10 二度目の祖霊祭
蒼翠滴る山々を足下に、尾根道をルイは天秤桶を被いていた。
馬が9頭、人が10人、そして明日は更に20人は増えるだろう。飲み水だけならともかくも沐浴の水も要る。木の樽の他、大水瓶も運び上げられ貯水量は各段に上がってはいるがそれも今は一日として持つまい。そう考えると自然と足が早まる。
黙々と水を運ぶルイの姿を見てクレマがヴィリーに尋ねる。
「ねえ、ルイは大丈夫?働き過ぎじゃない?」
「クレマ様。ルイ様は自分の身体をよく弁えていらっしゃいます。鎖帷子を脱いで詰襟の襟無しシャツ、足拵えは短靴に半脚絆と至って軽装です。肩当と麦わら帽子はラフォスの物ですが、クレマ様の手作りなら猶もよろしいかと存じます。」
「ヴィリー、出過ぎた真似です。」
「恐れ入ります。」
「でも、そうね・・肩当が要るわよね。少なくともここにいる間は、」
「はい。」
「端切れとか、何かないかしら・・、」
「では、ご一緒にお探しいたしましょう。」
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尾根道との境界のように立つナンジャモンジャの木の下で、ヒギンズ教授とオルレアが峰の向こうの星屑の湖あたりを眺めている。オルレアの足元にはルキアが寝そべっている。
「ルイ君はこの峰を渡って湖から水を汲んでくるのかな。」
「正確には湖から溢れ出た水を貯める貯水槽の様なところあって、そこから水を汲み上げてきます。」
「そうか、それは大変じゃな。ところでここから先は男子禁制なのじゃな。」
「正確には巫女以外は入山禁止なのです。」
「何故、ルイ君は入っていいのかな?」
「正確には神子ですが、男子禁制の方が便利なのでそうしています。」
「誰がしているのかな?」
「わたくしが、です。」
「つまりは、儂は駄目なのじゃな・・、」
「ルイは去年は男の子でした。」
「そうだな。」
「そして、黎明の女神のクリスの弟子でしたので、クリスの庇護下にある者として入山が黙認されました。」
「そうなのか、」
「更に、黎明の女神のクレマの思い人として、クレマの縁者としても入山が黙認されました。」
「それは、納得じゃが、他にも入山した者がおるじゃろ。」
「アンドレとラフォスはクリスの兄弟子としてクリスの守護下にある者ですが、」
「ですが、とは?」
「ヴィリーの兄弟子でもあり自身も長年の修業により、域を出ておりますので入山が許されました。」
「ヴィリーは黎明の女神なのか?」
「いいえ、しかしクリスの一歩前を歩いております。」
「でも、メイド見習いじゃぞ。」
「それは、この世の事でございます。」
「なるほど。で、他には、」
「ベイシラという者がおります。」
「男か?」
「男です。」
「そのものは何故入山できたのじゃ。」
「去年の6月の大雨の折、その者は星屑の湖の様子を確認する為、暴風雨をついて入山してしまいました。」
「どさくさに紛れたという事か。」
「いいえ、軍のつまりは形式的には帝王陛下の命により、使命を果たすべく危険を冒して星屑の湖に参り、風に押され足を滑らせて湖に落ちてしまいました。」
「大丈夫だったのか?」
「幸い泳ぎが達者で九死に一生を得ました。」
「運が良かったのじゃな。」
「いいえ、生かされたのです。」
「泳ぎが出来たからじゃないのか。」
「はい、窮鳥懐に入らずんばです。」
「窮鳥入懐・・か。」
「そうです。」
「そうでなければ、打たれていたか・・。」
「その後は黎明の女神テヒの縁者として、特別に黙認されました。」
「独りではだめという事か。」
「それから、蒼色狼のセシルとその子供は入山を許されております。」
「獣も入山禁止なのか。」
「そうです。」
「何故入山が許される。その灰色狼は駄目なのじゃろ。」
「セシルは以前怪我を負った時、治療の為わたくしの修為を分け与えました。子供たちはその折セシルの腹の中にいたので結果としてわたくしの修為を持っております。」
「修為を分け与える・・・そんなことができるのか・・」
「今のところ、この者達だけが星屑の湖に近づけます。」
