28 朝だからオヤツじゃなくてオヨツ?
ルイとクレマ達が吊り鍋を片付ける。水屋から小さな入れ物がオルレアに手渡される。清められた茶杯が立礼卓の茶盤の上に並べられ、更に一組の茶台と茶碗が置かれた。
オルレアは立礼卓の前に立ち、正客に向かって一礼をした。無言で平炉檀の前に進み小さな入れ物から黒い丸薬状の物をいくつか炉檀の中に摘まみ入れると無言で卓前に帰る。三角巾で包んだ手で土瓶の横手を取り茶碗に茶を注ぐと茶台に乗せ正面の大画の前に再び進み出る。暫く大画を見つめお茶をいちど頭上に頂くと花を浮かべた水盤の横に置く。一歩下がって一礼すると立礼卓に戻り、残りの茶杯に4分目程づつ土瓶の茶を注いでいく。客に茶杯が運ばれるのを待って会釈し、自分の茶杯に口をつける。
「どうぞお召し上がりください。」
客たちがお茶を召すのを待ってオルレアが口を開く。
「如何でしょうか、」
「充分に美味しいと思います。」
「ルイが申すには、これよりもっと美味しかったと。」
「まだ、始めたばかりです。これからを期待します。ところでこれはなんと言ったらよいのかしら、紅茶みたいな呼び名はあるのかしら、」
「今はまだ、薬湯に倣って湯液と呼んではいますが、」
皇太后が太皇太后に耳を寄せる。
「茶の湯と言いなさいという事です。」
「茶の湯ですか、畏まりました。」
「ところで、オルレアが焚いた香は誰の物か、」
「故郷の母に教わりました処方で水屋に控えし者が今、作りました。」
皇太后が太皇太后の言葉を伝える。
「今後、先ほどの香はオルレアのみ使用を許す。それから此の香はお主の娘以外には伝えてはならぬ。」
「畏まりました。」
「ところで、水屋の責任者は誰か?」
「グレースという者です。」
「そうか、ではオルレアとグレースはこの後、太皇太后様のお部屋に参られよ。」
「はい。」
「ここの片付けは半東殿に任せておけば心配なかろう。」
「はい。」
「さて、そろそろお暇しよう。義母上も十分なご様子。」
「畏まりました。本日はご臨席賜り誠にありがとうございました。」
・・・・・・・・・・・・
クレマ、テヒを中心に残った全員が平炉檀の周りに椅子を持ち寄りぐったりとしている。
「終わったわね」
と、クレマ。
「終わったわ」
と誰かが答える。何とか体を起こしながらクレマが言う、
「さあ、気を取り直してもう少し頑張りましょ。後片づけが待っているわ。でも、その前に、腹ごしらえね。吊り鍋のハーブティーを温め直して昼食にしましょ。」
全員が立ち上がり食事の用意を始める。立礼卓に個卓を寄せて島を作り、オルレアとグレースを除く15人分の席を作る。ヴィリーとルナとジュリーの3人も低いサイドテーブルを貰い席につく。立礼卓の主人席側にはルイ、クリス、クレマ、テヒが座りその反対側にはJ*J*Jのジョニス、ジョイと二人を手伝ったカナリーとユニが座った。ジュン、アイタナ、ルシア、ディーナは個卓をつないで席を作る。
「みんな座ったわね。ルイ、薬湯じゃなかった、餅茶の茶の湯の用意をお願い。私達もご相伴に預かりましょう。」
準備しておいた昼食をハーブティーで食べ終えて
「さて、感想戦と行きましょうか。先ずはお菓子からかしら」
とクレマが口火を切る。
「クレマ、オルレアとグレースの分はどうする?取っておく?」
「そうねジョニス、乾かないようにして取り分けて置いてあげて。食事は太皇太后さまの処で頂いてくるだろうからいいとして、お菓子の今日の出来を確認したいでしょうから。」
「分かった。ところでクレマ、今日はいったい何だったの?練習とは少し、ウウウン。だいぶ違った気がするけど」
「そうよね。はじめっから振り返ってみましょうか。」
「それがいいわ。オルレアがルイにお花を摘みにいかせたり、お客様が突然増えたりしたもの、」
「予定だとルシアにはJ*J*Jとして全体を見てもらうことになっていたけど、お運びさせちゃったわね。」
「気にしてない、面白かったから。」
「そう、それならいいけど、先ずはどこから話そうかしら」
とクレマが天井を見上げると、ユニが
「水屋に居て良く判らなかったから最初から何があったか話して」
とリクエストした。
「そうね。食研の皆には朝早くからの準備、本当にご苦労さん。」
「この一ヶ月の準備ヨ。」
アイタナが混ぜっ返すとみんなが笑う。
「本当ね。このひと月あまり、ご苦労様でした。」
「いいわ、勉強になったから。お后様のスティルルームに入れて本当に良かった。」
