27 建子月
一月十八日の朝は晴れていた。薄明の清澄な風は頬を刺すが、外套の上から厚手のストールに包まれ、膝掛けの毛皮に温石を持たせてくれた。二人乗り馬車の手綱を持つアランの息遣いを隣に感じながら「何を話せばいいのよ」と、グレースは考え込んでいた。
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「寒いか?」
「そうね。冷たい風は気持ちいいけど寒くなは無いわ。これだけ厳重に着せられて、懐炉までありがとう。」
「箱馬車にしようかとも思ったが、話がしにくい。晴れているし若いんだから大丈夫だろ。」
「バギーの軽やかさが気持ちいいわ。」
「それは良かった。ところで夕べは遅くまで話し込んだのか、」
「そうでもないわ。こじんまりしたお屋敷で広い客室はひとつだけ。そこにエキストラベットを入れて、ルイーズとアルバと私が泊まったの。クレマは時間が来たら自分の部屋に引き揚げたわ。」
「本人は言わないが実はお貴族様のご令嬢だろ?」
「お屋敷はオルレアのお屋敷でフローラ館というそうよ。クレマはお付きの侍女でクリスはお付きの護衛士と言うのは本当だったみたい。」
「そうか、口に出して言っている割にはとても侍女には見えないが。」
「オルレアがあれだからだわね。齢も上だし姐さん風を吹かせているし。オルレアよりルイの方が大事みたいだし。」
「アハハ!そうだな。」
「男爵家の帝都屋敷風と言ってもちょっと小さくて、卒業して3人が住むには些か狭いという事で土地は買ったらしいの。」
「故郷に帰らないのか?」
「オルレアは教会の神司に進んだでしょ。それでもう何年かは教会の仕事?修行?みたいのがあるんだとかでそのお手伝いをしなけりゃというのは言い訳ね。本当はルイとのことを画策しているのが見え見え!」
「そうだな。ルイは軍専攻で軍に進むのは既定路線だろ。結婚するにしてもルイがそれなりに落ち着いて結婚できるようになるには、早くて4、5年だろ。」
「すべてが順調に行ったとして少尉で2年、中尉で2年は経たないとだめだそうよ。」
「そうだろ。それに何処の連隊に飛ばされるかもわからないからな、」
「それを一番心配してた。辺境の可能性だって無い訳じゃないでしょ。」
「まあ、帝国学院出の士官だからそれ程辺境という事もないだろうし、軍大学校に進むなら直ぐに帝都に戻ってくる訳だし、」
「それよりアダンはどうなの?」
「俺か?俺は相変わらずふらふらするつもりだ。」
「嫁探しか~、」
「まあ、そんなところだ。」
「アダンは軍で出世するとか、官僚になるとか、学者になるとかで学院に入った訳じゃないわね。」
「ああ、兵役をどうするかと考えた時、普通に兵士で2年過ごすより、兵役免除で学院に入って3年過ごす方が面白そうだと思ったから学院に入った。」
「面白そうだからって学院に入れるなんって、流石、黎明の女神ね。」
「それも、偶々だな。」
「実家はお金持ちで、やりたいことが嫁探しじゃ学院にいる意味があるの?」
「学院の勉強は面白いし、クレマ達に振り回されて学院生生活も楽しい、今のところ学院に嫁がいないという事がハッキリしていること以外は十二分に入った甲斐があったな。」
「うらやましいと言うべきか、あきれたというべきか分からないくなったけど、取り敢えずはどう?新人君は、」
「シマオとエリオスか?」
「そうね。他にもいるけどちょっと変わっているわよね。クレマの下でやっていけそう?」
「女子のルイーズとアルバも変わっているだろ?」
「話してみたら普通よ。ルイーズは官僚志望でアルバは軍専よ。」
「女子で軍志望は変わっているとは言えないか、」
「そうね。今のところクレマが大尉持ちだという事は伏せてあるけど、」
「戦時臨時任官だろ、もう解けているんじゃないのか?」
「あら?知らなかった?今も現役バリバリらしいわ。」
「いつ軍の仕事をしている?学院じゃそんな暇はないだろう?」
「春休みと夏休みは軍の仕事をしていたらしいわ。テヒの話によるとだけど、」
「ふ~んそうなのか、あまり他人の詮索やうわさ話は好かんが、話せる所だけ話してくれるか。」
「私も本人から直接聞いた訳じゃ無いけど。食研の仕事の時なんかに、テヒから聞いたことだけなら話せそうね。後で本人に確認を取って・・、」