「なるほど、女神の縁者でなければ入れない領域なのじゃな。」
「そうです。」
「女神の掟か!・・ところで、アダンはここへはこんのか?」
「アダンはわたくし達とは別の目的が有りますので」
「女神ではないのか?、何故じゃ。」
「アダンはあくまでもヒトの男です。わたくし達もヒトです」
「しかし、不思議な力を持っておる。」
「それは偶々です。偶然に、又は単なる縁です。」
「それで納得しろと、」
「そうです。」
「しかし、知りたいのじゃ、」
「それを知るという事は女神の掟に触れますが、」
「掟に触れるとどうなる?」
「この世のものでいることは困難かと。」
「わかった。知りたいのはやまやまじゃが・・・好奇心は猫をも殺すか。」
「触らぬ女神に祟りなしです。」
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朝の勤行を終え、クレマは祖霊庵の窓と扉を開け放った。太陽は東を過ぎ夏の日差しは白銀の反射を高原にまき散らしている。
ルイが天秤桶の水を水瓶に移し替えていた。
クレマは沓脱石に降り立つと、
「おはよう。」
と、声を掛ける。
「やあ、おはよう、クレマ。」
「もう何往復目?」
「3回かな。勤行の邪魔をしたか?」
「ううううん、大丈夫。ごめんね。朝から働かせて、」
「こっちに来て顔を洗うかい?、肩当有難う、なかなか具合がいいよ。」
「パンヤも入っていない鞣し革を合わせただけの物よ。」
「でも、あるのとないのじゃ随分違う。大きさも邪魔に為らない使い易さだ。」
「ありがとう、それならいいんだけど。ちょっと大きいかなって、」
「縦担ぎはもちろんだけど、横担ぎすると大椎辺りが気になってたんだ、もうこれのお陰で大丈夫だ。」
「邪魔してすまんが、そろそろ場所を開けてくれんかのクレマ。」
と、オルレアが後ろから声を掛けてきた。
「これじゃから若いもんはイチャコラとひとの迷惑も考えんと、ルイ。昨日アンドレ達が手を入れた祖霊庵の前庭にはには~、庭に二羽のニワトリはいるかいないかしらんが、水を打って清めるから、おぬしはもっと水運びに励め。あ~、今晩星屑の湖に上がる四人は夕方には湖に行って、沐浴するからその分は勘弁してやろうぞ。かーかっかっかっか、礼なぞ要らんぞ。」
「オルレア、朝からいい加減にしなさい。あなたの脚じゃ間に合わないわ。ルイ、オルレアの分ぐらいは大丈夫よね。」
「もちろんだ。」
「何、わしは足手まといなどならんぞ。みんなと一緒に行くからな。」
「ハイハイ、その時考えましょ。それよりルイ何か食べるでしょ。すぐ用意するわね。」
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太陽が未刻に入る頃、月光山の祖霊庵の前には山の民の各集落の代表が集まって来た。
黄色いベレー帽を被った七人が黄色いベレー帽を被るクレマの前に進み出て挨拶する。
「黄色い姫様。お久しぶりです。」
「集落長の皆様、一年ぶりですね。皆さま息災の様で何よりです。皆さんに建てて頂いた祖霊庵も大過なく冬を越せました。神々も大変お喜びです。今日は夏至の後の最初の満月を祝う祖霊祭です。先ずはその準備をしましょう。天布の炉場で料理を開始する前に祖霊庵前の庭をお祓いしたいと思いす。・・ちょうどルイ騎士爵が龍神山の湖から清めの水をお運びくださいました。ルイ騎士爵こちらに桶をお持ちください。」
ナンジャモンジャの方から天秤を横担ぎにしたルイがクレマの声に従って祖霊庵の前に来た。丸首のシャツにズボン、半脚絆に麦わら帽と言う村の若者と見間違う姿で山の民の間に立った。
天秤を下ろし、帽子を取って、
「やあ、皆さんお元気で」
一斉に山の民が跪いて平伏した。
「困ったな、どうしようクレマ。」
「ルイ、先ずは皆さんを立たせて、それからよ。」
「ああ。山の民の皆さん、お辞儀はいいですから先ずは立ってください。」
「ありがとうございます。偉大なる騎士様。」
そう口々に感謝の言葉を述べるとゆっくりと皆が立ち上がった。
「クレマ、どうすればいい?」
「先ずはご挨拶でしょ。」
