貴方が誰を好きでも
「ルネッタ、今からでももう一台用立てようか」
「アメリと先約がありましたので。馬車を手配していただけて助かりましたわ」
普通は笑顔であしらうところなのだろうが、無表情のルネッタだと突き放しているように見える。いや、ルネッタにそれができたとしてもアメリの状況が変わるかといえばそうでもないだろう。アメリはさっきから胃のチクチクが止まらない。
当たり前といってはなんだが、普通は馬車に四人で相乗りすることはない。ルネッタがアメリと一緒でないと嫌だと主張し、ヴィンセントがルネッタと一緒でないと嫌だとごね、困ったジェレミーが自分は用意した馬車で行くと遠慮したのを、いっそみんなで乗っちゃえば? とアメリが提案したのが何故か採用されただけだ。
何故こうなった、と思っているのはアメリとヴィンセントだけのようだ。ルネッタとヴィンセントは和やかとはいえない会話を繰り広げているし、アメリの横に座ったジェレミーはアメリを見てニコニコしている。
(ただ、一緒に行くだけなんだから)
二人きりならアウトだが、四人ならセーフ。謎理論でクラウスとゲーム進行に言い訳をする。
各攻略対象と街へデートというイベントは、ゲームでも何度か存在する。エピソードがどれだけ合致するか、というのが今のアメリの気がかりだ。思い出したての頃に書いたノートの記述を見る限り、門限内で帰ることができるかどうかが一番の肝になる。もし変えることができないなら――いきなりノーマルエンドになるとか、考えたくない。
「僕が贈ったネックレスはお気に召しませんでした?」
「え?」
「あなたに似合うと思ったんですけど」
去年の星祭りの時のものだと思い出すのに少し時間がかかった。あの時のごたごたでなくしてしまったとは言いづらい。カークのことを避けて説明するとなると嘘だらけになってしまう。
「ああ! いいね、それ。ルネッタ、好きなものを選んでくれていいよ。そして次のデートのときは勿論それを付けてきてくれるだろう?」
「プレゼントをいただけるなら、換金価値の高いものがいいですね」
「そういう正直なところも愛しているよ」
(うわぁ)
しかし結果的に話をそらしてくれたヴィンセントには感謝しなければなるまい。かといって塩など送ると友情が破綻してしまう。困った、とアメリが考えていると、ヴィンセントが持っていた杖を数回床に叩きつけた。
(これは……宝飾店へ行くな)
恐らく他の二人も気がついたと思う。アメリは到着するまで買わせた方がいいのか、買わせないほうがいいのか考えることになった。
基本的にアメリは宝飾品やドレスを見るのが好きだ。つけるかどうかは置いといて、見るだけならとても楽しい。店側としても貴族令嬢がやってきて、しかもお財布もいるとなると本気を出してくる。年齢にあった可愛らしいものが多いが、お値段は可愛らしくはない。
「指輪とかどうだい?」
「尖った爪がついているものなら考えます」
「ははっ、殴られないように気をつけないといけないなぁ」
「その前に回避したいですね」
「僕は誠実だよ。浮気と思わせるようなことさえしない」
ヴィンセントの言葉にアメリはどきりとする。彼の中では既に付き合っている設定のようなので深い意味はないのだろうが、自分が揶揄されたように感じてしまった。
(でも大体付き合ってもないし!)
クラウスは今アメリがここにいることを知っているのだろうか。ジェレミーも一緒だということを。知っていても気にしなさそうな気もする。
大体自分はクラウスの何なのか。恋人ではなく、勿論友人でもない。戦友というには関係は浅く、先輩後輩の間柄……よりは上司と部下だ。改めてロマンスのロの字もないことに乾いた笑みを浮かべてしまう。去年は時折アメリをからかって遊んでいたが、最近はまともに顔すら合わせてくれない。
「ルネッタは花より団子かな」
笑いながらヴィンセントは金の鎖の先に青い石がついたものをルネッタに差し出す。
「こういうのならいいかな。この間の授業で壊していただろう?」
ルネッタはちらりと視線を向けただけだが、それまでのように即答で拒否はしなかった。
「これなに?」
アメリが訊くと教えてくれた。
「柄につける鎖です。なくてもいいんですけど」
「あったほうが可愛いよね」
「ツカ?」
「あれ? 知らなかった? ルネッタは剣技の授業を取っているんだ」
「え?」
「アメリの前では常に手袋をしていましたから、気づかないのも無理はないです」
ルネッタは黒いレースの手袋を外した。指はまだほっそりとしているが手のひらはごつごつしていてタコまである。
「すごい……なんで言ってくれなかったの?」
女剣士など格好いいではないか。
「それは普通の反応ではないですよ、アメリ」
「僕の言葉を信じられなくても、友人の言葉は信じたほうがいいんじゃないかな。剣を振るう君の美しさと言ったら! 戦乙女が目の前に顕現したときのあの感動は、今でも鮮明に思い出せるよ」
(おや?)
