23 祭りのあと'77
武研の朝は変わらない。全てが終わった解放感に打ち上げられたパーティーの残滓の中でも、寅の刻には鍛錬を始める。鍛錬と言っても起き抜けの身体に負荷をかけるような事はしない。ルイは昨日の試合を暗闇の中に静に再現して行く。夕日を乱反射させ疾走する銀鎧の騎士に向かって、ルイは水平騎槍突撃を仕掛ける。馬上槍試合に特化した鎧の右脇の槍掛けからニ間半余りの馬上槍を外し、水平に馬上槍を構える。ひと蹴りグラニの腹に入れる。疾走するグラニの前方やや左斜線上に敵を捉える。愛馬グラニの襲歩に上下する銀鬣の動きの中に人馬一体500㎏以上の重量を槍に乗せ、擦れ違いざまに馬上槍を突き出す。・・・しかし、捉えたという感激も感覚も衝撃もなく、気が付くと身体は空中に在り、落下運動を始めようとしていた。
ルイは夕日の中に降り立ちそして、立ち尽くした。
ふり返ってみると、もう・・・そこには、銀鎧の騎士の姿は無かった。
・・・・・・・・・・・・・・・
文化祭翌日の聖曜日もルイとクレマはいつも通り、朝の食事を共にする。無言で、
食事も終わり、お茶になる。
「・・・ねぇ、」
「・・・」
「今日は私、生徒会室にこもるわ。ユニ達に任せっきりみたいで、報告書くらいは頑張らなきゃ、」
「・・・」
「グレースは今日もお城に呼ばれているらしいの、ちょっと大変ね、」
「・・・」
「生徒会の手伝いに来てくれた他の中隊の学院生達を生徒会に誘おうと思うの、生徒会もいろいろおもしろそうだと言ってたから、3年になったら自分の研究だけになっちゃいそうで、それも寂しいかなって。」
「・・・」
「今日は食研の娘達は後片付けで大忙しね。片付けや掃除は3年生と1年生がやってくれることになっているけど、流石に食研の荒稼ぎの後始末迄頼めないものね、」
「・・・」
オルレアがクリスを伴って食堂に現れ、二人の会話に割って入る。
「なんじゃ、ルイは朝から黄昏とるの。もしかしたら昨日のクリスとの一騎打ちを気にしておるのかの。」
「オルレア、何か用があるの?」
「何、クレマと楽しい会話が弾んでいるようなので羨ましくなっての。」
「もう、」
「ルイ。お主の突きはなかなかの物であった。ヒトとしては素晴らしい。帝国全土にもあの突きに匹敵する技を持つ武芸者はそうはいまい。しかしじゃ、それはヒトの世界の事じゃ。100分の1秒の世界の事じゃ。お主の相手はクリスじゃぞ。正しく黎明の女神のクリスじゃ、そしてお主の師匠じゃ。そもそも次元が違うのじゃ。悩んでもしょうがない。その若さで人並み以上の高みに登れたのは正しく師匠のお陰じゃぞ。そして上には上がいる事を厳然と教えられた。天狗にならずにすんだの~。感謝すべき出来事じゃ。・・・・・・そうはいっても落ち込むか。しょうがない。ならば、今日はとことん落ち込むがよい。落ち込むことも若者の特権じゃ。そうじゃ、クレマの胸で泣くがよい。なかなか福与かじゃぞ。」
「どさくさに紛れて何言ってんの!」
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ルイを始め多くの者は次の週には殆ど研究論文を書き上げていた。多少、謝辞や要旨に加筆する程度であったので指導教官に目を通してもらい、早々に提出してしまうと虚脱な日々がやって来る。研究に当てていた時間がまるまる空く。部会の活動にも身が入らない。1年新入部員の前で上の空で溜息をついてしまう。それは今日の朝食でもそうだった。
「ルイ、朝から溜息なんかついちゃって、まだジョストの事引きづっているの?」
「いや、反省はしているが引き摺ってはいない。」
「じゃ―どうしたの、」
「ああ、クレマは忙しそうだな。」
「そうね。生徒会は報告書を上げなきゃいけないから、今月中に資料をまとめて考察は各自ね。私達はブラックボード先生に指導を受けて今年中に学院長に提出の段取りよ、でもね・・」
「でも?どうした、」
「12月に入ると3年生が対抗戦に向けて動き出すわ。それが気になって、」
「今年は例年通りだろ、去年の様な事はないはずだし、たとえ何かあったとしても借り出されるのは1年生だろ。」
