2 薫る5月の・・・
帝丘オーバル城の周囲の広大な敷地の各所には小さな街並みがある。そこには商店街もあり、ここ北側の学園区域にもそんな町並みがある。学園の職員、研究者、その家族、出入りの関係者それぞれに好みのたまり場の様な食堂やお茶屋があるが、特に学院生が多い寄宿舎街には何故か喫茶店が無かった。学院生にはお茶を引く暇もないという事だろうか。
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ルイはフォン・ターレン宗匠が名付けてくれた、星屑の湖のナンジャモンジャの木の枝から削りだした棒リュウジョジ(柳絮爾)を剣に見立て五業剣を工夫し始めていた。前進しかない五業拳を基礎にこの三月の宗匠の武の弟子達との交流に刺激を受け自分の拳法を省みた。思う所が有りクリスの許しを得て新しい体に剣の事情を馴染ませつつ四尺の木剣を工夫していた。
毎週の水の曜日の晦行練習会は無くなったので、ルイは聖曜日の朝も同じ時間に起き出し、今日もひとり剣の工夫を行っていた。7時になるといつもの様にクレマが朝食の誘いに来る。
「五月に入って木剣を使いだしたんだ。どう?具合は、」
「まだ前のような、しっくりとした感じはないけれど、・・でも楽しいよ。」
「良かった。何だかとても神妙な表情だったから・・、」
「見ていたのかい?。」
「何にも予定の無い聖曜日の朝って、休日って感じがするわね。」
「全然気付かなかったよ。」
「ホンの5分ほど遠目によ。」
「予定が無いって、おお有りだろ、」
「準備は出来ているから、9時集合で十分。ルイも10時からお手伝い宜しくね。」
「10時からでいいのか、なんだっけ・・ギャルソン?とかをやるんだろ。」
「お運びだけだから、去年の秋の叙勲式のフットマンの訓練を終えているから、あれに比べたら気軽な物よ。」
「でも、フットマンじゃなくてギャルソンだろ、女子はなんていったっけ、」
「セルヴィーズ。」
「そうそう、ギャルソンの対ならギャルソネじゃないのか。」
「食べ物屋さんではセルヴィーズだって、古研の意見だから。」
「成る程、古代語研究会も噛んでいるのか。」
「そうよ。」
「仕事の内容が給仕なら、フットマンでいいのじゃないか?」
「う~ん、新しさ?新感覚が欲しかったのよ。」
「新感覚?」
「従者や召使いでは貴族のお屋敷の奉公人というか、隷属感があって・・」
「なるほど。」
「給仕と言う職業に従事する職業人であるという意識が欲しいかなって、」
「新しい時代、新しい世代感覚ってやつか。」
「そんな大仰なもんでもないけど、」
「でも、なんで古代語?」
「う~ん、温故知新?覧古考新?彰往察来?継往開来?因往推・・」
「分かった、わかった。ところで10時ちょうどでいいのか?」
「ちょっと早めにお願い。あなたのお仕着せのお直しをしたいらしいの。」
「何故。この間ちゃんと採寸しただろ。」
「あなたどんどん体が変わるから、素肌寸もだけど仕上がり寸も予測できないって、」
「分かった。もう一個これを食べたら一緒に行こう。」
「一緒に行けるのはうれしいけど、ほんとよく食べるわね。」
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学院生用の大食堂から寄宿舎街の外れの戸建ての宿舎が並ぶ通りへはわざと遠回りをした。平日の朝はおしゃべりなどしなかったが今日、話が弾むのは聖曜日の所為か、それともいつもと違う道を歩いている所為か。
「春休み前に研究棟の地図と講座表を検討していたおかげで、取りたい授業と教室移動のジレンマはほぼ回避できたけど軍事専攻必修の戦術論の講義と軍式剣術が同じ木の曜日にあるのはちょっと移動がたいへんだな。」
「軍専は必修があるのよね。軍専三術だっけ?」
「戦術、剣術、馬術。」
「戦術は分かるけど、あなたに剣術や馬術の授業が必要?」
「馬術は行軍できることが最低ラインだから僕は取る必要が無いな。騎兵志望なら個人研究か馬術部に入るべきだね。全く乗れない人用の授業さ。」
「そういう意味なら、剣術の授業もルイやファイなんかはいらないないでしょ。」
「個人的にはそうだけど、士官として軍に入った新兵が訓練する軍式剣術を理解しておくことは用兵の基礎だからね。」
