仮面舞踏会
学園生活に慣れた頃に行われる星祭りのイベントは、学生たちにとって恋人ゲットのための貴重な機会らしい。卒業後すぐに結婚という話も珍しくないなら、この学園生活が最後のモラトリアムというわけだ。ハメを外したい者も多いだろう。ドレスコードとか持参物とか、生徒会が指定を出しても文句も言わずに従ってくれるわけだ。
今年の星祭りは仮面舞踏会。発案者はヴィンセントだという。副会長というポジションはこういうことが好きな人間のためにあるらしい。
「数度会ったことがある程度の婚約者がいる生徒も少なくないからね。ルネッタみたいな話も珍しくない。こういう後腐れなさそうなきっかけがあれば、みんな乗るんじゃないかな」
そんなことを笑顔でイケメンが言えば、こいつ相当遊んでるなと引かれるとは思わないのだろうか。案の定、ルネッタは軽蔑した目でヴィンセントを見た。一方のヴィンセントは喜色満面だ。
「だからルネッタ、気にすることはないよ!」
――そういうことらしい。
(仮面舞踏会といえば、なんかあったなぁ……カークルートで)
そっち方面が爛れていそうなカークに似合いのイベントだ。彼は今どうしているのだろう。クレアに訊けばわかるのだろうが訊く気にならない。今でもアメリは彼女と交流がある。星祭り前にドレスの手配を手伝おうかと手紙が来た。領地経営は順調らしい。
今年の参加条件は目元、あるいは顔を隠せるマスクを用意すること。それだけだ。あとは各自でご自由に。生徒会としては楽すぎる企画だ。クレアだったらどうしただろう。
クラウスはげんなりしただろうなあとアメリは想像する。勿論、生徒会メンバーがいるのだからおくびにも出さなかっただろうが。アメリは図書委員会の用件で会議には不参加だったので、出席者の反応は知らない。
「今年は楽でいいけれど、逆にこんなに楽でいいのかしらって思うわ」
「去年の星祭りは大変そうでしたね」
「ルネッタはあの時もういたんだっけ?」
「いましたけど、クラウス様は副会長に任せきりでしたから」
「あー……」
休暇前となると進捗のノルマがあるのかアメリの図書館での用事が急に増えた。アメリが生徒会に合流できた頃にはもう企画は決まっていたのだ。去年の大変さを覚えていたため慌てたものだが、意外にすることがなくて拍子抜けしてしまった。
「あー、これ美味しい。これは食べます」
ルネッタは星祭り会場で並ぶケーキを、数種類部屋に持ち込んでいる。生徒会の職権乱用である。
すでに当日。二人はルネッタの部屋で集合時間までの間を潰していた。
用意は整っている。アメリは黄色いドレスを、ルネッタは白と紫のドレスを。それぞれの好みと逆のドレスを着ている。髪もお互いの色のウィッグを付けている。幸い身長差はそれほどないので、ヒールの高さで調整可能だ。要するに入れ替わりを目論んだのだ。
「ヴィンセントなら体型とかその辺りで見分けそうだけどね」
「会場は薄暗いですし大丈夫ですよ」
「そんなに甘くないと思う……」
「体型はデザインで誤魔化してますしね」
「声が全然違うじゃない」
「口元隠して横から話せばいいんですよ」
ヴィンセントから開放されたいのはわかるが、絶対に見破られると思う。見破られないと何故思うことができるのか理解できないくらいだ。
しかし、『私じゃないとできないこともあるんじゃないですか?』とルネッタに意味ありげに言われてしまえば、少し、いや大分心が揺れ動いた。その結果がこれである。
「そうそう。クラウス様からの預かり物です。直接渡そうと思っていたが時間がなかった、とおっしゃっていました」
ルネッタがいつもどおりの涼しい顔をして、長方形の箱をアメリに差し出した。シンプルだが包みもリボンもそれなりの品だ。物をもらうようなことはしていなかったはずだが、とアメリは訝しみながら包みを開けた。
「お礼だそうですが、……心当たりはないのですか?」
ルネッタはアメリの顔を見て言葉を区切る。中には薔薇の形にカットされた赤い石のネックレスと、揃いのイヤリングが入っていた。
「これほどのものをいただくようなことしてないわ。お礼に心当たりがないんだけど」
この色合は結構する。決して安物ではない。ペンダント風のネックレスは石の周りの装飾の細かさが繊細過ぎる。少なくともアメリの手持ちの宝飾品よりずっと上物だ。
(本気の贈り物とか一体私にどうしろと)
手切れ金ならぬ……品? そうなのか?
