12 子爵館址川関所砦
夏の林道を走る、風は優しい。
クレマとテヒは子爵館址の川関所砦前の小さな旅館に二人乗りしてきたマレンゴをつないだ。昼と言うには早すぎる時間帯は旅館のカフェに客は無く、窓の外にも数名の兵士以外は人影はなかった。
「去年に比べると流石に人は減ったわね。」
とテヒが誰とは無しに語り掛ける。クレマはサドルバックから用箋とペンシルを取り出すとさらさらと認め宿の者に声を掛けた。
「今、関所砦の責任者はなんと言う方かしら?」
ぼんやりと店番をしていた老人が、
「なんだったか若い少尉さんに代わったばかりだからな、」
「そう、それじゃ古株の曹長さんはいるかしら、」
「クヘイワ曹長ならずっといる古株だな。」
「それじゃクヘイワ曹長にこの手紙を渡してもらえるかしら」
とチップと共に先ほどの手紙を店番をしていた老人に渡した。テヒが、
「知り合いがいたの?」
「そうじゃないけど、ちょっと人の手を借りたくてね。」
そう言うとお茶に手をのばした。
「テヒはこの後は実家でベイシラと過ごすのよね。」
「そういう言い方されるとちょっとね~。」
「ごめん、他意はないのよの。言葉通りよ。」
「分かっているけど。去年はウヅキとルシアがいたけど、ウヅキは甘々同好会の新しい仲間といろいろ夏休みの計画があるみたいだし、ルシアはJ*J*Jと秘密の特訓合宿なの。」
「テヒは合宿には呼ばれなかったの?」
「私はクレマ達との計画があったし、何よりJ*J*Jじゃ無いから、」
「それでベイシラと、」
「どうしても修行したいっていうので先に実家の方へ行かせたわ、」
「だったらそのまま一人でもいいじゃない。」
「そうだけど、道観には私と一緒の方が都合がいいし、何より私も籠りたいし、」
「道観?」
「ああ、そうね。私の実家の近くの山?丘?の上にある古い寺院ね。」
「そこにお籠りするんだ。」
「まあね。前は興味はなかったんだけど、アンシュアーサ導師様の事があってちょっと籠りたくなったの、」
「そう、で、ベイシラはどう?」
「どうって、・・まだピンと来るものは無いみたいだけど・・星屑の湖に興味があるみたい。」
「第5中隊の時、湖に落ちたんだっけ?」
「そうよ。」
「何かみたのかしら?」
「見たというより、感じた、かな。」
「何を感じたの?」
「それが分からないらしいの。」
「分からないって、」
「感じた事は感じたのだけどそれを言語化できない・・分別できない、判断が付かないって感じかな。」
「アダンはルイの相談役には為れてもお友達っていう感じにはいかないの。でも、ベイシラなら01どうしでいい感じなんだけど、」
「あんたはルイの事しか頭にないのかい、」
「そっ、そういう訳じゃにけど・・あっ、来たみたい。」
そう言うとクレマはバックの中から鳶色のベレー帽を取り出し、テーブルの上に置いた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「じいさん、俺はひまじゃないんだって・・・暇そうに見えても暇じゃないの・・・鼻毛を抜いているように見えてもそうじゃないんだって・・・」
と、砦の方から人がやって来て喫茶部屋の扉を押し開けて、曹長と言うには若い印象の40位の男が入って来た。
「あんたかい。俺にようがあるって言うのは。」
そう言い放つとクレマ達のテーブルの前に立った。
「御忙しい処、ご足労頂いて申し訳ございません。訳あって名乗れませんが暫くの間、私共とお茶などお付き合い頂けないでしょうか?」
クレマはテーブルの上の鳶色ベレー帽を人差し指でそっと撫でながら視線を窓の方に向けた。
「そんな暇は無いんだけどな。どこのお嬢様か知らないがよーがあるんならさっさと言ってく・・れ、」
尻すぼみの声量と反比例に顔色が白そして青くなっていく。
「曹長さん、どうかお座りになって、おじさんお茶とお菓子を一番美味しいのでお願いね。」
老爺の給仕係に声を掛け、曹長に椅子を勧めた。クヘイワ曹長の頭の中は様々な思いが言葉が映像が渦巻いていた。〔よく見ると、鳶色の帽子ついている徽章は何処かで・・第四、そう幻の第四中隊の〕
「どうしたんですか、曹長さん?」