「兵隊さんに教えるってこと?」
「士官としては直接教える事は無いけど、う~ん・・もしかしたら手本を見せることになるかもしれないことも想定した方がいいのかな、」
「悩んでいる兵隊さんに適切なアドヴァイスをする少尉さんなんて素敵かも。」
「そうだね。武研の武術は素人には難しいというか理解できないだろうけど、軍式は集団戦法を想定しているからね。素人に分かりやすく教える事は重要だね。」
「だったら、今度私に教えてよ。」
「クレマは剣術に興味があるのかい?」
「興味はないんだけど、素人に教える難しさを体験させてあげるわ。」
「それはどうも有難う。」
「いいえどういたしまして、」
「ところで、何で喫茶店?学生街の喫茶店だっけ、そのまんまな名前だけど、唯でさえ忙しい学院生が出来るのかな?」
「生徒会としてはやるべき事かなと、」
「何故?」
「ほら、去年、学園祭を見て回ったじゃない。」
「なんだか慌ただしかったね。」
「そうでしょ。そして、たった5日で終わったわ、」
「お祭りだからね。」
「でも、日頃からも少し自分たちがやっている事を発表?表現?知ってもらいたいじゃない。」
「みんな何某かの研究会や部会に入っているからね。」
「そう、それで先ずは生徒会が企画して試験的に発表の場を作ったという訳よ。」
「それが、聖曜日1日だけの学生街の喫茶店?」
「そうよ、試験的にウヅキの甘々同好会のお菓子とあなたの処のお茶会部の協力とクオンの音楽仲間にお願いして音楽と美味し焼き菓子の喫茶店を1日だけ開いてみることにしたの、」
「それで?」
「後は、反響と言うか反応を見て次の企画を考えるつもりよ。」
「その為に僕はギャルソンになるのかい?」
「そう、ミルキーとロゼッチに頼んで被服系の研究会に新しいお仕着せをデザインしてもらったわ。唯、内装にそれ程お金をつぎ込めなくてクニャーゼには申し訳ない事をしたけど、」
「ほとんど第3中隊が絡んでいるじゃないか。」
「もちろんよ。立っているものは親でもっていうでしょ。」
「そうだけど、食研やJ*J*Jは?」
「もちろん、ウヅキは食研だから食べ物全般はテヒが監修して、店内の調度や所作は王室風をグレースが指導して、全体をユニが監督しているわ。そして今日の厨房にはJ*J*Jが控えているから。」
「ところでクレマは何をしているんだい?」
「私?私はえへへへ、何かしら・・」
「やっぱり、黒幕か~」
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お昼前、オーバル城内の教会の仕事を終えてオルレアとクリスが“学生街の喫茶店”にやって来た。
「しかし、ナポリターナひと皿で他人を扱き使うクレマは本当に悪徳商人じゃ。ストロベリーめ」
「オルレア様、食べながら悪態をつくと、ほら・・いっぱい飛び散らかして・・」
「クリスはこの後はルイと出かけるのじゃろ」
「はい。ルイの馬上槍同好会に新人が入ったので指導と言うかお手伝いに行きます。」
「いいの~。男どもに囲まれてチヤホヤされて乗馬を楽しむのか。わらわも行きたいわー。」
「そう仰らず。生徒会の活動に協力するのも聖女様のお勤めです。」
「何が聖女じゃ、みんなクレマの口車に乗せられて余計な仕事を増やしおって。」
「オルレア様お口を慎んでください。オルレア様の崇拝者ががっかりしますよ。」
「おーい、ルイじゃなかったギャルソン。」
白いドレスシャツに蝶ネクタイの長身の男が濃茶のロングエプロンの裾を軽やかに捌きながら近づいてきて
「お呼びでしょうか。」
「呼んだから来たのじゃろ。立ち襟のシャツかと思えば先折れか、野暮ったいルイも小粋に見えるの、」
「ありがとうございます。」
「食後のお茶とケーキを早く持ってこよ。」
「何をお持ちしましょうか?」
「決まっておろう。テヒの新作とそれに合うお茶じゃ。」
「畏まりました。少々お待ちください。」
そう言ってルイは引き下がって行った。暫くすると黒のミモレ丈のスカートの上にショートエプロンを付けたユニがケーキとお茶を運んできた。
「さあ、オルレアこれを食べたらさっさと着替えて手伝っ頂だい。クリス、ルイは今着替えて裏口から出てくるから一緒に行っていいわよ。ご苦労さん。オルレアはこっちで引き受けたから。」
