告白2
クラウスはアメリを起こそうとしたのか、手を伸ばしたが腕を掴む前に止める。
「今触らないほうがいい?」
「ええーっと、今クラウス様って、どうなってますか?」
おかしな質問だが、クラウスはアメリの意を汲み取って答える。
「うーん、多分正気じゃないなぁ」
本人が正気ではないと言うなら、正気な気がする。
「……申し訳ないのですが、起こしていただけると助かります」
「そこに座らせるよ」
肩を貸してもらって移動するくらいのイメージでいたら、自然に姫抱っこされてソファに運ばれた。
この世界の紳士は怖すぎる。自分の扱いなどもうちょっと適当でいいのに、とアメリは未だ慣れないままだ。
「あの、えっと、今のってトゥルーエンドの……」
「そう。薬は出てこないから安心して。姉が思い間違いをしてなければあれであってたはずだよ。言い方指導もされたし」
「指導って……?」
まるっきりゲームそのままだった。今更ながらに恐怖と安堵がアメリを襲ってくる。言われているときはむしろキスされるのを待っていたくらいだったのに。
(完全に流されてた!)
「――って、姉?」
「そう、姉」
(姉? あね? ってあれ?)
混乱しているアメリをクラウスは愉しそうに眺める。
「血は直接繋がってないんだけど、俺には姉がいたんだよ。何度か言わされたな」
(いわされた……?)
「アメリ、ここまで言って気が付かない?」
「何を?」
本当にわからない。というか、さっきのが衝撃的すぎて考えがまとまらない。未だ心臓はバクバク言っている。外に聞こえているのではないかと思うくらい大きくアメリの耳に響いていた。
「初めて会ったときに崖から落ちても死ななかったって話したよね。あれね、姉の仕掛けた心中未遂」
深刻な顔もしないで、しれっと爆弾発言をした。
クラウスは制服のタイを緩めて、アメリの向かい側に腰を下ろした。足を組んでいつもよりもずっとラフに座っている。いつもは意識して上品に振る舞っているのか、とやはりアメリの思考は主題と関係ないところに飛んでいく。今クラウスが話していることは彼としても緊張する話なのかもしれなかった。
「うちの国でコインを半分にちぎって男女がそれぞれ持つというのは、別れなければならない恋人がやるものなんだよ。わかる?」
「政略結婚とか?」
「そう。身分違いとかそんなの。この金貨は硬貨の価値としては真ん中辺りなんだけど、国外に出ても必ず戻ってくると言われている。硬貨に描かれている始祖を表すガレーの木が呼ぶからだそうだ。それにあやかってとからしい」
(だから二つあったのか)
「君が持っていたのは俺ので、俺が持っていたのは姉の。墓参りしたら墓の近くに落ちてた。埋葬するときに慌ててて落ちたのかな。俺は出てないけど密葬だったらしいし」
「密葬」
「王位継承権がなければただの人と一緒だから、お姫様だからって特別扱いはないんだよ。うちはそういう国」
「――お姉様が好きだったんですか?」
クラウスが目を丸くした。まったくその要素に考えが及ばなかった、とそういう顔だった。前髪をかきあげるとついさっきアメリが綺麗だと思った瞳が見えた。そういえば、さっきからクラウスはアメリからちょっとだけ視線を外している。
「好きではなかったなぁ。ずっと不思議な存在だよ、生きてるときも死んだ後も」
心中。
死んだ後会えるようにお互いにコインを身に着けて――崖から飛び降りる。好きではない相手とするのは無理心中。このクラウスがそれを許すだろうか。やっぱり好きだったのではないのか。
「あなたの話、あれはお姉さまの話だったんですか」
「そうだよ、俺は転生者じゃない。案外、長く騙せた」
