恋人なんかいらない
「あの、まさかなんですけど、ひょっとしたらでいいんですけど」
「回りくどいのはいいから早く言って」
「クラウス様、私にキスしたことありますか?」
クラウスの目が眇められた。
「すみません。ありがとうございます!!」
満足しつつも打ちひしがれたアメリは、長椅子に突っ伏した。
広い生徒会室に小部屋は二つあり、一つは会議用。もうひとつはこの部屋で、休憩用に座り心地の良い椅子がテーブルを囲んで置かれていた。気ままに生徒会のメンバーが休憩を取るのに使われている。
入ろうとするなり声を掛けられたクラウスはため息を吐いて扉を開けたまま部屋に入ってきた。彼はこの部屋の扉を閉めるということをしない。
「何かあるの」
質問ではない。確認だ。こういうことをアメリが言うとき、それが自身の人生の破滅絡みであることをクラウスは知っている。
「ええと、ちょっとそこの扉を閉めてくれるかどうかしてほしいんですけど」
「大きな声を出さなければ外には聞こえないよ」
「じゃあ、近くまで来ていただけますか」
いつも開け放っている扉を閉めると変に勘ぐられる可能性がある。クラウスの懸念は理解できるがやはり他の人に聞かれていいと思う話ではない。
すごく嫌そうに、それでもクラウスはアメリが座っている椅子の後ろに回った。
「これでいい?」
「カーク様にキスされたんです……」
「――おめでとう?」
「違いますよおおおお」
「顔赤いけど」
アメリは顔を押さえて丸くなる。
(耳熱い)
「いいんじゃない? カークのこと気になるって言ってたし」
「よくないです。何が起こるかまだわからないじゃないですか!」
「それでも好きならいいんじゃない?」
「クラウス様、自分が安全圏に入ったからってそんな適当な……」
「吐き出したいことがあるなら付き合うよ。君、友達いないだろ」
「ただのノロケなら言いませんよ! ていうか、ヒドいですよ!」
アメリの発言に、違うの? とクラウスは顔を傾げた。
(あ、かわいい)
クラウスの顔を見ていてたら変に冷静になった。
「カーク様からキスをされた場合、それがカークルートに入っている場合と、逆ハーレムルートに乗っている場合と二パターンあるんです。クラウス様からもキスをされたら、好感度が拮抗してて逆ハーレムルートだってわかるんですよ」
「ふーん。ジェレミーは?」
「ジェレミーさんの場合は口じゃなくて、制服のリボンですね。それもアメリが気づかないうちにするので確認が難しいんですよね」
クラウスはアメリを見て鼻で笑った。
「そういうこと? 逆ハーレムルートにしたいからキスしろってこと?」
「身も蓋もない!」
「もうカークとどうにかなっちゃえばいいんじゃない?」
「それが怖いから困ってるんじゃないですかー」
「カークのことが好きなの?」
「……」
正直、よくわからない。
あの一件以来、アメリはカークを異性として意識するようになってしまった。なんとなくゲーム感覚でいたのが、突然生身の男となって飛び込んできた。
ゲームとは違って、ちゃんと意思を持った女性として扱われている。そんな感じがしている。
だったらいいのではないかと思ったり、これは罠だと思う自分がいたりでアメリも中々に忙しいのだ。
「現実の恋愛スキルが少ないんですよ……」
「これから頑張れば?」
「これからじゃ遅いでしょ! ほんとクラウス様ったら意地悪な……ん、だから……?」
見覚えのある縦ロール。扉のところであらあらといった顔のクレアが立っている。
「だから閉めてくださいって!」
これがクラウスを責めずにいられようか。アメリにとってクレアは理想の上司だ。何故前世で彼女に出会えなかったのか。もし彼女が前世での上司なら、新幹線に乗って実家に帰る夢など見ることはなかった。
「ごめん、クレア。相談乗ってたら言うタイミング逃した」
「いいんですのよ? ただお仕事終わってからにしていただきたいですわ」
「どこから聞いてた?」
クレアはいつも通りの表情だが、どこか少し怖かった。
「申し訳ありません、副会長。休憩ありがとうございました」
アメリはクレアの横を抜けて部屋を出る。
「会長」
アメリを見送りながら静かな声で言う。
「ちゃんと捕まえておかないと逃げられてしまいますわよ」
「君が期待しているようなことは何もないんだけどね」
「そうは仰られても、会長の彼女に対しての態度は他と違いましてよ」
「君は恋愛以外の感情も勉強したほうがいいんじゃない?」
「いくら会長でも聞き捨てならない言葉がありますわね」
「気を悪くしたなら謝るよ」
クラウスの謝罪を聞き流し、クレアは振り返りもせずにアメリを追った。
*****
少し早めの昼食を取るようにした、とはクラウスにしか言っていないはずだ。それなのに食堂でのカークとの遭遇率が高い。
「三年生って授業が少ないんですか?」
「それをいうなら、なんで一年がこんな時間からご飯食べてんの?」
「テストだったんです」
提出が早ければ早く教室から出られる。アメリの場合はそれだけだ。だから基本的には普通に混雑した時間に食べているのだが、何故か時間をずらした場合のカークとの遭遇率が高い。
他の二人ならともかく、カークは策謀を巡らすタイプではないはずだ。
(偶然かな)
「明日の星祭りだけど、エスコートしてもいいか?」
「お断りします」
「開会したらすることないぜ」
「星空を見る宴では?」
「だからな、俺と」
こういう時はどうするのが正解なのだろう。ゲームは選択肢があってよかった。今のアメリは自分で考えなければならない。