あれから何となくクラウスとの関係が微妙なのだ。避けられているような、普段と変わりないような、去年に戻ったような……。更に言うなら、アメリのときめきが少ない。心の栄養的には供給が足りない。だからなのか、とても気になる。
「昨日受け取ったことも考えると、今日しろってことでしょうね」
ルネッタに言われてアメリは考えを中断する。
「どういうこと?」
「さあ? ただこれを星祭りでアメリがつけるのは問題ですね。クラウス様にバレます」
「バレてもというか、普通にバレるんじゃないかしら」
「だとしても、あまりいいようにはならないとは思いません?」
「じゃあ、もったいなくて付けられなかったということで」
蓋を閉めたものの、そこで手が止まってしまう。
「――今だけつけてもいいかな」
「いいんじゃないですか?」
「返せって言われるかも知れないし」
「それはないと思います」
アメリはいそいそとルネッタから借りていたネックレスを外して付け替えた。姿見の前に立って、うっとりする。
「普段のアメリのドレスの趣味に合わせていますね」
確かにルネッタ風のドレスでは少しずれているような気がする。
「イヤリングは普段使いも出来そうな感じね」
「そうですね。こっちにも台に意匠を合わせた透かし彫りとかあってもいいと思うんですが、まぁわざとでしょうね」
「意味はわからないけどね。これだって落としたときのことを考えるとぞっとするわ」
アメリは慎重にイヤリングとネックレスを外して箱に収めた。
「やあ、ルネッタ! 今日も綺麗だね」
続いてドレスや髪型、アクセサリー、すべてのことを褒め称える。仮面舞踏会とかいっても隠すつもりもない。
アメリは無表情で受け流した。
「ヴィンセント、時間だ」
こちらもまたうざそうにクラウスが呼ぶ。アメリ、ルネッタ、ヴィンセントに対してはクラウスは王子様を演じるつもりが全くない。それでもあの部屋で見たクラウスよりはずっと立ち居振る舞いに隙がない。
「また後で、ルネッタ。今日はもう挨拶が終われば僕らも自由にできるから」
手を掴まれた瞬間にはたき落とす。心配しなくとも上手にできた。学年始まりの頃、ルネッタがぐったりしていたのがよくわかる。
「ヴィンセント!」
早く済ませたいクラウスが呼びつける。彼相手に自由にできるヴィンセントの神経が恐ろしい。
アメリはクラウスと目が合ったような気がしたが、クラウスは何も不審に思わなかったようで視線は上滑りした。
ヴィンセントが立ち去ってから、ルネッタがアメリだけに聞こえるような小声で話しかける。
「疲れるでしょう?」
「……」
何も悪いことをしていないはずなのに、無性に謝りたくなった。まさかこれがやりたくて今回のすり替え劇を言い出したのではなかろうか。
「私達も行きましょう」
******
仮面をしていてもこうやって開催挨拶をしていれば誰だかわかってしまう。他も髪色や髪型、体型に特徴があればすぐに気がつくだろう。やって意味があるのかと思うが、会場も隣の男も楽しそうにしているのなら問題ないのだろう。
「仮面のせいでお互いにわからなかった、という言い訳に使うのですよ」
クラウスの疑問に気づいたかのようにヴィンセントは言う。
「理解はしているさ。気になっているのは俺までする必要があるのかってだけだよ」
「不自然でしょう? せめて会場を出るまでは外さないでくださいよ。それよりも見ました? 僕のルネッタは何をしてても可愛いですね。あれで気づいてないと思ってるのかな」
くすくすくすくす、肩を揺らして笑う。少し気持ち悪い。
「いや、流石にそこまで切羽詰まってないと思う」
「ですよねえ。表情筋はちゃんと仕事できたんですね。仮面を剥ぎ取ったらまた固まっちゃうのかな。やってみたいなぁ」
「あまり追い詰めないでもらえるかな」
「あなたには迷惑はかけませんよ」
あー、本当に可愛い。お持ち帰りしたいなぁ、と物騒なことを言う。
「殺されない程度に頑張ってくれ。あんまり過ぎると許可を求められたときにうっかり頷いてしまいそうだ」
「そうですねえ。正攻法ならいなせる自信がありますが、暗殺術を使われたら難しいでしょうね」
「……躊躇うと思っているのか?」