とジュン。
「お后さまやスティルルーム長には改めてお礼を言いましょう。」
「ところでクレマ、今回のこのお茶会は単に餅茶の研究発表というだけの事じゃなかったわけね。」
「そうなるわね。テヒにもこの後係わってくると思うだけど、陛下にルイがジョージア国の民と接触した事をそれとなく知らせるという意味合いがあったのよ。」
「普通に報告書を上げるだけじゃダメなの?」
「う~ん、そうね。報告書だと軍からという事になって、誰の目に触れるか分からないし、いつになるかもわからない。そしてどういう扱になるかも分からない。一番大きな問題はこの案件がルイから切り離されるかもしれない。そうなるとちょっとね。」
「まずいんだ。」
「そうね。手土産は多い方がいいから、」
「手土産?」
「えっと、まあそうね。とに角、この問題は帝王陛下の主導で始めるべき問題だと思うの」
「それで、こんな形になったんだ。」
「ほとんど偶然だけど、チャンスは生かすべきという事で、あれとこれとそれを混ぜたらこうなったという感じね。」
「まあいいわ。着実に食研のレベルを上げる事にはなったから、深く追求しないけどお后様が全く顔を出されなかったけどそれでいいの?」
「今回、お后さまは場所を提供しただけという態ね。」
「それで席亭という事だというのは聞いてはいたけど、どうして?」
「あれやこれやの一つとして、オルレアの実力披露の場だったという事ね。」
「実力?」
「亭主としてどれだけの力量があるかという事が試されたという事よ。」
「でも、筋書きはクレマが書いたのじゃないの」
「まあね。茶事でもなく茶会でもなくましてや社交でもないお茶の席に太皇太后様をお招きするという課題をお后さまから頂いて骨組みを建てたのは私だけど、肉付けをしたのは食研のみんなよ。」
「そうなの?」
「たまたま、テヒがお茶の研究をしていて、餅茶の試作までお茶の歴史を遡っていたことは全くの偶然で、それをたまたま、荒野の携帯食に出来ないかと実験的にルイに持たせたのが今回の事件に繋がっているけど、実際にお茶の席に出せるほどにまで仕上げてきたのはあなた達食研でしょ。」
「そうなんだ。」
「新しいお茶とお菓子が有って初めてお茶席を設ける事が出来るけど、それだけじゃお茶席は成立しないわ。」
「どうして?」
「これは一つの戦いよ。戦争の90%は戦場迄の準備、兵站、補給、輜重だけど、残り10%は指揮官の資質、力量、運だから。」
「オルレアにはそれがあったということ?」
「お后さまが舞台を用意して、食研が衣装や大道具小道具を用意して、私とテヒとグレース、ユニで台本を書いた。」
「オルレアが主役を演じた?」
「オルレアと太皇太后様が主役ね。」
「皇太后様じゃないの?」
「皇太后さまは助演女優。」
「するとクレマがもう一方の助演女優?」
「私は村の・・村長かな、」
「だったら私達は?」
「ジュン達は・・村の娘で、」
「村娘だったらいいわ。水屋組も村娘なの?」
「う~ん、そこは森の魔女かしら、」
「ずいぶんね。それじゃ陛下は助演男優?」
「助演男優はビスバル教授ね。随分渋い演技をしてたわ。」
「確かに、特別出演で存在感があるような無いようなそれでいて皇太后様を絶妙に手助してた。」
「ルシアはよく見えてるわね。そうでしょ。ディーナは陛下担当としてどうだった?」
「陛下をどう感じたかという事よね。」
「一番お近くにいたでしょ、」
「そうね。御詰めとしてもパッとしなかったし、教授を連れて来る所だけが出番の・・」
「通行人Aかしら?」
「いやだ~、いくら何でも陛下にそれは・・」
「それもそうね。では、村人Aで。」
「あんまり変わらないじゃない。」
「まあ、舞台演劇論的にはそれでも重要な役どころよ。」
「クレマ。感想戦じゃなかったの?お后様が兵站、太皇太后様が戦略、皇太后様が戦術、ビスバル教授が援護狙撃担当なら陛下は?」
「残っているのは・・・やっぱり兵士Aかしら?」
「そこから抜けれないか~。取り敢えずそれは置いておいて、クリスは?何の役?」
「侍衛は侍衛よね。全く動かなかったし。・・・彫像。置物。」
「それって背景じゃない。せめて女神像とかないの?」
「では、道祖神という事で。」
「道祖神ね。野立ての、田舎道の道祖神、」
「それでいいじゃない。あとはルイかしら?」
「ルイは何?村の若者?」
「ルイは・・・古典演劇に必須の・・道化役と言う事で。」
「なにそれ、確かに横暴な王様に付き従う道化は必要だけど。」