ようやく答えにたどり着いたことを喜ぶようにクラウスは微笑んだ。
「……お姉さまの代わりになろうとしたんですか」
「いや、――結果的にはそうだけれど、君が考えているような意味で姉に成り代わったわけじゃない。始めは俺も信じられなかった。馬鹿みたいな妄想だなって思っていた。
必死になっている人間の力って、簡単には振りほどけないんだよ。ひどい痛みだったよ。死んだほうが楽だったろう。絶対に引き離せる方法だと信じて心中してみたら、自分だけ死んじゃったっていう喜劇の鑑賞料にしては高すぎる」
どこかふわっとした口調だったものが、疲れたようなものに変わる。
「でもそれで俺は信じることができた。姉が言うには、俺は絶対に君を好きになって監禁か殺すかするんだって。ひどい話だと思わない? 俺がされたことを今度は俺が君にするんだ」
アメリから少し視線をそらしたまま、クラウスは続けた。
「だからあの時決めたんだよ。絶対に君を好きにならないと。……騙しててごめん」
チェーンがなくなって初めて言えたということだろうか。しばらくアメリは考えていたが、出てきた結論はそれって本当に重要か? ということだった。
「別にいいです、それ」
「え? いや、いいことないでしょ。ずっと騙してたんだから」
「騙されてて困ったことなかったですし」
騙されていたという言葉は悪いが、不利益はなかったのだからいいような気がする。しかし、言葉が悪いのには違いない。紳士的な行為とは言えないのは確かだ。
「そうはいっても、俺が転生者だから安心してたところはないの?」
「最初はそうです。でも転生者じゃなくったって、クラウス様は私を助けてくれたでしょう?」
クラウスは口では自分のルートにさえ来なければいいと言いながらも、他のルートも潰そうとしてくれたのだ。
四人で出かけたあの日、門限を破ったことになっていなかったのが不思議だった。既に申請が出ていたと聞いて、確かめもしないのにクラウスがやったのだろうと思った。彼は攻略ノートを見ている。ジェレミーのエンディングがどうなるか知っているのだ。何事も起きなかったことにして、助けてくれる気だったのかも知れない。来たのは彼自身ではなくルネッタだったが、それでもアメリは嬉しかった。
「さっきのトゥルーエンドも意味があるんですか? クラウス様って意味のないことしないですよね」
「君の俺に対するイメージ、どうなってんの? じゃあ、カークのノーマルエンドは終わったよね。ジェレミーはどう?」
「ノーマルエンドは回避したみたいなんですけど、トゥルーエンド前のセリフがあって、それをこの間聞いたので、まだかなあ、なんて……わからないです」
「じゃあ、俺とジェレミーの進行状況って同じくらい?」
ゲームの進行は本当にわからない。何故かジェレミーでクラウスのイベントっぽいものがあったし、バグでも発生しているのだろうか。
「それもちょっと。イベントの乗っ取りがあるみたいですし。あのチェーン、ジェレミーに付けられたんですよ」
「聞いた」
「クラウス様と全く一緒で、ぞっとしました。あれ本当にジェレミーかなって」
「実は俺とか?」
いや、違うだろ。
クラウスの顔つきから面白がっているのがわかる。
「それとも、『私』?」
「それ本当にやめてください。さっきの、フリにしてはかなりガチでしたよ」
「あれでトゥルーエンドにはならないか、さすがに」
肘掛けで頬杖をついてクラウスは考え込む。普段の彼にしては行儀が悪いが、そのせいもあってかギャップで尊さがやばい。少し弱っているように見えるせいか、色気もやばい。
(おまけに顔がいいからね!)
