再び
(さあ、重要なイベントが発生しました!)
実況風でアメリは己のテンションを上げる。
攻略ノートでジェレミーのイベントは復習済みだ。ジェレミーといえば、図書委員イベント。ジェレミーが生徒会に入れないかと言い出したときは、このイベントの代替かと思ったが、ちゃんと別で発生してしまった。普通にゲームしていれば発生するイベントだったので起きたからといって特に驚きはしないが、先日のこともある。気を引き締めていかなければ。
この件についてはクラウスの預かり知らぬところだったらしい。「ニコルは君を離さないと思ったんだけど、何があったの?」とは聞かれたが、アメリにもはっきりどれとは言えない。心当たりの積み重ねの結果だ。
書記に回されたのは何かクラウスの気に障ることでもしたからかと思っていたのだが、そういった裏があったようだ。クラウスは攻略ノートによってアメリと同等の攻略知識を得て、ジェレミールートの回避もしてくれようとしていたのだ。
そういう優しいところがあるから惚れ直してしまう。あの男は乙女心がわかっていない。
(前世は女だったのに)
前世要素が少なすぎないだろうか。それとも後数年経つとアメリもあんなふうになってしまうのだろうか。無論、性格ではなく。
図書委員イベントというが、アメリの立場は生徒会の書記補佐のままである。
学内図書館に所属する図書委員会は生徒会と同じようなちょっとした権限を持つ組織であって、数年前から新規に校史の編纂を行っている。そのため、生徒会が年に数回――暇な時期に人を貸し出していた。生徒会室の書庫にしかない資料というものもあるためだ。単に資料の貸し出しだけの用件であったなら、窓口を決めておくとお互いに手間が省ける。コミュニケーションも日頃から取っておくとそのあたりもスムーズだ。
そのため、あまりに下っ端だと困るし、役員がやるほど重要でもない。書記補佐なら妥当なところだというのはわかる。
初顔合わせのミーティングが終わり、今日のところはおしまいだ。やっぱりというか、ジェレミーが近付いてくる。副委員長という微妙なボジションは安心できるものだろうか。
「生徒会との連絡係なんですけれど」
「その件でしたら、ミーティング前にご紹介いただきましたよ」
「そうなんですね。でも、今からでも僕と変わっても構いませんか?」
(構います)
即答したい。図書委員会というのは結構暇なのか。委員長だけで回るくらいのことしかしていないのか。というか、副委員長というのはそんな横暴が通るようなポジションなのか。
「……それは、どういった理由でしょうか。先程ご紹介いただいたのに急に、とは、私が何か気に障るようなことでも?」
「いえ、そうではないんです。最初僕がやろうと思っていて、でも……あの日、あなたを怖がらせてしまったみたいで、考えちゃって、代わってもらったんです。でもやっぱりあなたを見たら、我慢できなくて……駄目ですか?」
(子犬みあるわ……)
これは断ったほうが面倒なパターンではないだろうか。というか、こんな色恋で権力使ってみました、と堂々と言ってもいいのだろうか。
「あの、そういうのは、問題ではないのでしょうか」
「面倒な役目だと思われているみたいで、あっさり代わってくれましたよ」
「いえ、そういうのではなくて」
「隠す必要はないかなって思ったんです」
「何を?」
思わず心の声が出た。今までだってあまり隠せていない気がする。
ジェレミーははにかみながら言う。どこか、ゲームみがあるような気がするのは気のせいか。
「アメリ、また今度一緒にデートしてくれませんか?」
彼はいつからアメリを呼び捨てするようになったのだろう。四人で出かけようと言っていた時にはまだ奥ゆかしかった気がする。どこかでリミッターが切れてしまったのならそれは一体何がきっかけだったのだろう。
「今度は門限までに送りますから」
普通じゃない雰囲気に思わず割って入ってしまったとルネッタは言っていたが、ジェレミーはあのときアメリを連れ去るつもりだったのだろうか。外泊というだけで問題ではあるけれども、まだ翌朝帰してもらえるならいい。
あの日の門限やぶりはなかったことになっていた。アメリは申請など出していない。誰かが手を回していたとしか思えない。それはなんとなく、クラウスな気がした。
「――私にはお慕いしている方がいますよ」
「知っています」
「そうですか。連絡係の件は委員会の皆様でお決めになったのでしたら、どなたでも構いません。ですが、デートの話はお断りします」
ジェレミーは新歓パーティのときに、アメリがクラウスを見ていたことに気がついているだろう。だったら今更だ。このジェレミーならクラウスに一言言いに行ったりくらいはするかもしれないが、そうだったとしてもアメリは困らない。そんなことではクラウスの好感度は上がりも下がりもしない。
こうなったらもう逆ハーレムルートでいいではないか。そうやってエンディングを迎えた上で、クラウスを選んでやる。
*****
ジェレミーもヴィンセントのような甘々攻撃をするのかと身構えていたら、至って普通の接し方だった。やはり事あるごとに側に呼んで好意を伝えるような真似をするためには、かなりの強心臓ではないと難しいらしい。
しかし話しかける際にいつも嬉しそうでは、同じ空間にいる人間には好意を抱いているのがすぐにわかる。身内を応援しようという心理が働くのか、アメリは副委員長はいい人ですよという話を委員から事あるごとに聞かされる羽目になった。
アメリが返却される資料を確認している側で、下級生が二人楽しそうに話している。始めの頃は緊張するのかアメリがいると無言の空間が広がっていることが多かったが、今では気にしないで雑談している。そのほうがアメリも気が楽だ。
「この間温室で見つけて。気に入ったから持ってきちゃった」
「えー。そういうの人に言わないほうがいいよ。伯爵家のあの人とか」
「言わないよー。うちは貧乏子爵だからさ、話しかけることもないって。ね、これ、金じゃない?」
「かなぁ? ちょっと汚れてるけど、錆びてないし」
「ふふ、あの人錆も見たことなさそうだよねー」
どこにでも鼻持ちならない人はいるものだ。彼女たちの会話も上品とは言えないが、金の装飾品を拾ってテンションが上ってしまう気持ちはアメリにもわからないでもない。事業がうまくいっていてそこそこ裕福ではあるが、アメリは男爵家令嬢。上流貴族ではない分、お金や財産というものがどういうものかよくわかっている。
(でもパクっちゃうのはまずくない? ん、――温室?)
