思ってるの? たっぷり時間はあったからね。根回しはもう済んでるんだよ、卒業代表さん」


 卒業代表と聞いてアメリは胃が痛くなったが、あれはもう終わった。終わった、終わったと念じると胃の痛みが取れてきた。学年末にもなると就職先は学園中に広まっていて、代表演説は変な注目を集めてそれは散々だった。

 勿論散々だったのはアメリの精神状態で表面上は卒なく終えられたと思っている。何よりクラウスから文句がないのだから問題はなかったのだろう。


「嫌味の一つや二つどころじゃないから、上手にかわしてよ。得意でしょ?」

「得意じゃないですよ。会長のお取り巻きって家格が上すぎるんですよ。巧妙に嫌がらせしてくるん……」


(そういうことかっ!)


 愕然とする。確かにクラウスがこの一年間ただ政務だけをこなしているなどあり得るだろうか。ルネッタがこれから大変だと何度も言っていたのがようやくわかった。


「努力には報いるよ」

 流石のクラウスも申し訳無さそうな顔をした。

「甘やかして優しくしてあげるから」

 抱き寄せるようにクラウスが伸ばした腕をアメリはやんわりと払いのける。

「いえ本当に余計なことはしないでください」

「人前では普通にするって。俺にこき使われるのは慣れてるでしょ。アメリ」

「……優しくしてもらえる時間ってあるんでしょうか」


 言われてみれば、彼と会ってからずっと落ち着かない日々だ。彼をよく知らなければ、ひたすらにフラグから逃げ続けて一年で平穏を手にしているかもしれない。少なくともアメリはここにいないだろう。


「作るよ。俺も君に甘やかされたいからね」


 再び伸ばされた腕はもう振り払うことは出来ない。

 きっとこれからもずっと、落ち着かない日々に違いなかった。

ブックマークや評価ありがとうございます!

嬉しくて番外編を書いてしまいました。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

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