〔思い出した、黄色い悪魔だ。グリーンベレーの魔女ソシ中佐の処にいた黄色い悪魔だ。〕
「そう言えば、ユニヴァ連隊の方ですよね。」
「じ、じ、自分はリーパ・ユニヴァ連隊第二大隊第四中隊第五小隊付クヘイワ曹長であります。」
「お若い曹長さんなんですね。」
〔何だ、罠か。どう答えればいい。緑ベレーのローズマリー軍曹が脂汗を流して倒れそうになるのを必死で耐えたという呪いの微笑か、〕
「お茶が来ましたよ。どうぞ召し上がれ。」
〔どうすればいい、飲めばいいのか?あのスカしたマージーが骨を折られたという蹴りが飛んでくるのか?〕
「さあ、遠慮なく。」
「い、頂きます。」
「そういば、ユニヴァ連隊長はお元気かしら?」
〔監察か、秘密警察か、なにも後ろめたいところは無いぞ・・腐りかけた食糧を廃棄名目でこっそり食べたのがばれたか、いや、ヘタレな新兵の尻を蹴とばして走らせたのをチクられたか、〕
「おじ様にはお世話になりっぱなしで、後でお手紙書きますから軍郵便でうううん。出来れば直接曹長さんに届けてもらってもいいかしら。」
「は、はい。い、いいえ!」
「どうしたんですか?」
「自分は八月いっぱい迄ここでの勤務が続きますので、直接ですと大変遅くなります。」
「そうなんですか。分かりました。手紙の事はとも角、八月に移動とはちょっと変わってますね。」
〔きた、内部調査か。ここは素直に答えた方が得策か?何もやましい事は・・多分ない。失敗もない・・多分。特務の仕事については誰も知らない謎だったが、これか。しかし、見た目は何処かのお嬢様だ。そんな人間に軍の機密を喋っていいのか・・しかし、鳶色ベレーと特務徽章。腹を決めろ‥〕
「それにつきましては、ご説明申し上げます。」
「お願いします。」
「去年の10月に第四大隊から関所跡砦守備任務を第二大隊が引き継ぎました。自分はその時からここで勤務しております。それが何故か今年4月突然曹長に現地昇進になりまして、その後暫くして守備隊長の小隊長が本部に出向になり小隊長不在中小隊を預かっておりました。この度、新米少尉・・元い、新任の少尉が着任。少尉が隊任務に習熟した頃合いを見計い自分が本部で曹長教育を受ける予定になっております。」
「お若いのに優秀なんですね。」
「いえ、そんなことはありません。下士官の昇進は連隊長の所管権限ですので、中隊長の推薦のお陰です。」
「中隊長さんのお気に入りという事ね。」
「大尉とは大尉が少尉で任官された時からのお付き合いになります。自分の事をよく理解して頂いております。其のお陰かと思います。」
「そうですか、部下思いの中隊長さんなのが良く判ります。中隊長と言えば戦術行動の要。そして、そんな中隊長には兵隊の裏も表も知り抜いた下士官が頼りの綱ですね。そんな素敵なクヘイワ曹長さんにお願いがあるんですが。ミクニ街道から分かれて山の奥に入って行く林道が有りますよね。」
「はい。今は大岩村林道と名前が変わりまして、この四月から我々の巡回地域に組み込まれました。」
「そうですか、では今日の夕食をその林道に詳しい下士官の方とご一緒していろいろお話を伺いたいのですけどお骨折りいただけますでしょうか?」
「自分達と夕食を取りたいという事でしょうか?」
「そうです。」
「何人ぐらいとですか?」
「そうですね。曹長さんの頭の中には何人の顔が浮かびましたか?」
「外せないのが2人、それから面白そうなのが1人ですかね。」
「では、その方たちと、曹長さんと4人、う~んもう一人加えて5人という事でお願いします。」
「分かりました。」
「場所はここの食堂でいいかしら?」
「兵舎の食堂よりましなのはこの辺りではこの宿の食堂しかないです。」
「では、それで決まりですね。」
「何かリクエストはありますか?」
「食えれば何でもいいですが、できれば安酒でいいんで少し飲ませてやってください。」
「分かりました。あと、もう一つ、いいえ、二つ程お願いが・・」
「なんでしょうか?」
「明日の朝の一番の下り船に彼女を乗せて頂きたいんですが、」
「帝都にお戻りでしたら二番の客船が乗り心地がよろしいかと思いますが、」
「一番でお願いします。」
「軍の連絡船で足は速いですが右岸の東街道桟橋には寄りませんが?」
「それでお願いします。」
