夏休み ふたよ月(後)
大宴会のあとの朝は辛い。それでも容赦なく照り付ける八月の太陽に人々は起きざる得なかった。街ならば確実に猛暑であろうが流石に高原の風が強い日差しの痛みを和らげてくれる。それも草地の上のことである。吹き渡る風を緑の波に変える草原の上ならば颯爽たる気分にもなれたろうが、ガレ場続きの尾根道の石の照り返しが足元を熟す。ルイは熱せられた鎖帷子に焼かれながら天秤桶を担いでいた。
「流石に俺たちの貴き騎士様だ。夕べは一滴も飲まなかったとはいえ、この猛暑の中を水を運んできてくださる。」
そう山の民の話し合う声をうれしく思いながらクレマ達が朝餉を準備する。
「夕べあんなに食べたのに、また腹が減るとは不思議なのじゃ。」
「昨日は祖霊庵が出来たお祝いだからたくさん食べたけど、今日は十五夜祭よ。今晩が巫女としての本番なんだから食べ過ぎないでねオルレア。」
「大丈夫じゃ。わらわは本番に強いからの。」
「オルレア様。」
「なんじゃヴィリー、苦しゅうない、申してみよ。」
「オルレアったらそれは何。お殿様?隠居さま?何あそび?」
「姫様にきまっておるわっはっはっは~。」
「もう何様でもないわね。それでヴィリーどうしたの?」
「はい。クレマ様。オルレア様の本番の前に練習をして頂かなくてはと」
「何を練習するの?」
「機織です。」
「あ~アレね。昨日、庵に運び込んで組み立てていたやつね。確か、ヴィリーがクリスの機織りの師匠に頼んで、送ってもらったと言っていたわね。」
「はい。クリス姫様の機織りの師匠のミヅリ様の一番弟子がオルレア様をお待ちしておられます。」
「そうそう、確かアラクネさんだっだわね。」
「はい。そうです。アラクネさんがオルレア様に機織りを教えます。」
「今日一日で大丈夫?」
「それはオルレア様次第でしょうが、暫く滞在しても良いとのことです。」
「そう、それじゃ取り敢えず、オルレアを祖霊庵に連れて行くのが先ね。」
「はい。朝餉が終わりましたら、ルイ様が運ばれた湖の水でお清めになってください。」
「オルレア聞いてる。さっさと食べて、ルイが運んできた貴重な水で口を漱いで顔と手を洗ってね。それでいいわねヴィリー。」
「はい。クレマ様、ありがとうございます。」
・・・・・・・・・・・・・・・・
ヴィリーに先導されて、オルレア、クレマが祖霊庵に入る。中には一人の娘が座していた。
「オルレア様。クリス姫様の機織りの師匠ミヅリ様の一番弟子アラクネ様を紹介いたします。」
「アラクネさん、オルレアと申します。機織りを教えてくだると聞いています。どうかよろしくお願いします。」
「巫女様。こちらこそ貴重なお役目を頂きまして、光栄に思っております。」
「アラクネさん。クレマです。どうぞよろしく。」
「はい。クレマ様。よろしくお願いします。」
「アラクネさんはお幾つですか?」
「はい。16でございます。」
「それなら、オルレアよりもひとつ上ですでね。アラクネさんオルレアは物覚えが大変遅いのですが、おバカではありません。どうか気持ちを安らかにして長い目で見てやってください。」
「・・・」
「時々、さぼりますのでそういう時は厳しく叱って結構です。私はオルレアの家庭教師をしてきましたからあなたの気持ちをよく理解できると思います。オルレアが逃げ出したり、さぼったりしてときはどうかきつく接して下さい。私があなたを支持致しますから、どうかご安心を」
「クレマ様のお言葉に感謝申し上げます。私も師匠ミヅリの下で多くの村の娘たちに教えてまいりました。教える難しさは心得ております。きっと巫女様は立派な織姫様となって頂けると信じておりますので、誠心誠意ご指導させて頂きます。」
「これは、心強いお言葉うれしく思います。教えの経験があるというのも素晴らしいです。私の苦労を理解して頂ける方がいらっしゃるというのは私自身にとっても幸いな事です。」
「ありがとうございます。」
「では、教えの区切りがいいとこらで野営地の天布の処に来てください。ヴィリーの美味しいお菓子と紅茶で労いたいと思います。」
