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かわいそうな彼女

 自分の主人は何を怒っているのだろう。


「外出の延長申請を出してくださっていたのですね。……この事態を予測しておられたのですか」


 承認印は昨日の日付。アメリの帰宅が遅いと気がついて偽造したのかと思っていたが、さすがにそこまでの小細工はしないだろう。全員分は必要ない。


「俺が出したのは君とヴィンセントのだけだ。アメリのが出ていたのに気がついたからね」


(なるほど。出し抜かれたことにお怒りか)


 クラウスが手のひらを向けたのでルネッタは持っていた鍵を載せた。近づくほどにクラウスの怒りは消え、少し不思議な気分になった。近くなるほど感情が読めなくなることは普通はない。


「怖がっているようなら、助けてあげて。君はアメリの友人だろう?」

「クラウス様が行かれたほうがよろしいのでは?」

 出過ぎた言葉と知りながらも口にしてしまう。

「うーん……逆効果な気もするんだよね」


 クラウスは指にひっかけたスペアキーをくるくると回す。


「ルネはさ、自分を殺そうとする人を好きになれる?」

「あるかもしれませんね」

 殺されてもいいと思うような剣さばき。それは存在すると思うし、どうせ死ぬのならくだらない死に方はしたくない。

「……訊く相手を間違ったな」

「それはあの方との」


 慌てて口をつぐみ、ルネッタはその場で臣下の礼を取った。クラウスはいい意味で臣下との距離を近く取ろうとする。それは時と場合により、本来あるべき距離感を間違えそうになる。


「失礼致しました」

「いや、いいよ。というか、ルネは知ってたんだね。当たり前か」

 クラウスからは怒りも悲しみも苛立ちも、負の感情は何も感じられない。さっき、近づくほどに感じ取れなくなった怒りの感情。それを思い出し、ルネッタの背筋は凍った。穏やかさしか感じられない目の前の男が心底恐ろしい。

 今ルネッタが口にしようとしたのは一族の禁忌だ。親しい者、ほぼ当事者たちのみが知る事実を、知らないことで不都合がないようにと学園に来る前にルネッタは王から直々に聞いたのだった。


「本当にね、あの人のことはもうすっかりどうでもいいんだよ。ただ話してくれたことは、面白かったなぁってそれだけ」


 やはりどれだけ神経を研ぎ澄ませても、クラウスの本当の感情は読み取れなかった。




 隠されているのは五年前の出来事だ。

 あれ以来、クラウスには年相応に楽しげに話をしているときでさえ、どこか達観したような落ち着きがある。

 人が信じられなくなって、疑心をお持ちになられたからだと言う者や、単に大人になったからだと歓迎する者もいる。ルネッタはそのどれでもないように思える。王に近い血筋に生まれ、その年令と王の素質を見いだされて、彼が立太子の儀を迎えたのは歴代最年少に並ぶ。そういう人間が当時ただ聡明で愛らしい少年というはずがない。


 グエンバドル公国は、王国の中にありながら外にあるような少し特殊な立ち位置だ。広大な自治領を治める領主よりも独立性を持ち、王国と友好な関係を保ちながら独自の文化を継承する国。統一国家になってから国王が積極的に公国を取り込もうとしなくなった点も大きい。


 だからといって、無能な王では困る。対外にはあくまで公であり、公国内では王であらねばならない。ルネッタは一年側にいるが、未だ本当の顔が見えないクラウスにはふさわしい立場に思えた。それにどうせ仕えるならば愚鈍な王より賢明な王のほうがいい。苦悩する王より愉しむことを知る王のほうが気が楽だ。

 そして一年間でルネッタが学んだことは、彼には近づきすぎないほうがいいということだった。


 理解しようとすれば、不安になる。近づきすぎるとどこか落ち着かなくなる。――アメリもそうなのだろうか。


 アメリはきっとクラウスのことが好きなのだろう。クラウスもまたアメリのことが好きなのだろうなと思ったこともあった。それはまだルネッタがアメリと親しくなる前で、クレアが二人のそばにいた頃だった。




 *****




 ルネッタと二人きりだったところを申し訳ない、と一応ヴィンセントには謝ったのだが、当の本人は「ルネッタの美しい姿が見られたので、むしろこちらが礼を言いたいほどだ」とのたまった。若干恍惚としていたくらいなので、本心に違いない。


 今日は授業も休んだほうがいいとルネッタに勧められて、アメリは一日寮で過ごした。寮には男は入ってこられない。

 ジェレミーとはあの後何も話すことなく別れた。ルネッタの剣幕が静かに怖かったし、ジェレミーの顔をまともに見られなかった。彼はどう思っただろうか。クラウスの妨害と思っただろうか。


『あなたは僕では不満なんでしょう?』


 きっとジェレミーはアメリの恋心に気がついている。


 入学したての頃に書いたきりの攻略ノートを開く。思い出せる限りのゲームの内容を書いたノートは、あれ以来ほとんど追記していない。今ではどんどんと思い出せなくなっていて、大抵はきっかけがあれば後からそうだったと思い出せる程度だ。

