夏休み 十六夜(いざよい)
十五夜の沈み入る満月を見やる尾根道には、天秤桶を担ぎ走るルイの姿があった。
深夜に望月割りの行を終えたオルレア、クレマ、ヴィリーの三人は庵で月入りの行を行っていた。
山の民も朝は早い。卯の刻の内には大半の者が出発して行った。別れの挨拶と再会の約束は夕べのうちに済ませていたが、黄色いベレー帽を被った一団が名残惜しそうに野営地に佇んでいる。
卯の刻詣りを終えたクレマが庵を出て一団に声を掛ける、
「道中の安全を祈念します。どうかお気をつけて。」
「ありがとうございます。クレマ様もお達者で。」
「来年の四月の山開きには出席できないと思いますが、夏の祖霊祭には必ず出席させて頂きます。それまで皆さんもどうかお元気で。」
最後の別れの言葉を交わすとクレマは黄色いベレー帽を被った一団が見え無くなる迄、手を振って見送った。
・・・・
「クレマ、いい加減腹が減ったのじゃ」
「オルレア~、いつまでのじゃ姫をやっているの。次に、ルイが帰ってきたら朝餉にするからそれまで機織りの練習をしていて」
「とっくに巳の刻は回ったろうに、」
「ヴィリー達が朝餉の準備をしているからもう少しまって」
「朝餉が終わったらクレマは帰るのか?」
「そうね、明日にするは。昨日もほとんど私達の打ち合わせが出来なかったから。日中はルイの修業とオルレアの修業を見て夕餉の後に打ち合わせしましょ。」
・・・・・・
正午の朝餉を終え、十分に食休みを取ったあと、ヴィリーがルイに、
「ルイ様、ロングソードをもって祖霊庵前にお出で下さい。」
そう告げると、ヴィリーはクレマに目礼をして歩き出した。祖霊庵の前庭はアンドレ達によって掃き清められ新しい野天の稽古場として整えられている。
「ルイ様。今日はクレマ様に修行の成果を見て頂きます。先ずは素足で五行剣を披露してください。」
ルイは短靴を脱ぎ十字脚絆に短ズボン、腰丈の袖なし筒型衣で庭の中央に立った。祖霊庵に向かって一礼して先ずは、開始礼の五つ剣を振るう。次に基本の表の型11本を披露した。
「ヴィリー、申し訳ないけど解説して、」
「はい、クレマ様。ルイ様には今は基礎体力造りに水汲みをして頂いてい居ります。そして剣はロングソードを練習して頂いています。」
「基礎体力が大事なのは分かるけど、いきなりロングソードはどうしてなの」
「はい、クレマ様。長大で重い剣をゆっくりと振るう事で五行剣の基礎を身体に染み込ませて頂いております。」
「それだけ?」
「はい、クレマ様。ルイ様の目標は立派な騎士になる事と伺っております。騎士と言えばやはりロングソードというのが世俗の思いですので、先ずはロングソードを扱えるようにという配慮です。」
「騎士と言えばロングソードというのは分かるけど、騎士と言えば馬上槍試合じゃないかしら?」
「ごもっともでございます、クレマ様。しかし、現状帝国では馬上槍試合はほとんど行われません。まして、帝国軍の主流は集団歩兵戦です。歩兵混戦での戦いにロングソードは不便です。学院に戻られましたらクリス様にショートソードの指導をして頂く心積もりです。軍制式の軽装歩兵用剣を中心に各種片手剣を研究して頂きます。只、騎士の教養としてフルプレート着用の馬上槍や槍替わりのロングソードとしてだけでなく、フルプレート着用時のロングソード両手剣による徒歩戦闘の練習を人目のない山の中での修行時には行っていく予定です。」
「つまり、来年の夏休みもここで修行という事ね。」
「出来ましたら」
「分かったわ。クリスと相談して出来るだけ練習時間を取るようにします。」
「よろしくお願いします。」
「それで、今はどれくらいに上達したのかしら。」
「はい、クレマ様。取扱いになれたというところでしょうか。」
「取り扱い?」
「はい、表演しても自分の足を切りつけない程度には成れたという事です。」
「う~ん?それでいいの?」
「はい、クレマ様。ルイ様はこれから五寸は背が伸びられます。筋骨もしっかりされましてから剛剣の練習に入ります。それまでは中庸を心掛けて稽古して頂いています。」