「何処まで?」
「日没停泊地まで」
「わ、わかりました。そのように手配します。」
「後、一つ。」
「はい。」
「一頭引きの2輪車の様な馬車が有りましたらお貸し頂けないでしょうか?」
「はあ~、それは、荷馬車はそれなりにありますが、探してみます。」
「よろしくお願いいたします。」
席を立ってクヘイワ曹長はそそくさと宿をでた。〔うまく出来ただろうか、何が狙いかわからないが要求には取り敢えず答えよう。それにしても帝国の北の果てからオディ川を下って南のしかも左岸に上がるとはどんな作戦範囲なんだ。上の事は分からん、いやいや変に首を突っ込まないのが下士官の処世術。しかし、バギーとはそんな女の乗るようなものある訳ないだろう‥いや女だった、黄色い魔女か〕
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朝靄の中を川面へと下りて行く階段をクレマとテヒは歩いていた。足の速い巡回艇が桟橋に舫われて出航準備に水兵が忙しくしている。
「直に靄が晴れるは、そうしたらすぐにも出航ね。」
「去年で慣れているから大丈夫よ。それより夕べはあれでよかったの?」
「テヒの料理と秘蔵の酒で口を開かない男はいないわ。」
「でも可笑しかったわね。新兵と伍長のやり取りが頓珍漢で、」
「そうね。洪水の後始末がひと段落して砦の守備体制が縮小され、事情がよく分からない平時招集兵小隊が派遣されて山奥の何もない、店もなければ人もいない、事件もなければ女もいない、そんな山の中の砦の守備隊の兵隊さんにテヒの手料理とお酌で舞い上がってたわね。」
「曹長さん、初めは随分緊張していたけど途中からノリノリだったわね。」
「多分、調査対象が自分達でなく林道の事だと気が付いたら、気が楽になったんだと思うわ。」
「そうみたいね。これが鳶色ベレーのご利益かって思ったわ。」
「ちょっと、ズルかったかしら?」
「それは分からないけど、こんな山の中の守備隊でも責任者となると其れなりに苦労があるのね、」
「水軍と陸軍の縄張り意識はそれなりにあるからね。」
「私なんか全部同じ帝国軍なのかと思っていた。」
「一応、帝国軍には海軍もあるのよ、外洋には出ないけど、」
「へえ~水軍でなく海軍もあるの、」
「まあ、沿岸警備が主な仕事で外国遠征はまだ視野には無いわ。」
「水軍はオディ川だけでしょ、」
「今の処わね。オディ川の水運は国内はもちろん下流の諸外国との貿易の要だから水軍の規模は陸軍に比べたら小さいけどプライドは高いわ。」
「なるほど、で、クレマはこの後林道の実地調査という訳ね。」
「独りで行っても安全そうだし、」
「そうは言っても、気を付けてよ。」
「ありがとう。昨日の軍曹達の巡回警邏の話で各集落の様子がだいぶ分かったから心の準備はできたわ。」
「4月から林道の警邏が業務に加わったって嘆いていたわね~、」
「荷馬車で一日単位で集落が五つ、集落民が少なと言ってもね。全部合わせると300軒程になるの、だから小隊で砦警備と掛け持ちするのはチョットかわいそうね。」
「噂をすれば影ね。曹長が下りて来たわ。」
川面を眺めるように佇む二人の処に曹長が下りてきた。
「おはようございます。クヘイワ曹長さん。夕べはどうも、とても楽しかったです。」
〔やばい。先手を取られた。どうする。よし!〕靴踵を鳴らし挙手敬礼をして、
「おはようございます。お嬢様がた。」
「私達に敬礼なんて、二日酔いですか曹長さん。」
〔いい感じだ。気を緩めるな俺。〕
「昨日はごちそうさまでした。大変美味しいお料理とお酒でした。」
「それはこのお嬢さんにお礼をいって、旅館の厨房を借りてわざわざお料理してもらったんだから。」
「そうですか。ありがとうございました。とっても美味しかったであります。」
「皆さんに喜んで頂けたら幸いです。船の準備が出来たみたいですから、」
とテヒはクレマに向かって正対すると姿勢を正し挙手の敬礼をとる。
「では、行ってまいります。大尉殿。」
〔思い出した。ソシ中佐の黄色い悪魔クレマ大尉だ!〕
「もう~、やめてよ~。」
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