ヴィンセントの一目惚れというのは意外と軽薄なものではないのかもしれない。ルネッタが嫌がっている以上、相性は悪いのかもしれないが。
店に入ってからほとんど黙っていたジェレミーが口を開く。
「ということは、あなたは生徒会長の護衛ということで学園に来たんですか?」
「私にはそこまでの剣の腕はありません」
「でしたら婚約者とか? ……失礼、あなたの国からは基本王族しか入学されないと聞いたことがあったもので」
婚約者。言われてみるとジェレミーの指摘は尤もで、アメリの胸中をもやもやとしたものが占めていく。
「婚約者など恐れ多い。公太子が進学なさる際には同時期にもう一人女性が行く決まりになっているのです。それだけのことです」
「それがどうやって選ばれるかわからないけれど、君が選ばれたということはやっぱり運命かな」
(そうだ、ヴィンセントがいたわ)
もしルネッタがクラウスの婚約者、もしくはその候補であったとして、クラウスは彼女をヴィンセントに差し出すような真似をするだろうか。
(……する)
アメリはたっぷり考えたが考えは変わらなかった。
結局、ルネッタは柄飾りを買った。ヴィンセントが勧めた青い石のものではなく、少しピンクがかったクリスタルを選んだ。割れやすいのだ、とこっそりアメリに言ったが、ヴィンセントはそれを聞いたとしても悪い方には取らないだろう。むしろまた贈り物ができると喜びそうだ。
なんというか、ヴィンセントのポジティブさには頭が下がる。
その後は演奏会に出かけ、しばらく街歩きを楽しみ(途中の大道芸はジェレミーのイベントだった)、お茶の時間になる。
「――ねぇ、夕食が入らないんじゃない?」
こそりとルネッタに言うと、美味しいから仕方ないと返事がある。
こんなに甘党でよく太らないものだと思っていたが、ルネッタが剣技に覚えがあるというのならそこで消費しているのだろう。彼女の手を見る限り、単なる趣味にはとどまらない範囲だ。
「むしろ好みを把握されていて腹立たしいので食べます」
(それって胃袋掴まれつつあるのでは?)
ヴィンセントという男はやはり見た目通りのインテリ眼鏡だったのか。あのクラウスが副会長に抜擢するのだから当然無能ということはないし、恋愛にちょっとテンションが高いだけでむしろ有能なのだろうか。
ヴィンセントはついさっきまで嬉しそうにルネッタの食べっぷりを鑑賞していたが、この店に来る前に寄った文具店から連絡があったとのことで席を外していた。
既視感があったが、今回は一人ではないので問題ないだろう。
「もう帰るんですよね」
寂しそうにジェレミーが言う。ルネッタは今咀嚼してなければキッパリはっきり首肯していただろう。代わりにアメリが答える。
「門限を破るわけにはいきません。でも今日はとても楽しかったですわ」
「そうですね。楽しい時間は本当に過ぎるのが早い」
楽しい、と言いながら次の約束をしようとは思わない。アメリがルネッタの付添でなくとも、次は学園内でと言うだろう。
「門限までならいいでしょう?」
アメリは困惑してルネッタを見たが、ルネッタの表情は変わらない。ケーキに没頭していたわけではないらしく、優雅に紅茶を飲んだ後、
「行っていいのでは?」
と言う。
「私はもう帰るだけですし。副会長の趣味につきあわされて、アメリの行きたいところは行ってないでしょう?」
確かにそうだが、そこは引き止めてほしい。否定はしているが、ルネッタはアメリがクラウスを好きだと勘づいているではないか。そこで何故ジェレミーをすすめるような真似をするのか。
――クラウスから何か聞いているのか。
「放っておけばよいと思うんですよ」
「……えっと?」
「空耳ですよ。私は何も言っていません」
これは、ルネッタとしてもクラウスの態度には何か思うところがあるということか。
「――そうよね」
何だかアメリも腹が立ってきた。
「でしたら、ジェレミーさん。行ってみたいところがあるんです。案内していただけます?」
「是非、喜んで」
アメリの行ってみたかった場所。
