2 これを来せば
カナリー・アトリ・デ=フィンチはその白い肌に馴染んだ赤みがかった金髪を象牙の笄に巻き付け髷を作った。それを見てユニが、
「カナリーその髪型でいくの?」
「祖母の笄で簡単にまとめたわ。垂髪では子供っぽく見られそうで、」
「きっちりとは結上げず、肩ひじ張らずに仕事をする自然体の女。新しい世代をその笄髷で体現するのね。」
「そんな大げさなものじゃないわ。緊張を和らげるためにいつもの姿で行きたいだけよ。」
「そう、気持ちが決まったら合図を頂戴。あなたのタイミングで出囃子を入れるから。」
「・・・カナリー、行きます!」
・・・・・・
照明に慣れると客席を見渡す。ゆっくりと息を吐き気持ちを落ち着かせる。国際会議場として近年建てられた2000人規模のホールの2階席に黒い一団を見つける。30人程の黒いメイド服の一団だ。特別な計らいで自分たちの先生の講演を聞くために初めて王城のある帝丘を下りて帝都に来たカナリーの生徒達だ。あの娘達のお陰で今ここに立っている。そう思い、ゆっくりと立礼を執る。
「今日この場に立たせて頂いた喜びを、全ての方に感謝の意を込めて礼を執らせて頂きました。」
そう、話し始めるとやっと気持ちが安定してきた。
「ご紹介いただいたように私は、帝国学院に通う学院生です。甘いお菓子が好きで食研と言う部活動をしております。ご縁があって皇后陛下のお許しを得ることが出来、王室風のお菓子やお茶を研究させて頂く事となり、皇后陛下のスティルルームに何度かお邪魔させて頂きました。そこで、私達の世話をしてくれた新人のメイド達と知り合いました。不思議な事に王城の中では各部屋にリシャ語で書かれた名札が掲げられてあります。何故だろうと思い調べてみると王城の中には旧王国から引き継いだものの多くがリシャ語で書かれておりました。私は語学研究室に所属しておりリシャ語も多少心得がございますので、新人メイド達が王城の中で迷子にならないようにするにはリシャ語を解するのが良いのではないかと思い、皇后様に提案させて頂いたところ、直ぐ様にお許しがでまして、週に一度、新人メイドにリシャ語の手解きを致しております。」
本題に入る前にメイド達の事を紹介したくて原稿にない事を話している自分に気が付いたが、そろそろ本題に入ろう、
「そのメイド達と一緒に勉強をする過程で気づいた細やかな知見について本日はお話ししたいと思います。」
そう切り替えて今日のテーマへと移っていった。
・・・・・・・
「最後になりますが、新人メイド達の向上心、向学心が私の研究の原動力になった事と皇后陛下のご英断が結晶として私の拙い研究発表になった事に感謝申し上げます。最後までご清聴ありがとうございました。」
そう言うと演台より一歩下がり深々と頭を垂れた。一息吐き出し、サッと身を起こすと高座から舞台の袖へと歩き去った。
薄暗い舞台袖でユニがカナリーを抱き留めながら、(良かったわ)と小さく囁き、倒れ込みそうになる体を楽屋迄支えてくれた。
「ふう~、終わったわ。」
椅子に座り込み天井を仰いで息を吐く。
「みんなが来る前に着替えましょ、ハイッ、お水。」
ユニに言われるままに着替える。髪を下ろし、初めての口紅を拭き取り水を飲む。
「服飾研の作ったこの男性の新スタイル、背広スーツなるものに対抗する女性用のスーツ、結構良かったわね。ブローチをコサージュに替えればフォーマル感もでるし、いろいろよさそうね。」
「ユニも作ってもらえば。これから生徒会長として人前に出る事が多いでしょ。」
「私?私は学院の制服で十分よ。」
「でも、私服で出かける時もあるでしょ。」
「う~ん、帝丘やお城へは制服だけど、帝都に下りたら、そうね~、帝都生徒会事務所で着替えて街に出るのもいいわね。」
カナリーは手早くひっつめ髪に纏めリボンで束ねると、鏡を覗き込み、軽く前髪を整えながら、
「でも、今は制服に着替えてあの娘たちに会いに行きましょ。あんまり背伸びするのつかれるし、」
「きっとエントランスで待っているわ。いつものカナリー先生がいいわね。」
・・・・・・・
エントランスには客がまばらに歩いていたが、一様に黒いメイド服の集団を横目で見ながら去って行った。
セカンド・メイド長達と20人の新人メイドはドレスの婦人を先頭に整然と立っていた。
