34 クレマの春休み 帰り道
ある日の午前の2時間ほどを若い幕僚班に対してソシ大佐が講話をした。
「・・つまり、あらゆる兵科・兵種の魁は工兵だったのだよ。」
「具体的にはどういう事でしょうか。」
「今ではもう忘れ去られたが、オディ川の水軍の前進は工兵部隊だ。当時の工兵は建国前のオディ川渡河作戦においてあらゆる種類の船を工夫した。皮船、丸太船、小舟なんかは何種類もあった。敵前上陸用船、鉄船、浮き橋船、大型輸送船、亀甲船や水中船なんてのもあったな。」
「いろんな船があるのですね。」
「船を作る事だけじゃない。修理補修も工兵の仕事だ。操船に最初に習熟するのも工兵だ。だから、敵前で最初に使用するのも工兵だ。敵との遭遇戦も最前線の工兵には必然的に起こることだ。当然失敗する。だから、今でも工兵の死亡率は一般の歩兵より高い。」
「でも、グリーンベレーの損耗率は大変少ないです。」
「それだけ、訓練を積んで且つ優秀だという事だ。」
「話を戻そう。オディ川渡河作戦の後、オディ川の防衛は船の造船改良操船修理に習熟した工兵がそのまま水軍として再編設立された。こういった事は新しい武器・装具・機材が開発されるたびに大なり小なり起こる事だ。」
「つまり、大佐が仰りたいことは?」
「今、君達が模索している帝都とリボン砦を結ぶ軍用道路が、国の道路の基準になるかもしれんという事だ。」
「道路の基準にですか。」
「そうだ。道路の建設の仕方。其の上を走る馬車の大きさ。道路の運用規則。どれをとっても新しい基準を私は要求する。昔ながらの踏み固め道に石を引いただけの様なものでない事を期待する。」
「例えば帝都の東街道の様なですか?」
「大魔法時代の遺物である栄光の道やリーパの町の様な古都に残る建築物などは今の我々には作り出すことはできないが、4千年持つようなものでなくて良い。しかし、せめて千年は使える事を目標にして欲しい。」
「千年ですか・・、」
「今すぐに作れと言っているのではないが、それを想定して今できる最高を考えて欲しい。そしてこの新しい独立大隊がこれからの建国の魁となる事を期待する。」
そう語ると、大佐は幕僚幕舎を出ていった。
「大佐の夢は千年王国かしら?」
そう、クレマは囁いた。
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3月25日は木の曜日、三月最後の週の始まりの朝、朝のパワーモーニングを終えたクレマは女性士官用幕舎でこれまでの報告や意見書などを作成していた。すでに、二週間ここで過ごしたのでそろそろ帰る頃だろうと準備のためである。ふと馬の嘶きが聞こえた様な気がしたが、そのまま書き物を続けるために書類に目を落とした。小規模歩兵部隊の輜重隊はラバが標準である。この部隊には士官乗馬用の馬が二頭だけ、再三、配備を要請したがどうせすぐ帰隊するからとか、飼料が無いとか、人力荷車の訓練にちょうど良いといった、取ってつけたような理由で却下されていたから気にも留めなかった。キリの良い所でゆっくりとペンを置き、一つ伸びをしてから、散歩がてら訓練の様子でも見ようかと幕舎を出た瞬間、クレマは走り出していた。
馬車から馬を外し、手綱をもって歩いているルイに飛びつく様に抱き着て、
「いつ来たの?」
「今し方だよ。・・クレマ。」
「チョと痩せたかしら、ちゃんと食べてた。」
「とても美味しものをね。」
「テヒの手料理なら、そうよね。」
「いや、それよりもジョージアの持て成しがすごくて、参ったよ。」
「美味いしモノ食べたんだ。たくさん食べたんだ。」
「クレマには、チョと申し訳ないと思うけど、半分仕事だから、」
「だから、許せって言うの?」
「お詫びに、帝都に帰ったら美味しものをご馳走するよ。」
「約束よ。」
「約束するよ。‥ところで、もうそろそろ離れた方がいいんじゃないかな。」
そっと周りを見渡したクレマは、真っ赤になりながらうつ向いた。兵士は訓練に出払っていてよかったと思ったが、大佐と教授に見られたのは流石に恥ずかしい。テヒが、
「人目もはばからず、大尉殿ってのは、そんなんでいいのかしら?」
「兵士はみんな出払っているから~。」
「あら、警備の当番兵がいるじゃない。」
「ひえ~。」
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ソシ大佐とビスバル教授が話合いの為に本部幕舎に二人で籠っている間、一行は宴会の準備をすることにした。クレマの予想では長い話になるだろうから。