「お花を抱えて登場する所なんか、はまり役ね。」
「みんなあんまり笑うとルイが臍を曲げるわ。ところでクレマ、あのお花は何?」
「そうよね。そこから検討していきましょう。取り敢えずルイの淹れた茶の湯を頂いてから、」
・・・・・・・・・・・・
王室関連の邸宅は広大なオーバル城の北側に集められているので、太皇太后陛下の私邸もその一角にはあるはずだが、オルレアには、ましてやグレースには、全くどこを歩いているのか見当もつかなかった。
いくつ目かの回廊を渡った先の小さな建物に案内され、暫く待たされると料理が盛られたテーブルに着くよう案内された。料理を前に着席するが二人は手を付けずに待っている。
「あら、先に召し上がれと伝えたのに、わざわざ待っていたの。待たせてしまってわるかったわね。」
と、声を掛け乍ら着替えを終えた皇太后が入って来て着席する。二人はすかさず立ち上がり次の言葉を待つ。
「ここは私の私邸です。義母上は午睡なされたのでお昼を頂きながら気楽にお話ししましょう。さあ、座って」
「「ありがとうございます」」
と、二人は着席するが動かない。
「わたくしは先ほど軽食を頂いたのでお腹は空いていないけど、あなた達は朝早くから大変だったでしょ。若い人の旺盛な食事姿は年配者の悦びヨ。オルレアは16になったのよね、誰かワインの水割りを持ってきて、」
「陛下、昼からお酒は・・」
「一杯だけ付き合いなさい。嫌いなものはないはずよ。さあ、乾杯しましょ、グレースも大丈夫よね。」
「はい。陛下。」
「「美味しい‼」」
「皇后のスティルルーム長はわたくしのスティルルーム長が仕込んだ者よ。コックの料理には及ばないけど私の賄い食もなかななものよ。」
若い二人はしっかりと味わいながらも旺盛な食欲に暫し身を任せた。皇太后は少し摘まみながら水割りワインを傾け、次々に消えゆく料理に手妻の驚きに似た感動を楽しんでいた。
「ところで、今日の茶会部屋の調度は皇后が用意したのかしら。」
オルレアは慌てた様子を気取られないようにカトラリーをそっと置きゆっくりと手巾で口元を押さえてから、
「皇后陛下はこの部屋をお使いなさいと一番初めに申されただけで、スティルルームメイド長の許可を取りながら誂えました。最終的な許可はハウスキーパーに頂きました。」
「コルの許しを得たのね。正面の大絵画はコルが用意したのかしら?」
「分かりません。最初からありましたので」
「そう。何も聞いてないのね。」
「はい。ほとんど指示らしいものは頂いておりません。私どもがこう言ったモノが欲しいとお伝えすると、メイド長が用意してくださいました。」
「すべてメイドが用意したのかしら?」
「食材も調度品もすべてお城の物を使いました。私物はドレスぐらいです。」
「良く判ったわ。」
「あのー、何か落ち度がありましたでしょうか。」
「・・・・わかっていると思うけど、あなた達学生・・食研と言ったかしら、」
「ハイ、食糧及び糧食研究会(仮)。略して食研と呼ばれております。」
「ありがとう、グレース。あなたの食研の力量とオルレアのお披露目と言う以外に后の試験でもあったのよ」
「皇后陛下の、」
「親政に移行してから10年以上たったわ。で、そろそろ奥の事も皇后に任せようと思っていたところに今度の事件でしょ、」
「わたくし共は事件なのでしょうか?」
「当然でしょ。ジョージア山系の事はスィアール王国の記憶をつまりこの帝国の成り立ちに関わる重要事項よ。」
「そのような事をわたくし共におもらしになってよろしのでしょうか。」
「覚悟は出来ているはずよ、オルレア。」
「ハイ。」
「そしてグレース、あなた達が黎明の女神たちを補佐、捕翼して。」
「ハイ。」
「これは命令でもあるけどお願いでもあるの。そうはいってもあなた達の世代が皇后の世代から引く継ぐのはまだまだだけど、あっという間に来るわよ。」
「・・・・」
「ところで、エンネア・エンネアはオルレアの母君から伝えられたと言ったわね、」
「エンネ・・?ですか、」
「あなたが使ったお香よ。」
「あっ、はい。母から教わりました。」
「他に知っている者は、姉妹はいるの?」
「姉が一人、兄が一人、妹が一人います。」
「そう。では、グレース。今日のお香の件はすべて記録から削除して、知っている者には口外禁止令を。」
「畏まりました。」
「おかげで、安心して隠居できるわ。さあ、今日のお茶会の話を聞かせていろいろあるでしょ、面白い話が。」