「五寸…か~。偉丈夫よね。そしたらヴィリーがクリスのナイトソードを断ち切ったあの技を使えるようになるのかしら?」
「無理でございます。」
「むり?」
「はい、剣ではあの技は使えません。剣では叩き折る、までです。切れません。」
「そういうものなの」
「そういうものです」
「ルイはそれでいいのかしら?」
「ルイ様は騎士を目指されています。」
「そうなの。分かったわ。ルイがいいならそれでいいわ。後はお願い。私はオルレアを見てくるわ。」
・・・・・
四面の窓と扉が開け放たれた庵の中でオルレアがアラクネの指導のもと機織機と格闘していた。
「どうかしら、上手くいっている?」
「クレマ様。はい、オルレア様は頑張っていらっしゃいます。」
「見た所、頑張っているというよりは癇癪を起している様にしか見えないけど。」
「クレマ~、勝手なこと言って。パタンパタン織るだけなら簡単なのよ。でもね、何事も最初が肝心。経糸をセットするのがこんがらがっちゃってなかなかセットできないのよ。」
「ですから、オルレア様。最初はこの練習用の小さな機織機で練習しましょう。」
「わらわはデカいのが好きなのじゃ。なんでも一番がいいのじゃ~」
「オルレア、先生の言う通りにしなさい。いきなりプロ用の機に挑戦するのは無謀です。」
「そうですね。クリスさんもこの小さい練習用の機から始められましたから」
「アラクネ先生もこうおっしゃっています。オルレア!いったん離れて…離れなさい‼・・・もう~いとまみれじゃない。あら・・アラクネさんこの糸ちょっと変わっていません?」
「あ~それは、ヴィリーさんが森で集めてこられた天繭から繰り出した生糸です。普通の家繭より光沢がやや緑色と申しますか違うのです。」
「そうですか。・・・そういう事なら明日からヴィリーの予定を聞いてヴィリーにも機織りを教えて下さい。それからオルレアには帝都で一人で練習ができるように、想定されるトラブルに対処できるように教えて下さい。この一週間ではとても一人立ちは出来ないでしょうから。」
「クレマ、勝手な事を言って私ならできます。」
「オルレアが我を張り出した時は危険信号ですので、アラクネ先生。いったん休みにしましょう。何か方法を考えましょう」
・・・・・・・・・
申の刻から晩餐の用意を始め、ゆっくりと話し合いながら夕餉の時を過ごしていた。
「それじゃ、アンドレがクリスを馬で迎えに行くのね。旅程は?」
「はい、クレマ様。単騎駆けですと往きに5日、帰りが帝都まですと5日と3、4日。計14日ほどの見込みです。」
「はあ~?今日は16日よ。明日出ても間に合わないじゃない。」
「そうですね。」
「そうですね、じゃないわよ。どうするのよ。」
「それでですね。クリス様には関所跡から船でお帰り頂こうかと思います。」
「先に言ってよ。それだったら騎馬で10日、船で1日、陸に上がって定期馬車で1日でって言っても12日間!全然余裕ないじゃない。雨でも降られたらどうしようもなくなるわね。」
「そこはクレマ様のお力で何とか」
「馬鹿言わないでよ、アンドレ。あなた意外とお茶目な事を言うわね。いくらオルレアが聖女だからだと言っても雨乞いの儀式は行っても干ばつの儀式はないわよ。」
「明日天気にな~れのおまじないがあると聞きましたが、」
「なにそれ。ヴィリーは時々おかしなことを言うと聞いているけど、そんな便利な魔法がある訳ないでしょ。」
「左様ですか。しかし何とかなるような気がします。クリス様とクレマ様ですから。」
「何を期待されているのか・・。オルレアはどうするの」
「わらわは、」
「オルレア。あなたは聖女様なんだからわらわと自称するのは頂けないわね。」
「ならば、拙者はどうかな」
「だめー。」
「どうすればいいのよ。」
「普通にわたくしでしょ。」
「う~ん麿は嫌じゃ。普通は嫌じゃ」
「もう~話が進まないじゃない。好きにして」
「おいどんは馬車で行く。馬には乗れんでごわす。」
「ハイハイ、ラフォス。お願い。」
「はい、クレマ様。馬車でここからリーパの町まで二泊三日。リーパの町から帝都まで一泊二日です。
順調に行けば四泊五日の計算になります。」
