14 夏の終わりの・・・
山の上の金麦が、吹き抜ける風に揺れる。
天布が作る日陰に、オルレアは陰干しされていた。
「眩しくないかい?」
「おお、ルイか。ちょうど日が当たり始めた。影をこう~ちょっと動かしてたもれ。」
「みんなは?」
「庵を掃除しておるはずじゃ、ところで今、何時じゃ」
「そろそろ、お茶の時間かな。」
「ならば、おっつけここに来るじゃろ、」
「う~ん、でも探しに行くよ。」
「おい、ルイ。わらわを一人にするな、暇なのじゃ話し相手になってたもれ~!」
天布の支柱をしっかりと地面に差し込むとルイは祖霊庵の方に去って行った。
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祖霊庵の前には、机を持ち出しみんながお茶を楽しんでいる。クレマが、
「ルイ、オルレアは?」
「眩しそうだったので天布を動かしておいた。」
「そう、うるさいから暫くそのままでいいわね。ここに座って、」
と、自分の横の丸椅子の座面をトントンと叩くと、ルイのお茶を淹れ、お菓子を取り分け、「あなたにいいことが有りますように」と、赤い実を添えた皿をルイの前に置く。教授がクレマに、
「かいがいしいとはどんな綴りじゃったかな、」
「古語ですかチョット分からないですね。どこかの国の事だったような気がしますが、」
「そうか。」
「教授、奏上文に使われるのですか?」
「いやそいう訳じゃ無いんだがクレマ君、何だか・・そう、ふと思い出してね、」
「思い出した?」
「妻の事をね、」
「はあ~、」
「クレマ様。それより、そろそろ山の皆さんが見えられる頃です。どうしますか?」
「そうね、クリス・・。オルレアは今日は一人でお籠りよ、開基1周年だけど、満願御礼のお籠りをしているから細やかな会食がいいと思うの、それよりも集落長会議のお茶をお願い。」
「それはヴィリーに任せてありす。それからルイは水汲みに出る必要があります。姫様の洗髪にほどんどの水を使ってしまいました。」
「う~、そうね。ルイお願い。馬の世話の分もあるけど・・」
「今から出れば4回は行けるか。」
「そんなに!無理しないでね。気を付けてね、それじゃ私達はオルレアを取り入れに行きましょう。」
「姫様は完全に洗濯物扱いですね。」
そう言うと、クリスは溜息交じりに立ち上がった。
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落日が赤い塊となって沈んでいく十六夜の薄暮れの尾根道を、天秤を担ぐルイの影が大きな鳥の様に進んでくる。山の民が合掌して迎える。
ルイの着席を全員が立って待っていた。クレマが、
「さあ、祖霊庵開基1周年とオルレア神司の山籠もり行の満願を祝して長の皆さんと祝いの会食をしましょう。ルイ騎士爵ご挨拶を。」
「皆さん、オルレアの修業にご協力を賜り感謝申し上げます。ありがとうございました。祖霊庵が出来て1年が経ちました。皆さんとこうしてテーブルを囲めることを幸せに感じます。これからも良き友人としてお付き合いをお願いいたします。」
ルイの挨拶で会食が始まり酒瓶が回った。集落長達の席を一回りして隣に帰って来たクレマにルイが、
「・・・ところでクレマ、」
「なに?」
「集落長会議はどうなった。」
「ドメニ座長のお陰で恙無く終わったわ。」
「何が決まったんだい。」
「そうね。黄砂のジェロさんを中心に仮小屋に手を入れて兵舎並みの強度と大きさにすることになったの。」
「いきなりバラックか、小隊50人の兵舎を一人で作れるのかい?」
「二段ベッドが25台が入る掘っ立て小屋はそれ程大変じゃないそうよ。」
「でも、一人じゃ無理だろう。」
「そこは日にちを決めて段取りよく皆さんが協力してくださるという事で、屋根と外壁は11月の山留までには何とか出来るという事です。」
「何かお礼をした方がいいのかな?」
「それについては町でしか手に入らない物、購入しなければいけないものはこちらで買って送るので大丈夫よ。それからそれ以外の事はオルレアと教授にお願いしてあるので心配しないで。」
「分かった。」
「もし、お礼の気持ちがあるなら、ルイは立派な騎士となって山の民の皆さんの誇りとなってね。」
「俺がか?」
「そうよ。」
「ルイは山の民の崇高の念の対象だから。」
「恐れられているのか、」
