18 文化祭1
この時期、卯の正刻を過ぎてもまだ陽は顔を出さない。
街から帝丘を登る6時始発の乗り合い馬車に晴れやかな顔立ちで乗り込んで来たのは、文化祭の口火を切る2年生の家族だろうと馭者は微笑ましく見守った。学園も乗合馬車を増便してそんな街の人々を歓迎した。8時の鐘と共に文化祭の研究発表が10ヶ所同時に始まる。会場の座長の紹介が終わるといよいよ発表である。一人あたり、質疑応答と出入りを含め24分。午前の四時間で10人の発表を10か所つまりは100人の研究発表を終える予定だ。ほとんどが口頭発表だが壇上に展示物や地図などの絵物を持ち込みたいと言ったやつには自作させた。運び込みは研究室の仲間の担当。どうしても公開実験や実演をしたいとゴネた奴らはフロア会場の真ん中に客席を作り、「お客様、次の発表は折りたたみ椅子を持ち上げて180度回転して下さい。」方式で準備と観客の移動時間を短縮した。座長を担当して下さった助教授クラスの先生方は学会発表で手慣れているのか、サクサクと進行して下さった。展示物を吊り下げていた紐が切れて落下破裂音がしようが、壇上に登ろうとしてこけた勢いで原稿を撒き散らそうが、演説台の水差しやコップのトラブルなどはましてやである。そんなことより、若手の座長の中には懐中時計を持たない者も多い。師匠の教授から借り受けた懐中時計の取り扱いの方が気になるようだ。十二時の午の正刻の鐘が鳴った。クレマはトラの門から一番遠い会場管理を担当している。座長が観客やスタッフに円滑な進行の協力に感謝の辞を述べ、第一日目が終了した。クレマは自分の銀の懐中時計を見てチッと舌打ちをする。5分遅れだ。普通なら想定内の押し、上々である。この会場を担当してくれた二人の助教授にお礼を申し上げ、後の事は手助達に任せてトラの門へ向けて歩き出す。笑顔を絶やさず振り撒いてはいるが、気持ちは焦る。
「クレマが一番遅かったわね。」
と、ユニが声を掛けてくる。
「明後日は代理を立てる方がよさそうね、誰がいいかしら?」
「事情を説明しなくても引き受けてくれて、呑み込みが早くて礼儀正しいのとなると第3中隊からになるけど、後は生徒会役員の代理を振られて即応出来てこちらも安心となると各中隊の01か06辺りよね、」
「それで行きましょ。ルネとアダンの二人と各中隊の8人で会場管理をやってもらいましょ。」
「分かったクレマ。ルネ、早速手配をしよう。」
「ありがとう、アダン。ルネ。なんとか2年生だけで文化際の午前の研究発表は乗り切りましょう。」
「で、これからどうするの?」
「クリスを奥様に見立てて、グレースとジョイとジョニスがお迎えして、取り敢えず喫茶金合歓まで歩てみるわ。」
「そうね。模擬店や出し物、各部活や同好会の天幕や天布の様子、実際に奥様にお勧めする物などをチェックしながらどれくらい時間が掛かるか実測ね。」
「ユニと私で四人の動きを観察するわ、クリスは親衛隊に警備をお願いするならという視点で周囲を見て。」
「了解です。」
・・・・・・・・・・・・・・・
喫茶金合歓のドアベルを力なく鳴らして6人がトボトボと店に入る。店の奥の四人掛けのテーブルを二つ繋いで座り込むとお茶を注文する。
「久しぶりに人混みを歩いた。」
とクレマ。
「私なんか初めてよ。」
と、ジョイ。
「教会から一度に人が出てくるときみたいでしたね。」
と、ユニ。
「それでも、押し合いへし合いという感じではないわ。」
とグレース。
「背後に人が一杯というのが・・」
とジョニス。
「天幕の後ろは意外と雑然として動線が取り難そうでした。」
と、クリス。
全員が押し黙ってお茶を飲む。ジョニスが何気に
「このお店、何気に広いわね。」
「確かに入り口にはカウンターやショーウインドウがあって狭そうに見えるけど、奥に入ると意外と広い。」
「ユニ、このお店をさりげなく抑えるには何人必要?」
「外回りも含めると40人は入るわ、」
「二小隊はきついわね。」
「831だけだと人員が足らない。」
「そうね。どうしよう?他の中隊に協力を要請する?」
