16 十月十日
天が秋に分かれを告げた10月の昼下がり、地上はようやく秋の気配を感じさせ始める。空に拡がる鯖雲を見上げる。溜息を一つ吐くと、グレースは2年生生徒会室の扉を押し開け中に入る。
「遅かったじゃない。」
と、ユニが声を掛ける。アダンが覗き込むように
「浮かない顔をしているな、」
「ちょっとね。」
そう答えて、グレースが自分の仕事机に着くと、ルネが書類の山を運んできてくれイシュクはお茶を淹れてくれた。
「ありがとう。」
と、答えてゆっくりとお茶を飲み、一息入れる。
「ところで、クレマは?」
とグレースは誰とは無しに聞く。ユニが、
「3年生の処、だいたいの承認を貰いに、」
「そう。研究発表の仕切りは2年生徒会の担当だものね。」
「各会場の座長先生と招待という審査員先生の名簿を3年生に上げて学院長の了承を得るのは例年通りでいいんだけど・・・」
「この書類の山ね。」
「要旨を精査して、分類、振り分け、時間割に煽り文をつけて内外に発表掲示するのよ、今月中に!」
「なのに、九月いっぱいの締め切りを守れない人がこんなにいるのよね。気持ちは分かるけど・・・」
「尻拭いは生徒会のおはこヨ。みんなの為に頑張りましょ。」
・・・・・・・・・・・・・・・
ドバーンと、扉が開いて鼻息荒くクレマが生徒会室に入って来た。
みんなは書類から顔を上げクレマを見る。ユニが、
「どうしたの・・・、」
「聞いて!」
「聞いてるけど、」
「勝ち取って来たわ!」
「何を?」
「競売よ!」
「はあ?」
「競売よ、競りよ!」
「競売?何を売る?」
「研究よ。研究発表よ!」
「言っている意味が良く判らんが、落ち着いて説明してくれ。取り敢えずは各自の作業を止めて、会議を開いた方がよさそうだ。」
アダンが、会議用のテーブルにクレマを座らせ、みんながその前に集まる。
「さあ、クレマ。初めから順を追って分かりやすく説明してくれ。」
「分かったわ。・・・イシュクありがとう。ハーブティね。落ち着くわ。」
ゆっくりと、お茶を飲み、カップを置くとクレマはおもむろに語り出した。
「帝国学院生はみんなそれぞれ優秀で類稀でしょ。流石帝国全土から選りすぐられた人たちだと思うわ。そうでしょ、」
「確かに、」
「その学院生が研究したものはそれなりの魅力、価値、意味、意義と言ったモノがあるわ。」
「そう言えばそう言えるかもね、」
「その、価値ある研究を文化祭での、通り一遍の発表で終わらせるのは忍びないと思うの。」
「はあ、」
「研究発表は5日間かけて行われるけど、どう頑張ってもすべてを見て回れる訳でわないわ。」
「そうだが、」
「だけど、なるべく多くの人に多くの研究を見て欲しいの。」
「気持ちは分かる。」
「だから、ポスターよ。」
「ポスター?」
「先ずはその魅力の一端をポスターにして文化祭の1週間貼りだすのよ。」
「よくわからないが、」
「つまり、ポスター発表よ!」
「?」
「研究をポスターにして、1週間掲示するのよ。」
「それは分かった。が、それのどこが競売だ。」
「文化祭には例年帝都や近郊から文化祭にやってくる一般の人たちがいるわ。」
「家族や親戚が見に来ることも多いが、」
「そのほかに気の利いた商人や工房の人たちが目敏く新しいものを探しに来ているのよ。」
「誰情報だ?」
「ギルドの親方や有名店の経営者、貴族のお抱え職人達からの話よ。」
「お前、このくそ忙しいのに何処をほっつき歩いている。」
「蛇の道は蛇よ。」
「ふん、悪魔は悪魔を知るの方だろう、この黄色い悪魔。それでどうする、」
「その人たちに、入れ札をしてもらうのよ。」
「何について、札を入れる。」
「金を払っても聞いてみたい、または他人に聞かせたい発表によ。」
「それなら、人気投票でいいだろう。わざわざ競売と言う程もない。」
「競売にするのよ。一番高値を付けた人に一月は無理でも二月か春休みの一日、本人が出向いて講演をするという権利を売るのよ。」
「そんなものに金を払うやつがいるのか。」
「五百題の研究よ。優秀な学院生の研究よ。物好きの二人や三人絶対いるわよ。」
「百歩譲って、もし五百題とも売れたらどうする。」
「う~ん、どうしよう。」
「考えてないのか。それに、一般受けしそうなものにばかり目が行って、地味だが重要な基礎研究の様なものが、更に日の目を見ないという事にならないか。」
