夏休み 7月27日 夏雲奇峰
疎林の下から見上げる綿雲を何度も見失いながらラハトは鞍に揺られていた。
今日の乗馬馬、銀鬣のグラ二は気分が良かった。旅の初日は金属だらけのルイを乗せ、すれ違う人々の賛辞を込めた視線を浴びて誇らしかったが、昨日は重く圧し掛かるだけの荷物を載せられつまらなかった。
朝の休憩にもらった燕麦も森の下草も美味しかった。鞍辱も肌触りが良く托革の当りも気にならない。鼻歌替わりの鼻息がつい出てしまうのも致し方ないといった感じであった。
マレンゴが鼻息を少々粗く吐いて首を振った。ラハトが後ろを振り向いてマレンゴに話しかける。すぐに前を歩くアンドレに、
「アンドレさん。物見に出ます。」
そう声を掛けると、ラハトはグラ二の腹に蹴りを入れた。
・・・・・
1時間ほどしてラハト・グラ二組が折り返してきて、アンドレに報告する。
「速足で30分ほどのところに川があります。馬膝までで、十分渡れました。そこを渡って大休憩にして下さい。」
「分かった。ラハトは如何する。」
「川の先をちょっと見てきます。」
「分かった。気を付けて行け。無理はするな。」
「分かりました。」
そう返事をすると、ラハトはグラ二の首を巡らせ方向転換させると強く腹をケリ、駆けさせた。
「アンドレどうしたの?」
後ろを歩いていたクリスが聞いてくる。
「はい姫様。どうも雨のようです。野営地を捜しにラハトが物見に出ました。」
「そう、とってもきれいな青空だけど?」
「夕立だけか夜中降るのかと言ったことは分かりませんが、取り敢えず、この先1時間半ほどにある川を渡っておいた方が良いのではないかと言うラハトの判断です。」
「では、どうするの?」
「歩く速度はこのままで、小休止を挟みながら川を渡ってから大休憩にします。そこで、午後の方針を決めましょう。」
「分かりました。運行はまかせますが、40㌔担いでの徒歩はちょっと疲れます。」
「ルイ様は大丈夫でしょうか。」
「何も言わないけど、足取りは重そうね。」
「鎖帷子とはいえ完全武装で40㌔担いでの行軍は初めてでしょうから、小休止を多く入れて我慢してもらいます。」
「そうね、それでも13時までには渡れそうね。」
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アンドレ達は浅瀬を渡り砂礫の川原から川端の土手の様な藪の間に再び林道を見つけると、十分に森の中に入って林道に沿うように屹立する大木の下に腰を下ろすことにした。
「ラハトが来るまで、ここで待機しましょう。ルイ様手伝います。」
そう言いうと、アンドレはルイの荷物降ろしを手伝った。
「夏だから、ズボンが濡れるのは構わないけど革靴が濡れるのは辛いな。」
そう言うルイに向かってクリスが、
「泣き言なんか言ってないで、あっち向いててよ。」
と、言うが早いか濡れたズボンを脱ぎ捨てて乗馬用ズボンに履き替え始めた。
「流石に姫様それは如何なものかと思います。」
「そんなことより、乗馬用長靴じゃ歩きづらいわ。サンダルにする。」
「ご自分の背嚢からお出しください。」
「乗馬ズボンに背嚢は変よね?」
「サンダルも変ですから、」
「サンダルでも歩けそうな道があるってことは人が手を入れているってことよね。」
「落葉高木が目立ちますから、植林されたあと放置されたのか。しかし人の痕跡がしませんね、山の中だから当たり前なのでしょうか。そんなことよりやっと帰ってきましたよ。」
そう言うとアンドレは手を挙げて合図をおくる。
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「遅くなりました。」
「そんなことないわ。だいぶ飛ばしてきたみたいけど大丈夫?」
とクリスが受ける。
「この先はどんな様子だ。」