「畏怖の念とは違うみたいよ。」
「良く判らないが、」
「山の民にはルイ騎士に神々しさとか、気高さとか、尊さとかを感じているみたい。」
「俺にか?騎士にか?」
「ルイ騎士によ。崇高美?信仰の対象ではないかもしれないけど、単なる鑑賞対象でもないわね。」
「よく分からないが、俺はどうしたらいいんだ。」
「このままよ。あなたの理想の騎士になる事が山の民への恩返し?かも。」
「何かやれと言われても、それしかできないが、」
「だから、明日も水汲み頑張ってね。」
「それは任せてくれ。」
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十六夜月が顔を出したところで会食はお開きとなり、ルイとクレマはナンジャモンジャの木の下に散策に出る。
「去年も二人でこの月を見たね。」
「うん、」
「来年も見れるかな、」
「たぶん…でもその後は、」
「そうだね。」
「軍に進むのよね。」
「古の騎士の様に旅に出てみたいが、」
「遍歴騎士となって浮名をなすのね、」
「不埒な騎士にはなれないって、そう言ったのは君だよ、」
「ごめん、今では素敵な騎士様ね。」
「まだまだだよ。でも、腕試しの旅なんかに出る事は出来そうもない。」
「そうね、ロマンチックな出会いもなかなか無さそうね。」
「でも、君のお陰でここまで来たよ。」
「よくがんばったわ、後はどうするの、」
「学院生の間に馬上槍試合を一度はやってみたいな、」
「同好会作ったものね。」
「たぶん、そこまでだと思う。あとは卒業したら軍で軍人になる、」
「騎士は今はもう、富裕な貴族の趣味でしかないけど、騎士の使命や意義、徳なんかを少しでも体現するには武人になるか軍人になるしかないものね。」
「個人の思いとして、武に志を立てる事が出来るのなら武人もいいが、・・何より才能が無い。」
「クリスなんかを見ちゃうとね。」
「それに、この国に恩義を感じている。」
「個人よりも国を優先するのね。」
「・・・そうじゃない。きっと俺の思いを形にするには軍に入るのが良いと思う。二つの思いを同時に適えてくれる、そう感じる。」
「そっか、犠牲になるのではないのね。」
「もちろんさ、楽しい軍隊生活というやつを見せてあげるよ。」
「分かったわ。あなたの人生を生きるのね。」
「君は・・」
「もちろん、付いて行く・・なんて言うと思う?」
「えっ、」
「私も、私の人生を生きるわ。」
「・・・・」
「私の人生は、あなたと一緒に歩く事よ。」
「・・・・・」
「もう~、う˝っ」
・・・・・・・・・・・・・
8月の17日の朝は月入りの行をするオルレアの出待ちをしながら集落長達がクレマを囲んで雑談をしていた。
「と言うと、あの爺さんは偉い学者先生様なのか?」
「そうです。」
「その学者先生様が俺たちの事を王様にとりなしてくださるのだな。」
「そうです。陛下はヒギンズ教授の教え子ですので陛下と直接にお話しが出来るのです。」
「それで、陛下の王様に学者先生はなんと言ってくれる。」
「それは、この月光山や向こうの山々の奥に昔から住む人々は今まで通りそっとしておきましょうと、」
「そっと、とは?」
「そっととは、帝国にあだ名すことが無ければ帝国の方からは何もしないという事です。」
「おらたちは、帝国になんかしようという気はさらさら無いだ。」
「そうですね。勿論です。教授も皆様とお話しされてその事をとてもよく理解されました。」
「そうか。」
「それを陛下にお話しされそっとしておきましょうと、陛下にお願いされます。」
「そうか、そうか。」
忽ちヒギンズ教授が集落長達に囲まれ、拝み倒されていると、青壁のルイジがクレマに近寄り、
「黄色い姫様、」
「どうかしましたか、ルイジさん。」
「あのだな、そのなんだな、」
「はい?」
「ジウリアがな、」
「ジウ‥リ‥アさん?」
「そう、儂の孫娘なのじゃが、これが可愛くてな、」
「とっても可愛いジウリアさんが?」
「ここで巫女になりたいというんじゃ、」
「はあ?」
「ここには黄色い姫様や立派なクリス様の他に可愛いヴィリーちゃんが巫女様をしている話をしたら、自分もここで巫女様をしたいと言い出しての、儂にせがむんじゃ。涙を浮かべて儂にせがむんじゃ、」
「それはそれは…」
「それでどうじゃろか、」
「巫女になるという事ですか?」
「うーむ、そう言われると困るのじゃが、」