「あら、奥様の侍女に引率されて来たの?」
とユニが言うので、よくよく見れば全員が緊張している中で一人のセカンド・メイドだけが顔を輝かせて立っている。
「奥様の名代なら家政婦長かメイド長がいらっしゃるかと思うけど・・」
「ユニ、侍女がいるってことは、そう言うことよ。」
「どういう事?」
「いいから、絶対黙っててね。」
「どうして?せつめいし・・・!」
「皆さん今日はわざわざ講演を見に来て下さってありがとうございます。」
そう立ち止まって一礼する。
「今日は奥様のお計らいでこの後お食事会とか、十分に楽しんで欲しいと思いますが、皆さんが羽目を外すと周りの方やお付きの方がとても迷惑しますので、気を付けて節度を持って行動してくださいね。後でセカンド長から奥様に報告が行くと思います。くれぐれも節度ある行動をとってください。」
途中からクスクス笑いを堪えていたが、全員で「はい。」と元気よく返事をした。
「残念だけど私はこの後も仕事が続くのでみんなとご一緒できないの。ここでお別れだけど、来週の授業の時に今日の感想文を提出して貰います。」
「「「え~!」」」
「今日は授業の一環でもあります。皆さんは奥様の自慢のメイドとなるように頑張ってください。それでは、ごきげんよう。」
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『三月は講演フェア』の最終講演会は若い世代の商会代表者たちが主催者であった。クレマはその若さを印象付けるために、様々なアイデアを実験的に織り込んだ。講演会場の周りではカルテルを組んだ商会の垣根を越えて様々な商品の展示や帝都民を巻き込んだ催し物を企画し、蚤の市を真似た、たくさんの仮小屋を作り人の流れを作った。
手伝いに来てくれた1、2年生は明日の授業に間に合うように早々と帝丘に帰したが、割と自由が効く3年生が最後の片付けを終えると、二人、三人と帝都事務所に帰って行った。実行委員会の打ち上げ会に挨拶に行っていた生徒会会長のユニとメイン講演者のカナリー、実行委員の学院生たちが夜の飲み会を丁寧に辞して帰って来た頃には弦月は西の空へと迫っていた。手伝いにきてくれた男子達は応接広間に野営よろしく雑魚寝している。男子にゆずってもらった宿泊室の二段ベットは既に女子で埋まっていた。しょうがないので、遅く帰ったユニ達は
「さあ、いつも通り男子は二階の前室ね。女子は部長室よ。カナリー、人の足を踏んだりしないように気を付けてね。」
と、手慣れた感じで進んでいく。建付けの悪い階段の音に抜き足で対処しながら、クレマの部長室へと忍び込んだ。床には寝具が敷かれている。
「毎週末こんな生活が続くと流石に慣れたわね。・・あ~、カナリーは初めてね、びっくりした?」
「ちょっと、」
「上着だけ脱いでそのまま寝るのよ。」
「外で歯磨きやトイレを済ませた意味が良く判った。」
「夜中にどうしても行きたくなったら、私を起こしなさい。付いて行ってあげるから、」
「怖くなんかないけど。」
「違うわよ。転んで蝋燭を落とさないためよ。火の用心、火傷用心よ。」
「わかった、」
「いろいろあって、眠れないかもしれないけど無理やり寝てちょうだい。後は明日よ。おやすみ!」
・・・・・・・
何かの板切れの上に蠟を垂らし、溶けた蠟の中に突き立てた常夜灯換わりの蝋燭は既に燃え尽きている。春分の後の日の出にはまだ間があるのか、真っ暗である。誰かの寝息だけが聞こえる中でカナリーの意識が覚醒した。ゆっくりと瞼を開け、暗闇に目が慣れるのを待つ。隣で寝ているはずのクレマが夜具の上に端座を組んでいる姿を認める。ぼんやりとした揺らめく光に包まれたその姿にオルレアとの行を思い出す。気配を消しながら体を起こし、上着を羽織ると自分も端座を組んだ。
カーテンの裾から薄明りが漏れ込むころ、階下でも人が起き出す気配がしてきた。陽春の気に満たされた体が気だるく眠い。誰かが「う~ん、」と伸びをした。
「おはよう。みんな。今日も元気?」
とクレマが挨拶の声を掛け、場を制し、総員起こしを行う。
「さあ、身支度をしてこの部屋の片づけから始めましょう。立つ鳥後を濁さずよ。」
・・・・・・