「そこよ、本当に大切な基礎研究というものを知ってもらって、世間の理解を得るような大義名分を今からでっち上げて欲しいのよ。」
「はあ~ん?お前は何か適当な事を言って、3年生の許可をもらってきたな。」
「そんなことはどうでもいいのよ。大義名分さえあればなんとかなるから。」
「また余計な仕事を増やしやがって、みんなから恨まれるのはお前ひとりにしてくれ。」
「もちろんよ。恨みも辛みもすべて引き受けるからさっさと大義名分をでっち上げて頂戴。」
・・・・・・・・・・・・・・・
低い暗い雲の遥か上に立ち上がる純白の積乱雲の一面がオレンジから赤に染まると夕闇が身の回りを包みだす。グレースは陽の落ちるのに急かされるようにアパルトマンへと急ぐ。C-10三人用アパルトマンにたどり着くと、
「ただいま」
と、声を掛けた。中から
「おかえり」
と、ジャイミーとフイジェが答える。2組軍専攻と4組学術専攻の二人だ。
「ずいぶん遅かったわね。」
とジャイミ―。
「ちょっとね。生徒会でまた面倒が持ち上がって」
と、経緯を二人に話す。
「どう思う?あっ、これ試作品だけど食べてみて。」
「お茶入れるわね。グレースのお陰で太ってしまいそうだけど、でも、嬉しい。」
「そう言ってもらえるとちょっとは気が楽だわ。」
「変わった甘さ?風味ね、」
「帝国の寒冷地の貴族領の特産の甜菜糖と楓糖を混ぜたらしいんだけど風味が独特よね。」
「好き嫌いが出そうだけど、私は甘ければそれで十分。」
「そうね。風味を生かすか、精製の純度をあげて癖をなくすかだわね。」
「そう思う。このハート型パイにはどんな風味が似合うかしら?」
「スッキリ淡い、可憐な乙女な感じかな、」
「それとも、苦みが残る情熱の炎を連想させる甘さか、」
「そこまで、考えて食べてる?」
「ま~ね、言ってみただけだけど。私はパイは崩れるのが心配だから、気軽に携帯できる物がいいな。」
「ジェイミーは軍専だからね。」
「私は、ブレイクタイムに飛び散らないしっとり系の方がいいかな。」
「フイジェは研究の合間に飛散しない甘味ね。」
「そう。」
「分かったわ。食研に報告しておくけど、ポスター発表の方はどう?」
「う~ん、雛型を作ってもらってその通りにポスターを制作していいなら、それほど面倒でないかも。」
「そうね。でも研究者志望なんかはチョット工夫したがるんじゃない。」
「ジェイミーは軍専だから簡潔で目的と目標がはっきりしていればいい訳ね。」
「そう、本業じゃなくあくまで趣味の研究だから義務さえ果たせればいいかな。」
「そうなると学術専攻のフイジェは返って面倒に思う?」
「私は学術専攻と言っても研究者志望じゃないし、専門を深めるための一つのステップという感じだからそれ程研究発表には思い入れは無いの。今の到達点を文章化しただけだから、むしろ研究者志望、大学院志望の人たちはここで差をつけたいのじゃいかしら、」
「そうよね。」
「既定の口頭発表だけじゃなく、ポスターで通りすがりの多くの人の目に触れるとなると、ポスター1枚じゃ収まりきらないんじゃない?」
「なるほどね。とても参考になったわ。ありがとう。何か気づいたことが有ったらまた教えて、」
「もちろん。お菓子についての意見ならなおさらね。何でも試食するから!」
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北西の空の分厚い雲の流れを一瞥して、グレースは北門の通用口を潜る。学院の女子学生服がめずらしいのか、新顔の番兵が目だけで追ってくる。通行証代わりの割符を胸の隠しにしまうと通い慣れてしまった小径を伏目がちの姿勢で清楚さを心掛けて歩く。もう違和感も消え失せてしまった。今年の初めから晦行明け以外の聖曜日、月に4日は9時にこの通用門を潜っている。そのまま、オーバル城内の王室家族のプライベートエリアへすすむ。皇后のスティルルームに入り、スティルルームメイド長を手伝って10時のお茶の用意をする。10時になる上級使用人室で執事のブルーベック以下近侍と侍女をハウスキーパーのコル女史と共に迎え、30分程末席で相伴する。会話のほとんどは執事とコル女史の業務のすり合わせである。コル女史から特に声が掛からなければスティルルームでテヒや食研のメンバーからの質問などをしながら、お菓子や家庭薬の調合、酒精の精製、香水の調合をした時もあったが基本スティルルームメイドの仕事を手伝って過ごす。