「ごめんなさい、お話が聞こえちゃったの。温室で見つけたものって、金のチェーンの?」
「え、アメリさんのでした? 落とし主、探そうと思ってたんですよ。早く見つかってよかったですー」
引きつった笑顔で差し出すのが痛々しい。金のチェーンと具体的に言ったせいで、落とし主と勘違いされたようだ。確かに彼女が持っているのはアメリが一度手にとったことがあるもので、見覚えのあるコインをちぎったような飾りがついている。
(クラウス様の、よね?)
これは自分のもののふりをして受け取っておこう。あの時クラウスは大事なもの、と言っていた。だが、捨てたほうがいいものだとも。
大事なものなら、いつか返せる時が来るかも知れない。
「ありがとう。お礼はするわ」
アメリは小さな石のついたイヤリングを外して、チェーンを拾ったという女生徒に渡した。こういうときのために何かひとつ装飾品を身に着けておくように、という母の教えが今役に立った。
「え! こんなもの……いいんですか!?」
「いいの。大事なものだったから。見つけてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
交渉成立。
アメリは改めて金のチェーンを見る。間違いない。
「それは?」
アメリの背後からジェレミーの声がする。アメリと話していた生徒は顔をしかめる。
「副委員長。遅いですよ」
「途中までやってくれたんですね。授業が長引いて遅くなりました」
「ここ、置いときますからね」
彼女たちの分は終わって、ジェレミーの仕事を手伝っていたらしい。結構いい子だ。当人が来たということで二人はぱたぱたと本棚を曲がって消えた。あのままここにいるのは少しきまりが悪かっただろう。
ジェレミーは二人を見送った後、アメリの持つチェーンを覗き込む。
「アメリのものなんですか?」
どう言えばいいのか。アメリは口ごもる。
「これは……グエンバドル公国の硬貨ですね。生徒会長からいただいたんですか?」
「グエンバドルの?」
「ええ。ペンチで半分にちぎってありますね。おまじないだそうですよ。どれだけ離れてもまた会えるように、恋人同士がそれぞれ持つんだそうです」
恋人同士のお守り。大事で、捨てたほうがいいものなら別れた彼女とのものだろうか。身分違いの恋とか、クラウスなら成就できない恋の一つや二つ、あってもおかしくない。あのクラウスだから想像できないが。
今でも好きで、忘れられないもの――
「あなたに贈ったんですか? 生徒会長も可愛らしいことをするんですね」
後ろから伸びた手がアメリの持つチェーンに触れる。ためらうことなく取ってから、ジェレミーは横の椅子を引いた。
「どうぞ」
「あの……」
「ちゃんとお返ししますよ」
穏やかに笑うが、その笑顔が怖い。何かを押し殺しているようにも、何も隠していないようにも見える。
アメリはチェーンを人質に取られたようなもので、ジェレミーの言うとおりにするしかない。
アメリが座るとジェレミーは騎士のように跪いた。片方の靴を脱がし、足首にチェーンを掛ける。つま先にそっと口づける。
――クラウスのシーンと同じだ。
反射的に足をひこうとすれば、強い力で止められる。
「手首だと抜けてしまいそうだから、こっちのほうがいいですよ」
「離してください」
「はい」
靴を履かせた後、ジェレミーはあっさりと引いた。チェーンを取ってしまいたかったが、ジェレミーから目を離すのが怖い。これはあとで外そう。だが、クラウスに渡すかどうかは心が揺れていた。今もこれを必要ないと思っているのだろうか。
ゲームのアイテムならないほうが多分いい。そうでなくても今ジェレミーがしたようなことをクラウスはきっとしないだろう。大体嫌いではないとはいえ、挨拶でもないのに口づけようと思うだろうか。しかも足だ。王族のすることではない。アメリだって抵抗がある。
「どうしてこんなことをするんです」
「なくしてしまうのはあなたが困るのではないかと思って」
「別に身に着けなくても」
「外しましょうか?」
「結構です」
もう触れられたくない。だがチェーンも取り去ってしまいたい。足から嫌悪感が全身を駆け巡る。チェーンが重く感じる。それだけはジェレミーのせいではない。
「僕は貴方の望むままに。僕の何も好ましくないと言っても、ただ忠実であれば、少しは貴方のお役に立てるでしょう?」
「じゃあ、もう顔を見たくないと言ったら?」
「それは、少し嫌ですね」
ジェレミーは少し考える。いや、考えるふりだ。すべてすぐに答えが出る。彼の思考の基準はぶれないのだから。
「貴方の目を隠してしまったら、僕は見えませんよね。でもそれだと貴方の顔も見えないなぁ」
「……あなたの顔以外も見えないわ」
「そうなんですよね。それが一番の問題で。貴方の目の色もとても美しいし」
ぞっとして唇の内側を噛んだ。握りしめた手の爪が食い込む痛みで何とか正気を保ててるようなものだ。
目を潰せばいいと、言外にこの男は言っている。
ジェレミーはふふっと笑った。
「しませんよ。貴方を傷つけることはしません。僕が目だけを置いて行ければいいのですが」
あれだけ好きだった声も今はただ気持ちが悪い。