とアンドレが聞く。
「はい。速足で1時間ほど進みましたが、あまり上り下りなどはなく地形に沿ってこのままっ真っ直ぐと言った状態です。」
「成る程。となると徒歩で3時間はこのままか。」
「これと言った小川もなく水場らしきところはちょっと分かりませんでした。」
「姫様。今日はこのあたりで野営します。3時間歩いて野営準備中に夕立に振られるよりは、三勤一休の前倒しという事でよろしいでしょうか。」
「運行はアンドレに任せてあります。私達は何をすればいいの?。」
「では。ラハト、野営地を私と一緒に探そう。姫様は馬に水を飲ませてそれからルイ様のお世話をお願いします。」
・・・・・・・
林道からすこし登った所に風よけに具合のよさそうな丘と少し開けた場所を見つけ、立ち木を利用して天幕を張る。馬の荷物を全て下ろし川辺で水を飲ませ、世話をして銜も外し自由にしてやる。朝に焼いた種無しパンと乾燥野菜の簡単なスープで中食をすませる。
「もう、八つ時ですが。」
アンドレがつぶやく様に言うのにルイが、
「ヤツ?」
「15時の中間飯を私達の田舎では、お八つというのよ。」
「ラハトは知っているでしょ。」
「はい。帝都のお屋敷では7時の朝食と10時のお茶と12時の昼食と15時のお茶と18時の夕食が決まって出されていましたがその事ですか?」
「そう、その10時と15時のお茶をお八つというのよ。身体を使う重労働の人には大事な食事時間で中間飯ともいうわ。」
「なんでそんなに分けるのですか?」
ラハトが素直に聞いてくる。
「野生の馬の様にお腹がすいたら好きなだけ食べて、休んで、遊んでという訳には人間はいかないのよ。」
「一度にたくさん食べればいいのでは?」
「食休みの時間も長くなるし、胃にも負担が大きいわ。」
「だから小分けして食べるのですね。」
「そう。それにお腹がすき切ってから食べると力が回復するまでに時間が掛かるの。仕事がつらい時間が出来てしまって、長い目で見ると重労働の人には胃に負担にならないように少しづつ食べるのがいいの。お腹が減る前にこまめに力の基を補給するのがいいのよ。」
「だったら、食事袋を各自に持たせて各々が適時食事を取ればいいのでは?」
「そう言うやり方もあるけど、大抵の仕事はみんなで力を合わせてやるし、みんなで楽しく食事をした方が気分の転換にもなっていいので、人の社会の智慧としてお八つという習慣が出来たのだと思うわ。」
「人の社会ですか。」
「ラハトがいた前の人々の間にも約束事とかはあったでしょ。」
「おきてでしょうか・・」
「そうそう、掟と言うのは帝国では法律というけど、法律は帝国国民が守らななければならい最低の掟ね。そのほか掟ほど厳しくはないけど守る約束事はあったでしょ。」
「いろんな当番のやり方とかでしょうか。」
「そういうものね。だいたいこうするけど人によってはちょっとやり方が違うとかね。そう言ったいろいろな事をお屋敷で学んでね。」
その会話にルイが
「ラハトはいったいどんな所にいたんだ。外国ですか?」
クリスがラハトを見ながら
「どうしようかな、ラハト教えちゃう?」
「はい、クリス様。僕はかまいません。」
「ルイ、こう見えてもラハトは名うての山賊だったのよ。」
「山賊!」
「違いますよ、クリス様。山賊に掴まって下働きをさせられていたので、自分から山賊になった訳ではないんです。」
「それがどうして、クリスの従僕に?」
「ルイ、ラハトは私の従僕ではないと言ったでしょ。」
「そうだった、オルレアの臣下だったね。どうして?」
「話せば長くなるから、搔い摘んで言うと、オルレアが山賊退治をした時、行き場のないラハトとセシルとルキアをオルレアが直臣にすると言い出したのよ。」
「ずいぶん搔い摘んだようだが、それでラハトはクリスの事を姫様とは呼ばないのか。」