調査隊の新兵達はそれまでほとんど接触の無かった第四中隊トビイロと言われる者たちの本気の実力を知りその食に対する貪欲さに感謝した。テヒを中心に話が纏まると全員が東の丘陵地帯に消えていく。早く帰投したものたちが調理場を整え炉を作り、こんなものがあったのかといくつもの寸胴鍋が現れる。そのうちに下処理されたウサギやイノシシ、野生の山羊や鹿などの枝肉が届く。警備兵と修理などの為、野営地で作業していた者はその様子を垣間見ていたが、遠くに訓練に出ていた部隊は、夕方、野営地に近づくと異変に気付いた。匂いが違う。マージー兵長が初めて笑顔で命令する。
「貴様ら、手足を洗い行儀よくしろ、今夜はご馳走だ!」
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翌26日の朝食の後、大佐を始めマージー曹長や幕僚班、そして調査隊の兵士達全員に見送られ、クレマ達一行は帝都への帰路に就いた。二日半の道のりである。馬車を騎馭するのはマリー少尉であった。どうした訳かルイは朝から具合が悪く、兵士たちの歓声にマリー少尉が答える態でルイは馬車に乗り込んだ。
前の長椅子席にルイを寝かせ、その対面長椅子席にクレマとヴィリーが座る。後部座席にビスバル教授とテヒが座った。御者はラフォス、馬車後部のステップにアンドレが立つ。仮面のクリスが馬車の後ろを単騎ついて行く。
「フォン・ターレン様が仰っていた、異変が起こるというのはこの事でしょうか?」
「そうだな。単なる食あたりや過労の様には見えないから、たぶんそうだろう。」
テヒとビスバル教授とが小声で囁く。クレマは唯、心配で何もできない無力感に苛まれていた。クリスが横付けして、窓越しにヴィリーに尋ねる。
「具合はどうか。」
「はい、姫様。今夜が峠かと思います。」
「命にかかわるのか。」
「いえ、それはないですが、たぶん死ぬほど痛いかと思います。」
「そんなに痛いの?」
と、クレマが涙を浮かべてヴィリーを見る。
「自然な事と言えば自然な事です。神の恵みと思えば神の恵みでしょう。」
「どうすればいいの?引き返す?」
「先に進んでくれ・・」
と、ルイが何とか声を絞り出した。
「揺れると痛みが増すようですから、ゆっくりと進みましょう。」
「分かった。ラフォス、ゆっくりでいいから揺らさ無いように進めてくれ。」
クリスがそう声を掛けるとラフォスは頷いた。
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往路で泊まった無人の駅舎に着いたのは、夕暮れに少し間がある時間帯であった。駅舎の中に寝台を作りルイを寝かせる。ルイの側にヴィリーとクレマを残し、手際よく食事の用意をする。
「クレマ様、代わりますから何か食べてきてください。ヴィリーも一緒に。」
「何も喉を通らいわ。」
というクレマを抱きかかえて隣室の食卓に座らせる。
「クレマ様、せめて汁物だけでもお召し上がり下さい。」
とクリスが勧め、ヴィリーと一緒に世話をする。
「ヴィリーどう思う。今夜付き添った方がいいなら私が寝ずの番をするけど。」
「姫様、今夜は独りで耐えた方が良いと思います。」
「そう、ではどうする。」
「此の隣室は、ビスバル教授とアンドレさん達に使ってもらい、姫様たち女性は馬車か天幕で少し離れたところで朝を待ちましょう。」
「いやよ、私はルイの側を離れない。」
「クレマ様。男の事は男達に任せた方が良い時がございます。」
「女は役に立たないというの?」
「いえ、それぞれにはそれぞれの特性があり、役割があるという事です。」
「クレマ様。ここはビスバル教授やアンドレに任せましょう。其の方がルイ様も心安らかでしょう。」
「・・・・」
「では、天幕を立て直します。ヴィリー、寝るまではクレマ様をルイの横に居て頂いてもいいわよね。」
「はい。日が落ちる前に準備を済ませます。」
「アンドレ、ヴィリーを手伝って、」
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深夜に一度叫び声が聞こえた。クレマは一睡もできず、その声におびえていたが二十六夜の月が出る頃には流石に疲れて、眠りに落ちていった。ふと目覚めると天幕の中にひとり、慌てて飛び起き駅舎の方に歩き出した。駅舎の中にはビスバル教授とテヒが居た。
「ルイは?」
「大丈夫。今は疲れて寝ているから、」
「見てもいい?」
「そっと覗くだけよ。アンドレのいう事には朝方やっと眠ったらしいから。」
そう言いながらテヒが肩を抱いて隣の部屋に連れていく。
「今はまだ、痛みがあるらしく丸くなって寝ているわ。」
「大丈夫なの?」
「大丈夫よ。そっとしておきましょ。ゆっくり息をしているのが分かるでしょ。」
「うん。」
