女神生誕祭
女神生誕祭はゲームのクライマックスだ。
一年を締めくくるイベントは、学園内だけではなく国を上げてのお祭りだ。アメリの前世のクリスマスのような雰囲気もあり、家族でも恋人同士でも楽しめる祭りとなっている。
この国に生まれ育ったアメリは毎年このお祭りを楽しんでいるはずなのだが、去年は気がつけば……といった感じで、思い切り楽しめなかった。落ち着いた今年は思う存分楽しめるかと思っていたが、そうもいかなくなった。これで来年が最後の女神生誕祭となるかもと思えば、少し寂しい。
「グエンバドル公国にはこのお祭りはないんですよね?」
「信仰のある人は祝っているだろうけれど、国としては何もしないね。こっちでは女神より始祖のほうが大事だから」
二人きりで話すことができるのももう少しだ。クラウスが国に帰ると、もうアメリとは直接話すことの難しい相手になる。クラウスは今年で卒業だがアメリはもう一年ある。残りの一年で間に合うだろうか。やることが色々ありすぎて今から目が回りそうだ。
「ドレス、似合ってるよ」
「いただいたネックレスに合わせたんですよ」
「うん。綺麗だよ」
躊躇うこともなく褒めるクラウスにも慣れた。就職内定を勝ち取った日から、程よい距離を保ちながら肝心なことを一言も言わずに、好きをただ漏れさせるというありがたくないテクニックを披露し続けている。相変わらず真意が見えにくい。
アメリがこの日のために選んだのは純白のドレスだ。さすがにそのままだと誤解を招くので薄紫のショールを肩にあしらっている。デザインもほっそりしたマーメイドラインだ。
「娘を嫁に出す気分ってこういうのなのかな」
「行きませんよ」
クラウスの茶化した物言いに微笑もうとして口の端が歪んだ。緊張している。
「どうしてそんなドレスにしたのか訊いていいの?」
「いいですよ。結婚式を挙げられないかもしれないですから」
「やっぱりやめる?」
いつもどおりの冷めた声でクラウスが言う。こういうときに優しい声を出さないのが彼らしい。
「いいえ、行きます」
ひとつ息を吐いてアメリは微笑んだ。今度は上手にできたはずだ。
「クラウス様、手を出してください」
言われるままに甲を上にして手を差し出したクラウスは、ちゃんとこの国の風習を知っている。
アメリは小さな箱を開け、中から取り出した花の指輪をクラウスの左手の人差し指に指した。指輪は花の軸をくるりと一周させたもので振り回すと簡単に取れてしまいそうだ。
「初めて見る。何の花?」
「これも百合です。黒くしようと頑張ったんですが、駄目でした」
小さいといっても手のひらよりはやや小さいといったくらいだ。本来はもう少し小さい花を使うが、アメリはどうしても百合を使いたかった。知る限り一番小さい百合を数日黒い水に漬けたがうまくいかなかったようだ。紫色に数筋黒い線が入っているだけで黒い花には見えない。
「どうして黒……とか言わないけど、なんで百合なの」
「それは私が白百合だったので」
「……ああ。あれは本当に綺麗だった」
新歓のドレスを覚えていたらしい。
「よく覚えていましたね」
「まあね」
(というか、まあ)
百合は結婚式に必ず使われる花だ。そのまま白い百合を渡しても良かったが、白では思ったようなサイズがなかったので、腹黒にかけてやろうとしただけだ。
「これって胸に挿したら駄目なの?」
「いいですよ。子供から親へは一輪の花を渡しますから。あ、クラウス様が父親だって思われてしまいますね」
娘を嫁に出す気分と言っておきながら、クラウスが露骨に嫌な顔をした。
「普通は指輪じゃないの?」
「クラウス様が指輪をつけてたら噂されますよ」
女神生誕祭では女性から想い人である男性に指輪を送る風習がある。本来は花の冠だったものが指輪になったらしい。
「じゃあ、これは外さないでおく」
「そこは素直に胸に挿してください。兄弟や従兄弟に渡したりもするので不自然じゃないですよ」
「俺に指輪を贈ったんじゃないの?」
クラウスは百合の指輪に口づける。いちいち様になるのが憎らしい。
「早く行って、俺のもとに戻っておいで。全て捨てて、俺のもとに来てくれるんでしょ?」
(この人は! こ、の、人は!!)