「そうだろうけど、来年の為に少なくとも3年生徒会の動向は押さえておきたいのよ。」
「来年の為か、」
「そう、」
「だったら新しい生徒会役員は使えないのか?」
「そうね、彼女達は研究論文を提出しているから手は空いているんだけど、」
「なにか問題が?」
「ちょっと、普通の人過ぎるかなって、」
「普通だといけないのか?」
「う~ん、例えばグレース。早くも中務省入り確定でしょ、ユニは内務省をバリバリに目指してる。」
「そうか、」
「出遅れ感に悩むんじゃないかと思って、」
「心配し過ぎじゃないか。本人達の問題だろう、何か相談されてから考えればいいんじゃないか、」
「そうなんだけど。第三はチョット特殊じゃない、」
「何処が?」
「女神がいたり、J*J*Jがいたり・・」
「他の中隊には、女神は居ないか。でも、J*J*Jに目覚めた者は何人かいる。」
「そうなんだけど、あまり知られていないわ。」
「大ぴらにするモノでもないからな、」
「そうだけど、・・・ねえ、今度、晦日行に誘えないかな?」
「特に問題はないだろ、学院生なんだから、」
「ルイから誘てもらえないかしら?」
「俺が?」
「01,06を通じて誘ってもらうと参加しやすいと思うんだけど、」
「同じ生徒会なんだから、そっちで誘うのが筋じゃないか?」
「私達が誘うと強制感が出そうで、」
「無理やりか、いやいやか、」
「そう、だから01から声を掛けてもらってお願い!」
「なんかズルい感じがするが・・」
「お願い、ルイ。お願いねッ!」
「その顔は・・ズルいな~」
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11月30日聖曜日。晦日行明けだが珍しく中食を皇太后様とという事でグレースに呼び出しがあった。教えがあるカナリーと一緒に北門の通用口を潜る。今週は冷たい雨が霰に変わった日もあり一層寒さが厳しくなった。カナリーは焦げ茶のウールの外套にモスグリーンのマフラーを襟の中に入れ更にその中に顔を埋めるようにして歩く。それとは対照的にグレースは黒のチェスターコートの上に赤紅色のマフラーをワンループに撒いて歩いている。
「カナリー、何だかモコモコよ。」
「だって、寒いんですもの。グレースは気合十分って感じね。」
「だって、いつもは晦日行明けはお城の関係はお休みさせてもらっているのに、昨日突然呼び出しよ。何かあるんじゃないかしら、」
「でも、昼からでいいってことは急ぎじゃないでしょ。」
「そうね。」
「たぶん、12月はいろいろあるかからその打ち合わせじゃない?」
「いろいろ?」
「対抗戦とか、大晦日とか、冬休みとか」
「流石に対抗戦は去年の様な事はないでしょ。あってもお断りよ。」
「何か情報があるの?」
「無いわ。何かあればクレマが動くでしょ。」
「昨日の晦日行に新しい人が来てたわね。あれは?」
「生徒会の人員補強策ね。今までは第三でなんとか回してきたけど、来年の事を考えると五つの中隊が力を合わせる必要があるでしょ。」
「それで、2年生生徒会の新人募集?」
「そういう事。新しい可能性?希望みたいなものを感じてもらう為に誘ったみたい。」
「クレマが?」
「うううん、ルイが01を通じて誘ったみたい。」
「01達は全員参加しているものね。・・それじゃ、私は上級使用人用食堂へ行くわね。あなたは皇太后様と中食でしょ。」
「そう。先週は珍しく皇后さまに呼ばれて、文化祭の事をあれこれ聞かれて参ったわ。全ての事を見ている訳でわないのにあれこれ聞かれてもね。」
「今日は大丈夫そうね。」
「まあ、一週間勉強したから。上がって来た報告書を片っ端から読み飛ばしたわ。」
「ご苦労様。それじゃ頑張って。」
「ありがとう。カナリーもね。」
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太皇太后さまのお世話をする皇太后の手元を手伝って、グレースは食器を捧げ持つ。
「義母様もうよろしいですか?では、後はゆっくりお休みください。グレースありがとう、下げていいわ。」