「さあ、隣に戻ってお茶を飲みましょ。お腹空かない?もう昼近いわ。」
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暖炉の火を使って、テヒが湯を沸かし中食の用意をする。書き物をしていたビスバル教授が顔を上げてクレマに微笑みかける。
「深夜に凄い声がしたが聞こえたかな?」
「うん、」
「儂もびっくりして飛び起きたよ。」
「ルイ、どうしちゃったんですか?」
「そうだな・・、それは起き出してきたらのお楽しみという事にしようかという事になったんだが。」
「・・・意地悪ですか?」
「そうじゃないんだが。聞くよりは見た方が早いのでな。」
「でも、知りたいです。」
「では、簡単に言おう。ルイは、大人になった。」
「?」
「見た目も中身も大人になった。いや、大人としてのスタートラインに立ったと言った方が適切かな。」
「良く判りませんが、」
「だから、見た方が早いと言ったろ。ルイが目を覚ますまでまて。今日一日様子をみて、体調が良ければ明日、出発しようという事になった。クレマ君も疲れている様ならもうひと眠りしてきたらどうだ。」
「いえ、まだ大丈夫です。」
「まだ大丈夫は、危険の始まりともいう。ゆっくり休みたまえ。」
「充分睡眠はとりました。ルイが大丈夫なら日常を取り戻したいです。」
「そうか、それもいいかもしれんな。これからまた学院の忙しい日々が始まる。日常を取り戻すためにも何か出来る仕事をするのも良い。」
「分かりました。取り敢えずテヒを手伝います。」
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暖炉の火を囲みゆっくりとした夕食を取りながら、今日の出来事など話す。
「・・それで、マレンゴ達に春の若草を食べさせようと思って連れだしたら、村の入会地の草を全部食べつくしちゃって、流石に申し訳ないと思って村長らしき人に、入会料を払おうと思ったの、」
「マリー少尉は村の生活にも詳しいのね。」
とテヒがマリー少尉に合いの手を入れる。
「私は川向こうの小さな男爵領の小さな集落の生まれよ。」
「それが今ではこんな所に、何故?」
「男爵様が良い方で、私を士官学校に入学させてくださったので、今があります。」
「何故、男爵様はあなたを気に入ったの?」
「村で一番喧嘩が強くて、ちょっとばかりお勉強も出来たので、武技を教えて頂いたのです。」
「武技の才能が有って、お勉強がすごくできて、可愛かったのね。」
「それ程でもないです。」
「少しぐらい出来るからって、士官学校は入れないでしょ。」
「村のみんなが応援してくれて、それこそ馬車馬の様に勉強して、ただで学べる士官学校に入りました。それは認めます。私は皆さんの様に天才ではありません。」
「あら、私達もそれほどではないわよ。私も実家は農家で食べることに興味があって、ちょっとばかり料理が得意なだけの村の娘だったけど、あれよあれようという間にこんなところで野宿しているわ。」
「それに、ラフォスさんやアンドレさんもすごいです。」
「何かあったの?」
「軍人からは入会料など頂けないと固辞されるので、クリスさんが代わりに何か村のお手伝いをしますと仰ったら、あっという間に、風車の具合がおかしいと修理なさいました。その後ラフォスさんは村の壊れた鍛冶場で村中の鋤や鍬、鎌、はては包丁や鍋迄お直しになりました。クリスさんもお菓子を焼かれて子供たち配って歩かれました。」
「クリスはお菓子がやけるの?」
「ヴィリーの手伝いで粉を捏ねただけです。」
「そうそれは、大きな一歩ね。アンドレさんは?」
「アンドレさんは村長と村の道普請や小川の橋の架け方、野盗対策などの相談をしていました。まるでどこかの代官所の役人の様でした。」
「野盗が出るの?」
「稀にですが、無い事もないとの事です。」
「マリーさんはどうしてたの?」
「馬の世話です。五頭ともとてもいい馬ですね。軍馬としてもよく訓練されています。流石に領主貴族様は違います。」
「村の農耕馬とは違うでしょう?」
「この村には馬はいなくて数頭の牛とロバです。」
「典型的な寒村ね。」
「もう少し北に行くと水も豊富で、池や沼を中心に牧草地や耕作地があるそうですが、この辺りは南の荒れ地の影響か芋や豆、トマトなどの荒れ地に強いものしか出来ないそうです。」
「もう少し水があれば牧草地にできないか考え・・どうしたのクレマ。」
ヴィリーよりも速くクレマが椅子から立ち上がると
「ルイが呼んでいる・・行ってもいい?」
と、手燭を持つと歩き始めた。みんなはその姿を見送る。ドアを開け中に入ると暫くしてガタっと音がした。クリスが素早く後をおった。