「そうよ。考えてみれば、私はオルレアの陪臣だけど、ラハトはオルレアの直臣だわ。立場的には私より上ね。」
「クレマは・・?」
「やっぱりクレマのことは気になるわよね。クレマはオルレアの従妹だけど、オルレアのお父様の命令で教育係?お目付け役?臣下としては付け家老ね。」
「古風な家柄とは薄々気づいていたが、付け家老とは。それに狼まで直臣扱いとは、何処の領主様なんだ」
そんなやりとりにアンドレが
「そろそろ休憩を切り上げましょう。姫様は枯れ枝をたくさん集めてきてください。我々は3人で野営地に雨対策を施したあと下草を刈りながら兎などを狩ってきます。」
・・・・・・・
川辺で兎の処理をルイとラハトに指導しながらアンドレが
「やはり狩は一人でするより人数がいたほうが楽ですね。」
「ラハトは兎を見つけるのが上手だね」
「ありがとうございます。」
「猟師もこんなやり方をするのかな?」
「猟師は大抵一人で山に入ります。それに猟師ならば兎はやはり罠猟でしょう。」
「どうしてですかアンドレさん」
「ラハト、それは目的が違うからやり方が違うという事です。」
「目的が違う?」
「そう。今日、私達は食糧としての肉を手に入れることが目的でしたが猟師は肉と毛皮が目的です。罠猟なら毛皮の傷を最小限に、上手くやれば無傷で得ることが出来ます。これを見てください背中にザックリ剣の突き傷が開いています。」
二匹の獲物のうちの血にまみれた方を持ち上げてみせた。
「すいません。」
「いえ、初めてにしては上出来です。さあ、必要な部分だけを取って後は川に流しましょう。雲の動きが怪しくなってきました。」
・・・・・・・
森の中の雨は優しいと言ってもしっかりと降っている。天幕の下で火を焚くのは避けたかったが致し方ないと五徳を置いてスープと兎の串焼きを作る。
小麦粉を水で溶いて延ばしただけの種無しパンに兎の肉を包んで食べる。
「新鮮な肉があるだけで豪華に見えるね。」
と、ルイが頬張りながらしゃべる。
「自分で獲ったとなると一段とおいしいでしょう。」
クリスが答える。
「自分で獲ったと言っても、ラハトが見つけてアンドレと二人で山の上から追い込んでくるのを待ち伏せてロングソードで仕留めただけだよ。」
「見事な剣捌きでした。」
「二人が僕のところにうまく追い込んでくれたからだよ。」
アンドレの賛辞に少し照れながらルイが答える。
「ラハトは兎狩が上手よね。何かコツがあるの?」
「兎を追いかけまわして剣で仕留めるのは無理です。一人で狩るなら待ち伏せて兎が立ち止まったところを弓で仕留めるのが良いと思います。隠れている野兎を勢子が驚かしてとび出させて追い込んで仕留めるのなら山の上から下に向けて追い立てるのがいいと山賊の時に聞かされたのでその通りやってみただけです。」
「どうして山の上から下に追い立てるの?」
「兎は前足が短く後ろ脚が強く長いので山を下るのが不得意です。ルイ様ほどの剣の使い手なら下る兎なら仕留めれますが、登り兎の速くそして巧みに変化する逃げ足は追いきれないでしょう。」
「そうね。逃げる動物を追いかけて剣で仕留めるのは人間には無理よね。」
「的の大きい鹿ならば逃げるところを弓で仕留めるのを何度か見たことがありますが、逃げる兎は無理でしょう。」
「猪や熊は?」
「猪は槍で仕留める名人がいると聞きましたが、熊は狩と言うより戦いですね。たまたま出合い頭に闘って、偶然ナイフで突き刺したら仕留めたと言っても子熊で大きな熊は一対一では勝てないそうです。」
「アンドレ、どう思う?」
「私も同じ意見です。熊狩りをするなら罠を仕掛け準備万端で十分弱らせてからですね。それでも止めの時に失敗する話はよく聞きます。」
「熊には出会わないようにいのりましょう。」
そう言って話をしているうちに夕立は去っていったようだ。