 あの頃は二年目のことなど考えていなかった。一年ですべて終わるだろうと思っていた。でも今終わっていないばかりか、予想しなかったことがたくさん起こっている。


『僕のことを少しでも、どこかひとつでも好きなところがあれば言ってください。なければ好きになれそうなところでも、直してほしいところでも』


 二人きりで門限やぶりをしてそのままノーマルエンド――であるならば、ルネッタの邪魔によって、アメリはジェレミールートも終了させたことになる。しかし、あのセリフはトゥルーエンドにつながるイベントの中にあったものだ。シーンは違うが、あれを聞いたということは、まだ攻略は続いていると考えていい。さすがは一番難易度が低いといわれるルート。ぼうっとしていてもそのエンドへ向けて運ばれていくのだろうか。


 部屋がノックされる。


「アメリ」


 ルネッタの声だ。

 アメリは扉を開ける。


「そんな一気に扉を開けてはいけません。私じゃなかったらどうするんですか」

「だってルネッタの声だったわ」

「私が脅されている可能性も考えるべきです」


 王家の護衛(推定)は言うことが違う。


「一緒の授業はあとでノートを貸しますね。これは借りてきたので明日の朝返してください」

「えっ、借りてきてくれたの?」

「はい。なので今夜中に写しておいてください」

「ありがとう、すごく助かる……」

「副会長に早く帰れと言われたので、私はこの後もずっと寮にいます。何かあったらきてください。夕食は一緒に取りましょう」

「ルネッタ」


 いたせりつくせりだ。しかしこのルネッタの行動は彼女の意思なのだろうか。アメリは昨日からずっとそのことが気になって仕方がない。


「あまり、こういう事は言いたくないのだけれど……」

 アメリの思いつめた顔を見て察したのか、ルネッタは言葉を遮る。

「あなたと親しくなったのは偶然です。クラウス様に振り回されて可哀想とは以前から思っていましたから、それで手を貸していたわけですし」


 そうか、第三者から見ても可哀想なくらいこき使われていたのか。


「そもそも私はクラウス様とはそれほど親しくないのですよ。入学する直前までお話することもありませんでしたし」

「そうなの」

「進級前休暇のときに顔合わせはしましたけど、それ以降だと生徒会に入ってから初めて挨拶をいたしました」


 それにはアメリもびっくりだ。生徒会に入ってからも会長所属だったではないか。


「今にして思えば、完全に避けられていましたね。なので、あの方が避けようと思えば完璧になさいますよ。逆に必要性を感じれば手元に置いたのでしょうが。私の場合は、情報がないのでとりあえず近くに置いたほうが安心だったからだと思います」


 勿論、とルネッタは続ける。


「今は去年ほど疎遠ではありません。今の状態が、あの方の望む形になったという可能性は否定できませんね」

「いいわ、ルネッタ。――半分だけ信じておくわ」

「それがいいと思います」


 アメリは全部信じた。だが、ルネッタにはこう言っておいたほうがいいだろう。警戒心、猜疑心の強い考え方は国民性だろうかとアメリはクラウスを思って微笑んだ。


「彼と何があったのかは訊きませんが、私は割り込んで良かったのですよね?」

「そうね、ありがとう。本当に、助かったわ。あなたがいなければどうなっていたか」


 そういえばきちんと礼を言っていなかった。おまけに詳しいことは何も話していない。実はここはゲームの世界で監禁されそうになっていました、などといって信じてもらえるはずはない。そこは黙っておくしかないだろう。


「私はあなたを守れとか指示を受けていたわけではないですよ。副会長に北に向かうキースウッド家の紋章つきの馬車を見た、と言われて嫌な予感がしただけです。あの方向で散策に向きそうなのは丘の灯台ですが、あそこまで行くと門限に間に合うかどうかですからね」


 アメリが行きたいお店とかあれば別でしたけど、とルネッタが続けたが、その内容はアメリの頭に入っていなかった。


(完全に私がうかつだったわけね……本当に申し訳ない!)


 よし、じゃあ聖地巡礼いっちゃお、とか呑気に考えた自分が確実に悪い。ジェレミーにも申し訳ないくらいだ。自分があんなことを言わなければイベントは発生しなかった。


「アメリ? どうしました?」

「あの……丘の灯台行きたいって言ったの、私なの」

「聞き捨てならないんですが」

「えと、夜景が綺麗って聞いて。あっ、勿論夜までいる気はなかったのよ。ちょっと行けたらいいなーって」

「デートスポットだかなんだかしらないですけど、そこまで行きたいなら昼間に言えばよかったじゃないですか。行けたらいいなレベルなんでしょう?」

「あ、デートスポットなら悪いじゃない?」

「あのねぇ、人のことなんていいでしょう? どう考えてもあっちのほうがやばいでしょう!?」


(ルネッタ、本気で怒ってる……)


「そんなに行きたければ日を改めてクラウス様と行けばいいでしょう? お膳立ては当てにしないでほしいですが」

「なんでそこでクラウス様が出てくるのよ!」

「アメリがあの方を好きなことくらい知ってますよ!」


 だとは思っていた。だが、面と向かって言われると恥ずかしさに顔が赤くなる。


「気づいていないと思っていたんですか?」

「いや、気づいてると思ってたし、わかってたんだけど、ちゃんと言われるとなんか、こう……」

「そういうわけで、クラウス様の命令に背かない限りは協力しますよ」

「え、えー!?」

「アメリに優しいですしね、全く脈なしというわけではないでしょうし」

「あの人はみんなに優しいじゃない?」

「それはそうです。その中でいったら扱いは悪いほうですよ。でも――大事にされてますよ」


 アメリは顔をあげられなくなってしまった。


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