「ありがとうございます。では早速、巫女様にはこちらにお座りになって修行を始めて頂きます。」
「それでは、後程。」
・・・・・・・・・・・・・・・
オルレア、ヴィリーとアラクネの三人を庵の中に残し、クレマは野営地に向かって歩き出した。庵前は山の民によって掃き清められ、水が撒かれている。
「皆さん、ご苦労さまです。」
「これは黄色い姫様、夕べの宴は庵に籠られていましたな」
ひとりの老人が皆を代表する形で挨拶を返してくる。
「はい、夕べは私が一人籠りました。」
「今日はあのおじゃ姫様が籠られるのかい」
「今日は十五夜望月の祭りを行いますので、正巫女、巫女、巫女見習いの三人で庵に籠ります。」
「そうかい、それじゃ今夜も黄色い姫様とはあまり話が出来ないな」
「そうですね。それは少し残念です。もしよろしければ、今からお茶の時間という事でお話しませんか。」
「それは願ったり叶ったりだ」
「では、天布の所に行きましょう。」
「おーい、みんなお茶の時間だ。手の空いている奴はカップをもって付いてこい。」
・・・・・・・・・・
天布の下のテーブルには各集落の主だったものがクレマを中心に座る。そしてあぶれたほとんどのもが、草の上に車座に座りお茶の入ったポットをてんでに回し、大皿に乗せた菓子を摘まんでいた。
「ここにお座りの方は各集落の長の方ですね。改めまして、クレマ・エンスポールです。よろしくお願いいたします。」
「それじゃ、こちらも紹介いたします。先ずは俺は黒谷のベル、集落の長の寄り合いの座長というのをやっている。座長は持ち回りで今年は俺の集落が当番なもので、それでしょうがなくやっているけど、特別俺がすごいとか偉いという訳ではないんだなこれが。」
「あら、とっても立派な方の様にお見受けしますが。」
他の者がどっと笑う。
「わらんじゃねー。で、そっちから赤崖集落のドメニ、黄砂集落のジェロ、ジェロは大工として庵を立てるのに頑張ったから顔はもうしっているな。」
「はい親方のジェロさんと赤崖のドメニさんですね。」
またみんなが笑う。
「親方だとよ。それから、青岩集落のルイジ爺さんと白峠のジョル、緑壁のニコ、紫沢のテファだ。」
「ルイジ翁にジョルさんとニコさんそれからテファさんですね。」
また、皆が笑う。
「なんか、黄色い姫さんに名前を呼んでもらうとうれしいもんだな。」
「そうですか。それは良かったです。座長のベルさん。」
全員が大笑いする。笑い声がが収まったの見て、
「それで、私の事をなぜ黄色い姫と?」
「そりゃなんたって、姫さんの髪の毛は昨日貰った帽子みたいに深い黄色だからな。俺たちは集落長の座長会の時はあの黄色い帽子を被って寄り合う事にしたんだ。そして、長が代替わりしたらあの帽子を譲る事に決めたな。」
「そうですか、それは光栄です。あのよろしかったら、あの帽子をもう一個作って私も被ってよろしいでしょうか?」
皆がひそひそと相談する。意見がまとまったのか黒谷のベルが咳ばらいを一つして
「ウフォン。あー今、集落長の座長会の結果、黄色い姫様を座長会のメンバーに決定した。もし、この山に来られることがあるなら知らせて下さい。いつでも座長会を開きます。」
「ありがとうございます。大変名誉な事と思います。ルイ=シモン騎士爵様の代理として出席させて頂きます。」
「うれしいね。それでだが、一つ聞きたいんだが貴い騎士様は俺たちの領主様になるのかい?」
「いえ、とんでもありません。ルイは‥ルイ=シモン騎士爵はあくまでも山の民の方々の友人です。帝都に住んでおりますのでちょっと遠いところの隣人と言ってもよろしいと思います。時々、この月光山で修行をさせて頂く事をお許しください。」
「そうなのかい。帝国の王様が俺らのこの山を帝国の領土にしてしまうのかと思っているんだが。」
「陛下の、帝国の王様の御心をお察しすることはできませんが、今のところ帝国は十二貫野街道と大岩村までの林道とその周辺を実際の支配地と考えております。ので、此の深山についてはまだ、帝国領としてどうにかしようというつもりはないと思います。」