「という事は、8月25日の朝にここを出るか24日にここを出るという事ね。」
「はい。」
「馬は?アンドレが騎馬でクリスを迎えに行くのでしょ。」
「はい。クリス様のシルバーとグラ二を出します。マレンゴにはルイ様に乗って頂いて乗馬の練習を兼ねて先導役をお願いしたと思います。馬車はグルファとグルトの二頭立てにします。」
「四頭立ての馬車でしょ。二頭立てに出来るの?」
「前列の馬を切り離すことを想定して作られていますので大丈夫です。ほとんど街道を行くので問題ありません。」
「そうね。下り道だし人も乗っていないし荷物もほとんどない状態だから大丈夫ね。」
「はいクレマ様。帰りはラハトに御者の仕事を教えながら帰ります。」
「そう、ラハトもしっかり学んでください。」
「はい。」
「後は、アラクネさんね」
「はい、クレマ様。アラクネさんに付いてはミヅリ師匠と相談してあります。工房の方が24日には関所跡の宿に迎えに来る手はずになっています。アンドレに途中確認に寄ってもらえばさらに確実になります。」
「流石ヴィリーね。段取りがいい事。アンドレには私からの手紙を持って行ってもらう事にしましょう」
「はい、クレマ様。途中で迎えの人たちとすれ違うことになる計算ですが、一本道ですし向こうはアンドレの顔を見知っていますから連絡は取れるでしょう。」
「そう。ならばアンドレ、お願いします。」
「畏まりました。」
「クレマ、後はルイと二人で打ち合わせをしてくれ。童はもう眠いでおじゃる。」
・・・・・・
西日は山影の向こうに消えてしまったが酉の刻を過ぎてもまだ空は明るかった。
「16夜の月は丸いというけどまだ出てこないはネ」
そんなことを言いながらルイとクレマはナンジャモンジャの木の下を歩いていた。
「ここのナンジャモンジャはどう見ても柳よね。」
「テヒがそう言っていた。」
「そうね、本来はもっと温暖な水の多いところを好むはずなのに、」
「大魔法時代を生き抜いた木らしい。魔力をため込んでいるのかこんな高地でも生きてる。」
「樹齢3000年ということ!。魔法の木なのね。でも、一人っきりで寂しくないかしら、」
「ヴィリーが星屑の湖の近くに挿し木をした。」
「あら?どうして、」
「ヴィリーがこの木から枝を三本切り出した。そのうちの一本を水汲み場の水が流れる脇に挿し木した。」
「どういう事。」
「クリスと私の稽古用の木剣を二本作ってくれた。その礼として一本を挿し木したんだ。」
「う~ん、種を植えるとかじゃなくて?」
「このナンジャモンジャは雄株で雄花しか咲かないそうだ。」
「そうそれで星屑の湖の水の流れの近くに挿し木か。流石にナンジャモンジャの木でも雄花だけでは子をつくれないのね。」
「そういう事だ。あとの二本で四尺の木剣というよりは棒かな、それと切り落とした小枝や葉や皮を集めて細かく砕いてそれを鞣し皮に詰め込んで一尺五寸ほどの蟇肌撓いというのを作ってくれた。」
「ルイは子供好きなのそれとも子供は嫌いなの?」
「苦手だな。クリスは一尺五寸は45㎝程だというんだ。これで入り身八寸を覚えろという。まだ教えてもらっていないが。」
「ルイはいずれ結婚したら、子供は何人欲しい?」
「4人だ。アンシュアーサ導師がそうおっしゃていた。八寸というのは24㎝程だろ柄を10㎝としたら刀身が60㎝程のショートソード並みの働きがあるという事かな。」
「男の子が欲しい?女の子が欲しい?」
「元気な子が、いや君の子ならそれでいい。」
「卒業したら故郷に帰るの?」
「いや、帝国軍に仕官する。」
「軍人になるの?騎士爵となって領主の道を目指さないの?」
「騎士爵となって小さな村の領地経営とかには興味はない。クリスを見て武人にはなれないと思った。あとは軍人として帝国の為に尽くして陛下に認められたい。今はそれだけだ。」
「私は?」
「君には君の道があるだろう・・・。・・で、でも、できれば一緒に人生を歩んで欲しい・・」
「・・・・」
「・・・・」
「結婚しよう、クレマ。」
「はい。」
見つめ合う二人。歩み寄る影。重なる唇。
そんな二人を十六夜の月が遠慮がちに猶予いながらやっと顔を覘かせた。