さっきからアメリは何度も深呼吸をしている。
「体がきついなら横になってもいいよ」
「大丈夫です!」
「悪いけど、もうちょっとだけつきあって」
「……クラウス様が優しいとかやめてほしいです」
「ぶれないな」
アメリの深呼吸の理由など彼はわかっているに違いない。
アメリを一瞥した後はしばらくクラウスは無言で考え込んだ。
しばらくして、考えがまとまったようでクラウスはアメリに向き直る。
「俺はアメリが好きな相手にだけ、アメリは監禁されるんじゃないかと思っている。好きじゃなかったら、仮令そういう場面になっても、どこかで邪魔が入ると思ってるんだよ」
「クラウス様が邪魔をしているだけでは?」
「俺自身は何もしていない。俺がしているのは事後の確認だけ。されてもいいとアメリが思うから、そういう結果になるのではないか、と予想している。勿論、攻略対象は閉じ込めてしまいたい、攫ってしまいたいと思いつめるところまでになってて、アメリがそれに応えたいと思うからそういう結果になるんだよ。ゲームのルールでは、アメリが攻略しているんであって、俺達がアメリを攻略しているわけじゃない。――わかる?」
「なんとなく、わかります」
カークに閉じ込められたときのことを思い出す。そんなあなたを愛すと思えばあれはハッピーエンドだ。ジェレミーのときも、彼の言葉に従いたいと思うなら攫われてもハッピーエンドなのだ。エンディングはアメリの望まない結果にはならない。バッドエンドはないのだから。
「確かにジェレミーのゲームのエンドはアメリが応えたから、じゃあずっと一緒にいましょうねってハッピーエンドです。性格やイベントが違っていても、私がジェレミーを受け入れない限りは大丈夫ってことですね」
「ジェレミーは大丈夫だと俺も思っているよ。怖い思いはするだろうけれど、監禁が成功することはない。君がジェレミーの愛し方を受け入れない限りはね。だから、問題は俺だけだ。君が自分を守りたいなら、俺を嫌いになってよ」
「と、言われても」
そんなにあっさり嫌いになれたら苦労はしない。
「わからないから自信がない。今のジェレミーが君に向けている気持ちは、俺も向けられたことがある。だからさっきの君が逃げなかったのも分かる。優しい君は流されることも多いんだろう。抵抗できなかったのは嘘で、俺もあの時流されたのかも知れないし」
「……」
「そうでありたくないだけで、たった一瞬でも好きだったのかも知れない。今となってはどうとでも言えるね」
あのチェーンがクラウスのトラウマになっていた理由がようやくわかったような気がした。どういうものかわかったとき、何故いつまでも持っていたのかが不思議だったのだ。彼なら躊躇なくその場で捨ててしまいそうだ。
力任せに拒否できたのにしなかったのには理由があるのではないか、とクラウスは今も思っているのだ。もしそうできたならクラウスの姉は死なずに済んだだろうか。
アメリ自身の考え方では、推しが生きているのなら死ねない。だが、推しと結婚できないなら死んだほうがマシと考える人がいるのもわからないでもない。
手放したいけれど手放せなかった鎖を今溶かして、ようやくクラウスは少し楽になったのかも知れない。だから今黙っていたことを話してくれるのだろう。本当に大事なことはリラックスしていないと話せないと聞いたことがある。
「お姉様を好きになっていたらよかったと思ってるんですか?」
「――それは、確実にないなぁ」
クラウスは何とも言えない複雑な顔をした。表情を作ろうとして失敗したのならば、安堵と悲しみのどちらが本音なのだろう。
(つらくないといいな)
クラウスの気持ちはわからないけれど、無理ばかりをしなくてはいけない人なのだということはわかっていた。あんなことがあったとしても、彼はゲームのクラウスのままでアメリの前に現れたのかも知れない。今の彼はアメリにとってはかなり幸運なのだ。
そこまで考えて、アメリは自分勝手な考え方に嫌気が差す。
「……なんで君が泣きそうな顔をしてるの?」
「わかりません。あなたのが伝染っちゃったんですよ」
「俺は泣きたくないけど」
「私も悲しいわけじゃないんです」
なにかの想いがぶわっと溢れてきて、その行き場がないだけだ。
「床に転がってもいいですか?」
「意味がわからないんだけど」
クラウスはアメリの隣りに座って肩を抱いた。自分の方に抱き寄せて、子供をあやすかのようにトントンと軽く肩を叩く。
「好きになられるのは困るけど、……君が泣くのは少しつらいな」