「でも、奥様はオーカーベレーにってわざわざご指名よ。」
「となると協力は要請しないけど、結果的に協力してもらいましょ。」
「利用するって事ね。」
「どうやって?」
「そうね、先ず、アダン達に午前の会場管理の代役のお礼にという事でここでお茶を飲んでもらいましょう。」
「10人埋まった。」
「う~ん、13時から奥様がここに到着するまでの40分間ここを抑えてもらって時間が来たらさっさと出てもらえるそんな都合のいい人っている?」
「事情を説明すればすんなりと行くと思うけどそれじゃいけないんでしょ。」
「そうね。なるべく情報は拡散したくない。831のメンバーなら必要最低限の指示説明だけで済むんだけでど。」
「確かに、」
「2,30人平日の昼間っからヒマでお茶出来るなんて、軍の小隊じゃあるまいしいないわ~、」
「・・・・いた。」
「どうしたの、心当たりがるの?グレース、」
「カナリーの生徒をここへ招待できないかしら?」
「カナリーの生徒?何それ、」
「カナリーは毎週聖曜日の午後、皇・・奥様と大奥様の新人メイドにリシャ語を教えているの。」
「そうなの?」
「ええ、2月のお茶会の後からね。」
「でも、メイドならお城の仕事があるでしょ。」
「その日は奥様のうちうちのお茶会がキャンセルされて、この事態になったからそれ程重要な仕事はないはず。それに、新人達だから責任ある仕事もないし、」
「そうね。取り敢えず当たってみて、」
「ハウスキーパーの許可が下りさえすれば大丈夫だと思うけど、」
「お願いできる?」
「カナリーとお城へ行ってくる。ある程度事情を説明しても大丈夫よね?」
「もちろん、事は奥様の事だから、発注元にも協力してもらいましょ。」
「それじゃ、夜にJJハウスで。」
・・・・・・・・・・・・・・・
残った5人でルートの検証をしていると、隣の空いた席に人が座った。
「やあ、隣り、失礼するよ。」
「イシュト、それにヒギンズ教授、ダビチオ教授。ごきげんうるわしく。」
「ごきげんようクレマ君。」
「イシュト何故、教授とごいっしょ?」
「いや、ポスター発表の様子を確認していたら教授に声を掛けられて、ご一緒していたらグレースとカナリーに出会って、それでクレマ達がここだと聞いたら、教授が面白そうだから行ってみようと・・」
「すまないね。でも、クレマ君やクリス君に着いて回ると面白そうなことに出会えると思ってネ。」
「そうですか、そう言うことなら致し方ありませんね。では取り敢えず紹介を、クリスはご存じですよね。次にこのものはユニ・・」
「たしか、2年生生徒会の会計さんだね。金の流れから全てを見通す眼力の持ち主。」
「え~とよくご存じみたいですので・・次はジョイとジョニスです。」
「期待してるよ。どうかな大学院の方へ来ないかなJ*J*J研究のお手伝いをさせて欲しい。」
「もう、揶揄わないで下さい。みんな、こちらがヒギンズ教授です。専門は・・」
「専門は通行人Aかな、」
「それはチョット・・」
「大丈夫こう見えても昔、A君の子守りをしていたんだよ。」
「そうですか、ではAの師傅という事で、そしてダビチオ教授はじょせいとして・・・」
「あーそんな昔の事はどうでもいいわ。私も今は子守りが専門だから。」
「という事で幼児教育が専門のお二人です。」
「クレマ君、私達の事は気にしないで会議を続けてくれ、私は君のシンパだからここにいてもいいだろ。」
「そうですが、共に苦労といいますか、いろいろお世話になってもいますし・・では、イシュト。ポスター発表はどうだった?」
「12時から予定通り始めた。屋内の展示場から、屋外の人通りのあるところに立て看ポスターを持ち出して始めたが、それぞれが外に散ったせいでゲリラ的ストリートパフォーマンスと言った感じで奇異な目で見られた。」
「なるほどね。通行人も慣れていないか、」
「サクラを交代で2,3人手配しておいてよかったよ。」
「メインストーリーとみたいな本当に人通りのあるところには出せなかったのも痛いかな。」