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帝都は計画都市で有る。同心円状に大通りが三本走る。内堀通り、中央環状通り、外堀通りである。
中央環状通り、略して環状通りの内側を環内街と呼ぶようになったのはいつ頃からだろうか。その環内街をさらに9本の同心円状の通りが帝都中央から放射線状に伸びる道路を横切っている。地図上では横筋に見えるので筋通りと呼ばれ、今では一条筋、二条筋と呼ばれている。
帝都建国のごく初期には帝丘、オーバル城に軍団規模の軍勢が立て籠もっていたが、情勢が落ち着くと有力諸侯は帝丘を下り各所に散って行った。帝丘は軍団規模の軍勢が立て籠もる事は出来ても「生活」には狭く不便であったからである。この事態を憂慮した二代帝王が帝都建設の基本計画を立て各諸侯に普請割りを行い帝都に屋敷を持たせ領地には城館を持たせた。帝都中心から伸びる放射線状の通りも初めは東西南北の大街道と十二地支に沿ったものであったが、さらに分割して24本の大通りを計画し帝都を12区24番街に整備した。帝国歴77年を迎え環内はほぼ開発・建設が終わり人が住む街となり、細部はもはや人知を超えるものとなっていた。一方環状通りの外側、環外は畑地や雑木林で、集落村落以外は隠れ家の様な貴族の別邸や豪商の寮などが人知れずあるといった風景であった。
上り23番通り五条筋右入ル8番。勿論下り22番通りから五条筋左でもいいのだが些か遠い。街名でいえば帝都12区22番街五条町8番地に建つ建物が学院2年生生徒会帝都事務所となった訳である。少し古びた建物の中は事務所開きの準備に、忙しく学院生五名が働いていた。
「ヨハンさんありがとう。後は私達でだいじょうぶです。」
「そうですか、お嬢様。」
「お嬢様はやめてよ。クレマでお願い。」
「それでしたらクレマ様、一旦戻って夜までにはベットの方をお届けに参ります。」
「新品でなくていいですからね。」
「はい、お坊ちゃまに言い付かっております。うちの商会の物置になければ古道具屋を当たれと、」
「そう、それでお願いします。」
「では、わたくしはこれで一旦帰らせていただきます。また入用なものがありましたらお知らせください。」
「ありがとう。」
扉の締まる音がしてクレマは一つ伸びをした。皆をふり返って、
「さあ、何はともあれお茶の時間よ。新品の、じゃなかった中古の応接テーブルに座って感触を確かめましょ。」
昨夜はアダンの屋敷に泊まった男子学院生のシマオがお茶のワゴンを押してきてお茶を淹れ始めた。
「シマオは学術専攻よね。何を研究しているの。」
クレマが問うが、シマオは集中し真剣にポットに向き合い、人数分のお茶をマグカップに淹れ配り終えてやっと、
「クレマさんはお茶の先生だとか、とても緊張しました。」
「あら、とても美味しいわよ。」
「そうですか?」とルイーズが疑問げに呟く。
「あの粗茶でこれだけの味を引き出せれば上々よ。そう言えば監査部でこうやって話すのは初めてよね。女子会は夕べ終わったけど男子会はどうだったの?」
「昨日はアダンの実家と言うか、アダンの家に泊めてもらいました。」
エリオスが答える。
「アダンは独り暮らしなの?ご家族と一緒じゃないの?」
「なんだか書斎屋とかでベットを入れれば5、6人は有に泊まれる建屋でした。母屋は立派なお館でしたがこっちの方が気が楽だろうと言うのでアダンの書斎部屋?独立した建物なので離れ屋?というよりは立派な家でしたが、」
「そう、美味しいもの沢山出た?」
「母屋の厨房から夕食が運ばれてきて、質素だけど味と量は抜群でした。」
「ふーん。豪商なのに割と堅実なのね。」
「一汁三菜とかで、普段の食事より肉が一品多いと言ってましたよ。」
「お酒は?」
「食後に甘いワインを一、二杯程度です。アダンは水を飲んでましたが、」
「どうして?」
「身体に合わなくなったそうです。飲んだら飲めるのだが飲む気がしないそうで水が一番美味しいと、」
「そうなんだ。ところで、生徒会はどう?もう慣れた?」
「あの、監査部とは何をするのでしょうか?昨日伺った時は監査したいものを監査すると言ってましたが、」