「そうだね。では、改めて、山の民の皆さん一別以来ですね。皆さんお元気そうで大変うれしく思います。今年の祖霊祭を皆さんと共に祝える歓びを神に感謝します。」
ルイが一礼する。山の民も一礼する。クレマが、
「では、騎士様。神に聖なる水を捧げて下さい。」
ラハトから器を貰いルイは桶の水を汲むと両手で天に掲げる。それからゆっくりと器を傾け大地に水を垂らした。
アンドレとラフォスが柄杓で山の民の上に水を撒くとクレマが
「皆さんで大地を清め、踏み固めて祓いをお願いします。アンドレ後をお願い。」
そう言うと、ルイを仮小屋に連れて行った。
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二つの桶の水を広い前庭に撒き終え、裸足で踏み固める。その後ラフォスが四股を踏む。
ルイが大剣を携えて仮小屋から現れた。両袖なしの鎖帷子で現れると、ケトルハットの兜を脱ぎラハトに渡す。短靴と足袋を脱ぎ広場の中央に進み出でる。
大剣を抜くと鞘をラフォスに手渡し開始礼に構える。静に五行剣を使いだした。ゆっくりと摺り足で舞うように剣を扱う。全員がその動きを注視していた。いつしか終了礼の構えでルイが立ち止まっている。そっと場を離れ鞘を受け取るとゆっくりと納刀を行う。
「さあ、天布の処で料理をしましょう」
と、クレマが声を掛けると全員が五芒五行陣が薄っすらと浮かび上がる場を後にした。
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天布の前には四人と四匹が待っていた。ヘンプの生成りの布で作った貫頭衣を着た巫女と蒼色狼の母子であった。ひかがみ当たらり迄の金髪をいくつかのリボンで束ねたオルレアと腰までの黒髪をすべらかし先の方を束ねたテヒ、貝殻骨辺りまでの蒼い髪を緩く一つに纏めたクリス。クリスは乳切り棒を携えている。それに腰までの黒髪を一つにしたヴィリー。ヴィリーは青い帯に緑の木刀袋を腰差しにしている。
「山の民の皆さんに改めてご紹介します。金髪の巫女はオルレアと申します。黒髪の美女はテヒです。蒼い髪はクリスです。そして少女はヴィリーです。今夜この四人は蒼色狼の母子と共に龍神山に上りそこで夏至月の望月祭を行います。昼から斎戒沐浴無言の行に入っておりますのでご挨拶は出来ませんが今宵共に神事を行う者として顔見世だけでもと思い、お引き合わせをしました。」
クレマの言葉に合わせ四人が一礼する。
「四人は今から龍神山に向かいます。」
オルレアが深跪礼を行う。立ち直るのを合図に四人は振り帰りナンジャモンジャの木の方角に歩き出した。
山の民は両膝を着き崇敬合掌をして見送った。
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「どうも肩が凝るのう~」
「オルレアいい加減にしなさい。みんな純朴で信心深いんだから、あなたとは違うのよ。」
「それはそうじゃが、合掌される方の身にもなってみてくれと言いたいのう~、」
「姫様。もう神司様なのですから、そのような物言いは、」
ナンジャモンジャの木の下にはルキアが待っていた。
「おっルキアじゃ。ルキアすまんのう、いつも留守番ばかりで」
そう言うっとルキアの下に積まれていた風呂敷包みを一つ背負う。他の三人も自分の包みを背負うと、しっかりと身に縛り付ける。
クリスが乳切り棒をヴィリーに預けベオとロボを両脇に抱え上げた。テヒがセリを抱え上げる。
オルレアが、
「1歳以上になるが子供たちはまだまだ小さいの~、儂の所為か、湖の所為か?」
「両方じゃないの?普通の狼は2歳になる頃には成熟するけどまだまだ子供ね。体だけでも大きくなるにはもう少しかかりそうね。」
「わらわは可愛くて良いと思うぞ。ウイ奴じゃ、か~かっかっかっか、」
「姫様そろそろ正気にお戻りください。ここから先は無言でお願いします。」
「分かっとるワイ」
そうひと言、いい放つとオルレアはセシルの背に飛び乗り蹴りを一つ入れた。
夏至後の日の入りにも月の出にも一刻以上はある夏の夕暮れの尾根を長く伸びた四つの影が走り去る。