「始めの頃よりは懐いてくれていますよ。本当に可愛いなぁ。遊びに行ってもいいですか?」
ヴィンセントのテンションにクラウスはぐったりする。本当に、これだけが彼の欠点(?)だ。
「で、どっちに?」
「一緒に行きましょうよ。最初は譲りますから」
うきうきとヴィンセントは歩き出す。会場は照明を落としていて薄暗かったはずだが、既に彼女たちを見つけているのか。目立つ方だといえばそうだが――いや、何を考えても無駄だ。
クラウスはヴィンセントの後を歩き出した。先程にアメリの様子を思い出す。色々とぐったりはするが、確かに去年よりは楽しめそうな趣向だ。
「待たせてすまない。向こうに美味しそうなケーキがあったよ。一緒に行こう」
矢継ぎ早に話しかけて、ヴィンセントはルネッタの姿をしたアメリを連れ去っていく。去りがけにウィンクをしていく辺り、嫌味だ。
「何か言うことは?」
「アメリには申し訳ないことをしました」
ルネッタも始めからヴィンセントを騙せるなど思っていなかったのだろう。アメリだけが大変な思いをしているに違いない。
「茶番だな」
「仮面舞踏会はこういうことに使うものですよ」
柔らかく微笑んだルネッタが見上げる。目元はわからないが、口元の形がとても珍しい。
「仮面を剥がされないように気をつけるといいさ」
「私の被害もそれなりなので、アメリへの謝罪はなしとしましょうか」
「案外楽しんでるね」
「そうかも知れません。クラウス様、アメリにしたいことを私になさってはいかがですか?」
「ヴィンセントに殺されるよ」
「殺されるようなことをなさりたいと」
「殺されるようなことをさせたいんだろう?」
「いえ、私としても友情にひびを入れるのは本意ではないので」
これはルネッタの企みではなくて、ヴィンセントも一枚噛んでいるのではないだろうか。不穏だが息抜きにはなりそうだ。
「では、無難に俺と踊ってもらおうかな」
「承知致しました」
外部から見るとクラウスとアメリが踊っているように見える。
クラウスとアメリは親しいが、クレアを通じて知り合い、今はルネッタと介しての、また生徒会の一員としての関係だ。そうであるようにクラウスはアメリを扱っていたし、周りもそう解釈していた。しかし、今の状況はどうだろう。これは少し問題にならないのだろうか。
「何かお考えですか?」
「――ジェレミーがどこにいるのかと思って」
ニコルの件もあるように、アメリは普通に魅力的だ。身分がそれほど高くないことも学園内では魅力の一つだ。婚姻による家力の強化を求めない中堅貴族以下には、容姿と能力の高さで嫁にほしいだろうし、上位貴族にとってはつまみ食いに丁度いい。何なら侍女に召し上げてもいい。
後者は生徒会という組織に入れたことである程度の牽制はできたし、あまりに面倒くさそうな相手にはクラウス自身が牽制しておいた。
そのせいでアメリ自身が色々とやっかまれることになっただろうが、学園内の噂になるほどの事態にはなっていない。
(俺の望み、ね)
ただ穏便に卒業を迎えたいだけなのだが、あの場で取り繕っても彼は笑うだけだっただろう。幼子を見るような目で。――取り繕うことの何が悪いのか。
「彼でしたら五時の方向です」
「騙されているのかな?」
「そうであれば、この茶番の意味もあったというものです」
「それはついでだろう?」
ルネッタの瞳に映る自分の姿を見て、クラウスはため息を吐く。
ルネッタは友人の恋を応援しているふりをして、言い方は悪いがクラウスを値踏みしている。自分が付き従うべき主かどうかを。
いくら薄がりでも長く続けているとジェレミーも気づくだろう。勘違いを続けさせようとするならクラウスが動く必要がある。だが、そもそもそれが必要か?
「私は、アメリの騎士ならいいと考えているんです」
ルネッタは不思議な事を言いだした。
「あの男の部下になるよりずっといいですね」
「……それは考えていなかったな」
ルネッタは唇に笑みを浮かべた。とても自然で一瞬アメリかと見間違う。
ルネッタの腰を抱き寄せ、キスをするような角度で顔を寄せて瞬時に引いた。
「――あの、」
十分沈黙したあとでルネッタが硬い声を出す。クラウスは全部言わせずに遮った。
「アメリにはとっくにしているよ」