遠慮がない。アメリは彼の思わせぶりな言葉にいちいち振り回されてばかりいる。
それなのに、散々それっぽい言葉は聞かされても、本当に言ってほしい言葉は未だ聞いていないのだ。
髪にはオレンジ色のバラを挿した。髪はアップにしているが毛先は下ろしてあって、花の色合いと合わせて仮令純白のドレスであってもカジュアルに見えるはずだ。
ジェレミーは現れた自分の婚約者の姿に頬を染める。その笑みをアメリは何とも言えない気持ちで見つめた。彼は、怒るだろうか。それとも泣くだろうか。クラウスはあっさりとアメリを行かせてくれたが、この後ジェレミーが逆上する可能性は考えなかったのだろうか。
そうであってもアメリが無事であるように手は打っていると思うが、そこに王子様よろしく颯爽と本人が登場したら泣くかもしれない。――考えられないが。
「ずっと探していたんですよ。どこにいたんですか?」
いつから? と思いながら、アメリは曖昧に笑う。それはそうだろう。まさかジェレミーもアメリが昨晩から男子寮にいたとは思うまい。ジェレミーを撒くのに使うといいと、クラウスが来賓室を手配してくれたのだ。ドレスの支度のための侍女も朝にはやってきて、これにどれだけの金銭が支払われたのかとはアメリは想像しないようにしていた。
「隠れていたんです。決心しなければならないことがあって」
「……」
「あなたとの婚約を破棄します。勿論、それは私から言えることではないことは重々承知していますわ」
ジェレミーはゆるりと首を横に振った。
「いいえ。それを貴方が決めたのであれば、僕はそれに従うまでです」
あまりにあっさりと引くジェレミーに驚きながら、確かに彼の性格ならばこういうこともあるかもしれないと少しだけアメリは身構える。
こんなにあっさりと破棄を受け入れるのはジェレミーだけだ。この後、キースウッド家や自分の実家との面倒事を片付けなければならない。協力はできたらしてほしい。そのことをアメリが口にしようとする前にジェレミーの言葉が続いた。
「貴方を縛るものは始めから僕にはなかったんです。貴方は、今でも――」
何かをこらえるようにジェレミーは口を引き結ぶ。そうしてから息を吐いた。
「今もあの人のものですよ」
「……それはどうかしら」
クラウスとは必要以上の接点を持たないようにしていたはずだが。
ジェレミーは悲しそうに微笑んだ。そして、アメリの懸念とは見当違いのことを言う。
「貴方は知らないのですね。婚約の承認書はまだ僕の手の中です」
「どういうこと?」
「言葉の通りの意味です。お父上から届いた承認書はそのまま僕が持っているんですよ。婚約破棄の手続きなどで貴方の手は煩わせません。残念です。今日貴方と過ごせていたら王宮に送るつもりだったのに」
「どうして……?」
「どうして? 貴方がそれを望まないからです。それ以外に理由がありますか?」
ジェレミーは白いドレス姿のアメリに目を細めた。
「貴方に傷をつけるのは、自分であっても許せない」
跪いてアメリに向かって手を差し伸べる。
「僕の命は貴方のもの。貴方の言葉であれば死ぬことさえ厭いません。ただひとつだけ、望みを口にしてよいのであれば、どうか僕を貴方のそばに置いていただけませんか? 結婚などという足かせなど不要です。貴方は清く純潔のままで僕が守って差し上げたいのです」
『どうか僕をあなたのそばに置いていただけませんか』
ノーマルエンドのジェレミーの言葉だ。あの一番簡単とされるトゥルーエンドはたった今回避した。
「アメリ?」
「そうやって私を閉じ込めるのね」
「お守りするだけですよ」
「結構よ。私の婚歴に傷をつけなかったのはありがたいけれど、私はこのドレスを最初で最後にする覚悟なの」
「やはり貴方は美しい」
ジェレミーはアメリのドレスの裾に口づけた。
「気をつけてくださいね。あの人は僕以上に、貴方を狡猾につなぎとめると思いますよ。
アメリ、僕はいつまでも貴方の下僕です。貴方がただ一言、僕の名前を呼んでくれるのであれば、いつでも貴方の側に参ります」
「大げさね」
アメリは髪に挿していたバラをジェレミーに手渡した。
ジェレミーは頬を上気させて呟く。
「今、死んでもいい」
アメリは足早にクラウスのいる男子寮に戻る。長いドレスが走りにくい。形式にそれほど拘らないなら、もう少し短いドレスにしておけばよかったと後悔したがもう遅い。
女性一人では専用口からも入れないはずだが、行けばなんとかなる気がした。遠くで鳴らされているはずの祝砲が学園内まで響いている。生徒たちは皆、生誕祭を楽しむために門を出ていってしまっているのだろう。帰るまでに誰ともすれ違わなかった。
「――わっ」
「そこは、きゃっとかじゃないの?」
いきなり腕を掴まれてアメリは悲鳴を上げる。とっさの悲鳴が可愛くないのは仕方ない。軽く睨んでも何でもないようにクラウスは微笑む。最近更に彼は自分の容姿の使い方がとても上手になった気がする。