それはカークルートでしか発生しないイベントが行われる場所だった。カークルートは他の攻略対象より学園外に行くことが多い。普通に街イベントならアメリが一人でも行ける場所で発生するのだが、これだけは一人では行きにくかった。
街の北部にある通称『丘の灯台』。学園のあるこの街には、近くに海が見えないのに灯台のような建物がある丘がある。本来なら夜に行って夜景を見たいところだが、夕方でもいい。実際、グラデーションがかった空がとても美しい。
「こんなところがあったんですね」
「私も人から聞いたので、来るのは初めてなんです」
(ここにさえ来られれば、聖地巡礼は達成したも同じ)
達成感に小さくガッツポーズをする。折角だからと始めた巡礼だが、意外と簡単に回り終わってしまい、この場所のこともしばらく忘れていたくらいだ。でもどうせならコンプリートしたい。
「今でも十分綺麗ですけど、夜景も素敵なんだそうです」
「それなら、このまま僕と見ますか?」
「え? でももう時間が……」
「そういう意味ではなかったんですか?」
確かにさっきの言い方では勘違いされてもおかしくない。
「えーと……もう、帰りましょう」
今の時期なら暗くなるまでここにいると帰れなくなってしまう。既にぎりぎりの時間かも知れない。風が冷たいのに、顔が、耳が熱い。少し焦りを感じる。ここから帰る手段をアメリは持たなかった。
(私、馬鹿だ……!)
ノーマルエンドは外出したまま二人で消える、だ。アメリは二人きりになろうと言ったことはないが、ここに来たいと言ったのだから似たようなものと考えればよかった。お茶の時間なら余裕だと考えたが、馬車に乗っている時間は思ったよりも長かった。
アメリは苦い顔のまま立ち尽くす。
しぃ、とジェレミーが茶目っ気のある笑みを浮かべて口の前に一本指を立てた。
「できたら、大声を出さないでくださいね。僕はあなたと二人きりでいたいから」
大声も何も、ここに来るまであまり人とすれ違っていない。少し離れたところにジェレミーの馬車が待機している。アメリが騒いでも御者は彼の味方だ。
普通ならここで嬉しいと感じるのかも知れない。その普通がどういうものかわからないままにそんなことをアメリは思う。
(私はあなたとはいたくない)
可愛いと思う。格好いいと思う。自分を想ってくれるのは心地いいと思う。でも――あなたではない。
「……帰らせてください」
「今から帰ってどうするんです。寮則違反には罰則がありますよ」
「構いません。外出には興味はないですし」
門限を破った場合は、卒業まで外出禁止。
自分を奮い立たせようとアメリはにっこりと微笑む。うまくできているかわからないが。
「デートなら校内でもできます」
「あなたの、そういう強さが僕は好きなんです」
一歩、ジェレミーはアメリに近づく。
「僕はあなたといられるなら、どこでもいいけれど」
「……」
「あなたは僕では不満なんでしょう?」
ジェレミーはアメリを抱きしめて、耳元で囁く。
「僕のことを少しでも、どこかひとつでも好きなところがあれば言ってください。なければ好きになれそうなところでも、直してほしいところでも」
子供にするように頭を撫でる。
「僕はあなたに捧げるものがあるなら、それだけで幸せなんです。あなただけが僕を満たしてくれる」
どこか恍惚とするような気持ちを感じながら、アメリは足元から身体が冷えてくる感覚を味わっていた。きっと、流されてしまえばこの足元の、指先の冷えはなくなる。全身から夢見心地でいられる。
大好きな声に耳元でこんなことを言われて、何故自分は嫌悪で身を固くしているのだろう。
――助けて。助けて、どうか。この声に心震わせる自分を、自分だけでは止められない。
情けなさにアメリの頬を伝う涙を、ジェレミーがうっとりとした表情で拭う。嫌だと拒否したいのに身体は少しも動かない。
突如、キラリと光るものを見つけ、アメリは目を瞠る。小さく息を吸い込むと、混乱は一気に収束した。
「申し訳ないのですけれど」
湾曲の細い片刃刀をジェレミーの首筋に当て、ルネッタはいつもと変わらぬ調子で話す。
「私は彼女と今から寮に帰るんです」
不定期更新します。
大筋は終わりまで決まってて、あとはもう書くだけなのでがんばります。