強引に来るなら突放せばいい。そう思っていたのにこんなふうに誘われると困る。
「相手がいないなら、俺でいいだろう?」
確かにいないが、断る一択だ。頷くには色々と障害がある。
「婚約者がいらっしゃるでしょう?」
「なんだ、知ってんのか?」
「ちょっとだけ」
「だったら話が早い。俺の恋人にならな……」
「なりません」
秒で断る。
「他をあたってくださいませ」
顔を見るのが怖くてアメリはフォークを見つめる。
「俺じゃ役不足ってことかい?」
「そういうことじゃありません。不誠実なことをしたくないだけです」
「婚約者がいなければいいと?」
嫌な予感がしてアメリは顔を上げた。
カークは真面目な顔でアメリを見ている。
「いてもここにいる間は羽を伸ばしてるヤツだっている。俺だけ責められるわけ?」
「責めてなんかいません。私が嫌なだけです」
そうだ。アメリが嫌なのだ。カークを選べない理由ーー真面目というならいうがいい。他に色々あるにせよ、これが一番の心理的障壁だった。
「俺を好きだと思ったんだけど?」
「自惚れも大概にしてください」
「好きじゃない相手とキスするわけ?」
「そういえば、謝罪がまだでしたね」
どうやらゲームのような愛されヒロインはアメリには向いていないらしい。
ゲームだから遊べた。逆ハーレムなんて無理だ。気をもたせながら突き放すことができないなら、フラグを叩き折りながら行くしかない。
「あなたのことは好きじゃないんです。さようなら」
アメリは席を立った。もう二度とカークと二人で話はしないだろう。
*****
前世では人を振ったことはない。振られたこともない。諦めたことならいくらでもあるが。
アメリは人生初の告白を断るという事態に落ち込んでいた。ここまでエネルギーを使うものだとは知らなかった。
漫画であるような、全校生徒からモテるヒロインとかヒーローとかメンタル強すぎじゃね? と思ってしまう。天然キャラがそこそこいるのはそうでないとメンタルをやられてしまうからだろうか。わかる。実は腹黒キャラというのが珍しくないのもわかる。そうでもないと状況を楽しめそうにない。ヤサグレキャラもわかる。アメリ自身がそうなってしまいそうだ。
「仕事しないなら帰れば?」
「お仕事させてください!」
「面倒くさ。あー、クレアいないじゃん……」
女生徒はアメリを除いてみんな帰ってしまっている。明日の放課後はまず時間が取れないので、今日のうちに明日の準備を色々としてしまおうというのだ。
「ニコル、アメリに何か任せられることあるならお願いできるかな?」
クラウスは他の人間にアメリを任せると部屋を出ていく。
「じゃあ、アメリ。これを片付けるの手伝ってくれないか」
カートに載せた大量の資料。星祭りの準備で出したままになっていたものだ。
「はい。よろしくお願いします」
二人は連れ立って書庫に入り、一冊一冊片付けていく。ニコルは書記の補佐をしていて、来年は彼が書記になるだろうと噂されている。
基本アメリは三年生と話すことのほうが多いので、彼と今までちゃんと話したことはなかった。
「アメリは帰らなくていいのかい?」
「ええ、特に今日しなければいけないこともないですし」
「そうか」
しばらくは黙々と片付けていく。あまり話したことのない相手だと特に話すことはない。何よりアメリが今何も話したくない。単純作業で気持ちを癒やしたい。
「あの、アメリ」
「はい?」
「明日、誰かと約束としていると思うんだが……」
「いいえ」
エスコートは必須なのか。必須、なのだろう。貴族にとって恋愛は娯楽の一つだ。関心がないのがおかしいし、積極的であるほうがよいとされるくらいだ。
「私は一人でいいんです」
「君のような美しい人を壁の花にするなんて、僕にはできそうにないな。どうだい、僕と――」
「誰かいらっしゃるの?」
ニコルが固まる。アメリの背後の方から足音が聞こえた。
「やっぱり生徒会室にいたのね」
少し呆れたような声音。
「部屋にいないと聞いたから来たんだけど、準備は大丈夫?」
「ドレスも届きましたし、何の問題もないかと」
自分を探しに来たのかと気づいて、アメリは慌てた。わざわざクレアに足を運んでもらうなど申し訳ない。
それにしてもまるで図ったかのようなタイミングだ。ニコルなど顔色が悪い。
「申し訳ありません。何か、ありましたか?」
「あなたが謝ることじゃないのよ。靴に手違いがあって、先程新しいものを届けに来たのだけど、あなたが部屋にいなかったと私に連絡が来たの」
「そういうことなら尚更です。私が届いたときに確認をしておけばよかったんです」
「いいのよ。――ニコル、いいかしら? アメリを連れて帰っても」
「あ、ええ。副会長」
「アメリ、行きましょう。他にも何かないか、ちゃんと確認したほうがいいわ」
「でも……」
「どうしても今日しなくてはいけないことでもないわ」
クレアはアメリの背に手を添えて、歩くように促した。ここまでされるとさすがにアメリも断ることはできない。
「すみません、ニコルさん。置いておいてくだされば、明日しますから」
「真面目ね、アメリは」
クレアは呆れ気味だ。そうはいっても、中途半端はアメリが気持ち悪い。
「――ニコル。お相手はちゃんと探しておいてね。アメリの相手はもう決まっているの」
(なんか、これって……)
クレアも攻略対象者だっただろうか。そんなことを思わせるような登場タイミングと手際だった。