皇后から呼ばれる事は無かったが稀に皇太后からお呼びがかかり、中食を皇太后の処で取る事がある。その時は太皇太后の食事の世話をする皇太后の手元を手伝い、太皇太后の世話が終わると皇太后の話し相手をしながら昼食を摂る。
今日もそんな少し遅めの中食であった。
「つまり、今年のTG76年組の文化祭は少し変わった趣向が楽しめるという事ね。」
「どれほど変わっているのかは分かりませんが、ポスター発表があるという事です。」
「そうね、ポスターが貼ってある。・・・ただポスターが貼ってあるだけじゃつまんないわね。」
「はぁ、」
「書いた本人をまじかに見れる機会と言うのは刺激的ね。」
「はぁ、」
「500人同時と言うのも壮観だけど、現実的には時間差ね。」
「はぁ、」
「う~ん、仕込みが必要かも。」
「仕込みですか?」
「サクラよ、1年生を2、3人サクラに仕込みましょう。」
「はぁ、」
「まあ、他のスケジュールとの兼ね合いもあるけど、そうね、発表日でない四日間の内2回ぐらいは30分ほどのポスター発表ぐらいねじ込めるわね。」
「はぁ、」
「あなたた達は本当に面白いわね。」
「はぁ、」
「ポスター発表なんて、どうして思いついたのかしら?」
「・・う~ん、実はポスター発表は表向きの理由でして・・、」
「裏向きの理由があるという事ね。」
「実は・・・、」
「聞かせてもらえるわね。」
「・・・はぃ、」
「事の発端は、五月に開いた学生街の喫茶店でございます。」
「后から聞いているわ。ルナもとても喜んでいました。」
「それは、大変うれしゅうございます。姫様には下々の事に関わらせてしまいましたが、お嫌にならないでいらっしゃれば僥倖です。」
「楽しかったと、后も良い経験だったと申していました。」
「ありがとうございます。」
「それで、どうして喫茶店が発端なのです。」
「あの時、私達生徒会にもう少し自由に使えるお金が有ればと痛感いたしました。」
「生徒会にはそれなりの予算があるはずですが?」
「はい。しかし、すべて使い道が決まっています。咄嗟の時に使えるお金がありません。」
「経費ならば下りるはずですが。」
「はい。その通りでございますが、経費は後から支払われますし、いろいろ説明が不便です。」
「機密費が欲しいのですか。」
「そこまでは言いませんがただ、手持ちの当座金が有ればと。」
「それで、ポスター発表と、どう関係があるのですか。」
「私達2年生生徒会は、学院生の可能性を引き出す機会を出来るだけ多く作りたいと思っております。」
「可能性を引き出す・・ですか。」
「はい。それで、今までの研究発表では1回しか、しかも限られた人にしか見てもらえません。」
「それでポスター発表ですか。」
「しかも、それを競売に掛けます。」
「競売?」
「はい。左様です。」
「どういうことです?」
「研究発表を聞きたい人に発表会と言いますか講演に呼ぶ権利を売るのです。」
「何故に、」
「学院生の研究には帝都の民が聞きたがるようなものやその道の人々が関心を抱くであろう物がいくつもあります。」
「うむ。」
「例えば大商会の会頭が自分の店の店員に聞かせたいとおもうかもしれません。」
「うむ。面白い。」
「又は、ギルドの技術に影響を与える研究があるかもしれません。」
「確かに。」
「ですから、欲しいと思う人に欲しい情報をいち早くお届けする方法としてポスター発表を行います。」
「人の目に触れさせるのですね。」
「しかも、学院生は忙しいので、講演会は一回限りとさせていただきます。」
「希少価値を印象付けるのですね。」
「正しく。聞きたい人が幸せで研究者も幸せでそれを取り持つ生徒会も仲介料を頂けて幸せ。三者それぞれ得する、トクトクプランです。」
「面白い!」
「こんな妄想が、亨でしょうか?」
「とおしましょう。」
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通用門を潜り出ながらグレースは何本もの乳房雲を見せる空を見た。
「よし!」と一声。
あと一ヶ月は、生みの苦しみの様な日々だろうが突っ走ってみせる。
そう決意して、今にも振り出しそうな空に向かって駆けだした。