「アルバは軍専よね。軍隊って戦闘ばかりやっているイメージだけど、戦闘に入る前には、そして戦闘後にも敵や味方の状態を把握しておくべきだと思わない?」
「敵を知り己を知ればというやつですか、」
「そうよ。」
「諜報とは違うのですか。」
「諜報は秘密裏に行うけど、例えば会計。相手の会計情報を大ぴらに手に入れてそこから相手の欲しいもの持っている物、趣味趣向なんかを推測できるでしょ。例えば総務。相手の人選、人事の動向をみてどのような事をしようとしているのかは予測できるでしょ。」
「それは分かります。それで監査は?」
「監査は、監査請求権というのがあるのよ。」
「監査請求権?」
「こちらの知りたいことを調べることが出来る権力よ。」
「権力?」
「そう、力の行使よ。」
「それがこの、オークション事務担当帝都支所と、どういう関係があるのですか?」
「相手が神聖な学院生の研究発表会開催権利を不当な手段や不埒な目的、はたまた不法行為が行われていないか監査する義務が生徒会監査部にはあるのよ。」
「つまり、義務の遂行という事ですか、」
「もちろんです。」
「しかし、オークションはある程度、いいえ、ある程度以上に秘密や思惑が存在するのではないですか、」
「そうね。競業他者についてはそうよ。我々も秘密を暴くような事はしないわ。」
「では、監査する意味はないのでは、」
「でも、不当や不正や不法が行われないように事前に指導?ご説明差し上げる事ぐらいはすべきでしょ。」
「こんな事してはいけませんよ、と事前に説明するのですか。」
「もちろんそれも重要。でもそれだけじゃ片手落ちね。」
「片手落ち?」
「そう。こんなことするといいですよと示唆するする事も出来るでしょ。」
「そ、そ、それは教唆ではないのですか。」
「いいえ、あくまでも示唆、小さな親切です。」
とその時、扉がギギッと開けられ、誰かが入って来た。
「あら、ヴィリーもうそんな時間?」
「クレマ様。少々早いですが中食をお持ちしました。厨房の具合を見ながら汁物などを温め直しますので、暫くお時間を下さい。」
「もちろんよ。さあ、私達も中食までもうひと仕事しましょ。ヴィリーの料理は美味しわよ。なんたってテヒの一番弟子だから。」
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昼からは早速、書類整理などの事務仕事に取りかかっていた。オークション参加希望者に帝都事務所開設の案内とオークション開催についての説明文などを手書きして郵送するのである。クレマは事務机が並ぶ吹き抜けの広い応接広間を見おろす二階部屋に応接兼監査部長室をもらい構想を練っている。
『どうも、あれこれネルのが仕事みたいになって、寝ちゃいそう。性格が悪くなったかしら』などと自問自答しながら考えていた。
そうだ『ひとりで考えるより、みんなと考えよう』と階下に降りて行く。
その時玄関の扉がノックされ、ギギギっと扉が開いた。
「あの~、こちらは帝国学院生徒会帝都支所でしょうか?」
「そうですが、」
「よかった。お花のお届け物です。開店じゃなっかった開所祝いですね。ここに受け取りのサインお願いします。」
「あ、はい。これでいいかな」
「ありがとうございました。」
と花屋のボーイが帰って行った。
「随分可愛いボーイでしたね。」
「ホント、それでルイーズ、何処から?」
「送り主は・・・白椿の席亭より‥となってますが、誰ですか?心当たりあります?」
「・・あ~、グレースの叔母さんね。」
「へ~グレースは帝都にご親戚があるのか、」
とその時、扉がノックされ、ギギギっと再び玄関扉が開く、
「すいません。こちらはせいとかい事務所とかで間違いありませんか?」
「そうですけど、」
「良かった、お花のお届け物です。サインお願いします。」
と、これも花屋のボーイが安堵の溜息を吐いて帰って行った。
「何処から?」
「いじわるば~さんより、だそうです。誰です?」
「それは、グレースの親戚の大奥様よ。」
「はあ~、グレースは親戚の期待の星なのですね。」
その時、玄関の扉がギギギっとまたまた開かれた。
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