男子寮までまだしばらくある。広い学園の目印にもなる石塔の陰にクラウスは隠れていたらしい。隠れていたといっても、周りには誰もいないのだが。
「ずっと待っていたんですか?」
「ずっとじゃないけど」
「寮の前で待っていてくださってもよかったんですよ?」
「目立つのは嫌だな。折角だし、ルネとヴィンセントを捕まえて一緒に祭りを楽しもうかなって」
クラウスは人目がないからか、大胆にもアメリの腰を抱いて引き寄せる。一体どういうつもりだと、アメリが体を引くと、クラウスはあっさりと離した。
とはいえ、そういうつもりならば拒む理由はない。
「……二人きりじゃ駄目ですよね」
「打たれ強いのは知っているけど、来年勉学どころじゃなくなるかもね」
それはよろしくない。クラウスはいなくなっても彼の取り巻きだった生徒は一部残っている。彼女たちもこれからどうもできるわけでもないが、ストレス解消の餌食にしてくださいと言ってしまうようなものだ。
(今はこの意地悪な感じが楽しいけど、恋人となるとどうなんだろう)
いやいや、高望みだとアメリは気の迷いを振り払う。
「どうしてバラをジェレミーにあげたの?」
「誓約書は作ってないということだったので、って。知ってたんでしょう? 婚約が成立してないって」
「やっぱりそうだよね。彼は自分が君の上位に立つような真似はしないからね」
くっくと喉を鳴らして笑いながら、クラウスはアメリを抱きしめる。
「ど、どうしたんですかねえ」
なんだかとてもご機嫌だ。
「これで君を閉じ込められるのは俺だけだと思うと嬉しくて」
「え」
思わず固まるアメリを見て、更にクラウスは笑う。
「ええと、監禁とか嫌なんですけど」
アメリはクラウスから少し離れる。腕は解いてくれたが、右手はつないだまま離してくれない。
家を出ようとは思っているが、音信不通になる気はない。正当な手段をもって、アメリはクラウスのそばにいたいのだ。たちの悪い冗談だとして、言いかねないとは思うが。
「やっと邪魔者がいなくなったんだから、このくらい言わせてよ。契約は取り付けたけど、好きな人が来るまでの一年って結構長いなあ」
「いやまあ、そうですけど……」
曖昧に答えて、はっとする。今、クラウスはなんと言ったか。
「クラウス様、今何て?」
「契約書、ちゃんと読んだよね?」
アメリは頷く。何の問題もない条件だったと記憶している。ほぼ24時間労働なのはこの世界なら仕方ないと思ったが、帰省は可能だったはずだ。
「ええ、読みましたよ」
「絶対来年来てくれるんだよね? 不履行条項読んでるよね?」
頷いたものの、その辺りはあまりよく確認していない。行かないという選択肢はないからだ。
「何かまずいことでも……?」
「ずっと考えてたんだけど」
「あの、不履行の際はなんでしたっけ?」
「認めない」
そんな駄々っ子のようなことを――と思ったが、この感じはちょっとやばい。冗談やノリで言っているわけではないようだ。繋いだアメリの手をクラウスの親指がなぞる。
「俺が君の目の前で書いたよ。本契約が締結される前に甲乙いずれかが契約の履行を拒否する場合は、あの薬を飲むこと」
本当にやばいやつだった。
「それはいいとして」
よくない。政務官としての雇用後はまた別に、と言っておいてよかった。クラウスも話を反故にする気がないからそういうことを書いたのだと思っておこう。
「他に何かあるんですか?」
「ちょっとね、やってみる価値はあるんじゃないかと思って」
ちょっとそこまで散歩をしよう、と言うようなノリで軽く言う。こんな言い方をするときは大抵無茶振りをされるのだ。一気にアメリの警戒レベルが上がる。
「ねえ、俺のために死ぬほどの苦労をしてくれる? 王妃なんて監禁されるよりずっと辛いと思うけど、俺のことを好きならできるよね?」
(渾身のイケボイス……!)
しかもいい感じに腹黒ドSだ。瞬間的に頷きそうになる。
「大丈夫、君が頑張ってさえくれれば、身分とかどうとでもなるから。どう?」
「どう、とは……」
去年、アメリをこき使った生徒会長の笑みを浮かべて、恋人にするようなことをクラウスはする。頬を撫でて髪をすいてこめかみにキスをする。
「俺のそばにいたいんでしょう?」
「……」
「俺が死ぬまで、――生きて、俺のそばにいて。一生大事にするから」
クラウスはアメリを強く抱きしめ、耳元で告げる。余裕たっぷりだったクラウスの声が語尾だけ少し震えていた。どんな顔をしているのかアメリにはわからない。わからないが、きっと見たこともない顔なのだろう。
どのエンドでもなかった、クラウスの言葉。
こうなったらアメリとしては頷く以外の選択肢はない。顔を上げて答えようとすれば、先にクラウスの指が頬に触れる。
「愛してる」
読んでくださって、ありがとうございました!