「そうなんだろうが、何れはという事もあるんじゃないかと心配している。」
「どういったことが心配ですか。」
「その、一番は追い払われることかな。それから、兵役とか税金とか杣人の話を聞くといろいろ大変のようでな。俺たちの暮らしが立たなくなるんじゃないかと心配なんだ。」
「そうですね。反帝国として戦いを起こされるようなことがあれば、帝国のこれまでの歴史を見るに徹底的な占領政策を取ると思います。しかし、今までこの地はほとんど関心を持たれておりませんので当分は何も変化は無いと推察します。」
「当分はこのままということか。」
「そうです。」
「しかし、杣人が山の木を切るために俺たちの山まで深く分け入ってくる。今はやり過ごしているが、いずれはどうなるかと心配なんだ。」
「そうですか、それは今から何か対策を立てておくべき問題なようですね。」
「黄色い姫様もそう思うか」
「はい」
「でもどうしたらいいもんか。」
「それでは、どうでしょう。今からそれについて話し合いませんか?」
「よし、座長会を開こう。」
・・・・・・・・・・・・・
傾いた日差しが未だに熱い。天布の作る影に椅子を移動させ、時折吹き渡る風に長い髪を吹かせながらオルレア、クレマ、ヴィリーとアラクネがお茶をしている。
「オルレア、クッキーから手を放しなさい。」
「匂いだけならいいじゃない」
ふくれっ面をするオルレアを見てアラクネがおずおずと聞いてくる。
「あの本当に私だけお茶とお菓子を頂いていいのでしょうか?」
「気にしないで、私達は慣れているますから。」
「あの、そういわれましても…、」
「私達三人は今晩巫女として庵にお籠りするの。」
「はい、」
「それで、お籠りする者はその日の正午から次の正午まで口に入れていいのは水か白湯だけなの。それが神様事に携わる者の掟だから。」
「はい。」
「後、これから沐浴もするわ。ルイが運んでくれた水でね。」
「夏はよろしいでしょうが、冬は冷たいですよね。」
「それは仕方ないは、そういうものだから。」
「なんだか巫女様になるのも大変ですね。」
「慣れればどうでもない事と…オルレア、ケーキからは離れなさい。」
「クレマ様もいろいろ大変ですね。」
「アラクネさん、オルレアはどうでした?教えるのたいへんだったでしょ」
「いえ、クレマ様。とても物覚えが良くてこの分では直ぐに上達されます。大変教え甲斐があります。この一週間で私のすべてを伝授したいと思います。」
「そう、それは良かったわ。オルレア頑張ってね。私は明日帰るけど。」
「ずるいのじゃ。わらわも帝都のビーフシチューが食べたいのじゃ。」
「あなたは食べ物の事しかないの!そういえば、山の民の集落長達がミチツキダンゴをお供えしたいと言っていたので許しを出したけど問題ないわよね。」
「どの様なものだ。」
「なんでも、米を潰して丸めたものを満月に捧げるそうよ。」
「ミチツキダンゴ?あ~、望月団子ね。問題ないわ。私達の国の月餅の古い形だからそっちの方がどちらかというとこの山には似つかわしいかな。」
「それはどのようなものですか?」
「ヴィリーも興味あるのじゃ。ひとつ頂いてくるのじゃ。」
「だめよ。明日にしなさい。」
「それから、集落長の座長会でいつまでも祖霊庵という呼び方でいいのかと言われてね。一応案を出してもらったわ。」
「祖霊庵自体はそれなりに各地にあるからな。固有の名前を付けてもいいのじゃ。それで?」
「黄雲庵でどうかという事に」
「コウウンアン?」
「黄砂のジェロが大工棟梁を務めたのと、昨日送った黄色いベレー帽から黄の字を頂いて、あとその時、山の上の雲がとても印象的でったので、」
「なんだか別の物を想像してしまったが、皆がそれでいいなら、わらわは構わぬのじゃ。よきに計らへ、フェ~フェッフェッフェ。」
「オルレア!」
「月光山・黄雲庵だとゴロが悪いな、いっそ黄雲院にするのじゃ」
「黄雲寺では?」
「何かに引っ張られる~」