二人は静に退出し、皇太后のダイニングに移動する。二人分の食事がテーブルの上に整えられると皇太后はメイド達を下がらせグレースと二人になる。皇太后が手ずから料理を取り分けてくれるのをグレースは「慣れないな」と思いながらも体の力を抜こうとしつつ待つ。
「さあ、頂きましょう。」
と食事を始める。「美味しい」とつい口元が緩む。静に食事を進める。
皇太后がワインの水割りを一口飲みグラスをゆっくりと置いた。
「ところで、何から聞けばいいかしら?」
フォークとナイフの動きを止めないように注意しながらグレースは
「やはり、ロッド・クラール様の事でございましょうか。」
「そうね。取り敢えず第一印象はどうだったかしら?」
「とても、聡明でお優しいそうな方かと、皇后さまとはお気持ちが通じていらっしゃるようでとても仲が良い間柄だと感じました。・・あの、でも、」
「大丈夫。あなたに見てもらいたかっただけよ。お見合いじゃないわ。齢もだいぶ離れているし学院生の将来を私達がどうこうしようというつもりわないの・・・でもあなたにその気があるなら何とかするわよ。」
「いえ!滅相もありません。アッアッ、いえ大変光栄ですが身に余るお言葉です。」
「ロッドの事は王室王家のプライベートな事だけど、彼の婚姻は帝国の問題でもあるので、今はグレースの評価は好青年であったということで十分です。青年と言うには少しあれですが。それよりも今年の文化祭の一番人気のお菓子の事から聞きましょうか。」
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「という事は、あなたは馬上槍は直接は見ていないという事なの?」
「いえ、クリスとルイの試合は見ました。それ以外は見ていません。私が直接会場で見ることが出来たのは馬球試合が終わってフルプレートの騎士二名が軽く一蹴されるところからです。」
「そうなの。」
「私は生徒会の仕事があってなかなか手が離せませんでした。」
「一応、陛下のお供からの報告は目を通しました。あなたの立場から搔い摘んで全容を話してくれるかしら。」
「はい。私の所にオルレアからの緊急指令が届いたのは12時過ぎだったと思います。緊急作戦名は「青い背広のボンボ‥失礼。青い背広の紳士と馬上槍試合観戦」です。しかし、私達831オーカーベレー部隊は「おばさん、お元気?」作戦を終えたばかりですぐに作戦に割ける人員がおりませんでした。幸い青い背広のボ・・紳士には優秀なお供の方が大勢いらっしゃるので、警備などの仕事は無いという事で手が空いた者から順次集合して観戦というものでした。」
「何処もやりくりが大変ね。」
「お察し下さりありがとうございます。部隊員の話を総合しますと、その日の10時頃急遽馬上槍同好会のデモンストレーションに陛下がご臨席することが決まり各方面で調整の結果14時開始という事になりました。一応はお忍びの態の陛下に合わせて周りの観戦者を一般人を装ったオーカーベレーで固めるという事が作戦の目的でありました。」
「いろいろ気を遣わせるわね。」
「恐れ入ります。急遽設置されました観覧席の中段中央に陛下、陛下の背後は黒服親衛隊が固めましたが陛下の右隣りに近侍の方が、左はお后様が、その横はルナ様、オルレアが座りその左右と前列下段にはオルレアのヒヨコ隊が座りました。」
「オルレアの近衛はヒヨコ隊と言うの?」
「いえ、いつもオルレアと一緒になってピーピーとうるさく、悪戯ばかりする学友達です。私達はヒヨコ隊と言ってひとまとめにしております。」
「それは楽しそうね。」
「ルナ様に悪影響があるのではと心配でした。」
「その他は?」
「観覧席以外の立ち見の人々が200人程でしょうか。わずか2時間余りの間によくぞ帝都の一般の人々が集まったものだと驚きました。」
「まあ、文化祭の最中でしたからね。」
「どこかで、情報が漏れたのでしょうが伝播の速さに考えさせられるものがあります。」
「そこは陛下の人気の高さという事でいいのでは?」
「恐れ入ります。」
そう言うと、水を一口含み、ゆっくりとグラスを置く。クールダウンの必要を感じ窓を見る。
灰色の冷寂の空を背景に、枝にひと葉だけ残った紅葉の赤が差し色となって気分を上げてくれる。
「私のマフラーと同じ色」とグレースは思った。