「わらわもそのルイと同じ男物のシャツに蝶ネクタイをして、ふくらはぎの見えるスカートをはくのか・・」
「当然よ。聖女様に洗い物をさせる訳に行かないから、エプロンはショートで接客専門でいいわ。」
「エプロンもするのか。」
「当然よ。お客様と一目で見分けが付く様にね。」
「コムラにエプロンとは父上に知られたらころされる~。」
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昼時は軽食とオルレア目当ての男子学院生でそれなりに忙しく、オルレアも微笑みを絶やさずに接客業務をこないしていた。14時を過ぎ監督のユニがやって来てオルレアに囁いた。
「どう?調子は、」
「もうそろそろ、上がってもいいわね。」
「そつなくレジ係をこなしていたじゃない。」
「釣銭は間違ていないはずよ。」
「チェッカーとキャッシャーにお客様の誘導などのそつのない接客。何よりもその睫毛の魅力を十分に知り尽くした伏し目がちなほほ笑みで確実に顧客を獲得する技術。流石聖女様ね。」
「何を言っておる。わらわは役目を果たしたまでじゃ。時間じゃろ。もう上がっても良いか、」
「それがそうもいかなくなったのよ。」
「なんでじゃ、2時間ほど手伝へば良いという話じゃったぞ。」
「そうなんだけど今、グレースから連絡が来て皇・・奥様がお忍びでいらっしゃるというのよ、」
「なに、いつじゃ。」
「今日の午後だって、」
「そういう事ならわらわはこれで帰るとしよう。」
「駄目よ!お后さまのお相手はあなたしか出来ないわ。おき・・奥様のテーブル専用担当として残ってもらうわよ。」
「何を横暴な、わしゃ腰が痛うなったで帰らせてもらうのじゃ。」
「何様遊びのつもり?監督命令よ。奥様がお越しになるまで裏で休んでいなさい。逃げ出したりしたら当分テヒ飯は食べられないと思いなさい。」
「そんな殺生な・・」
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14時半を過ぎると学院生以外のお客が来店し始めた。学園の職員らしい二人ずれや家族連れ、非番の兵士の4人組に学園出入りの商人風が従者と共に入って来た頃には4人掛けのテーブルが8卓とカウンター席しかない小さな店内は満席となっていた。
ユニとオルレアは厨房との仕切り扉の窓から覗きながら、
「オルレア、顔見知りがいる?」
「いや、お城の中で出会った覚えのある人はいないの。」
「学術専攻の3年生が出ていくわ。・・入れ代わりに何だかイチャコラした二人組がはいってきた。」
「多分、あれは陰護衛の変装だろう。日頃やり慣れない事をするからあんなぎくしゃくした、べたべたし過ぎのカップルになるのかの~。」
「初老の夫婦連れが席を立ったわ。齢を取っても二人でお茶をして聖曜日を過ごすなんて素敵ね!」
「ユニ、何を寝ぼけておる。いよいよ奥様が来られるという事じゃ。」
「どうして?」
「あの老夫婦が座っていた席がこの店で一番の上席だからじゃ。」
「上席?」
「壁際で警護がし易く、しかも庭がよく見える。今まであの席を押さえていて、店内の体制が整ったので入れ替わりを装って陛下をお迎えするのじゃろう。」
「そうなの?」
「この店にいるのは日頃奥様に出会う事は無いが、素性が知れ信頼できる者ばかりを集めたのじゃろう。」
「そこまでする?」
「あの非番の兵士はどれも手練れぞ。それが非番の日にわざわざお茶とお菓子を食べに来るか。酒屋で昼酒を煽っている方がよほど似合う。」
「でも、学生もいるわ。」
「3年の学術組だな。3年生の軍専組は新兵訓練で帝丘にはいない、官僚組や生徒会はお城に出入りすることもあるじゃろう。あやつらは顔は知られていないがどこぞの貴族の令嬢令息であることは茶の飲み方を見れは分かる。」
「分かったわ。それでどうするの?みんなに知らせる?」
「否。知ればみんな緊張するだろう。このまま私が出る。」
オルレアは、店に出ると客が去ったテーブルの上を片付け始めた。トレーに茶器を乗せ、テーブルを拭いていると
「あら、オルレアじゃない」
と声が掛かる。ゆっくりとその声に振り向いたオルレアは、つぶらな瞳を大きく見開き、
「これはお・・奥様。」
と頬を染めてうつむいた。テラスの外にはマグノリアの白い花が咲いていた。