日が出た頃に庭に運び込まれた建築資材から男子が稲架木を立て、寝具を干していく。木箱を台にして板を渡し即席のテーブルを作る。奥の調理場では竈に火を熾し湯を沸かしている。掃除が済んで湯が沸いたころ、次々と馬車がやって来て美味しそうな匂いのする編み籠が届けられた。
椅子換わりに丸太や空き箱が並べられ、編み籠がドンと置かれる。皿とスプーンが配られカップにお茶を受け取ったものから座っていく。みんなの手慣れた様子に圧倒されて突っ立ていたカナリーを主人席に座らせると、クレマが隣でカップを持って立ち上がり、
「有終の美を飾ったカナリーと共に朝食を頂きましょう。お料理はいろんな方からの差し入れです。感謝してみんなで分け合って頂きましょう。」
クレマの唱導でカップを捧げ朝食を摂る。「これは絶対夕べの宴会の残りだな。」「このパンは何処のパン屋か貴族屋敷のか?」「あっ、そっちの籠のを取ってくれ。」と学院生にしては騒がしく食事が進む。
8時には大工職人たちがやって来て、外で仕事を始めた。ここでフィールドワークをする建築研究室の学生を残して男子学生が馬車で学院に帰って行った。残った女子で洗い物を済ませ、職人のお八つの用意を済ませても迎えの馬車が来るには時間が合ったのでおしゃべりの花を咲かせる。
「クレマは春学期はどうするの?」とカナリーが聞いてきた。
「私は今月中に学院に残っている生徒会役員と一緒にこの騒動の中間報告を書くわ。」
「中間報告?」
「いろいろな人が係わったので学院生としての最終報告は夏休みが明けてからね。」
「そうなんだ。」
「カナリーは大仕事を終えたけど、フィールドもないから学院生活でしょ。」
「そうね。日常に戻るわ。午前は講義、午後は研究室に入り浸りかな。聖曜日はお城で教えがあるけど、空いた時間に食研の活動をお手伝いする?かな。」
「グレースの事よろしくね。随分てんてこ舞いと言うか板挟みみたいだから、」
「あら、大丈夫よ。コル女史に絞られているだけで、大奥様とも奥様とも関係は良好よ。」
「コル女史って?」
「奥様の家政婦長よ。」
「怖いの?」
「実力者よ。40前だけど、執事長と肩を並べても引けを取らない人よ。」
「厳しそうね。」
「そりゃね。」
「もしかしてグレースを後継者にという事?」
「そんな感じじゃないわね。促成栽培じゃない、育成って感じかな。」
「何故に促成しなくちゃいけないのかしら、誰か分家してそこを任せるのかしら?」
「学院生を王室王家に囲い込むのは些、不文律に反するわね。」
「そうね。だったらなぜ?」
「たぶんだけど、グレースの中務省入りは既定路線よ。」
「よっぽどのことが無い限り避けられないわね。」
「生徒会役員としての実績と有力者からの推薦があれば多少試験が出来なくても、誰かが押し込むか引き込むかするわね。」
「カナリー、表現が露骨よ。」
「エヘン、失礼。とに角、中務省の仕事はいろいろあるけど、陛下の執務の補佐や王家貴族上級官僚の人事。王家の公式行事の管理など王室王家関係なのは確実。」
「それが中務省でしょ。」
「そこに、王室王家の内所の事情に詳しいものが居れば奥様としては安心。少なくとも話が通じやすいという深謀遠慮なのだと思うわ。」
「そう・・・まさか、密偵に仕立ててるの?」
「考え過ぎよ。杓子定規な官僚に嫌気が差しているだけよ。」
「ああ、」
「グレースも心得ているわ。王室の内所の事情を教えられているってね。」
「たんなる事情通になるにしては雑事が多すぎるきらいがあるけど。」
「確かに、そうね。」
と、二人は顔を見合わせて笑った。
「ところで、初めてカナリーの正式姓名を聞いたけど、カナリーの苗字に前地詞が付いているのには驚いたわ。貴族なの?」
「先祖がどこぞの貴族だったというだけよ。領地も爵位もないから、とうの昔に庶民よ。単なる商家の娘よ。」
「でも、古い家柄だというのは確かね。それで金髪なのね。」
「それはあなたもでしょ。」
「ってことは私達は遠おおおおおおおい親戚かもね。」
「それって、2000年は遡るわよ。」
「1000年前に生き別れたおねーさま~。」
「やめてよ。私は18よ。」
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