「そうですね、可愛いお孫さんの事ですものね・・」
そこへ、ルイが天秤桶を被いて帰って来た。
「さあ、集落長の皆さん、星屑の湖の水です。口を漱いで顔を洗って、それから水筒に詰めてお持ち帰り下さい。家族の方にも飲ませてあげて下さい。」
「おお、龍神山の聖水だ。」
と、小樽や革袋の水筒に水を移す。
庵の扉が開いてオルレアが姿を現す。
「クリス、わたくしにもお水を下さい。」
と、申しつけ、降りて来る。のどを潤し
「腹が減ったのじゃ、」
と椅子に腰を下ろした。クレマはオルレアに青壁のルイジの悩みを相談した。オルレアは青壁のルイジに席を勧め対座すると、
「ルイジ翁よ、孫娘の名はなんと申す。」
「神司さま、ジウリアです。」
「ジウリアか、善い名じゃ。五月生まれかの、」
「はい、でも、どうしてそれを・・」
「まあ、どうでもよいがそうじゃな、幾つになる。」
「10歳です。」
「ちと、早いの、」
「山の民は11歳になると半人前として親の手伝いや集落の手伝いを始めるだ。」
「文字は読めるかの、」
「おらたちは文字はよめね。口伝でおぼえる。」
「そうであったな。今度ここへ連れてこよ。」
「いいのか?」
「いいだよ。」
「連れて来てどうするだ。」
「11月の終わりに山留になる。そしたらここも戸締り式をして無人になるが、それまではヴィリーが一人でここを守っている。」
「この秋は黄砂のジェロが大工仕事でここにいるだよ。」
「そうか、それは都合がイイの、大工仕事の手伝いのついでにここにきて暫く過ごすとよい。」
「過ごすのはいいが何をすればいい?」
「それは、ヴィリーに聞けばいいのじゃ。」
「巫女見習いのヴィリーちゃんに従えと言いう事か。」
「何か不満でもあるのか。」
「いや、立派に巫女や小間使いをしているから大丈夫だと思うが、ジウリアとそれ程年恰好が違わんのでの~」
「あれでも、ヴィリーは14なのじゃ。」
「ほうー。」
「飯もうまい。」
「知っているがや、」
「という事で、山留になるまで暫くいて、来年本人の気持ちが変わらなければ連れてこよ。」
「暫く、ヴィリーちゃんの手伝いをして気持ちを確かめてからということじゃな、」
「ふむ、両親の許しを得る事は絶対じゃ。それから、山の女の仕事の手解きは母親からひと通り授かって来よ。」
「親の許しと女ひと通りの事をしこまれてくるのじゃな。」
「山の神の巫女じゃ、帝国風に染まる必要もなかろう。」
「そうだな、山の神の巫女か、」
「そうじゃった。山の民は羊の乳でチーズを作ったり、乳酒を造ったりしたはずじゃ。」
「うちの嫁の作る羊乳酒はうまいぞ。チーズ作りは婆さんに仕込ませるか、」
「そうかそうか、それは僥倖じゃっかっかっかっか、」
クレマが割って入る、
「山の神が乳酒をご所望なの?」
「わらわが飲みたいだけじゃ、か~っかっかっかっか。」
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山の民の長たちを見送り、片付けを終えると、ヴィリーに別れを告げ馬車が出発した。徒歩で山を下りるクリスが暫く時間があるからとヴィリーと庵の前庭で剣の稽古をする。その様子を見ながらクレマは、
「クリスの動きが一段と速くなって・・・私の目では追えなくなったわ。」
とため息をついた。次第に打ち合うような立ち回りは影を潜め二人は対峙することが多くなった。
「もう、こっちの息が詰まっちゃう、」
クレマは息苦しさを感じ、その場を離れるため踵を返そうとした瞬間、四尺の棒剣と二尺足らずの木刀は上段の切り下ろしで真っ向から打ち合った。ガッシという無音の音が聞こえたかと思う程の圧力を感じクレマは二歩、三歩とよろめいた。
寸止めいや、厘止めなのだろうか、クレマからは二人の動かぬ剣が接触しているように見える。
「ここまでにしましょう、姫様。」
ヴィリーが声を掛ける。クリスは剣を引くと、息を激しく吐き喘ぐ。クレマは既視感に襲われていた。
ルイとクリスの稽古風景のようだ。息を荒げるのはルイの方だが、いつもクリスは何事もなかったようにルイに労りの言葉をかける。ちょうど今のヴィリーの様に、
「姫様。お水をお飲みください。」
「ありがとう。」
「しばらく、お別れです。」
「夏の修業はこれで終わりか、」
「はい。一歩づつ進みましょう。」
天の秋の気配は山の頂に確実に降り注いでいた。