「模擬店などの縄張りは3年生が仕切っているし、どこも稼ぎ時だから。後から割り込むことは出来なかったけど、取り敢えず人目に付くことがだいじね。屋内展示場のお知らせみたいなものだから。・・文化祭マップの売れ行きはどう?」
「《いいね!投票券付文化祭マップ》いまいちだ。わざわざ30デニー払って買う意義がないみたいな印象だな。」
「宣伝不足か~、少なくても2,000枚売らないと印刷代が出ない。」
「おいおいクレマ君、文化祭マップとやらで儲けるつもりかい。」
「教授、何をやるにしても先立つものがあります。今回は立て看板500台に紙代です。取り敢えずは信用借りしているんです。」
「生徒会にはちゃんと予算があるだろう。」
「そうですが、今回のはひと月前に思いついて2週間前から突貫工事で今日にまにあわせていますので、通常予算外です。特別会計などの手続きもすっ飛ばしています。」
「個人の臨時建て替えで動ているのか。」
「まあ、そんなところです。」
「ところでそのマップと言うのはどんなものかな、」
「これです。」
「何々、《文化祭ストリートマップ》か・・ほう、食べ物を出している模擬店の一押しメニューが載っているのか、」
「はい。既存のお茶屋さんや食堂でこの期間営業しているお店のおすすめメニューも載せています。」
「この、端の△は切り取って、《いいね!》と思ったポスター備え付けの箱に入れるのか・・どういう意味がある。」
「ごく単純な人気投票です。」
「すると、研究内容でなく見栄えがいいポスターが《いいね!》を獲得するんじゃないか?」
「それを含めての《いいね!》です。」
「しかし・・」
「教授、文化祭です。お祭りです。パーッと行きましょ。それに教職員の方には一人一票、色違いの《気に入った!》券をお渡してあります。研究者、プロの目で投票してください。」
「儂はもらっとらんぞ、ダビチオは?」
「あたしももらってないね。」
「その辺は教授会にお願いしてあるんでこちらでは分かりかねますが、」
「帰りに教授会に寄って行こう・・・それで裏に何やらびっしりと書いてあるが、ポスター展示場の地図と、オークション要項・・とはなんだ!」
・・・・・・・・・・・・・・・
「大変だったわね。」
「ヒギンズ教授よりダビチオ教授の方が面白がっていたのが意外だった。」
「案外ヒギンズ教授って堅物だったわね。」
「神聖な研究を売り物にするのかって、」
「神聖な研究成果をより多くの人に還元するのが研究者の義務ですって、ユニの毅然とした態度に惚れ直したわ。」
「クレマったら、惚れっぽい、」
「そんなことないけど、私は一途な方だと思うけど、」
「まあ~ね。それで、多くの人の知的好奇心や向上心に答える仕組みとしての講演会のオークションだけど、教授会の審査を得るという一文に納得してもらえてよかったわ。」
「まこれで、お二方には審査会に入ってもらわないとね。」
「思わぬところで、私達にシンパシーをお持ちの名誉教授を二人も講演会オークション審査会に送り込む手掛かりが出来て良かったわね。」
「みんなのお陰よ。でも今は目の前の問題を解決しましょ。」
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イヌイ門までのルートを検証しながら文化祭の様子を見て回った。何事もなく順調なプランA。時間が押している時のプランB。緊急事態時の避難用プランCと様々な想定を立てながら、幾つものケースを思考実験したり実際に動いてみたりしているうちに、申の正刻の鐘がなった。帝都に下りる最終乗合馬車に乗り遅れないよう鐘を振り行くボーイとすれ違う。
「日が暮れたら大人の時間よ。学院生たちには早く後片付けを終わらせて、明日に備えるよう即しましょ。」
「暗闇に包まれるには一刻近くあるし、今日は十三夜よ陽が落ちる前に月が出るわ。」
「そうだけど、」
「私達には待っている人なんかいないから、早く帰りたいのはクレマだけよ。」
「あら、グレース達と打ち合わせがあるでしょ。」
「そうだけどね、」
揶揄われながら帰途に就くと十三夜の月が顔を出した。
逸り気味に。